記録その弐拾四 戯れ その壱
―――茜色の空と水色の空が混ざり合い
深い輝きをたたえた海に飲み込まれる真っ白な太陽
時刻は夕暮れ
儚くも1日が終わる時刻。
肌色の砂浜に幾度も寄するは引きゆく空の赤を映す波。
私はその光景を眺めながら
ぼんやりと少し前の事に思いを馳せていた。
ディアスが強引に私に押し付けてきた紙・・・。
ここに来る前に確認したところ、そこにはこう書かれていた。
“これはもしも何らかの異変が起きて
それをかろうじて私が関知出来た時に備えて用意したものだ
おおよそ異変を起こしたのがラルーだと分かるが
問題は、何が起こったか? である
私はラルーが何かを仕掛けようとも、
それを回避するために特別な術を自分に掛けて
『仕切り直し』に挑んだ
しかし、これがイヲナの手に渡っているとすれば
結果的に その対策はほとんど無意味だったという事だ
私には何かが起きた、と認識出来ても
結局、自分が何をされ 何が起きたのか理解は出来なかったんだ
悔しいが、あの『仕切り直し』に私は負けたという事になる
が、私の対策は何も完全に無意味だったというワケでもないようだ
本来なら
何が起きたのか理解出来ない以上、異変も関知出来ないはずだが
私は何かが起きた事を関知出来ている
これは大きな収穫だ
あの時、あの瞬間
ラルーにとって何らかの不都合な事実があり
だからこそ、ラルーは動いた・・・
私はラルーの事が知りたい
しかし、私が彼女の事を知ろうとすると
いつも手のひらをすり抜け、事実を得られずにいる
彼女が何者か、何一つ分からないが
どうやら彼女自身、自分の事を知られたくないようだ
それが分かれただけでも大きな発見だ
そこで提案だが
イヲナ、私と秘密裏に手を組まないか
彼女の情報をお互いに共有するのだ
彼女の正体を暴くのは一筋縄では行かないだろうが
簡単に紐解けるような正体を暴くのでは、つまらない
むしろ、これくらいの難しさが丁度いい
ラルーの秘密を知りたくはないか?
興味があるなら、よろしく頼もう”
そんな文章のあとで
メールアドレスと電話番号と思われる
アルファベットと数字と記号で作られた文字があった。
その文章を読んで思った事と言えば
ディアスは燃えている、とだけ。
無論、監視人として少しでも多くの情報を得ねばならない以上
ディアスの提案は受けるに決まっている。
だが、一つだけ気にかかったのは
ディアスがラルーに対してどう思っているのか? という事。
ラルーはディアスに“上下関係に置けば下の存在”
もしくは“従順なお人形”と思われていると考えていた。
しかし、そのディアスは呆気なくへティー・ルアナの提案・・・
“師弟関係を止め、普通の友人関係になる”
という話を受けた。
それによってラルーの考えは否定されたが・・・。
この文面から察するに
ディアスはラルーの事を“知りたいだけ”のように見える。
人間とは
自分とはさして関わりのない、だが大いなる秘密に
強い関心を持つものだが、まさにそれだ。
ディアスはただ、ラルーの正体を暴きたいだけなのだ。
・・・まずいな。
私はその事実に、純粋な危機感を感じた。
前回の、ディアスに打ち明けようとした時は
ディアスの目的を知らなかったから、軽率に話しかけてしまった。
ディアスはただ、知りたいだけなのか?
絶対、そんな事はない。
ラルーの何かを知れば、彼にとって都合の良い事があるのだ。
詳しい事情や背景を知らないから、憶測の域を出ないが。
彼がラルーの秘密を知った時
何かが起きそうな気がしてならない。
そもそも、ラルーの秘密がどういう事柄なのかにもよる。
ラルーは“最初の作品”
人工的に創られた超能力を持った人間・・・
“現代のフランケンシュタインの怪物”
それだけの存在のはずが・・・。
吸血鬼を自称したり、メデューサたる姿を有していたり
彼女は確実にただならぬ正体・・・秘密を隠している。
それを暴いて良い事があるとは考えられない。
私はこのまま、ラルーの正体を暴いても良いのだろうか
私だってディアスと同じく、ラルーを知りたいがためにここにいる。
だが、その思いが揺らいでしまっていた。
時の止まった空間で彼女が見せたメデューサという
別の“怪物”の姿に、私は強烈な違和感を覚えている。
どんどん、ラルーと接する度に私の知らない彼女の姿を見せ付けられる。
これは正しい事なのか
不安を隠しきれなかった。
私自身が迷っているというのに
このままディアスと手を組んでも良いのだろうか
それによって、とんでもない惨劇が起こるのだとしたら?
私は責任を取れない。
私には何も出来ない。
また、誰かの死を看取らねばならないというのなら―――
「イヲナぁ・・・?
なんだか哀愁漂う雰囲気を出しているねぇ~」
「・・・少々、疲れてしまっての」
「ああ、時差ボケしているんだね
急にあっちこっちに連れ回してごめんねー?
でも、今回は多分・・・いわゆる“水着回”とかいうヤツみたいだから
元気を出して頂戴!」
「ほうか・・・それは良いな・・・・
む・・・? 水着、とな・・・!?」
ぼんやりと浜辺に佇んでいたら
私を心配してくれたラルーが声をかけてくれる。
するとラルーが奇妙奇天烈な事を言い放った。
聞き違いでなければ・・・。
水着回と。
・・・まさか、今ラルーは水着を着ているのか?
いや、口ぶりからして明らかだ。
一体全体、今度は何をしようとしているのだ・・・!?
私は慌てて背後のラルーの方を見た。
「・・・・」
「イヲナ、今
振り向いて恥じをかいたでしょ・・・?」
振り向けば確かにラルーがいた。
が、その姿は常夏の国・ハワイには似つかわしくない
長袖の真っ黒なドレス。
どう見ても水着ではない。
・・・要は、私に恥じをかかせるために騙したという事だ。
「別に私、“水着回”とは言ったけど
今、水着を着ているとは言ってないでしょう?」
「だから、騙した事にはならぬと・・・?」
「うん!」
「・・・研究所に帰らせてくれ」
「ちょ、監視人にあるまじき発言・・・
ただ、イヲナが私の水着に興味を示してくれるのか
確かめたかっただけなの!」
「ほう?」
「ちゃんと着るわよ・・・!?
だから、その疑いに満ちた目を向けないで? 見えないけど!
さっきの水着回発言は嘘じゃないから!」
何故かムキになるラルーは水着を必ず着ると主張。
別にラルーが水着を着ようが着まいが興味はないが
“水着回”などと前もって予告するあたり
何か気合が入っている事が伺える。
下手な発言は死を招きそうだ。
注意しなくては。
「イヲナ、そろそろ仕事の時間だ
とっととホテルに来やがれ、ノロマが」
「・・・ルクト、いつにも増して不機嫌じゃな」
「ああ?」
「分かった、急ごう・・・!」
「そうそう! 早くお仕事をしましょうねぇ~!」
「ぬしは少しくらい涼しい格好をして出直してこい」
「え゛」
ルクトは無愛想に急かしてくるので
それに応じて立ち上がると
ラルーが私の腕に抱きついてきたので私は強引にラルーの手を剥がし
服装を指摘して、難を逃れた。
ルクトが不機嫌になった原因はラルーの行動のせいだろう。
これでも既にルクトによる殺害未遂被害に何回も遭っておるのだ。
これ以上は心が病みそうだ・・・。
寝ている間にナイフで滅多刺しにされそうになるわ
飛行機内で寛いでいると、首を絞められるわ
食事をしていると、さりげなく私の飲み水に毒を入れようとしているわ。
本当に止めて欲しい。
ルクトの殺意がだんだん、本格的なモノになってきたのが
何よりも恐ろしい・・・。
「ラルー、ルクト
ホテルの部屋で準備をしてくるから
玄関で待っておれ」
私は2人にそう声を掛けて、海岸から数分のホテルへと向かう。
さすがに隠れ家をいくつも所有しているラルーでも
ハワイには持っていないらしく、今回はホテルが拠点となる。
ホテルの予約の時点からしつこくラルーは私との相部屋を希望していたが
私が全力で拒否し、ルクトも大反対したおかげで助かった。
しかし、ハワイに到着し荷物を置きにホテルを訪れた際に、
驚愕の事実が発覚した。
一人一人、部屋を分けて頼んだはずが
何故か、一室に全員が泊まる事になっていたのだ。
ラルー曰く
“4つの部屋に1人ずつ”と頼んだのが
“1つの部屋に4人”と聞き違われてしまったとのこと。
そして、今は満室になっており
変更は出来ない模様。
・・・こんな都合の良い間違いが起こるものなのだろうか。
ラルーの説明はもっともらしいが、私はこう疑わざるを得ない。
どうしても私と相部屋が良いラルーは
わざと予約を間違えたのでは? と・・・。
現に流暢な英語を話すラルーの言葉を聞き違う可能性は薄い。
ラルーの英語は非常にハッキリとした発音で
耳にすんなりと入るのだから
英語が主流になっているハワイでラルーの言葉を聞き違うとは考えづらい。
が、そう仮説しても
証拠が無い上、そう主張したところで部屋は変えられないし
無意味な争いを生むだけなので
心の中にラルーに対する疑いをしまって、言う通りにするしかない。
私は大きなため息をついた。
・・・・
「・・・なんじゃ、その格好は」
「あら? イヲナが言ったじゃない
“もう少し涼しい格好をせい”って!」
「・・・涼しいというより、なんじゃその・・・
ストリップダンサーのような格好は・・・」
「お洒落でしょ」
「とうとう色仕掛けを使うのか・・・」
「ち、違うわよ・・・
あっちから勝手に興味を抱くだけなんだから・・・
って、じゃなくて!!
涼しそうな服って言うから・・・!」
「・・・た、確かに腹とか足とか出ておるから涼しそうだが
いや、もうこれ以上は何も言うまい・・・」
「イヲナってもしかして、肌色耐性ゼロ・・・?
・・・ふふっ」
「いいい、否・・・そのような事があるわけなかろう・・・」
「あら? そう?」
必要なモノを用意してホテルの玄関に出ると
そこでラルーとルクトが待っていたのだが・・・。
そこにいたラルーの格好が危険だった。
鮮やかな赤の丈が短いジャケットをボタン全て外して羽織っており
その下に胸の谷間を強調するような黒いビスチェトップスに
腹のくびれと細い足を引き立たせる黒のホットパンツ
ブーツを履いているが、ヒールが高い。
とても“仕事”に行く服ではないぞ・・・。
格好について本人に聞くと
むしろそれを茶化されてしまう。
誰だって突然、知り合いがこのような
露出狂と呼んでも誤りの無い格好をすれば動揺の一つくらいする。
一体、今度は何をしようと言うのか。
「おい、何ジロジロ見てんだよ
人の妹をさぁ・・・?」
「見ておらん
というより、人目に付かれたくないならば
このような格好をするな・・・
もっと涼しい格好があるだろうに・・・」
「・・・もっと脱げと・・・?」
「 茶 化 す な 」
「そんなつもりは一切、無いわよ~
やだなぁ~!」
やはりこの双子兄妹と話していると
どうにもペースを乱されてしまう・・・。
ここまで私の感情を掻き立てる者など、この2人しかいない。
というより、ハワイの街中に繰り出すというのに
どうしてこのような破廉恥な格好をする?
理解に苦しむ・・・。
「イヲナ・・・こんな所に来てまで着物姿のままなのか・・・」
「・・・!?
なんじゃ、カルム・・・!?」
不意にカルムの声がラルーとルクトの向こうから聞こえてくると
そこには立派な高級車があり、その運転席に吸血鬼カルムがいた。
恐らく高級車はレンタルしたものなのだろう。
私がカルムに驚かざるを得ない理由は、その格好にあった。
仕立てられた綺麗なスーツに身を包んでおり
さながら、金持ちの社長か有名モデルか何かのよう。
・・・ここまで演技が掛かっているのは明らかにおかしい。
「ラルー、もしやこれからの仕事というのは・・・」
「お察しの通りよ? イヲナ・・・
パーティーに参加している金持ちを刎ねるために
カルムにはパーティーに潜入してもらうの」
「またもや、馬鹿げた作戦じゃのう・・・」
「うるさいなぁ~・・・
この中ではカルムが一番、それっぽいのだから仕方がないでしょう
それに、イヲナは自分の役割の方を気にしたらどうなの?」
「・・・まさか、私に何か妙な事をさせる気か・・・?」
「妙な事って、そんな事はないわよ~
ただ、ちょーっと服装を改めて・・・裏方潜入を・・・」
「“裏方潜入”とは何じゃ!?
私にはそのような事は無理だぞ・・・!」
「・・・何かと説明する前に無理と決めつけちゃうなんて」
「・・・くっ」
「ならば、よろしい」
案の定、問うてみれば
仕事のためだった。
パーティーに潜入だと・・・?
明らかにそのパーティーは普通ではないだろう・・・。
恐ろしい話だが、これからそのパーティーに参加する
金持ちを暗殺すると言うのだ。
“裏方潜入”なる、ワケの分からない役割を担わされたが
恐らく、文字通りに“裏方に潜入する”という意味だと思われる。
・・・尚も、よく分からないが
裏方という事はまだまだ安全な方だという事だから
甘んじておいたほうが身のためだ。
「とっとと、仕事を始めるぞ
着物仮面野郎」
「私の出で立ちが奇妙なのは否定しないが
出来ればそれ以外の言葉で罵ってくれ
いい加減に、仮面の事を言われるのは飽きた」
「悪口に飽きるなんてお前ぇ・・・相当だぞ・・・」
「悲しいが否定出来ないの」
「うわぁ・・・」
ルクトがいつものように毒を吐いてくるも
私が素直に思った事を言うと
今度は憐れみの目を向けてくるが、無視。
私は車に乗り込んだ。
すると私の隣に、さも当たり前のようにラルーが座る。
・・・どうせラルーが来るだろうと思っていたが
案の定過ぎてむしろ、残念だ。
「して、私の役目は具体的にはなんだ?
早う説明せんか」
「別にそれほど難しくはないわよ
パーティーに日本から来たパフォーマーとして出て・・・」
「待て、最初からいきなり難しくないか・・・!?」
「適当に日本刀で竹とか斬ってりゃ良いわよ
で、演目が終わったら直ぐにターゲットをマークして
カルムがターゲットを何とか舞台裏に連れてくるはずだから
そこを一気に・・・」
「・・・ターゲットを殺せと?」
「そうそう! ただ、ここで注意点なんだけど・・・
一つのパフォーマンスが終わると次のパフォーマンスが始まるまでに
少し時間が掛かるみたいなの」
「・・・? どういう意味じゃ」
「貴方がパフォーマンスを終えるのを合図に動き出すワケだから・・・
貴方がターゲットを始末する時には恐らくパフォーマンスは行われず、
会場内にはささやかな音楽が流れているだけ・・・
つまり、人目に触れる危険性とターゲットが叫んだりしたらバレるってこと」
「・・・何故、そんな大役を私に任せた・・・!?
ちっとも“裏方潜入”ではないじゃないか・・・!」
「いやぁ~、だってその頃には私もお兄ちゃんも
別の殺しを同時進行形で殺っているわけだから
殺れるとしたら、貴方しかいないのよ?」
「何故、同時に殺しを行おうとする?
この死神兄妹・・・!」
カルムが運転する高級車の中で揺られながら
黙ってラルーの話を聞いてみれば大変な役目を担わされた。
ラルーの口ぶりからして、
誰にも気付かれずにひっそりと暗殺する必要があるらしい。
そんな技術が、私にはあると思っているのか・・・?
ならば、とんだ見当違いだぞ・・・。
・・・それを訴えたところでどうせ、聞きやしないのだろうが。
「ラルー? ここで良いのか?」
「ん、多分・・・ここ辺りだと思う」
「まさかパーティー会場の場所も知らないのか・・・!?」
「そんなわけないでしょう?
これは“ちょっとした用事”よ」
「・・・?」
「まあ、いいわ
カルム? イヲナ?
しばらく車の中で待機していて頂戴」
カルムが車を止め、ラルーに尋ねた。
それに曖昧な回答を返すラルーは何やら企んでいるようだった。
ルクトが車から降り次にラルーが降りる。
開いた扉を閉じてラルーは車の窓を叩いた。
「私に何があっても知らん顔するのよ?」
と、不安を煽るような事を窓越しに言った。
・・・ラルーの身に何か起きるというのか・・・?
とんでもなく恐ろしい予感がする・・・。
そう、言うだけ言ったラルーとルクトはすぐに車から離れる。
ルクトは気付けばどこかへと姿を消しており
ラルーは歩道を行ったり来たりして、暇そうに振舞う。
・・・?
一体、何をするつもりなのか
全く考えが読めない。
「一体、ラルーとルクトは何する気なんだ・・・?」
「カルムも詳細を知らされておらんのか」
「うん・・・そもそもパーティーに潜入するって言っても
肝心のパーティーは招待制で招待カードが無ければ
入る事も出来ないのに、ラルーはその招待カードも持ってないんだよ」
「何・・・?
ならば、どうするつもりじゃ・・・?」
ラルーの考えに対し、不信感を抱かずにはいられぬ。
もっとも、ラルーは何も考えていないワケはない。
・・・はず。
・・・どうしよう、あやつを信用出来る材料が何一つ無い。
思えば、チームを組んで共に仕事をするものの
互いの事をよく知る機会はほとんど無かった。
おかげで私は唐突にあやつの様々な面を“見せ付けられた”
見せ付けられる、という形は非常に簡潔で明白だ。
だから、分かり易く済むはずなのだが
ラルーの場合だと本当に唐突なのだ。
何の前触れもなく、何の脈略もなく、ただ次々に新しい姿が現れるだけ。
それではまるで、何でもアリのようではないか。
さすがのラルーにだって出来ない事はあるはずだ。
人類は未だ、万能ではない。
そしてラルーはかろうじてその“人類”に数えられる存在だ。
彼女だけが万能であってはおかしいのだ。
彼女が人類から生まれながら
吸血鬼や、メデューサ、死神など
複数の顔を持つにも深い理由があるに決まっている。
なのに、彼女はその理由を明らかにしない。
明らかにすると困る事情があるのだろう。
正しく、弱点に直結しかねない秘密なのだから
ラルーが秘密を隠そうとするのは理解出来る。
だが、問題はどちらかと言えば“隠されている”事よりも
“どのようにして、そのようになったか”
すなわち“経緯”が完全に不明な点。
彼女は生まれついた瞬間から
研究所の一室に幽閉され、外に出る機会は無かった。
そのため、彼女の大雑把な生涯を知れば分かるが、
そのような面を持てる機会は研究所から脱走した時のみ。
しかし、研究所から脱走してからの足取りが不明。
そもそもどのようにして脱走し、どこにいたのかも分かっていない。
その上、少なくとも“吸血鬼”になる事は不可能。
ほぼ確実に彼女が複数の顔を持つきっかけはこの時の出来事だろう。
だが、脱走してからの足取りが掴めていない現在。
私や博士にも、
彼女がそのようになった“経緯”を推測する事すら叶わない。
彼女は一体、どうやって
内側からも外側からも出入り出来ない部屋から逃げ出し
都会の中を誰にも気付かれず、国外へ脱出したのか?
能力を駆使したと思われるが、
具体的にどんな能力を使用したのか?
分からない事だらけだ。
「はっ・・・!」
「!?
なんじゃ、カルム?
何か起きたか・・・!?」
「ホットドック屋・・・!」
「は?」
不意にカルムが驚愕の声を上げる。
深い思考に浸っていた私は思わず大事と解釈して
その方向を見てみれば、確かにそこにはホットドックの屋台がある。
何故、カルムがホットドック屋に強い関心を持ったのか。
それは上司である私にはすぐ分かった。
カルムは吸血鬼でありながら、血を啜っている時よりも
甘菓子や美味しいと話題の食べ物を食べている時の方が目を輝かせ
幸せそうに頬張っていた。
特に菓子類・ジャンクフードなどが好物なようで
研究所に居るとき血を一切、口にしていなかった代わりに
女研究員が持ち込んだ食べ物を食べまくっていた。
・・・吸血鬼のくせに、血よりも普通の食い物が好きな変人。
それがカルムなのだ。
「まさか、あのホットドック屋に行きたいなどとは言わないだろうな?」
「言います、“行きたい”!」
「今、仕事中なんだぞ
分かっておるのか・・・!?」
「仕事中でもお腹は空くし・・・」
「吸血鬼なら吸血鬼らしく、血でも吸っておれ」
「血よりもホットドックが食べたい・・・」
「おぬしという奴は~・・・!」
ホットドックに強い関心を示した以上
引けを取らないカルム。
思えば私はカルムを無下に扱ってきた。
その後ろめたさから、結局私の方が折れてしまった。
いつか詫びを、と考えていたのだからむしろ都合が良いか・・・?
「はぁ・・・分かった、分かった・・・!
ホットドックを買おう・・・」
「いやった! お金ある?」
「あるが・・・
そう言うぬしは無一文なのか・・・」
「うん、全くその通りなんだ
だから、ついてきてくれ」
「ああ・・・ホットドックか・・・」
「美味しい食べ物なんだって、アビゲイルが言ってたんだ!
俺は食べた事ないから食べてみたかったんだよ!」
「正確には、
“食べた事があるかも知れないが覚えていない”
だろう・・・ぬしの場合・・・」
「まあな」
どうやら、カルムは記憶を失ってから
ホットドックを食べた事がないので興味があるようだ。
アビゲイルはカルムに初めてお菓子を与えた女研究員で
甘党で食にこだわる人だから
アビゲイルの勧めとあってカルムは関心を抱かずにはいられない模様。
仕方なく、私はカルムと一緒に車を降り
歩道の上にある屋台へと向かう。
その間、ラルーとすれ違うがラルーは知らん顔をしていた。
“知り合いではない”ように装ったのか・・・・?
私は思わずそんな演技をしたラルーを見返したが、何も分からない。
そんな演技をすると言う事は目的があり
その目的を遂行するためにはそうせざるを得ない状況という事。
・・・私と知り合いではないように装うなど、ますます嫌な予感がする。
あの、四六時中、私にべったりくっ付き
赤の他人に恋人同士と間違えられただけで“そんな事ないよぉ~”と
これでもかという悪意に満ちた笑顔で答えるラルーだぞ?
元より過剰なボディータッチと馴れ馴れしい調子で
ややこしくさせているが、恐らくラルーのそういう態度は嘘だ。
研究所に居た頃の彼女を知る私だから言える事だが
彼女は決して人と馴れ合う事を好む人物ではない。
むしろ、馴れ合う事を汚らわしいと考えているような娘であった。
そんなラルーが今、そういう性格みたいに振る舞うのはきっと・・・。
他人を欺くため、だと思われる。
自分が賢くないように装い
自分が弱者のように、か弱そうにし
自分が本当は人間嫌いで人間を憎み恐れている事を隠すために
彼女は人と馴れ合う。
何故ならば彼女はそれが強みにも弱みにも成りうると知っているから。
彼女は賢い。
賢く、そして狡猾だ。
歪んだ性格はもはや、人を弄ぶことを喜びとしているだろう。
復讐の為ならば喜んで手足を差し出すような女だ。
博士に対する憎しみがずば抜けて目立つが
憎しみようで言えば“人間”への想いは負けず劣らない。
今は大きな行動を取っていないが
彼女はあくまでも“復讐”を望んでいる。
いつ何時、少しでも復讐出来るのなら
喜んで好きなだけやる。
そういう考えがきっと、彼女を“サディスト”たらしめる要因。
彼女が捕えた獲物を不必要なまでに虐め抜くのは“それが人間だから”
ただ人間だから憎く、だから拷問するに足る条件が満たされている。
そして私もその“人間”に数えられる一人である。
ここ最近の、明らかな好意があるように取れる行動や態度は
当初、私にとって意味不明なモノであったが・・・。
彼女と接していてようやく納得がいく“答え”を見つけられた。
答えは単純。
全ては復讐のため。
彼女がそういう態度を取るのは恐らく
私への嫌がらせ、あるいは欺くための壮大な策略だと考えられる。
私が彼女の好意を真に受ければ
恥じをかかせたり、あわよくば脅迫しようとしているか
そういう関係になり恋愛感情を利用して“博士抹殺”の糸口に使うか・・・
でなければ、ラルーが私に好意を抱くなど有り得ない。
私はラルーがこの世の何よりも憎んでいる博士の仲間なのだ。
それにラルーは私の事を詳しく知らないはず。
私の顔だって彼女は絶対に知らない。
そんなラルーが、そんな私に惚れるなど。
断じて有り得ない事だと断言出来よう。
彼女は賢い。
だからこそ、一時の感情に身を委ねるなど考えられない。
何もかもを復讐の手段として利用するに決まっている。
何時、如何なる時も、
60秒、120分、24時間、7日7晩。
全ては私を欺くために、
意地でも常日頃から馴れ馴れしくしてきたラルーが
赤の他人を演じようなどとは・・・。
相当な事態が想定出来るぞ・・・
「イヲナ! ホットドックの支払いを頼む!」
「あ、ああ・・・」
不可解な態度を取ったラルーの事を考えている間に
カルムは注文を終え、私に支払いを要求する。
ラルーが“お小遣い”と称して与えてくれた札束から支払うと
屋台から大きめの袋を渡される。
中にはパッと見で十数個のホットドック・・・。
・・・カルムはそんな大食らいではないので
恐らく、私や死神兄妹の分まで買ったのだろう。
実を言えば私もホットドックなる食い物は知っているが
それを口にした事はないので、少し興味がある。
あのケリー研究員が言うのだから、味は保証出来よう。
少しだけ楽しみだな・・・。
私は受け取った袋をカルムに手渡し
車に戻ろうと歩道に向き直ると、死角から男が現れ
私に衝突してきた。
あまりの衝撃に、私は道端に尻餅ついてしまう。
「気をつけんか!!」
男がやってきた人ごみの方を目やれば
海が割れたように、道の中央を人が避けた形跡があった。
すなわち、この男は人ごみの中を無理やりに走ってきたという事。
どう考えても危険極まりない、マナーの無い行動だ。
そんな事は断じて許されてはならない行為。
だから堪らず声を出したが、男はそんな私の声も無視して
道を駆け出していた。
・・・なんて男だ・・・。
「イヲナ、大丈夫か?
派手にぶつけられたなぁ・・・」
「何を呑気に言うとるのじゃ・・・
全く、配慮の無い自分勝手な男もいたものだ」
「マナーを特に重んじるイヲナらしいな」
「他の連中が守らなさ過ぎだ・・・」
「・・・主にラルーの事?」
「主にラルーの事である」
自力で起き上がっていると
カルムが心配の言葉をかけてくれる。
幸い、大した怪我はしていなかった。
カルムと冗談を交わし
車に戻って、車内に乗り込もうとしたが
その前にラルーの事が気になり、なんとなく振り返った。
「・・・っ!?
待て、カルム・・・車に乗り込むでない!」
「ど、どうしたんだ!? イヲナ!」
「ラルーがいないのだ!」
「!?」
ほんの数秒前まで居たラルーの姿が消えて無くなっていた。
監視人である私として
ラルーを見失うなど、有り得ない事だ。
私は慌ててカルムと共にラルーを探し始めた。
先ほどまでラルーが行ったり来たりをしていた所を右往左往。
参ったぞ・・・手がかり一つ、残されていない。
ラルーの奴、無断でどこに消えおった・・・!?
「イヲナ、ラルーはそう遠くには行っていないぞ・・・!」
「何故、ぬしにはそんな事が分かる!?
相手はあのラルーだぞ! 普通の人間なら、そうだろうが
あやつは密室の中から逃亡せしめた化け物!
短時間に地球の裏側に行っていたとしても、おかしくない!」
「違う! 匂いが残っているんだよ!」
「・・・!?
匂いが残っているだと・・・?」
「俺に任せてくれ!」
途方に暮れていると
すぐさまカルムは“ラルーの行方が分かる”と訴えた。
普通なら、到底信じられないが・・・。
こやつはラルーと同様、普通ではない。
そういえば、吸血鬼は五感が非常に優れているという・・・。
ならば捜索犬のように、匂いをたどれば・・・?
・・・致し方ない、他に手がかりはないのだから
カルムに賭けるしかない・・・!
ハワイの町を駆け出すカルムを私は追い掛けた。
日が深く沈み、
満天の星空とほのかな灯りを浮かべた月が登る真夜中。
ハワイの町は明るく、人通りは途絶えない。
だが、カルムの後を追う内に少しずつ人の姿は少なくなり
気付けば人の気配も無い、汚い迷路のような裏路地に来ていた。
「カルムよ・・・
本当にここで間違いないのか?」
「間違いない、だってラルーの匂いが
ここに来てから強くなってる」
「・・・私にはまるで分からん」
「そりゃあ、仮面付けてるし」
「それは放っておけ」
「はいはい」
間違いなく近くにラルーが居ると断言するカルム
だとすれば、このような裏路地にどんな用があるというのだ?
ラルーの思考回路をある程度には読み取れるようにはなったが、
こればかりはまるで分からない。
ゴミが散乱する汚れた道を進んでいくと
微かな声が聞こえてきた。
・・・?
女の呻き声か・・・?
「・・・て、・・・や・・・!」
カルムもその声を聞き取っているのか
少し足早になり、声の方へと向かう。
近づいているのか、声は少しずつハッキリと聞き取れるモノとなっていく。
私は耳を澄まし、慎重に近づいていると
その声がぴしゃりと響いた。
「嫌だって言っているのが、聞こえないのかしら!?
この短小野郎がっ!
こうやって女を暗がりに拉致しなきゃ何も出来ない猿共!
惨めにならないの? 情けない話ね!!」
とんでもない暴言に一瞬、目眩がしたが
この声と英語の発音は間違いなくラルーのモノだ。
曲がり角を行くと、そこには複数人の男たちに囲まれ
両手を壁に押さえつけられ、両足をわし掴みにされているラルーの姿。
どうやら、ラルーが履いているホットパンツを脱がすのに
手間取っているようだ。
ラルーの言動や、この状況から
彼女が危機的状況に在るのは明らかだ。
どうにか、ラルーを救出しようと私は一歩踏み込む。
が、その私の視界を黒い背広が邪魔した。
―――カルムだ。
その背中からは十分過ぎる気迫と、殺気が溢れていた。
そんなカルムの表情はとても想像出来ないが
ラルーを襲っている男たちが異変を感じ取るには十分な・・・
恐ろしい顔をしていたのだろう。
男たちの内、一人が私たちの方を見ると
目を見開いて、わなわなと激しく震えたかと思えば腰を抜かした。
一人が地面に突然、座り込んだのを見た他の連中も
すぐにその男の視線の先を追って、カルムと目が合う。
即座に男たちはナイフをカルムに向けたが・・・
カルムにとって、その動作は遅すぎた。
一瞬でカルムは男たちの元に駆け寄ると
ナイフを持った男たちの腕を叩いた。
すると、皆が皆あっさりとナイフを落としたと同時に、
固い石が割れるような音が響く。
どうやら、叩いた力が強すぎて骨を折ってしまったようだ。
次にカルムは渾身の力を込めた拳を、
ラルーの腕を押さえつけている男の顔面にぶつけた。
驚くべき事にもぽろりと、男の口から
白いカケラが落ちたのが見えたかと思えば、
男の頭は有り得ないような方向に仰け反り、遂には倒れる。
白いカケラは数本の歯だった上、倒れた男の鼻は大きく曲がっていた。
もちろん、痛ましい事この上ない。
男の拘束から解放されたラルーは笑顔を浮かべる。
ラルーは勝利を確信したようだった。
奇声を上げ、カルムに突っ込む男が迫り来るも
カルムは爪を立てた拳でその男の肩を殴ると、血が舞い
男は奇声の代わりに悲鳴を上げて倒れ込んだ。
ラルーを襲っていた暴漢の集団はたった一人のカルムによって
一瞬で集団の役割を果たせなくなっていた。
・・・最後の一人を除いて。
カルムの格闘に目を奪われて、私も気付けなかった。
その男はプラスチックの箱の上に座って、
ラルーが襲われているのを傍観していた。
恐らく、あの男こそがこの暴漢集団のリーダーだ。
その男は狡猾だった。
今の格闘を見て、敵わないと即座に判断した男は
自分が今まで腰掛けていた箱をカルムの方に蹴り付け
一目散に逃げ出した。
それを見たカルムが後を追おうとするが箱によって行く手を阻まれた。
カルムが箱を退かす間が惜しい。
そう思った私はカルムの頭上を飛び越え
カルムに成り代わって、男を追い掛けた。
男はこの裏路地を熟知していたようだった。
躊躇無く入り組んだ道を進んだり曲がったりしながら
道の脇に積まれた段ボール箱や、ゴミ箱を崩して私の追尾を妨害する。
なんて小賢しいヤツなのだ・・・!
私は憎らしい男を睨まずにはいられなかった。
そんな私の睨みを受けてなのか、男が一瞬だけ振り返った。
「っ・・・!?」
その男の顔には見覚えがあった。
ホットドック屋の前で、私にぶつかってきた男だ・・・!
なるほど・・・
上手く考えたものだ・・・。
あの男こそがラルーを誘拐した実行犯なのだ。
実行犯として女を人のいない場所に連れ込み、
あとは部下を使って女を傷物にする。
その際に警察に捕まっても
実際に行為には及んでいないので
「自分はボスに言われて女を誘拐して
見張っていただけなんです」
とでも、居もしない“ボス”をでっち上げれば
警察の目から逃れられる。
・・・だが、目的が良く分からない。
ただ見るだけでいいのなら、
わざわざ誘拐して自分の手を汚してまでそうする必要はない。
いくらでも別の方法があったはずだぞ・・・?
これだけ頭のキレる男なら、何通りでも方法を考えつけるだろうに・・・。
しばらく追っていると、男が急に消えた。
その消えた場所まで行けば
雨どいで死角になっているところに道が続いており
そこを男は走っていた。
・・・このままでは逃がしてしまう・・・!
明白な危機感を募らせた私は呆然と立ち尽くしてしまった。
普通に追っているだけでは、
この周辺地域を熟知しているあの男を捕まえるなど不可能だ。
致し方ない、能力を使って後を追うしか・・・!
私はそう考え、能力を行使しようとした。
が、それは結局、無意味に終わる。
狭い狭い路地裏の通路を、真っ暗な闇が覆った。
星灯りも月灯りも無くなり
不気味な紅い輝きだけがぼんやりと浮かんでいる。
その先の見えない闇は男の行く手を奪い去っていた。
「何なんだ、これは・・・!」
男は声を上げた。
必死になって、その闇に突っ込もうとするが
成人男性のタックルをものともしない闇は男を弾き返す。
それが実態を持った障壁なのは明らかだ。
「―――人の妹を襲っておきながら、無事で済むと思うなよ?」
どこからともなく響く、冷血な声はその主を伴って現れた。
闇の中から、ぬらりと大鎌を手にした灰色の長袖を纏った腕が。
それが真っ直ぐ、男へと伸びて鋭い切っ先を喉元にあてがう。
“終の死神”―――ルクトだ。
「よお、わざわざ追っていたのかよ
ロクデナシの割にはいい働きをしているじゃねぇか」
やがて闇の中から全身を現すと
相変わらずの無表情で私の働きを労う。
上から目線が癪に障るが、ルクトとはこういう青年なのだから仕方ない。
「そう言うぬしは妹が襲われていたというのに
助けに来なかったではないか?」
「いや? 襲われたには襲われたけど
正確に言えば“襲わせた”んだよ」
「・・・何?」
「僕らの目当てはこのクソ野郎・・・
人身売買組織“ルート”の親玉ただ一人
とっ捕まえるのは当然だろ?」
「・・・人身売買・・・組織・・・
はぁ・・・! ぬしら、まさかとは思うが
また面倒ごとに頭を突っ込みおったな!」
「ラルーの望みだ、叶えるのは当然だ」
「この狂い兄め・・・!」
ルクトを問い詰めてみれば
どうやら、全てはラルーの計画らしい。
だからあんな破廉恥な格好でふらついていたのか!
あんな格好で出歩いていれば、攫われると踏んで・・・!
囮になって、この男を炙りだしてルクトに捕らえさせるという・・・!
・・・もっとも、この男を捕らえるメリットがよく分からんが。
・・・・
ルクトと一緒に暴れる男を押さえて
ルクトがあらかじめ持参していた麻縄で縛り上げ
ラルーとカルムの元に帰る。
大の男一人を引きずって行くのだから、無駄に疲れた・・・。
すると、そこにはあのふざけた格好を止め
いつもの黒いフードのコートを羽織り、短パンに
ラフな白いシャツを着たラルーと変わらずスーツ姿のカルムがいた。
ラルーの格好は急遽、改めたような簡素な服で
ファッションにこだわる彼女らしくないモノだった。
「お兄ちゃん、イヲナ
お疲れ~! 骨が折れたでしょう?」
「大した事ではないが、こやつを一体どうするつもりなのか・・・
説明してもらおうか?」
「・・・イヲナがまたイライラモードに突入しているなぁ~」
「やかましい」
私が“ルート”の親玉を何に使う気なのか、
ラルーに問いかけるが・・・やはり茶化してくる。
“説明義務”という言葉を是非、ラルーには覚えてもらいたい。
「とりあえず、ソイツを高台のお屋敷に運ぶんだってさ」
「む、ぬしだけは少しだけ説明されていて
私だけ説明してもらえないとはどういうつもりじゃ・・・?」
「え!? 別にカルムを贔屓しているワケじゃないわよ!?
運転手だから、行き先を伝えただけよ!?」
「そうかそうか、運転手でも
拉致役でもない私には何も話す事はないのだな?」
「イライラモード、止めて!?
エコフ・ローゼ夫人の別荘に行くだけだからー!」
「エコフ夫人だと?」
カルムが次の移動先を教えてくれるが
肝心の目的が何一つ分からん。
エコフ夫人は有名な大企業の社長夫人で、公の場での露出も多い有名人だ。
一方、その夫である社長は露出を毛嫌い
顔や素性すら明かさないほど。
メディア露出を嫌がる夫の代わりに
その奥方であるエコフ・ローゼ夫人がメディアの前に出て
夫の考えを明かす・・・。
言うなればエコフ夫人は両者の橋渡しをする役を担っている。
・・・だが、そんなエコフ夫人の元に
人身売買組織の親玉を連れて行く意味が分からん。
華やかな社交の場で何不自由なく生きるエコフ夫人と
夜な夜な娘を攫っては傷付け、売り飛ばすような男の接点が
まるで何一つ見い出せなかった。
エコフ夫妻には何人もの子供が居るから
わざわざ買い取る必要は無いし・・・。
一体全体、どういう事なのか。
「さあ、移動しましょう
時間がないわ?」
「時間を止められる“ぬし”がか?」
「ええ、私の時間は無限でも
貴方との時間は有限よ」
「・・・無駄に深い」
「そりゃあ、どーも」
・・・・
痛ましい叩きつける音。
小さな手でわし掴みにされた男の頭は車の床に押し付けられており
先ほどから必死に抵抗して、身をよじらせているが
まるでびくともしない。
あの小さな白い手から繰り出される力は想像以上としか言い様がない。
ラルーの怪力はその異常な精神を表しているようだ。
「さあ、お前たちの囲い小屋の在り処を教えなさい?
さもなければ古典的にお前を海に沈めなければならなくなるわよ?」
脅迫の言葉を口にするラルー
だが、男は黙ったままだ。
その点は“いつぞやのギャングの若造”よりかは優れている。
ラルーの拷問を見たくないので
車から脱出したいが、車はカルムが運転している真っ最中。
つまり、堂々と街中の道路を走っている中で拷問しているという事だ。
そんな事をすれば
男が悲鳴一つ上げれば直ぐに見つかってしまう、と
私はラルーに言ったがラルー曰く
“こいつには落ち度がある、だから何が何でも叫ばないわ?
万が一にも叫んだとしてもその際は喉を踏み潰してやる”
・・・要はラルーの拷問を見なければならないという事だ。
最悪、と呼ばずしてどう呼ぼうか。
「・・・こっちは、商売が掛かっているんだ」
「あら? 商売どころか命が掛かっている事もお忘れなく~?」
「命が掛かっているだと?
場所を吐かせるのが目的なら、殺せるワケが無い・・・!」
「あっははははは!
愉快ねぇ!? この私が誰かも分からないでよく言えるわ!!」
予想とは裏腹に男は強気だった。
確かに、重要な情報を吐く前に殺すワケにはいかない。
そんなこちらの弱みを理解しているからこその発言だ。
だが、その言葉にラルーは嬉しそうに笑う。
まるで“活きの良い獲物だ”とでも言わんばかりに。
「ぶっちゃけると、お前を殺しても良いのよ
だって囲い小屋の場所は分かったし」
「・・・!?
そんなはずはない!」
「何故、そう断言が出来るの?」
「っ・・・」
「そう、そりゃあ断言出来てしまうわよね・・・
なんたって“囲い小屋はこの島には無いんだから”
いや、もっと正確に言えば・・・“地上にはない”かしら?」
邪悪な笑みを湛えたラルーはあっさりと言い放った。
“お前の事など、どうでも良い”
“何故なら、もう目的は遂げられているのだから”
「ラルー、いい加減に説明をせい
その男がどうでも良いのなら
私に説明をしたって良いだろう?」
「んー・・・イヲナがもっとねだってくれるなら
考えなくても良いのよ~?」
「ならもう良い」
「あー! 分かった分かった!
私が悪かったから、説明させて頂戴!」
「勿体ぶるな、早う説明しろ」
だが、状況に追いつけない私は不満で一杯になっていた。
何故、ラルーが人身売買組織“ルート”の囲い小屋を探す?
何故、どうでも良いのに“ルート”の親玉を捕えた?
そもそも最初に言っていたパーティーの殺しはどうした?
「一つ、私は先刻
エコフ・ローゼ夫人から依頼を受けた」
「殺し屋を頼るとは、夫人は裏の人間であったのか?」
「いいえ?
“エコフ社長”はそうだけれど夫人は違うわ
エコフ夫妻が困っているだろうな~、と思って私から話を持ちかけたのよ
それで商談は成立、私は依頼を受けた」
「・・・?」
依頼の内容が特に気になったが、
それよりも先に私はエコフ夫人が“そういう人間”であったか
疑問に思った。
エコフ夫人はあくまでも社長夫人に過ぎなく
彼女自身に発言力はあっても、権力はない。
権力の無い人間が裏の人間を動かせるのか。
その答えは案の定。
むしろ、不可解な状況が浮き彫りとなった。
ラルーはエコフ夫妻が困っている事を察して
自ら話を持ちかけたと言う。
“エコフ夫妻が困っていた”
という状況をどうやってラルーが知り得た?
そもそも我々がハワイに来たのは
へティー・ルアナの仕事の紹介によるものであって
ラルー自身の売り込みによる仕事で来たわけではない。
エコフ夫人の依頼はへティーの紹介によるものではない。
つまり、その依頼を受けたのはへティーの紹介の後と考えられる。
パーティーの仕事に専念すべきなのに
同時に仕事をするメリットはどこにある?
そしてなによりも、エコフ夫妻が困っていたのに
最終的にラルーに依頼をしたのは“エコフ夫人”
どう考えても妙な背景があるのは明らかだ。
「貴様なら、エコフ夫人が何を私に依頼したか・・・
分かるわよね?」
私が考え込んでいると
ラルーは男を追い込むように言葉を重ねた。
「私、探偵の真似事が大好きなのよ~
だからついつい、推理の甲斐がありそうな人を見掛けると
推理をしてしまうの
例えば・・・
貴様の服に付いている白いシミ」
ラルーは唐突にそのような事を言うと
男の服を掴んで私やカルムに見えやすいように持ち上げる。
男は黒っぽい青いTシャツと灰色の半ズボンを着ているが
確かにラルーの指摘通りに白いシミがたくさん付いていた。
チョークで引っ掻いたような乾いたシミ・・・
一体、何のシミなのだ?
「このシミは海水のシミね?
海水は言ってしまえば塩水、乾くと水の中の塩が現れて
服の繊維に接着して白いシミを作るの
だから、水着でも海水に浸かった時はよく洗う事。
ハワイの住民なら、当然の常識よね?
でも洗濯したての服にまた白いシミが付いている・・・
と言う事は、水着に着替えず私服のまま海水に浸かった
それも今日ね? 数時間ほど前なら十分、乾く時間もある」
ラルーは趣味の“推理”を存分に披露する。
ルートの親玉が、水着に着替える事もなく
海に入った事実が明らかとなった。
私にはその事実と、ラルーが口にした
“囲い小屋はこの島には無い
もっと正確に言えば地上には無い”
という言葉の意味がようやく分かった。
「ハワイの人間が水着を持ってないなんて変な話よね?
常夏の島、海の島なのだから!
そんな人間が水着を着ずに海に入ったとなると
理由は一つ、水着を着ていると不審な場所から海に入ったから
そして、そこまで秘密裏に行動する理由は
何かやましい事があるから・・・
単刀直入に言うわ
囲い小屋は、海の中にあるのでしょう?」
核心をつく一言は、強気だった男を震わせた。
ラルーの問いに返答をせず、黙って目をつむる。
だが、その様子は彼女の癪に障ってしまう。
ラルーは不意にタオルを取り出すと
車中にあったペットボトルの水で濡らし
それで男の顔を覆った、次の瞬間
乱暴にラルーは男の両手・両足を縛り上げ
その状態のまま身体を起こさせる。
すると、それまで静観していたルクトが出て来て
容赦なく男の腹を蹴りつけた。
突然の衝撃に男は呻き声を上げ、激しく咳き込む。
「海の中って! ・・・つまり、どういう事なんだ?
そこに、その・・・今まで拉致してきた女性たちがいるんだよな?」
「ええ、“商品”は大事に保管するモノ
もちろん盗まれたら困るから、盗まれない場所に入れておくのが道理
そこでこの男は“海”に目を付けた
海の・・・水中洞窟に、ねぇ・・・?」
まだまだ状況に追いつけないカルムがラルーに問いかけると
ラルーは丁寧に説明した。
商品である女たちは海底洞窟に居ると。
海底洞窟とは文字通り海の中にある洞窟。
洞窟内は海水で満たされているため
特殊な潜水技術が必要になる。
もっとも、ラルーの話によると
その海底洞窟に誘拐された女たちがいるらしいので
恐らく洞窟内のどこかが地上に露出しているか、
あるいは空気が入るだけの空間を有する特別な海底洞窟だと考えられる。
潜水技術を持たないであろう女たちを閉じ込められているのだから
その心得のない我々でも十分に入れるだろう・・・。
「ラルーよ
エコフ夫人の依頼とは
その囲い小屋である海底洞窟に居る女を救出する事であろう?」
「ええ、その通り正解よ?」
「ならば我々もその海底洞窟に・・・」
「いいえ、その必要は無いわ
だって、私の“お友達”が今頃
その洞窟を警察と一緒に訪ねているはずだから」
「っ・・・!
なんて事を、小娘・・・!?」
私はラルーが受けた依頼を推測し
自分がその洞窟に行く事となるかと思いきや
ラルーはすでに“友達”とやらを使い、手回しをしていた模様。
その言葉を聞いた男は濡れたタオルを被ったまま叫んだ。
警察に囲い小屋がバレてしまったのだから
組織の親玉である男からすれば、たまったものではない。
「でも、依頼の内容はそれだけではないの
くれぐれも調子付くんじゃないわよ?」
「何・・・!?」
男を見下ろすラルーは冷酷な笑みを浮かべる。
そう、“これだけではないのだ”
でなければ、この親玉を捕らえる必要はない。
あくまでも、おおまかな依頼の内容は
“誘拐された女たちの救出”
別に親玉を捕らえて、組織を滅茶苦茶にする必要はない。
なのに、ラルーは親玉を捕らえ
依頼主であるエコフ夫人の別荘に連れて行こうとしている。
明らかに“まだ何かがある”のだ。
ラルーに対し、生意気な口を聞いた男を
ルクトが不愉快そうに殴りつける。
濡れたタオルで鼻と口を防がれ
ルクトに痛めつけられる度に男は激しく咳き込んだため
男は呼吸が苦しくなり、あっという間に衰弱した。
“拷問の天才”ラルーが考えだした
ささやかな拷問は悪夢の始まりに過ぎなかった。
・・・・
「・・・ラルー・・・着いた、うぇっ・・・」
「あら? もうなの? 大して楽しめなかったわね」
「これで“大して”とか・・・」
「カルム? 大丈夫?
いつもの死人のような顔がいつにも増して暗いわよ?」
「“原因”に聞かれたくないです」
大豪邸の前に車を停めたカルムは気持ち悪そうに急いで車から降りた。
私も全く、同じ心境であったのでほぼ同時に降りると
ラルーが車の中から茶化してくる。
車内のあの“匂い”に誰が耐えられるか。
言っておくがこの車は借り物だぞ
汚しに汚しまくってどうする気なんじゃ、阿呆め・・・!
遠まわしにラルーを批判するカルムの一言に
“原因”は意味が分からないと言わんばかりに首をかしげる。
その、自分は常に何も悪くないという考え方は何なのだ・・・。
そんな自己中心的なラルーの思考について考えていると
「―――死神、ちゃんと連れてきたのでしょうね?」
気品溢れる声がそっと掛けられる。
その方を見れば
豪邸の開かれた扉の中から差してくる眩い光に目がくらむ。
光の中から姿を現したのは貴婦人の影のシルエット。
よく見えないが
その女性はゆっくりと、我々の方に歩み寄ってきたおかげで
ようやくその姿を捉える事が出来た。
品のある深い緑のドレスは美しい肉体を強調し
首にあしらわれた贅沢な宝石の数々は“死神”が好みそうな
綺麗な首を彩る。
雪のような美しい女性は今から舞踏会にでも行きそうな格好であった。
曇りのない肌、色彩の薄い蒼眼、豊かな髪の一本一本が輝く金
しかし、注目すべきはその美貌ではない。
自信に満ちた幸福そうな笑顔、巧みで引き込まれるような話術
常に人に愛される慈しみのある心の優しさ。
彼女こそが、エコフ・ローゼ夫人。
誰もが知る有名人であり、誰もが憧れる女性そのもの。
そのため、彼女は皆の人気者で
常にその周りには煌びやかな世界と、彼女を愛する人たちの姿があった。
かく言う私も、彼女の堂々と楽しく話す姿が好きだった。
まさか、こうして直接会えるとは思っていなかった。
「もちろん!
私の仕掛けた罠にあっさり引っかかったわ、あの間抜け」
「“死神”というのだから、
うっかり殺してしまうんじゃないかと心配していたけれど・・・
その心配は要らなかったわね?」
「これでもプロなんでね~?
・・・カルム! 気持ち悪いところ申し訳ないけれど
“奴”を連れてきて頂戴!」
夫人の最初の問いに答える死神はあどけない笑顔で
冷酷な悪口を叩く。
ラルーの指示に従ったカルムは
車の中から“奴”を引きずり出した。
奴はぐったりとした様子でカルムに引きずられるままに
エコフ・ローゼ夫人の前に連れられ、地面に跪かせられる。
その様子はあまりにも力なく、最初の強気な態度が嘘のようだ。
生気を感じさせない目は絶望に染まり、
カルムが離しても逃げるそぶりも、抵抗する様子もなかった。
彼にはもう、自力で立ち上がる力も残されていない。
彼の頭の中にあるのはきっと―――死神への恐怖心のみ。
もはや組織の親玉を務める気力など有さない廃人と化していた。
「・・・!
死神、彼に何をしたの」
「ちょっと私なりにお仕置きしただけよ?
この世界では割とよくある事だし
彼だって、承知の上でこの世界に入ってきたのだから問題ないわ
だから夫人? 彼に同情なんてする必要はないのよ?」
思わずエコフ夫人も驚くほどの有り様だった。
車中の悪夢を見せられた私からすれば
そんな廃人のようになって当然だと思う。
きっと、私でもあんな事・・・耐えられない。
思い出すだけでも嫌じゃ。
素直に認めよう、ラルー関連のトラウマがまた一つ増えたと・・・。
「・・・同情なんて、しないわ」
夫人はポツリと一言、そう漏らすと
手袋をそっと外し始めた。
それを見たラルーは跪いた男の髪を掴んで
無理やり膝立ちにさせる。
強引に上げられた顔は必死にラルーから目を逸らそうと
もがいた。
その瞬間、夫人は手をそっと上げると
それを振り下ろした。
痛ましい音が響き
男の顔に新たな衝撃が与えられ、男の目に涙が滲む。
夫人が男の顔を強く、はたいたのだ。
「お前のしたことを全て、死神に教わりました
その無様な姿は当然の報いよ」
「ひっ・・・!」
「私の娘にした事を悔いて、地獄を見なさい
私の娘だけじゃない
お前のせいで地獄を見た娘たちの分だけ苦しむのよ」
今の男にとって、死神だけでなく
全てのものが恐怖的に見えよう。
奴はとてもなく多くの人から恨みを買っている。
今までは闇の世界に身を隠していたから
何事もなかったが、今後は違う。
光の世界に引きずり出され、過去の悪行の全てを暴かれるだろう。
そして報いを受けて、罰を受けさせられる。
全ては夫人の名の下に。
彼女は娘の鬱憤を晴らし、
無念に散った多くの娘たちの仇を討ったのだ。
にしても、まさか夫人の娘にまで手を出すとは
あの男も不運だな・・・。
夫人の怒りを買ってしまったがゆえに、死神が動く事になったのだから。
「夫人、気は晴れた?」
「ええ・・・あとは警察に引き渡しましょう」
「・・・は?」
「え?」
「夫人、何を仰いますかぁ~!
あの男のあくどさは“裏”でも有名でした
何たって、有名人の娘から女殺し屋に
非戦闘員である情報屋に女ハッカーまで女と見れば手を出してたんです!
警察に引き渡したって豚小屋に死ぬまで飼われるだけ
そんなんじゃ、裏でハラワタ煮えくり返ってる人たちが収まりませんよ
この男は裏の人間ですから、裏の人間の手で始末させてくださいませ?」
「殺すの?」
「いえいえ、ただ殺すだけじゃ生ヌルい
かと言って私の下に置いておいても、
私は死神ですから何日も生かす事は出来ないでしょう・・・
だから、私は彼らを呼びつけたのですよ?」
夫人の依頼は
“攫われた娘の救出”と“娘を傷物にした男の社会的抹殺”
だから、この男をラルーは廃人同然になるまで拷問したのだ。
しかし、警察に男を突き出すつもりの夫人をラルーは止め、
更に男を地獄に叩き落すつもりのようだ。
ラルーが指さす方を見れば、黒塗りの車がもう一台
夫人の屋敷を目指してやって来ているのが見えた。
黒塗りの車は屋敷前にたどり着くと停車し、
そこから降りてきたのは見覚えのある屈強な男たちだった。
見覚えがある、といっても
私と男たちが面識を持っているという意味ではない。
彼らのような人間に前にも会った事がある、という意味だ。
・・・親切そう、とは間違っても呼べない風貌
通常の人間とは異なる雰囲気を持つ彼らは・・・ギャングだ。
「私は反社会的な人間に手を貸すつもりはないわ」
「もちろんですよ、夫人
貴女をゆすりに来たんじゃなくて
そこの男に用があるだけですよ」
降りてきた男たちに対し、堂々と協力を拒む夫人。
夫人は裏の人間ではないから、
彼らのような人間を快く思わないのは当然だ。
そんな反応に慣れている男は丁寧に
目的は夫人ではない事を伝える。
「ハロー! ひっさしぶりー!」
「久しぶり、死神ちゃん」
ラルーは元気よくギャングに挨拶すると
満面の笑みで男は返事を返す。
・・・ラルーはどうして、こうもギャングと仲良しなのか。
この組み合わせだけはどうしても納得がいかない。
ギャングの車に乗せられる廃人を横目に
ラルーは悠長にギャングの中から一人を引っ張ってくると
夫人に紹介を始めた。
「夫人、こちらは・・・まあ、見ての通りの人間
お前? こちらはかの有名なエコフ・ローゼ夫人よ、失礼のないように」
「言われなくても分かっている」
「まあ、素敵
礼儀が分かっている紳士は大切ね」
「死神に“礼儀”の概念もあったとは、こっちが驚きだ」
死神相手に皮肉を言う男は見るに肝のすわった人間のようだ。
いつぞやの連中と比べれば、風格があるようにも思える。
だが、私はこの男の登場に少し驚いている。
この事件・・・じゃない、
“仕事”にギャングたちが関係しているとは思えない。
なぜここで、ラルーが彼らを呼んだのか
理解に苦しむ・・・。
「夫人? ちょっとした交渉をしませんこと?」
「交渉とは、なんの話でしょう?」
「今回の仕事の代金について、ですよ~
私は殺し屋ですから“生殺し”でも代金はもらわないと!」
「・・・そちらの世界の基準は分かりませんが
いくらでもお支払いしましょう」
「いやいや、夫人からお金を受け取れないわ?
何たって夫人は“こちらの人間”じゃないし
私が欲しいのはただ一つ・・・夫人がお持ちのそのカードです」
突然にラルーは“交渉”を切り出すと
代金を支払おうとする夫人を止め
真っ直ぐ、夫人が持つ小さなカバンを指差した。
カバンを指差された夫人は動揺しつつも
恐る恐るカバンの中から一枚の紙を取り出す。
その紙は・・・パーティーの招待状であった。
私はそれを見てラルーが考えている事に察しがついた。
ああ、ここまで見せられれば
何がどういう事なのか、分かる。
招待状に書かれた“エコフ・ローゼ夫人”の文字を見れば・・・。
「夫人、あなたの憎き男は“専門職の方々”に任せてください
彼らならば私よりも最適に
あなたの復讐を代行してくれるでしょう」
ラルーは私の疑問を解消するかのように
夫人に状況を説明した。
ラルーは“死神”だ。
そう呼ばれるほどに、人を殺さずにはいられない。
いかに“拷問の天才”と評されるほどのサディストとはいえ
彼女に復讐を任せればいつまでも男を生かせる事は出来ないだろう。
それではラルーにとって“生ヌルい”
ゆえに
彼女は自分よりもずっと、精神的な抹殺に長けた連中に男を委ねるために
この場に彼らを呼び出したのだ。
「しかし、それでは私の“仕事”にしてはお粗末すぎる
だから代金を受け取るわけには行かないのです
私のした事といえば
男を拉致って、ちょっと遊んで、夫人の家に連れてきただけだし
ゆえに代金の代わりに貴女のささやかな協力をお願いしたいのです
無論、これ以上の協力は許されないというのならば
そうせずとも構いません」
とても丁寧で上品な口調のラルーは
いつになく優しい猫なで声で夫人に協力を申し込む。
その様子はさながら“おねだり”しているようで
夫人も断りづらそうな表情をする。
この女はやけに幼稚だから“おねだり”を断れば
あからさまに悲しみ、落ち込む様が目に浮かぶからだ。
夫人は静かに考え込む。
死神と呼ばれるほどの殺し屋に協力するか否か。
しかし、殺し屋と言うにはあまりにも子供っぽく
殺し屋らしからぬ彼女は一貫して友人のように接してくれた
そんな彼女の、控えめな提案を拒む理由はあるのか?
じっと夫人はラルーの真っ赤な瞳を見つめる。
ラルーはそれに対して“まさか断れるのか”と言わんばかりに
表情を曇らせる。
そんな可愛らしくて分かり易いラルーの反応を見て
夫人は不意に微笑む。
「分かりました
私の娘の仇を討ってくれたあなた方の役に立てるのなら、
どうか役に立たせて頂戴」
夫人はラルーの人となりを信用する事にしたようだ。
恐らく私が出会った人間の中で最も腹黒いのはこのラルーだ。
子供っぽい態度で人を油断させ、存分に利用する。
生粋の詐欺師にして、生まれ持っての殺し屋。
夫人を欺くのはとても心苦しいが、目的が目的だから仕方がない。
次の仕事であるパーティーでの暗殺には
エコフ・ローゼ夫人の協力は必要不可欠なのだから・・・。




