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来年の桜

作者: 蒲公英

 サクラ散る散る散る散るサクラ。

 窓に目をやれば、タイムリーに大量の花びらが風に舞った。うん、散った。見事に散りまして、現在と相成っている。散る桜、残る桜も散る桜。いやもう、盛大に花びら散らせましたから。


 多寡を括ってたわけだ。AO受験するよりも少しだけランクの高いところに行きたかった。模試の成績は悪くなかったし、適当に勉強しとけばなんて。秋には進学の決まってる友達たちと遊んで、それでもあいつらより上の大学に堂々と行けるつもりでいた。母には甘いって散々叱られて、うるせえなって聞き流した。

 第二志望も必要ないと思った。自分の成績でこの競争率なら楽勝だろって、一校のみ受験で。


 受験直前にラストスパートで成績を持ち上げるヤツの、なんて多かったことか。気楽に遊んでいる友達よりも、一般受験をする人たちをまともに考えなかった自分が悪い。わかっちゃいるけど、実際のところ途方に暮れた。行先のない生活なんて、生まれて初めてだ。予備校に通うのは金が掛かりすぎるし、我が家はそんなに裕福じゃない。


 買っただけで終わらせもしなかった赤本を抱えて、居たたまれない家から図書館に場所を移したのは、そこが一番呼吸が楽だから。平日の昼間からここにいるのは、大体似たような境遇の人たちだろう。数日通ううちに面子もずいぶん固定していることに気がついた。


 あ、雨。雨、雨、桜雨。桜の花なんか全部散らせちまえ。来年には満開になってやらなくちゃ。傘持って来なかったな。まあ、いざとなったら自転車で突っ走ろう。


 ガラガラっと突然空が鳴った。天気予報で雷とは言っていなかった気がする。暗くなり始めた外を見れば、窓に叩きつける雨でまったく様子が見えない。傘も合羽もなく、閉館まであと三十分。父親が車通勤だから、迎えに来てくれとも言えない。この雨の中に自転車で飛び出す覚悟を決めなくては。


「え、やだ。どうしよう……」

 隣の席から、小さな呟きが聞こえた。パーテーションで仕切られた机の上には、何が置いてあるのかわからない。ちらりと見れば、先刻の自分と同じように首だけぐるりと回して窓を見ている。切り揃えた髪の隙間から見える首が、白い。

 何度か見かけたことのある横顔は、多分同年代だ。平日から私服で来ているのだから、高校生ではないと思う。同じようにもう一度受験なのかも知れない。


 館内に無情に流れる蛍の光に、仕方なく机の上を片付ける。閉館まで十五分だ。外はますますひどい雨だけれど、もう少し待っていられるならば小降りの隙を突いて帰れるようにも思う。隣を見ればやはり片づけている最中で、持っているのは高校生の教科書だった。


 ほぼ同時に立ち上がって、思わず顔を見合わせた。白い顔が一瞬戸惑ったように揺れ、その後少しだけ微笑んだ。

「ひどい降りになっちゃいましたね」

「そうですね」

 肩を竦めてみせると、安心したような顔になった。もしかしたら彼女も僕の顔を覚えていて、親近感を持っていたのかも知れない。

「傘、持ってきました?」

「いや、自転車で突っ走ろうかと」

「雷が鳴ってるから、ちょっと危険じゃないですか?」

 そう言ってから彼女は、もう一度心配そうに窓を振り返った。まだ弱くならない雨脚に、溜息をこぼしている。


「もう三十分閉館が遅ければ、なんとかなりそうなんだけど」

「そう期待したい感じですね。とりあえず、追い出されるまでいちゃおうかな」

 小さく笑った顔は意外に可愛くて、肩で揃えた髪は色を入れていない。清冽なんて言葉を、急に思い出した。

 貸出カウンターにはまだ数人人が残っていて、慌てて走りこんで来た人が書架の前で本を選んでいる。数分だけでもいられれば、また状況が変わるかも知れない。


「よく会いますよね」

「ほとんど毎日ですよね」

 こちらが見覚えがあるように、やはり彼女も僕を見ているのだ。

「受験生ですか」

 この質問は、少々微妙だ。現役も受験生、浪人も受験生。けれど彼女も、平日の昼間に図書館にいるわけで。

「大学に来るなって言われちゃって。そっちは?」

 彼女はくすりと笑った。

「同い年です。私は高校生だけど。通信は、四年なの。だから今年受験生」

 通信制高校に行った人は回りにいなくて、想像外の返答だった。


 図書館の人が、気の毒そうに閉館を告げに来る。外はまだざあざあ降りで、自転車で飛び出すのに勇気がいる状態。彼女と顔を見合わせていると、傘の貸し出しがあると案内があった。

「最後の一本なんで、お一人ですね」

 僕は自転車なのだから、当然彼女が使うべきだ。けれど彼女は、とても遠慮深い。

「私は軒下で、雨が止むのを待ってます。使ってください」

「いや、自転車で傘は使えないし」

 押し問答めいたやりとりは、図書館員さんに中断された。


「申し訳ありませんが、規則なので閉館しなくちゃなりません。百メートルほど先に小さな喫茶店がありますので、続きはそちらでなさったらいかがでしょう」

 僕たちは顔を見合わせて、それから同時に吹き出した。つい十分ほど前まで知らなかった同士が一緒にお茶なんて勧められて、それもいいかなと思っちゃったりしてる。尻ポケットの財布は、お茶代くらいなら足りそうだ。


「えっと、私の高校ってバラバラだから同年代と話す機会がなくって、話題読めないと困るな」

「僕はこれから一年、新しい友達はできそうもない。同じ受験生なんて、ネットでしか存在しないし」

 傘を受け取りながら、もう二人とも一緒に動くつもりになっていた。一見おとなしそうに見える彼女の語り口は意外に闊達で、僕には未知の通信制高校を何故選んだのかとか、そんなことを質問してもいいくらいには興味深い。

「お茶、行ってみる?」

「うん、ちょっと雨宿りしようか」


 桜散る雨の中を知らない同士の相合傘で、まあこれも新しい人生経験ってヤツかも知れない。一年くらいのブランクは悪くないよって来年の桜に言いたいがために、少しだけヤサグレを捨てられたらいい。

 雨で道路に貼りついた花びらだって、乾けば少しは舞うだろ? だからそんな風に、僕だって少しは浮上するんだ。


fin.

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 情景やモチーフがとてもきれいで良かったです。 描写も素朴ながら風情があって好きです。 [気になる点] 描写についてはもう少し親切さが加わるとより読みやすくなると思いました。 [一言] よく…
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