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とある黒い男の話

城に勤め始めて一週間が経過した。無難に与えられた仕事を覚え、こなしつつ何かルヴァンシュ王に近づくきっかけはないかと探し回っているが、それらしいものは見つからない。5年も待っていたのだ、焦りはないが行き詰ってしまったように感じられる。この一週間、一度たりとも王の姿を見ていない。城は広いのだから仕方がないのだが、一度くらい顔を拝むことができるのではないかと期待していた。


私はルヴァンシュ・モルセールの顔を知らない。


仇の顔も知らないというのは妙な心地だが、城に行けばわかると高を括っていたのだ。一国の主と言えど、民全員がその顔を知っているわけではない。この国は狭くはないのだ。知っているのはせいぜい王都に住む民程度。それ以外では人相書きや肖像画が関の山だ。少しでも怪しまれることを避けるために王に関する情報の一切を自ら収集したことはなかった。


使用人としての仕事は小さなものだ。新人ということもあり城内の掃除を日がな一日続ける。おそらくこれからしばらくはそれが続くだろう。

シュライヤは働き次第で侍女への昇進や客間女中にもなれると言っていたが、見たところそれはあまり好ましくない。使用人は確かに下級で薄給、いくらでも替えがきく存在だ。けれどその分動きやすい。掃除を担当していれば城のどこにいても怪しまれることはなく、常に誰かが自分の側にいるということもない。一人で目立たず、怪しまれずに動き回れる。この使用人という職以上に暗殺謀殺に向いている仕事はない。高級の侍女になれば王にも近づきやすくはなるが、基本の仕事で忙殺されることが目に見えている。



午前、朝食の時間を終えたころ、私やほかの新人使用人はシュライヤの背を追い居館の階段を上っていた。

見覚えのある階段を上り、三階で彼女は奥の部屋へと続く廊下を進んでいった。知らず、呼吸が浅くなる。今上った階段は、私が火に追われるように下った階段だった。今歩いている廊下は後ろを振り返ることすらできず走った廊下だった。王が変わった今、部屋の配置や内装がどうなっているかわからない。きっと変わっているだろう。



「キスツス?顔色悪いよ、大丈夫?」

「……大丈夫、少し手不足だったかもしれない。」



隣を歩いていた同室のオフィーリアを誤魔化しながら遅れないよう足を必死で動かした。

この先には、母であった人の部屋がある。

母が死んだ場所、ミオゾティスが死んだ場所、私が逃げ出した場所。

とっくに折り合いはつけていたはずなのにひどく胸がざわついた。動揺は、疑念を招きかねない。



「今から行く部屋、といっても部屋の前にしか行かないけど、そこは絶対に入っちゃダメ。」



先頭を歩くシュライヤが後ろに並ぶ私たちに言い聞かせるように言った。



「この廊下の突き当りの大きな扉の部屋。そこは私たちは掃除はしなくていいし、中に入ろうとしてもいけない。」



なぜ、その部屋が、



「……大きな部屋のようですが、他に掃除する方が?」

「ええ、少なくともあの部屋に入れる人は決まってる。そしてそれは私たちじゃないわ。あの部屋に関してだけは、私たちの仕事は何もないの。」



声は震えていなかっただろうか。戦慄きそうになる喉を抑えつけた質問は訝しがられることなく、答えられる。

入ってはいけない部屋、念を押すように言った部屋は母の私室であった部屋だった。

大きな黒い扉は数ある扉の中でも際立って浮いていた。私がこの城に住んでいたころ、黒い扉の部屋はなかったはずだ。綺麗に塗られているのに、どこか不穏な空気を感じるのは私の考え過ぎだろうか。


使用人たちにどこか恐々とした雰囲気が漂った時、突然件の扉が音をたてて開いた。



「ッ控えなさい……!」



廊下の端に飛びのく様にシュライヤが避け、その場にひざをついて頭を下げた。何事かと考える間もなく彼女に倣う使用人たちは一週間の彼女の指導のたまものだろう。かく言う私もその一員で、廊下の端で頭を下げる。

視界に映るのは床と自分の爪先だけ。母の部屋から出てきたのが誰かもわからない。軋む蝶番に鍵をかけるような金属の硬い音がした。それに続き、その人のブーツが床を打つ音が近づいて来る。バクバクと心臓が音をたてた。傍にいるシュライヤが今までに見たことがないほど緊張した様子で、頭が床についてしまうのではないかというほどに身を低くしていた。


誰も入ってはいけない部屋の鍵を持っている人。ひたすら頭を下げ一目見ることすら許されない人。

ブーツの音が大きくなり、それは私の前で止まることなくそのまま小さくなっていた。恐る恐る顔を少しだけずらしてその後ろ姿を見た。


翻る黒のマントに黒いブーツ。真っ黒な後ろ姿に銀の短髪だけがその人をたらしめる記号のようだった。



「オフィーリア、ちゃんと頭を下げなさい……!」



小声で叱り飛ばすシュライヤに、一瞬自分のことかと身を固くしたが、よく見れば私の横のオフィーリアは我を忘れたように銀髪の後ろ姿をまじまじと見ていた。案外彼女といれば自分の行動は目立たないかもしれない、と打算的なことを感じながら頭を下げるように引っ張り促した。


頭を下げていては件の人が去ったのかもわからない。唐突に襲われた異様なまでの緊張感が途切れたのはシュライヤがため息を吐いたときだった。力が抜けるように皆が恐る恐る顔を上げる。もう廊下には自分たち以外誰もいなかった。開けられた扉も、もうすでに閉まっている。



「オフィーリア!貴女は本当になんてことを……!良い?今はあの方がお気づきにならなかったからよかったけど、無遠慮に見るなんて言語道断!到底許されることじゃないわ!この場で首を切られても文句は言えないわよ!」



ここ一週間で一番の大声に飛び上がる。顔を青くしながら怒鳴るシュライヤの矛先はオフィーリアだが、当の本人はどこかぼうっとしていて身が入っていないように見える。少なくとも、本人よりもシュライヤの方が顔色が悪く、反省していないようにも事の重大さに気がついていないようにも見えた。



「あの、シュライヤさん、今その部屋から出てこられた方は……、」



酷い剣幕のシュライヤだが、使用人の内の誰かが、ここにいる誰もが思っていたことを代弁した。それにより少し冷静さが戻ったのか、シュライヤは深いため息を深呼吸するように吐いてから言う。



「今のお方は、現スコールベス国王、ルヴァンシュ・モルセール陛下よ。顔を見ることも恐れ多くて私たちみたいな使用人にはできないわ。」



予想外、ではなかった。先ほど見た後ろ姿を思い出す。黒い背中に銀の頭。それが私の狙う相手だ。どんな顔をしているかまではわからなかったけれど、まずまずの収穫だろう。



「……この黒い扉の部屋は中がどうなっているのか私も知らない。ここに入ることができるのは鍵を持ってる陛下、それから陛下がお認めになった使用人だけ。」

「何か大事な、重要なお部屋なんですね。」

「逆じゃないかしら。」



何気ない無難な感想を間髪入れず否定したシュライヤに皆首を傾げた。その様子に彼女は「言ってしまった」というような顔をしてからバツが悪そうに、仕方がなさそうに言った。



「……この部屋は前王アヴァールの妃とその娘が死んだ部屋らしいわ。詳しいことは知らないけど、部屋ごと燃やしたみたいで中は酷い在り様だったらしいわ。なぜかそれを直して、ああいう黒い扉を新しくつけて立ち入り禁止にしてるみたいよ。大切、というよりもはるかにろくでもない部屋だわ。」



新人使用人たちが騒めく。恐ろしい、忌まわしい、という言葉の端々に若干の好奇心も見え隠れする。

彼女の言うことが本当であれば、私は完全にその部屋で死んだことになっているらしい。そこで死んだのは私ではないというのに。



「なんでそんな部屋を……、」

「知らないわよそんなこと。何にせよ、この部屋には絶対に近づかないこと。亡霊に呪われても知らないわよ。」

「遺体は……遺体はどこにありますか?」



普通忌むべき内容のそれは私の言葉ではなかった。その声は私の隣から、先程ルヴァンシュ王を目で追っていたオフィーリアだった。叱られたばかりだというのに、その目にしょげ返るような色は全く見えなかった。



「そんなこと知ってるのはそれこそ陛下か古参の貴族の方々くらいだわ。……それよりオフィーリア!反省してるの?次はないからね!今回はたまたま運が良かっただけ!生きてることに感謝なさい!」

「シュライヤさん、その、陛下はどういったお人柄をされているのですか……?」



どういった、と聞きながらどことなく返ってくるだろう答えの想像を滲ませながら誰かが聞いた。誰もが気になるようで、突然廊下が静まり返る。皆が皆、彼女の答えを待っていた。話すべきか、話さないべきか、と落ち着かないように逡巡する彼女は一通りあたりを見渡した。釣られて見るが、周囲には誰もいない。面している扉もすべて閉ざされ、私たち以外の人間はいないように見える。

それでもどこか不安げに、シュライヤは声を数段階落として囁くように言った。



「陛下は素晴らしい方よ。良き政をし、周囲の言葉に耳を傾け、一切の労力を惜しまれない方。……でも同時に恐ろしい方でもあるわ、きっとね。私ごときが語って良いことじゃないけれど。」



付け足された形容に誰かがごくりと唾を飲み込んだ。彼女の語り口にわざと怯えさせるような様子も話を盛っている様子もなく、落ち着かなそうに、彼女自身怯えるように視線を泳がせる。



「少なくとも、私たちのような下級の使用人ごときがお顔を拝謁していいような方じゃないわ。良い?絶対に陛下には近づかないこと。もちろん逃げるようなことはしてはいけないわ。ただ今回みたいに近づいたらひたすら頭を下げて顔を上げないこと。興味本位でも好奇心でも、軽々しい気持ちを持たないように。……それから美しいお顔だからってうっかり身の程知らずなことを思わないこと。」



シュライヤが話し終わったのに誰も口を開かなかった。口に出さずとも、怯えるような雰囲気が漂う。だれも「もし近づいたらどうなるのか、」とは聞かなかった。きっと誰もが思っただろうに、聞けなかった。空いたベッドに置き去りにされたネームプレートがフラッシュバックする。


びくびくとした空気感を無理やりぬぐうようにシュライヤは軽く手を叩き声を張った。



「ほら、良いこと?仕事をする上の規則は色々あるけど、その中でもこの三階の黒い扉の部屋には近づかないこと、陛下の御側に軽々しく寄らないこと。いいわね。もし何かあっても私たちは知らないわよ。」



冗談のような口調だが、誰も愛想笑いしか返せなかった。みな、「どうなるか」に心当たりがあるのだろう。



陛下こと、ルヴァンシュ・モルセール王。近づくことは容易ではなく、すれ違うことすら滅多にない。顔をまともに確認することさえも叶わない。

けれど見てわからないはずがない。無言の威圧と堂々たる佇まい。誰かと間違えることはまずないだろう。

探せば、チャンスはある。軽率な行動は控え、確実にその首に手を掛けられる機会を伺おう。

捨て身の私に恐れるものなどあるはずがないのだから。


再び歩き出したシュライヤのあとを追いながら、いずれ来るだろうその瞬間を夢想した。

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