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歩道にいた彼

作者: あくたじん



 私は、もともとタクシーの運転手していました。もう二十年も前の事ですが、それと同じくらい永い間、その仕事を続けました。


 その間に、まぁ、随分とおもしろおかしい体験をしました。酔っぱらいに絡まれたり、ヤクザのお兄さんを乗せて死ぬほど緊張したり、時には、刑事さんを乗せて尾行に協力したこともあります。


 いろんな人を乗せて走りました。それは、もう数え切れないくらい。嫌なことも、いいこともありました。


 そうそう。乗せて走ったのは人だけではありません。一度ペンギンを乗せたこともありました。あの話には、今、思い出しても笑ってしまいます。


 あれは、春になる前の、ある朝のことでした。少し遠い所まで、お客様をお送りした帰りです。信号待ちで止まった私の車の横に、彼(彼女かも知れませんね)は立っていました。咽のところに、黄色い毛が生えていて、くちばしの尖ったペンギン君です。彼は、たまに空を見上げると、小さな羽をいっぱいに広げてアクビをしています。


 私は、目をこすって、よぉく、見ました。正直な話、夢を見ているのでは、と思ったのです。そこはオフィス街のド真中。何でこんなところに、ペンギンがいるんでしょう。しばらくは、呆気にとられて彼を見つめていました。


 そのうちに彼は、ヨタヨタと歩きはじめました。そして車道の真中で、また、立ち止まったのです。私は車の窓をあけて言いました。


「エーと。そんなところに立ってると、危ないですよ」


 馬鹿な話です。あまりのことに気が動転していた私は、ペンギン君に注意していたのです。彼に人間の言葉が解るはずはないのに。彼は、もちろん私の声なんか無視して、空を見上げています。


「エーと。そこのペンギン・・さん?」


 早朝のオフィス街は、ガランとしていて、人の気配も車もありません。ようやく昇りはじめた太陽が、辺りを青白い薄闇にしていました。その中に、タクシーから顔を突き出している私と、道路にうずくまってしまったペンギン君だけがいます。辺りは、シン、と静まり返っていました。


 私は、もう一度、声をかけました。


 ようやく彼は、細めた目でめんどくさそうに、私を見ました。なんだか、とても眠そうです。もし、こんなところで眠ってしまったら、どうなるんでしょう? かわいそうに、彼はきっと、車に、はねられてしまうに違いありません。


 そんなことになっては、いけない! 断じて許されない!


 よぉし。ここは私が、一肌脱ごうではないか! こう見えても私は、日本の、やさしく正しいオジサンなのだ! 私は意を決して、車をおりました。自分でもびっくりしてしまうくらい、そのときの私は、意気込んでいました。


 実のところ、私は普段、『環境保護団体』とか、『動物愛護協会』だとかいう、いわゆるボランティア的団体を偽善者の集団だと、堅く信じているのです。とまあ、これはポーズでして、実は、何か恥ずかしいのですよ。大の大人が真剣になって環境保護を叫んでいるのがね。


 私は、彼がびっくりしないように、しのび足で、そーっと、近寄って、彼のそばにしゃがみました。そして、更にまた、そーっと、そーっと、彼をのぞき込みました。

 ペンギンを間近で見るのは、はじめてでした。ツヤツヤ光る黒い毛の中に、本当に小さな、目蓋があります。


「ペンギンも寝るんだな・・・」


 妙に感心して、私は、つぶやいていました。人にしろ、動物にしろ、それが起きていて走り回っている姿を想像するのは簡単です。でも、それは決って、ブラウン管の中だったり、通勤途中の無表情な顔ばかりです。


 影がうすいんですね。


 ペンギン君は違いました。ただ、道路の真中にうずくまって、眠っているだけの彼。しかし、私には、彼がとっても大きく見えました。


 あはは。まぁ、鼻先にくっつかんばかりに、のぞき込んでいるから、大きくて当然ですよね。


 さて、このまま、ジッとしているわけにもいきません。とにかく、このペンギン君を何とかしなければ。私は、努めて慎重に丁寧に、次に移るべき行動について考えました。

 まさか、日本に野性のペンギンがいるわけがないから、彼は、何処かの動物園にいたはずです。そこから抜け出してきた、と考えるのが一番自然でしょう。ということは、ここから一番近い動物園まで、彼をお送りすればよい、ということになりますね。問題は、こんな時間に動物園が開いているか、です。


「よし」


 電話をして聞いてみましょう。それより、彼を安全なところまで移さなければ。腕組をしてしばらく考えました。やはり、車の中が一番安全です。彼を抱えていくしかありません。


 私は、慎重に手を延ばしました。彼を驚かさないように。そーっと、そーっと。


 突然、彼は目を開けました。そして、すっく、と立ち上がると、まわれ右をしてヨタヨタと走り出したのです。緊張していた私は、彼のこの行動に驚いて、思わず、「わっ」と言って、ペタン、と尻もちをついてしまいました。その間にも彼は、ヨタヨタペタペタフラフラと、走っていきます。あわてて、彼を追いかけました。


 中腰になって走るのは、なかなか骨が折れるんですよ。それに、普段からの運動不足がたたって、思うように彼を捕まえることができません。しばらく、その辺を彼と一緒に、あっちへフラフラ、こっちへヨタヨタ、走り回っていたんです。中年男が、それも大真面目に、ペンギンを追って中腰でヨタヨタフラフラしているところを想像してみてくださいな。まったく、笑っちゃいますよね? 


 そのうち、遠くの方で、けたたましい排気音がしてきました。見ると、暴走族のような改造車が凄いスピードで、こちらに向かって一直線に走ってきます。


「危ない!」


 私は、とっさに彼を拾い上げると、歩道に跳び退きました。暴走車は私達をかすめて、走り去りました。まさに、危機一髪です。


 腕の中の彼は、走り回って疲れたのか、おとなしくしています。ときどき、ゆっくりと瞬きをして、やっぱり眠そうです。私は、そっと、彼の頭を撫でてみました。その手触りが思ったより、柔らかく滑らかなのに驚きました。さすがに寒い地方の動物だけあって、とても暖かです。


 彼を助手席に、そっと、乗せると、ドアを締めて電話ボックスを探しました。あ、ケータイなんてものは、当時、無かったもので。でも、困ったことに、電話ボックスがどの辺にあるのか解らないんです。ちょっと考えてみて解ったんですが、私はこの辺りで電話をかけたことがなかったんです。車を降りたことすらありませんでした。この道は、こんな時間にならなければ、車がいなくなることなんかありません。それこそ、一日中渋滞していて、銀行支払日なんかは、たかが二百メートル進むのに、十分もかかってしまうのですから。とにかく、凄いんです。ですから、私は普段から、この道は通らないことにしていたんです。


 何となく面倒になってきて、私は電話を諦めました。そうして、直接動物園に行ってみて、もしも、誰もいなくても、門のところで待っていればいい、と思ったのです。その間私は、この珍しく、ちょっととぼけた感じの彼をゆっくりと観察できるのです。なんだかワクワクするじゃありませんか。彼は、紛れもなく私にとって『未知の存在』そのものなんですから。写真とか、テレビの中で大人しくしている、なかば死にかけた見せ物とは違う、本物の野性のきらめきを持った生き物なんです。


 なんだか、話が大げさになってしまいましたね。でも、その時の私ときたら、何度も言うようですが、本当に意気込んでいたんですよ。


 とにかく、車に乗って動物園に向かいました。おとなしくしている彼を、チラチラ、横目で見ながら、暖房のスイッチを入れっぱなしにしていたことに気づいて、あわてて、冷房に切り替えたり、シートの上から転がり落ちないように、急発進、急ブレーキにならないように、慎重に、慎重に運転しました。腫れ物に触るように、とは、まさに、あんな状態のことを言うんでしょうね。


 私は、その時、全力で安全運転に集中しながら、タクシーに乗りはじめた頃のことを思い出していました。どうにも、情けなくなるくらい、私は、マジメな人間なんです。お解りでしょう? 『安全に快適に』という言葉を、真剣に考えていました。でも、長いことやってると、だんだん、いいかげんになってくるんですよね。


 お客様を目的地まで、お送りして、料金を頂く。勤務の時間が終ったら、会社に帰る。それを何日か繰り返しているうちに給料日がきて、銀行に振り込まれる。翌日、私は、カミさんに少しばかりの小遣いをもらい、また、タクシーにお客様を乗せて走る。世の中のほとんどの人達は、多少の差はあれ、皆、同じように、単純に働いています。私だって、その一人です。いつのまにか、お客様は、ヘンな言い方ですけど、お金を置いて私の前を通り過ぎて行く、ただの通行人に思えてくるんですよ。そんな時、私は、道端の乞食になった気分で、なんだかとても、哀しいような、情けないような・・・・。


 ちょっと、辛気くさくなっちゃいましたね。でも、何となく解っていただけるでしょう? 仕事っていうのはね、ほとんどがつまんないことなんだと思いますよ。仕事をしてるんだって、思っているうちは、絶対つまんないもんなんです、きっと。


 ペンギン君は、やっぱり眠そうにシートにもたれていました。見ようによっては、居心地悪そうにも見えます。これはやっぱり、ペンギン君にとって快適ではないんだ、と、少し焦ってきました。何がいけないのか、どうすれば、この、言葉の通じないお客様に満足していただけるのか、超安全運転を続けながら、私は考えました。短い足を投げ出して、路面から伝わる震動に、左右に揺られ続ける小さな体。羽を広げることで辛うじて座っているような、そんな危なっかしい姿勢です。


「そうか!」


 私は、車を左によせて停車すると、彼の体をそっと持ち上げ、シートに腹ばいになるように寝かせました。すると彼は、ブルブル、と、身ぶるいしてから、小さくアクビをすると、クチバシを羽の下に差入れて、すやすやと眠りはじめました。


 思わず、ふふっ、と、うれしくなりました。


 どうして、私はうれしくなってしまったんでしょう。彼は、そのお客様は、本当に喜んでくれていたのでしょうか? 「ありがとう」と、言ってくれたわけではありません。はた目で見ている私が、勝手に、気持ち良さそうに眠ってるな、と、本当に勝手に思いこんでいただけなのかも知れないんです。でも、あのとき私は、自分で自分を素直にほめてあげられたんですよ。うれしくなってしまったのは、そのせいだったんでしょうね。


 目的地の動物園に着きました。低い空に雲を透かした太陽が、回転扉の鉄棒の間に見えています。静まり返った動物園には、早起きのハトの、かすかな鳴き声と羽の音だけが響いていました。


「この様子では、鍵がかかっているんだろうな」


 そう思いながら、ためしに回転扉を押してみると、『ガチャン!』と、思いがけなく大きな音をたてて止まりました。その音に驚いて、近くにいたハトの群が、いっせいに飛びたっていきます。


 ハトを追って空を見上げた私が正面の鉄の棒に目を下ろしたとき、扉の向こう側に、バケツを下げた青年が立っていました。


「何か御用ですか?」


 素朴な感じの青年は、眠そうな顔で、つぶやくようにいいました。私が、これまでのいきさつを説明すると、やはり眠そうな笑顔で鍵をはずして、ペンギンの小屋に案内してくれました。


「なるほど。それで、ここまで連れてきていただいたわけですか」


 ペンギン君を抱いて彼の後を歩きながら、普段は見ることができない動物園の舞台裏を覗くことができました。


 オオカミの一種だと思います。その家族は、オリの片隅でひとかたまりになって眠っていました。近付いてくる足音に聞き慣れないものを感じたんでしょうか、子供を抱えた母親が耳をピクリと動かすと、それまで伏せていた顔をあげました。それと同時に、父親の方が立ち上がると、家族のまわりを右に左に歩きだします。それを何となく眺めながら、私は何かヘンな気持ちになってきました。


「あぁ、警戒してるんですよ。ここは普段、一般の人は入れないようになってますから。臭いで、あなたが外の人だと解るんでしょう」


 青年は、やさしい眼差しでこっちに振り向くと、オリの方に近付いてきました。


「ほら、何となく不安そうでしょう? この夫婦、ここは永いんですが、どうにもうまく子供ができなくて。この歳になるまでずっと二人きりだったんです」


 今、考えてみると、この時の青年のセリフは、少しヘンですよね。オオカミを相手に、まるで、人間のことを言ってるみたいでしたもの。でも、私ときたら、素直に、彼の言葉を聞いていたんです。道端でペンギン君と出会ってから、ヒトと動物を区別するのを忘れてしまっていたんでしょうかね。


 青年は、したかどうか判らないようなため息を一つ漏らして、歩きだしました。私も彼の後ろを歩きながら、考えてみたんです。


 あのオオカミの夫婦は、なんだか、オオカミらしくなかったような気がします。母親の一瞬おびえたような目や、せわしなく動きまわる父親の姿が、どちらかと言うと、歳をとって衰えてしまった野良犬のようでした。「気のせいだったのかな?」などと、考えていると、青年が立ち止まって、こちらを向きました。


「オオカミらしくなかったでしょう?」


 私は、少しビックリして、あいまいにうなずきました。青年は、続けて言います。


「ここにいる肉食獣は、だいたい似たようなものなんですよ。こっちに、おもしろい所がありますが、ついでにご覧になりますか?」


 いったい、何を見せてくれるんでしょう。私は、是非にとお願いしました。それからどこに連れていってもらったと思います? なんと、ピラニアの水槽だったんですよ。


「ここを見てください」


 彼が指さした先には、貼紙がしてあります。それには、こう書いてました。


「ピラニアが恐がります。ガラスをたたかないで下さい」


 不思議そうに、その貼紙を見つめる私を見て、青年は、少し乱暴にガラスをたたきました。次の瞬間、ピラニア達は、水草や、流木の模型のカゲに隠れてしまったのです。


 青年は、すっかりさびしくなってしまった水槽を眺めながら言いました。


「彼等は知っているんですよ。ここで一番強いのは人間だってことをね。でも、それは、ただ強いだけの暴君でしかないんです」


「哀れですね」


 私がそうつぶやくと、彼は私の目をまっすぐに見て、


「そう。哀れなもんです」


 と、やけにキッパリと言い切り、大股でスタスタと歩きだしました。


 私は、何か余計なことを言ってしまったのかと、心配になって、早足で彼の後に続きました。


「でも、どっちが哀れなんでしょうね?」


 彼のこのセリフに、私は答えることができませんでした。誇りをなくして卑屈になった肉食獣達が哀れだと言うには、ヒトの側の言い訳でしかないような、うーん、難しいな。


 そうこうしているうちに、私達はペンギンの小屋についていました。青年が鍵をはずして、鉄柵を開けると、ペンギン君は、私の腕のなかでモゾモゾ体を動かしたのです。


「床に下ろしてください。そーっと」


 彼の言うとおりに、私は腰を屈めます。ペンギン君は、ピョンと飛び降りると、開いた柵のなかへ、ヨタヨタ歩いて入っていきました。ちょうど、小屋の奥の方で他の飼育係の人が、餌をまきはじめました。朝食にありつこうと大騒ぎのペンギン達は、外出から戻ってきた仲間のことなんかにかまっている暇はない様子でした。


 ペタペタと、例の危なっかしい歩きかたで、私のお客様が、歩いて行きます。もうしばらく歩けば、たくさんの仲間達に紛れ込んで判らなくなるでしょう。私は、そんなペンギン君を見つめながら、少し淋しくなりました。


「料金、いくらでした?」


 青年に聞かれて、車のことを思い出しました。私の心に、急に現実が飛び込んできたのです。いつのまにか、夢ごこちでいた私は、でも、もう少しこの気分に浸っていたくなったのです。私は、青年に言いました。


「料金は、頂くつもりはありません。その代わり、もし、よろしければ・・・」


「はい?」


 なんだか図々しい気がしましたが、思い切って言ってみました。


「もし、よろしければ、後日、またここから、彼等をみてみたいのですが・・・」


 青年は、少し考えてから、ニッコリ笑って、


「ご招待しますよ。いつでもどうぞ」


「ありがとうございます」


 私たちは、おたがいを見て微笑みました。そうして、もう一度、ペンギン達の朝食風景に、目を移したのです。すると・・・。


 良く考えてみると、人間というのは、つねに、自分を変えず、環境の方を変えてきたんですよね。悪くいうと、自分に都合のいいように。そうしておいて、そんな環境の中にはとても溶け込めそうにない他の動物、例えば、オオカミとかの肉食動物を、これまた自分勝手に連れ込んでいるんですよ。そう考えると、なんて、罪な生き物なんでしょう。


「僕達にできることは、この動物園という小さな世界を守っていくことしかないんです」 別れ際に、あの青年は言ってました。でも、この言葉は、単に、人間の罪なところを嘆いているだけではないと思うんです。なんて言えばいいのか、あのペンギン達は、動物園という環境を、実に素直に受け止めていたようでしたから。まるで、そこが自分達の世界の全てであるかのように。残念ながら、私のお客様は゛本物の野生"ではなかったようですが、゛本物の野生゛というのも、実は私が勝手に見ていた幻だったんですよ。彼らは、ただ、あるがまま生きているだけ。そうして、あの青年や私の仕事を受け入れてくれていたんですよ。


 あの時。なんといっても、あの時。


 私の小さなお客様は、仲間に紛れる、その前に、私に振り向いてくれたのですから。


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