とある奇妙な噂
三日かけてたどり着いた数年ぶりの王都は、あまり変わっていなかった。それもそうだろう。王の首がすげ変わろうとも、よほどの苛政、圧政を敷いていない限りい一般市民にとってどうでも良いことだ。精々記念日による祭日が変更されるくらいだ。
街をなんでもない顔をして歩くが、誰かに見咎められるのではないかと緊張も抱くが、それも杞憂に終わった。王城の方へと歩いていく娘に訝し気な視線を投げる者も不躾な目で見る者もいない。むしろいい確認になった。顔を隠さずとも、誰も私が逃げ出した王女だとは思わない。顔の造形こそ変わっていないがもとよりあまり晒さなかった顔。それに平民に相応しい服装に髪型、誰にばれることもない。
「そこのお嬢ちゃん!王都へは観光かい?ならここで飯食ってきなよ!ここいらいじゃあうちが一番だぜ?」
投げかけられた客引きの声が自分の方へと向けられたものだと気づき足を止めた。食堂らしい食べ物の匂いの漂う店。昼過ぎということで少し客が減ってきているようだ。元気のいい中年の男はにこにこと愛想を振りまいていて、疑念を抱いた様子は見られない。純粋な客引きのようで、情報収集ついでに話をしてみる。
「……観光ではありません。今日からお城で勤めるんです。ただ王都へ来たのはこれが初めてで、」
「お、そいつぁめでたい!ここはいいとこだぜ?活気はあるし国中の珍しいもんもここに集まるから飽きることもねえ!」
「あまり、お城のことについて知らないのですが、陛下はどんな方ですか?」
「陛下かい?」
しばらく悩むように男は顎を撫でた。
「ううん……それが今の陛下はあんまり表に出てこねえんだよなあ。」
「陛下である方がですか?」
「ああ、5年くらい前、即位してすぐのころはよくお姿を見せてたんだが、ここんとこはめっきり。ほとんど他の将軍や宰相が代わりに出てるんだ。」
ルヴァンシュ・モルセール国王陛下。5年前にアヴァール・ツヴェルシュタインを斃し、王位についた若き王。耳の奥でいつかに聞いた国王陛下万歳という歓声が蘇る。
随分と人気があったはずの王だ。少なくとも父よりかは。他国に亡命された王子による華麗なる仇討ち。これに民衆が食いつかないはずがない。
「……お身体が優れないのですか?」
「さあねえ。俺みたいな一般人にゃ詳しい事情は分からねぇ。でもま、たまーに表に出てきてもニコリともしねえ。無表情でよう。若い娘っ子なんかはそれが良いなんて言うが、キレーな顔してる分何をお考えになってんのか全然わかんねえで、正直怖ぇな。」
王都を危険視するあまり全く近づかなかったのだが、想定外だった。人前に姿を現さないことは、この客引きが感じるように不信感を抱かせる。それも王政の御膝元の民にこう思われるというのはいかがなものだろう。
怪訝に思ったことが顔に出ていたのだろう、男は慌ててフォローする。
「いや、でもまあ政策はご立派だし、俺たちも今の生活に不満もなんもねえ!お顔が見えなくてもしっかり収めてくれてんならそれだけで十分だ!」
「……ま、そうですよね。人柄云々よりも。」
「なんにせよ、俺なんかに聞くよりもお嬢ちゃん自身が見た方がずっと早いだろ。城の中にいれば流石に陛下の姿を見ないことはないだろ、たぶん。」
男の言う通りだった。人からどんな印象があるか聞いて回ったところで自分で見た方がはるかに早く確実。あと数時間もすれば入城することになる。侍女とはいえ、姿を見ることくらいであればできるだろう。
焦れてきた客引きの様子を察し、水一瓶とバゲットを購入し礼を言う。
「まいど!また来てくれよ、今度はお嬢ちゃんから城の中の話を聞こうじゃねえか。」
「ええ、いろいろと話していただきありがとうございました。また来ますね。それと、」
聞こうか聞かまいか迷ったが、聞いたところでどうだというわけでもない、今更どうでもいいことだと思い言葉を続ける。
「さっき”今の陛下”とおっしゃっていましたが、前王についてもご存知なんですか?」
「おうよ。王都生まれの王都育ちだからな。前のアヴァール王はなぁ、」
客引きの言葉を黙って聞く。それは想定内だったが、人の口から聞くと改めてあの父は、外では王らしい振る舞いをしていたのだと感心した。
「前王は、今、」
「あー……アヴァール王もその家族もみんな死んじまってるよ。一応どっかに墓はあるんだろうが、何てったってフィブオ王殺しの大罪人て言われてるくらいだ。公にもされてねえよ。」
フィブオ王、私が生まれるよりも前に殺された二代前のスコールベス王国の王。
おそらくは、それが始まりだったのだろう。
「その辺の事情には疎くて、暗い話をしてもらってすいません。」
「良いよ良いよ。嬢ちゃんが知らねえで城に行って粗相やらかされるよりずっと良い!よっぽど大丈夫だとは思うが、気を付けろよ。」
「気を付けろって、」
「ここだけの話、実はなあ……、」
こそこそと耳打ちされた言葉に眉を顰めた。そんなことがあり得るのか、と。
5年ぶりに見た城は、ほとんど変わらなかった。いや、正面から見ると門や玄関は大きく変わっているのだが、塔の位置や主な構造はほとんど変わっていないように見える。門や玄関が変わっているのはまあ当然のことだろう。5年前にそれらはすべて壊されてしまったと言っても過言ではないのだから。一抹の懐かしさ。いくつかの思い出が浮かび上がって消えていく。
私の部屋はどうなっているだろうか。昼下がりに散歩したバラ園はどうなっているだろうか。図書室の蔵書は変化してるだろうか。燃えていた母の部屋は、どうなっているのだろうか。
「次期王に……、王に呪いあれ。」
呪詛を口の中でだけ呟き、採用通知の手紙に書かれた使用人専用の塔へと向かった。
「あら、あなた新しい侍女の子ね!ええ、と名簿が確か……、」
「キスツス、と申します。王都の隣の街から参りました。」
「あ、あったわ、キスツスちゃんね。私は侍女長の一人、ケイネスよ。他にも侍女長たちはいるけどキスツスちゃんの管轄は私が仕切ってるからよろしくね。それとそんなに改まらなくていいのよ?働いてるうちに敬語なんてどうでもよくなっちゃうから。」
柔らかい笑顔を浮かべながら早口に捲し立てる侍女長のケイネス。腕まくりし髪を頭のうえで団子にまとめている彼女からは口にせずとも忙しいと全身で言っているように見えた。夕食時を過ぎて比較的落ち着いているのだろうが侍女長ともあれば仕事の量も半端ではないのだろう。
「よろしくねー。とりあえず先輩たちにいろいろ教わって?キスツスちゃんみたいに昨日今日から新しく入った子もいるからまとめて面倒見てもらって。」
あれよあれよと塔の中へと引きずり込まれ、忙しなく歩き回る使用人たちの間をすり抜けていった。広くはない廊下ではみな慌ただしい行き交っている。日も落ちかけているのに活気が凄まじい。
「シュライヤちゃーん?新しい子来たからとりあえず簡単な建物の説明、仕事の説明お願いできるかしら?それからお部屋の方への案内もお願い!」
「了解しました、ケイネスさん。」
気が付けば使用人専用らしい食堂。いくつも並ぶ長机の上には食事が並びたくさんの使用人がそこで夕食をとっていた。どうやら仕事をひと段落終えた今時分が使用人たちの食事の時間なのだろう。
半ば投げられるように任され、きびきびとした返事を返したのは長い髪を三つ編みにした妙齢の女性。たぶん、ミオゾティスが生きていればこれくらいの年だろう。シュライヤ、とケイネスに呼ばれたメイドはちょいちょい、と手を振って私を呼んだ。もう行っても良いのか、という確認の意味も込めてケイネスを見るが、彼女はもう食堂を出て行くところだった。
「あなたが今日来た子ね。名前は?」
「キスツスです。よろしくお願いします、シュライヤさん。」
「キスツス……ああ、確か隣町から来た。珍しい名前だから憶えてたわ。」
珍しい、と言われ一瞬身を固くする。偽名だが、もっとよくある名前にした方が良かったかもしれなかった。座るように促され、籠の上に盛られていたパンを渡される。
「さっき聞いたと思うけど、私はシュライヤ。新人の指導を今はメインでやってるわ。わからないこととか困ったことがあったら私のところに来てちょうだい。」
とりあえず、詳しいことは食事をとったあと、と言われ、大人しくパンをかじった。もそもそとしたパンは美味しくも不味くもない。パンを食みながら一人、この分なら顔で正体が割れることはなさそうだな、と思った。髪色はどこにでもある金髪だし、多少珍しい緑の目も長めの前髪でほとんど隠れている。大勢いる忙しない使用人たちの中に紛れることはたやすい。目立つことはまずないだろう。
問題はいかにして一介のメイドが陛下、ルヴァンシュ王に近づくか、である。
食後、地図を片手に使用人専用、居住区の塔、黒羊塔を案内された。この塔自体は昔からあったが、思えばここを歩くのは初めてのことだった。
「——建物の説明は大体こんなところね。居館も簡単に説明したけど、行ってみないとわからないところも多いわ。そこは明日の午前中にでも他の新人の子たちと一緒に案内しましょう。」
「はい、ありがとうございます。」
「まあ今晩はとりあえずこれくらいね。で、ここがあなたの部屋。三人部屋だけど、今はあなた一人よ。次に新人の子が来たらここに入ることになるんだけど。」
案内された場所の扉を開くと小さなへや。ベッドと箪笥が三つと小さな机と椅子が一つずつ。簡素だが夜寝るためだけに戻ってくるには十分なものだろう。
しかしふと気づく、片付けられていて生活感がないのだが、その三つあるベッドの内二つ、ベッドサイドに名前の書かれたプレートがあるのだ。もちろん、そのどちらも知らない名前だ。
「シュライヤさん、この名前は、」
「あ、やだ片付け忘れてたのね。前にここにいた子たちのプレートよ。キスツスのも今週中には作るわ。」
「こちらにいた方々は辞められて?」
がこん、と音をたてて、木でできたプレートがゴミ箱に入れられた。捨てたのは当然、シュライヤだ。
「さあ?二人とも突然辞めちゃったのよ。」
呆れたような困ったような笑顔。ただそれはそれ以上踏み込むべきではないという威圧感もあった。何でもないふりをして口を噤む。
「じゃあ、また明日ね。5時にはさっきの食堂にいらっしゃい。しばらくは色々な種類の仕事を試して回るわ。」
「はい、今日はありがとうございました。明日からもよろしくお願いします。」
扉が閉まったのを確認してから、ベッドの一つに倒れ込んだ。硬いベッドは少し痛い。シートンの診療所のベッドと似たり寄ったりだろう。しかし久しぶりのまともなベッドに一心地つく。 未だかつてなくスピード感のある一日だった。街の診療所でもこれだけバタバタしたことはない。
私のすることはただ一つだ。それは決して変わっていない。紛れ込むにも忍び込むにもあっけにとられるほど容易であった。幸先順調なのは結構だが、どこか怪しい匂いがする。いや、この部屋自体がどこか不穏だ。
昼間の客引きの言葉を思い出す。
「ここだけの話、実はなぁ、城に入ったまま出てこなくなる奴や、働きに出てそのままいなくなっちまう奴らがいるらしいぜ。」
そんな馬鹿な、と思っていたが、怪しげな二つの空いたベッドに深読みせずにはいられない。
もっとも、それは私には関係のない話だが。明らかな面倒事に首を突っ込んでいられるほどの余裕は、流石に持っていない。
王都に入ってから一日中張りっぱなしだった気が緩み、緩やかな疲れと共に眠りに落ちた。