第三話 これが下流の生活ってやつさ
俺の家は下流住民の区域にある。
たまの徹夜仕事の時だけ、そのまま寝るために近くの宿屋に部屋を取る。
経費は雇い主に請求出来るから、こんなことも出来るってわけだ。
「だから普段暮らしてる貸し家は、ここなんだよ。鍵だけはしっかりかかるのが取り柄だな」
「ここにお住まいなんですか」
「そうだよ。びっくりしたかい、自分のお屋敷と比べて?」
俺は意地の悪い笑みを浮かべる。
無理もないか。
日当たりは悪いし、木製の壁は塗料が剥げかけている。
二階には倉庫があるだけで、生活出来る部屋は一階にしかない。
「ここにおひとりで? ご家族、あるいは同居されている方はいらっしゃらないのですか?」
「一人暮らしだね。何部屋かあるけど、寝室と台所しか使っていない。空き部屋を掃除して、勝手に使ってくれ。確かまだベッドは残ってたと思うから」
「すいません、ご厄介になります」
それでも、リーリアは恐る恐るといった感じだ。
当然か、サンドリス家のお屋敷とは比べるべくもない。犬小屋にしか見えないだろう。
「言うまでもないけど、使用人もいないからな。これが君が言うところの自由な生活だよ」
俺はリーリアに念押ししておく。
「承知してます。そうか、これが現実なんですね」
「ま、そういうことだな」
俺としては、綺麗事は言わないことにしている。この程度でびびるなら、そもそも家出の資格はない。
せめてもの情けとして帰路で屋台のパンとハムを買ってやったから、とりあえず空腹は癒えてるだろ。
人間腹が減ってると、余計なこと考えたりイライラするしな。
頷きながら、リーリアは俺の顔を伺うような様子だ。「どうした?」と聞いてやる。
「その、このドレスだと動きづらいので着替えたいんです。でも着替えの服なんてここにはないですよね」
「いや、女物の服なら確か何着かあったはずだ。そこのクローゼットかな? 勝手に着ていいよ」
「えっ、ありがとうございます! でも、どちらの方の服なんですか? まさかグランさんに女装趣味が?」
「違うよ。前に一緒に住んでた女冒険者が遺していった。遺品だよ」
俺の言葉に衝撃を受けたのか、リーリアの表情がひきつる。
「遺品......亡くなられたんですか、その方」
「遺品っていうのはそういう意味だろ。どうする、着るのか着ないのか」
頭の中を、その時の情景がよぎった。
その女の顔の記憶は、ずいぶんと薄れている。もう何年も前の話だ。
「着ます。大丈夫です、そのくらい」
「そうか。じゃ、この部屋は好きに使いな」
記憶の希薄化に戸惑いながら、俺は自分の部屋に戻った。
確かオーガの棍棒で、頭をぶん殴られて死んだんだっけ? 脳みそが飛散した光景も、今はうっすらとしか覚えちゃいない。
佇むリーリアをそのままに、俺はいつもの自分の部屋に戻った。
† † †
正直に言おう。
俺はリーリアがここの生活に馴染めるなんて、まったく思ってはいない。
快適な生活に慣れた人間は、それより著しく劣る生活には絶対に適応出来ない。これは事実だ。
三日ほど共同生活をした後、俺はその過酷な現実を突き付けることにした。
「部屋の隅にはキノコが生え、壁のすき間からは蝿が侵入。おまけに便所もない家ときた。これが下流の生活ってやつだよ」
そう声をかけると、リーリアは力なくうなずいた。
彼女なりにその辛さは実感したらしい。
初日は新生活に興奮していたようだが、流石に三日も経てば分かる。
「使用人の皆さんもいないから、洗濯も全部自分で手洗いですしね。それにお食事も自分で準備しなければいけないです」
「ああ。それも俺に完全にやってもらってたよな。君が出来たのは、皿洗いくらいだ」
「うっ、そ、それは、確かにおっしゃるとおりです」
リーリアは視線を気まずそうにさ迷わせる。
今着ている物は、薄汚れた麻のシャツと揃いの膝丈のスカートだ。
見た目はだいぶ下流生活に染まってきた。でも中身はどうだろう。
「そうだ。ここでは全部自分で何とかしなけりゃいけない。清潔とは縁遠いし、質の良い食い物も中々手に入りはしない」
「えっ、でもあっちの市場では高価なお肉も売っていましたよ。お金を出せば買えるのではないですか?」
まったく無邪気に言ってくれるよ。
世の中そんなに単純なら、誰も苦労はしないんだよな。
「二つ問題点がある。
まず一つ目は分かりやすい。下流の住民は、そもそも高い肉を買うだけの金がない。
俺なんかはまだましな方だが、それでもでかいクエストの報酬が入ってようやくだ。正直言えば、高い肉を一食分買うなら、その金で五食分のパンや麦粥を買うね」
指を一本立て、俺は教えてやる。
リーリアは真剣な顔だ。真面目に聞くのは良いことだな。
よし、更に厳しい現実を教えてやるか。
「二つ目。
そもそもああいう高い食材は、俺達には売ってくれない。金のあるなしとは関係なく、門前払いされる」
「えっ、そんな!? お金が払えないならともかく、なんで売ってもくれないんですかっ。そんなのおかしいですよ!」
若いねえ。口の端を歪め、俺はその問いに答える。
「商人てのはさ、継続して買ってくれる客を優先するんだよ。
たまーにしか買わない俺らよりも、いつも買ってくれる上客を優先する。俺らに売っていい肉が無くなったら、お得意様の上客に悪いからな」
「その、上客っていうのは」
「簡単に言えば、金持ちだな。君のような貴族、豪商、あるいは騎士とかだ。
そいつらは日常的にいいもん食ってて当たり前の人間だよ」
「当たり前の人間って、そんな言い方」
リーリアの声に悲しみが混じり、視線には痛ましさが混じる。
哀れみってやつならそいつは傲慢だぜ、お嬢様。
「俺らは相手にされない人間なんだよ。君はまだ若いし、俺らみたいな人種を知らない。だから、そんな目が出来る。それだけの話だ」
「私が世間知らずの貴族のお嬢様だから、ですか?」
「そうじゃない自覚でもあったのかい?」
俺の皮肉はリーリアを黙らせた。そこに俺は追撃をかける。
「この城塞都市の治安が誰に統治されているか、知ってるかい」
「行政官、いえ、正確には組織としての行政府とそこに仕える行政官ですよね。犯罪行為が発生した場合、行政官が速やかに出動して対処します」
「満点だよ。あくまで机上の論理としてはね」
「現実は違うとおっしゃりたいのですか?」
「ご名答。
行政官が相手にするのは、中流区域までだ。
人手が足らないのか、あるいは最初から人間扱いしてないのかは知らない。けど、行政官が下流区域の事件やもめ事には介入してこないのは事実だよ」
青い目を見開き、リーリアは絶句する。
「じゃあ、誰が身を守ってくれるんですか」
なんて可愛くて愚かな問いなんだろうな。
「決まってるだろ。自分達でどうにかするしかないのさ。
周囲に敵を作らないよう、自分は安全ですよとアピールする。
それと共に、騙されないように周囲を警戒する。味方は敵になるかもしれないし、敵は味方になるかもしれない」
はっ、言葉にすると陳腐だなあ。
つまりこういうことだと、一言に要約してやる。
「本当の意味じゃ、誰も信用出来ないってこと。少なくとも、人を信じることがとてつもなく困難だってことさ。
貴族の世界もそうかもしれないが、こっちはもっと切羽詰まってるぜ。
隣の住人がナイフを持って、明日の晩飯求めて襲ってくるかもしれない。盗賊団と通じていて、外から招き入れるかもしれない」
「本当にそんなことが」
「幸い、俺はまだお目にかかったことはないね。
でも、もしかしたら俺が知らないだけかもなあ。司法の手が及ばない闇の中でな」
肩をすくめながら、俺はリーリアの顔を見た。元々色白なのだが、心なしか青ざめて見える。
「グランさんは大丈夫なんですか? そんな危ないところに住んでいて。他にもっと安全な地域だって、あるじゃないですか」
「住みたくても住めないんだよ。引っ越すだけの金もないし、名声もないからな。
あんまり無責任なこと言わないでくれるか」
「ごめん、なさい」
俺の目の前で、子爵家のお嬢様はうなだれた。
まるで萎れた花のようだった。
それを見ても、俺には何の感慨も湧いてこない。俺はただ、この子に社会の現実を教えてやっただけだ。
「謝らなくていい。君には関係の無い社会だろ」
視線を彼女から外す。
おっと、一つ重要なことを言い忘れていたな。
リーリアが顔を上げるのを待ってから、それを伝えることにする。
「あの、何か」
「俺、明日からしばらく留守にするから。泊まりがけのクエストだ。ついでに言えば、命の危険もある」
「つまり私一人でグランさんが帰ってくるまで過ごすということ、ですね」
緊張してるのだろうか。
それも無理はないか。
この三日間、俺は短い休暇を取っていた。
彼女が未知の生活に不安を感じたとしても、少なくとも俺を頼ることは出来たのだから。
「そうだよ。留守番頼むな。日中なら出歩いても危険は少ない。炊事と洗濯くらいは自分でやってくれ」
「頑張ります」
「そう。じゃ、おやすみ」
会話が途切れた。
椅子から立ち上がる。
寝よう、明日は早いのだから。
リーリアのことがほんの少しだけ気になったが、それもすぐに忘れた。
家出するくらいの根性はあるんだ、どうにかするだろ。