とある恨みと梟の聲
日もとっぷりと暮れた夜、傍で動く気配を感じて目を覚ました。
薄らと目を開けてみると、部屋の中が妙に明るい。ゆらゆらと揺れる橙の光源を探すと、同室の使用人オフィーリアがランプを持っているのだとわかった。
使用人専用の塔、黒羊塔に消灯というものはない。24時間、誰かしらが何かの仕事をしているため塔に光が絶えることはない。といっても、光が絶えないのは塔の下層の仕事場のみ。日中の仕事で疲れ切った使用人たちは早々に明かりを消し眠りにつく。そして新人の使用人である私たちに、夜中の仕事はまだ一切割り当てられていない。私たちは明日の仕事に備え、身体を休めるのが暗黙の了解だ。
お手洗いかと思ったが、彼女が今来ているのは寝間着ではなく仕事着だ。お手洗いへ行くのにわざわざ着替える理由があるだろうか。
注意深く彼女が私を見ているのがわかった。努めて平常の呼吸を意識する。そうするとしばらくして橙の明かりが離れ、扉の蝶番が鳴く音がした。再び部屋の中が真っ暗になる。眠気飛んだ身体を起こすと、隣にあったベッドは当然もぬけの殻。
闇の中逡巡する。彼女を追うべきか、何も見なかったふりをしてベッドに戻るか。
正直、面倒事に首を突っ込みたくなかった。夜中こっそりとベッドを抜け出しどこかへと向かう。逢引き、ではないだろう。まだここに来て大した時間は立っていないし、私たち新人はいつも一緒にいる。オフィーリアにそういった気はなかった。
何か変わったことがあったか、といえば昼間の彼女だ。誰もが頭を床につかんばかりに下げていたのに、彼女だけは不躾な視線を陛下、ルヴァンシュ王に送っていた。その後も今日は心ここにあらずといったようだった。何かあるとすれば、陛下に関すること。もしくは陛下が出てきたあの部屋、黒い扉の部屋だろう。
オフィーリアが何者なのか、ただの同室の私は知らない。わかることと言えば育ちがよさそうということくらいだ。少なくとも仕事に困っていた、住み込みの仕事がしたかった、というタイプではなくどちらかと言えば奉公に出ているような、そんな少し世間知らずな面がある。
しかし昼間の彼女は世間知らず、で済むようなそれではなかった。強いていうなれば、異様とでも言おうか。
興味が惹かれた。建前なんていくらでも作れる。もし咎められるようなことがあれば、オフィーリアの様子がおかしかったため止めようと思った、心配だった、なんていっておけばきっと問題ない。
適当な服に着替えてから、彼女が消えていった廊下へと続いた。どうせ仕事場までは一直線。すぐに追いつくことができる。薄暗い廊下を気配を殺して歩いて行った。
追いついたところで、ギリギリ橙の明かりの残滓が残る距離を保ってオフィーリアの後ろへとつく。彼女は一心不乱に前へ前へと進んでいき、背後の私にはまるで気が付かない。ランプの明かりが私の姿を影に映していたなら彼女も気づいただろうが、私のところまで明かりは届かない。
オフィーリアは真っ暗な塔の外へと出た。暖かくなり始めた今日この頃だが、夜ともなると少しだけ肌寒かった。ふと、前方にあった明かりが消える。どうやら彼女がランプの火を消したらしい。火の消えたランプを、草むらへと隠した。付近に明かりはなく、遠く門や建物の入り口の明かり以外何も暖かい色は見えない。
暗い中、彼女は何かを探すように視線を彷徨わせた後、姿を隠すように敷地内にある庭に面した木々の中に入って行った。一寸の間躊躇うが、今更引き返すのも、と思いその背を追う。
風が吹いてきた。林の中は暗く足元がほとんど見えない。足元の草がこすれて音をたてるが、風の音のせいで彼女に気づいた様子はない。頭の中でいつかにシュライヤに見せてもらった地図を思い出す。この庭に面した木々は確か兵士たちの演習場に使われているはずだ。私たちにとって立ち寄る用がなく、夜にはそれこそ人っ子一人いない。そんな演習場をオフィーリアは目指しているのだろうか。訝しく思いながらも彼女のあとを歩き続けた。
激しく吹く風で、空を疎らに覆う雲が月の影を隠したり吹き飛ばしたりを繰り返す。
誰もいないはずの演習場には、何故か人影が見えた。一人は兵士のように見えるが、片方の影は暗闇に紛れているようで何者なのかわからない。様子を見る限り、侵入者か何かのようではないようだろうが。
オフィーリアは演習場が見える位置で立ち止まり、演習場の二人をじ、と見ていた。恐らく、あの人影のどちらかが、彼女の目的だったのだろう。服の上から胸を抑えつけるように手をあてて、一挙一動も見逃すまいとしているように見えた。彼女から離れたところで、彼女とその二人の様子を期の陰からうかがう。
どこかで梟が鳴き声をあげていた。
「……なぜ、このようなお時間に、」
「わからないわけではないだろう。身に覚えがあるからこそ、こうして君はここに立っている。違うか。」
「いいえ、貴方様に召喚されたがために、私はここに。しかしながら、心当たりはございません。」
二人の男の声が聞こえた。兵士ともう一人の男は知り合いのようで、さらに言えば影の男の方が上司のようだった。兵士の声は上ずっていて、落ち着きがない。それに対して男は酷く落ち着き払っていた。緊張する兵士に対し、男は悠然と立ち、話しかけている。
「それは残念だ。……だが君が知っているかどうか、気づいているかどうか、それは私にとっては些事だ。」
「……それは、」
「俺にとって意味があるのはリットン・ギオルム、君が不穏な動きをしていた、という事実だ。」
リットン・ギオルムと兵士は呼ばれた。その名に覚えはない。
「そのようなことは、決してっ……!」
「君が何を言おうと、それに対して何の興味もない。君のような人間の話す言葉、どれも信用に値せず、鳥の声が意味をなさないのと同じように、虫の声が聞こえないのと同じように、無意味且つ耳を傾ける意義もない。」
「どうか、どうかお考え直しください!私は貴方様に天よりも高き忠誠を……っ、」
言いながら、腰に挿していた剣を抜いたのは兵士が先だった。不穏な空気に思わず後ずさる。
もはやこれは興味本位で見ていいものではない。何も見なかった、聞かなかったことにして、今日はもう帰ってしまおう。そう思うのに、目が離せなかった。それは彼女、オフィーリアも同じようで、微動だにせず、二人を見ていた。
「剣を抜いておいて、忠誠とは笑わせる……。」
「どうか、どうか許し下さい陛下っ!!」
それが兵士の最後の言葉だっただろう。
気が付いたときには兵士は地面に倒れ伏していた。黒い影の男は片手に剣を持っている。それが血に塗れているかは、ここからは見えなかった。ただ鼻を掠める鉄臭さが答え其の物だろう。
一人立っている男は、長い長いため息を一つ吐いた。
そこでようやく我に返る。見ている場合ではない。私は逃げなければならない。知らず荒くなりそうな呼吸を両手で抑えつけた。このまま踵を返そう。そうすれば何の問題もない。私は何も見なかった。私は何も知らなかった。昨日より一人兵士の数が減っていたとして、私には関係のない話だ。
下がろうとしたとき、視界の端で勢いよく動くものを見た。
オフィーリアだ。彼女が木々の間から勢いよく飛び出し、剣を持ったままの男に躍りかかった。
「やああああっ……!」
「……なにを、」
小さな金属音がした。そこで彼女が服の上から抑えていたものが胸などではなく刃物であったのだとわかった。
「死んでっ、死んでください陛下……!!」
黒い男、基いルヴァンシュ王は癇癪を起す子供を見るような顔つきで、刃物を振り回す彼女を見ていた。
「なぜ、君が俺を襲う。なぜ、殺そうとする。」
「貴方が、貴方がお兄様を殺したからよっ!!」
「兄?こいつのことか?」
「ルベルト・シュゼットよ!先月貴方が殺した!」
「ああ、あの裏切り者か。こいつと共に何か画策していたようだったが。……そうか、君はその妹か。」
こいつ、と顎でさされた兵士はピクリとも動かない。おそらく死んでいるだろう。
激高し興奮状態のオフィーリアに対し、ルヴァンシュは落ち着き払っていた。たった今人を殺したようにも、刃物を持った者に襲われているようにも見えない。
「なるほど、女だてらに兄の仇討ちとは、よくやるものだ。」
「お兄様は謀反を起こすような方じゃなかった……!貴方は無実の兄と、そこのリットンさんを殺したのよ!」
「どうだか。……君にここへ来るように伝えたのもこいつか。面白い、俺を殺すか。」
風が月を覆っていた雲を攫って行った。明るくなったとき、真っ黒のマントを纏い、剣を振り上げながら笑うその顔が、木々の間から漏れ見えた。
ようやく、身体の自由が戻って走り出す。風のせいで地面を蹴る音はきっと聞こえない。オフィーリアには悪いが、置いていく。彼女が死ねば、次は私だ。彼女と違い私は完全な丸腰だ。何もできはしない。
背後から、絹を裂くような悲鳴も何も、聞こえなかった。ただ風の音がするだけで。振り向かない私には、彼女がどうなったのか、わからない。何にしても、朝になればわかる話だ。ネームプレートがあるかどうか。誰かにことを聞く必要はなく、私もまたいう必要はない。「寝ていたから気が付かなかった」それだけで十分だ。私は何も見ていない。
彼女を憐れに思う。きっと憤っていたのだろう。兄を殺され、激しく。状況から見て、彼女の兄ルベルト・シュゼットは反旗を翻す者と思われていた。今回殺されたリットンという兵士と同じように。そしてルベルトの方が先に始末され、今回はリットンの番だったのだろう。そして察したリットンは、ルベルトの妹にそれを知らせ、復讐のためにオフィーリアは城へ来た。
憐れに思う。このような手段しか取れなかったことを。もっと確実な方法があるだろうに、怒りに我を忘れたのか。短剣一つで襲い掛かるなんて、そんなリスクが高く成功率が低い方法。
彼女は良いスケープゴートになると思ったのだが、残念だった。
黒羊塔の入り口に滑り込むころ、どこかから流されてきた厚い雲が、月をすっかり覆ってしまっていた。
どこかで梟が鳴いた。