記録その弐拾弐 その者は“追憶”と云ふ蛇の王なり
「へぇ~、なるほど・・・
まさか、そういう事だったとは・・・
私とした事が見事に騙されちゃったね~!
お見事だ、さすがは“不明の悪魔憑き”・・・
お目にかかれて光栄の極みです」
あのあと、私は荒れるディアスに
“ラルーについて私が知る情報を教える”
という取り引きを持ち掛け、何とか落ち着かせる事に成功。
ディアスを連れ
へティー・ルアナの待つ有名高層ビルの最上階にある
高級レストランに戻り、カルムとへティーに事情を説明。
カルムは落ち込み
へティーは“面白いネタが出来た”と喜んだ。
情報屋へティー・ルアナは全ての話を聞き
ディアスの二つ名を特定し、それを口にする。
“不明の悪魔憑き”
ディアスは最初から“へティー・ルアナには会いたくない”と
嫌そうに零していたが、へティーに会わない事には
ラルーにも会えないと説明したら妥協してくれた。が、
私の隣に立つディアスはへティーのセリフを聞いた時点で
180度、回れ右をするとさっそく逃亡しようとした。
私は慌ててディアスのコートの裾を掴み
何とか逃亡を阻止したが・・・。
どれだけへティー・ルアナは毛嫌われているのか、よく分かった。
「のう、私は“不明の悪魔憑き”なる有名人を知らないのだが・・・」
「えっ・・・!?
知らないの!? それは情報に疎いなんてレベルじゃないよ!?」
「・・・なら教えてもらえないだろうか
へティー・ルアナよ」
「“不明の悪魔憑き”は文字通り
正体不明の、悪魔と契約を交わした謎の人間・・・
殺し屋としての腕前は完璧で
依頼人の望み通りの殺し方をそのままに殺ってみせたり
殺す事は事実上、不可能とされた人間を何人も殺していたりと
あまりにも凄すぎるものだから、ほとんど都市伝説化している存在なのさ?
でも、注意深く彼にまつわる話や痕跡を調べれば
実在する事が分かる・・・決して都市伝説ではない男だって確信出来る
都市伝説のような、でも都市伝説ではないレジェンド級の殺し屋・・・
意図して正体不明のベールを被っているから
情報屋としてはそれを暴きたい欲求が・・・
あー、今のは聞かなかった事にして!」
「好きで都市伝説化しているワケではない」
「おや、てっきりわざとなのだとばかり思ってたけど・・・」
「都市伝説だ、存在するワケが無いと騒がれていたから
それに乗せてもらっただけだ
おかげでクソ忙しかったのが、だいぶ落ち着いた」
ディアスの二つ名を聞いてもピンと来なかったので
へティー・ルアナに詳細を聞く。
よほどの大物なんだと思っていたが、そこまで言われているとは・・・。
へティーの話を聞いて本人が口を挟むと
へティーはさぞ嬉しそうな満面の笑みでうんうんと聞いている。
今日はへティーにとって最高の日なんじゃろうな・・・。
「カルムよ、へティーの警護中
何か聞かれなかったか?」
「何か聞かれなかったか、なんて話じゃない
ずっっっっっと・・・! 質問攻めに遭っていたし・・・!」
「それで何か答えたか?」
「・・・ちょっとは答えてしまった・・・」
「ほーう・・・・?」
「す、すみません、でも、重要ナ事ハ何モ話シテイナイ、ハズ・・・」
カルムを問い詰めてみれば彼も無事ではなかった。
吸血鬼の情報は情報屋にとって最高級品。
ゆえに、カルムが無事でいるはずもなかった。
へティーは情報屋としては敏腕なのだろうが
狙われる側からすれば恐ろしい情報屋だ・・・。
・・・もっとも、カルムの場合はあまり心配無かった。
彼は記憶喪失の吸血鬼。
自分の事は名前と、必要最低限の知識。
そして・・・常に心にある、言葉に出来ない喪失感。
その程度の事しか認識出来ていない。
いくらへティーが優秀な情報屋でも、カルムの秘密を暴く事は
恐らく不可能。
現段階では博士ですら、カルムが何者かを特定出来ていない。
博士殿は“作品”たちの研究の傍ら、
カルムの事を熱心に調べているにも関わらず、手がかり一つ掴めない。
本当に、カルムは何者なのだろうか・・・?
「それはそうと、イヲナ?」
「なんだ? “不明の悪魔憑き”よ」
「嫌がらせか?
・・・話を戻そう、ラルーに関する情報をくれるという話はどうなった?
出来れば彼女の生い立ちが知りたいところだ」
「ああ、そうだったな・・・
私でも彼女の生い立ちについては完全には分からないが
大まかな来歴は分かる・・・それでも良いか?」
「構わない、完全に分かるつもりはない
大まか程度が丁度いい」
「え、なになに!?
“狂気の死神”の半生を語ってくれるの!?
いよいよを持って君と彼女の関係が疑わしい・・・!」
取り引きをしてしまった以上、言い逃れは出来ない。
ここは私が知る限りの彼女の歴史を語るだけだ。
が、へティー・ルアナがいた。
こやつのせいで非常に話しづらい。
私はへティーを睨む。
ディアスはジェスチャーで“構わないから、話せ”と催促している。
・・・諦めよう。
あとでへティー・ルアナに口止めをしよう。
代わりに私の情報を掴ませれば満足するだろう。
「―――彼女が生まれたのは不吉な夜だった
その日は嵐で、雨風がうねり
稲妻が幾度となく轟き、非常に荒れ狂った晩・・・
それはまるで、“災厄が生まれる”と
神が警告しているような・・・又は、悪魔が喜ぶような
暗い暗い嵐の夜・・・
その日、その時に、後に“死神兄妹”と呼ばれる最悪の双子は誕生した」
私は、真っ白だった頃の彼女を語る。
私が出会った誰よりも数奇であり、憐れな・・・
“白く”そして“黒く”在ったラルーを・・・。
・・・・
生まれた双子を見た“母”になって間もない女は絶句した。
男女の双子は髪も、肌も病的なまでに真っ白だったからだ。
女は双子の男児の方を抱き上げ
“父”になって間もない男に叫んだ。
「これ、アンタには治せるでしょう!?
治せないとは言わせないから!!」
女の叫びに男はうんざりとしたような顔をする。
深い“緑”の瞳を、ゴミのようにうち置かれた女児の方の子に向け
「・・・こっちの方の子はどうする?」
男は“娘”に目を向けるが
決して触れようともしない。
そのセリフと言い、その態度と言い
双子の子供が誕生した父親のモノとは程遠く
異様でしかない様子に、子供を取り上げた医者、看護師たちは動揺した。
彼らが何よりも恐れただろう言葉を
次の瞬間、呆気なく女・・・“苧環 水仙”は言い放った。
「いらない。」
男児の方はいるのに、何故、女児の方はいらないのか。
両方共、同じ先天性の病に侵されているのに。
その場にいた医者たちは疑問に思っただろう。
しかし、この夫妻にとって先天性の病よりも
生まれたのが男女の双子だった事が大問題だったのだ。
彼らが欲しかったのは息子であって
娘は求めていなかった。
男・・・“シース・F・クレイン”は優秀な博士。
彼が欲したのはあくまでも自分の後継者となる息子。
“苧環 水仙”が欲したのは愛くるしい愛玩動物のような子供。
その際、娘だと美しく成長したりすると嫉妬のあまり
愛でられなくなるので、息子の方が好都合だったに過ぎない。
ハッキリ言って異常な夫婦はこの点では
これほどに無いまでに利害が一致していた。
彼らにとってこの真っ白な娘は“娘”ではなかった。
そのため、娘は名も付けられずに
“父親”の研究で、使い捨ての実験動物である事を前提に
夢の研究の、最初の実験にかけられた。
この最初の実験の成功率は限りなく無いに等しく
名前すらない娘はこの実験で死ぬはずだった。
・・・しかし
娘は死なず、実験の結果
脅威的な“能力”を得た。
それは奇跡的な成功だったが、彼女からすれば最初の不幸だったろう。
魔法のような力を得た、名も無い少女は
かくして、“最初の作品”として死ぬ事も許されず
白い部屋に幽閉される事となる。
親に愛されず、人と関わる事もほとんどなく
少女は呆然と虚ろに育った。
その頃になれば、研究員は皆 口を揃えて言った。
“子供なのに、笑う事もない
どんなに辛い実験を試されても泣きもしない
なんて気味の悪い子供なんだ”
ゆえに、研究員は彼女に情けをかける事は無かった。
誰も彼女をどうにかしようとは思わなかったのだ。
彼女の在り方を気味悪がる者はいたが、
それを改善する努力をしようとした者は誰一人いなかった。
あるとき、少女が閉じ込められていた白い部屋に
一人の少年が入れられた。
そんな事は始めての事だった。
そこに、深い意味はなく
単純に部屋数が足りなかったので、少女の部屋に少年を入れただけ。
ただの偶然に過ぎなかった・・・が、この出来事が少女を大きく変える。
笑いも泣きもしない“少女”は昔から
“自分には、ある誰かの事が事細かに分かる”
と、主張して止めなかった。
同じく、笑いも泣きもしない“少年”もまた
“ずっと昔から、自分と同じくらいの女の子の事が見聞きし、感じる”
と、うわ言のように繰り返した。
くしくも、少女の部屋に入ったのは
同じような主張をしていた少年・・・少女の双子の兄だった。
少女を最初の実験にかけ、
不本意の成功を遂げた博士は次に
息子となる男児の先天性の病を治す実験を試す。
理論上は成功するはずだった。
が、何の間違いなのか・・・中途半端な結果に終わった。
真っ白な髪は本来の髪色なのか、黒に染まったが
異様に白い肌や、紅い瞳はそのまま。
半分成功して、半分失敗したのだ。
博士はその結果に、
自分が欲していた息子すら見切りを付けて
実験動物として使い捨てる気で、再び夢の研究の実験に実の子をかける。
すると、
またもや実験は成功してしまう。
不本意な成功・・・。
そのためか、男児は怨みを体現したような力を得て、
結局、名前も与えられず・・・彼も少女同様に虚ろに育ったのだ。
両者がお互いに“繋がり”を持っていた者同士だった事が発覚するのに
時間はかからなかった。
少年と少女は白い部屋の片隅に身を寄せ合い
孤独な今までとは違う、その喜びを分かち合った。
互いに、“無”の中で育った。
それでも、永遠の無は存在しないように
この双子は互いが兄妹だと知らずとも、必然的に相手を気にかけるようになった。
何においても無関心を決め込んでいた子供たちが
突如、実験中に“早く終わらせてくれ、あの子に会いたい”と訴えるようになり
その大きな変化は博士の耳にまで届くほど騒がれた。
ある日、始めて2人揃って実験が行われた。
何か異様な空気を感じ取ったのか
この日、少女は控えめに少年の背中で隠れて顔を俯かせ
少年は少女のそんな態度に周囲の大人に対して警戒を怠らなかった。
白い部屋の中央に置かれた銀のテーブルと向き合って配置された
無機質な二脚の椅子。
その一方には既に何者かが座り、少年と少女を待ち構えていた。
その何者かは、ちらりと少年と少女の姿に目をやると
感情を感じさせない声で言う。
「“最初の作品”
そこの椅子に座りなさい
学習プログラムで学んだはずだ」
その声に、少年の背後で怯えていた少女は震えた。
しどろもどろに、慣れないような口調で
「イ、ス・・・は、学び、ました
プログラム・・・で・・・」
少女は精一杯、不必要な返答を返し
そっと少年の眼差しに見送られながら
挙動不審に周囲を見回しながら、慎重に指示通り椅子に座り
顔をすぐに伏せた。
それは、誰も信用していない現れ。
だが、そんなわかりやすい感情的な態度は今までとは全く違っていた。
「・・・初めまして、お前が赤子の頃に会ったが
こうして物心がついてからは始めて会う
“最初の作品”今日はお前の能力を強くする実験を行う」
足を組み、左肘をテーブルに預け
右手に持つ資料に目を通す男は他人行儀な流れ挨拶をする。
その目を目の前に座る少女に一切、向けず
つまらなさそうなその態度は室内の壁沿いに並んで、
メモを取り続ける研究員たちとは一線を博していた。
「・・・分かり、ました
私は・・・な、にを・・・」
「私の指示に従っていれば良い
簡単な実験だ、だが、つまらなく始めてつまらなく終わらせるのは退屈。
少しばかり話をしようか、“最初の作品”は言語会話に慣れていないからな」
「申し、訳・・・ありません・・・」
「“最初の作品”
お前は超常的な力を使うが・・・
それを使用するたび、何かを消耗している感じは無いのか?」
「しょう、もう・・・?」
「使えば使うほど、疲弊したり
精神が削られるような感覚は?」
「・・・無い、と思われ、ます・・・」
「何も消耗せず、無限に力を発揮すると?」
「場合に、よります・・・」
「場合による?
その“例外”はどんな力を使った時だ?」
「・・・いろ、いろ・・・です・・・」
「全部、聞こう
時間に余裕はある、お前の話は有意義だ」
男は丁寧ながらも、無感情に質問を重ねる。
だが、極力少女が怯まぬように気をつけて優しい口調を心がけていた。
少女は相変わらずのしどろもどろな
ぎこちない喋り方で男の質問に必死に答える。
伏せた顔を少しだけ上げて、紅い瞳で男を覗き見てすぐに目を逸した。
「・・・黒、い蛇を、出すと、目が痛くなり、ます・・・
そういう時、は・・・いつも“目”の力を、使おうとする時・・・
蛇は、“お前にはまだ早い”って、言います・・・
でも“才能があるから、心配しなくてもすぐ目も使えるようになる”
とも・・・」
「黒い・・・蛇だと?」
「っ・・・!
は、い・・・影みたいな蛇が・・・」
「・・・・それ以外は?」
「え・・・?
あ、その・・・分からない、映像と音、を見ると・・・
頭が焼けそうになる・・・」
「映像?
どんな映像だ?」
「・・・色々、です・・・
炎と、鈴の音に、白い槍とか・・・
黒い服と御札・・・あと不思議な動き方が」
「不思議な動き・・・?」
「・・・あの、三角のヒラヒラと鈴が付いた物を振りかざして・・・
くるくるーって・・・!」
「・・・再現は出来るか?」
「できる・・・でも、ヒラヒラが無いと・・・」
「・・・ヒラヒラ・・・?」
恐ろしく曖昧な表現に
男は始めてその目を少女に向けた。
呆れ果てた眼差しを向けられた少女はその視線に目を合わせ
不思議そうに見つめ返す。
無表情ながらも、目の前の男に関心があるのか・・・ジッと目を離さない。
不思議な力を帯びた紅い瞳は鏡のように映るモノを捉える。
男は少女と目を合わせてから、
僅かに目を見開いて固まったように動かない。
時間がまるで、遅くなったかのように
長い“無”の瞬間は続いた。
彼女の力が行使されたのか、そう錯覚するほど不思議な時間が流れた。
が、その静寂は
それを作り出した主が不意に打ち破った。
少女はおもむろに男の目を指差して言い放つ。
「・・・綺麗、な・・・色・・・
始めて、私、見た・・・
私と、“第2の子”は紅くて・・・
私の白い髪と、彼の、黒い髪・・・
知っている・・・色は、それだけだから、不思議・・・」
その発言に誰もが息を飲んだ。
意図が分からないにせよ、今まで誰にも興味を示さなかった少女が
“他人”に強い関心を持った瞬間だった。
研究者たちは一斉にペンを走らせる。
さながら古き良き時代の記者のように。
今起きた衝撃的な出来事を書き留める・・・。
男も、今まで退屈そうにしていたが
研究者たちと同じようにペンを取り、
資料に思い浮かんだ推論を書き上げた。
“最初の作品”は今までに
赤と、黒と、白の3色しか見ていなかったのか?
それとも、人に色を見出す事で
独自のコミュニケーションを図ろうとしているのか?
どのみち、“最初の作品”にとって“色”は別の意味で重要な情報のようだ。
彼が資料に書き込んだ文章はたったのこれだけ。
だが、その読みは正しかった。
「この色は“緑”という
植物によく見られる色彩だ」
「緑・・・
植物は、見た事、ありませんが・・・
素晴らしい色・・・」
微かながら、少女は他人に心を開いたのだ。
“色”を印象付ける事で
少女は顔を上げ、しっかりと向き合った。
誰も信用していない事は無表情ながらも感じられていたからこそ、
彼女の無表情が他人の可能性を見出した事は
目に見えてハッキリと分かった。
その無表情は今にも、柔らかい笑みを浮かべそうなほど
ほころんでいた。
一度も微笑んだ事が無い少女の笑顔が見れたやも知れなかった。
・・・が、結局
彼女の笑顔が研究者たちの目に触れる事は無かった。
あったとしても、それは後の・・・“狂笑”という
笑顔とは形だけの憎悪の表情だ。
「“最初の作品”手を差し出せ」
「・・・?
は、い・・・」
男は不意に
そう少女に指示を送る。
少女は疑問に思いつつも
無表情を崩す事なく、真っ白な手のひらを差し出した。
何の警戒の色も紅い瞳には無い。
男を信じて
完全に油断しきった、まさにその瞬間。
男は身にまとった白衣のポケットを漁り
何かを取り出すと、すぐにそれを少女の手のひらに振り下ろした。
衝撃と、強い音が、突然の凶行を彩った。
振り下ろされたのはドライバー。
金属の棒状が、
少女の白い手に深々と突き刺さった。
白い手から溢れる多量の紅。
少女の無表情は大きく歪み、紅い瞳が涙で揺らぐ。
突然の衝撃を理解出来なかったのか
言葉にならない悲鳴をあげ、立ち上がると紅に染まる手を押さえつける。
状況を伝えるために少女は言葉を口にしようとするが、どうしても言葉にならない。
衝撃のあまり口が震え、乱れた呼吸が言葉を邪魔する。
ただただ、涙と血が溢れ
少女の意識は混乱と恐怖に苛まれ、理解不能な感覚に震えていた。
「“最初の作品”
その感覚は“痛み”というモノだ
肉体が傷付けられた時に発生する苦痛・・・
人間なら誰しも逃れる事が許されないショックだ」
「・・・い、たみ・・・!?
痛み、です・・・助けて・・・!」
「痛みから解放されたいのなら、黙って手を差し出せ
さもなければその手はもう二度と使い物にならなくなるぞ」
「うぅぁ・・・!」
恐らく少女は生まれて始めて、“痛み”を味わったのだろう。
無表情は歪み、パニックにより呼吸が乱れていた。
その尋常ではない様子に少年は叫び声を上げ、少女に飛び掛ろうとしたが
研究者たちが必死に少年を押さえつけ、“実験”を継続させる。
恨めしそうに少年は緑眼の男を睨み付ける。
その、少女と同じ紅い瞳には激しい炎のような怒りが宿されていた。
今の彼ならば、男を惨殺しかねない。
少女は少年の姿を見て、痛みに震える血塗れの手を動かせないでいた。
それも無理はない。
つい先ほど、不意打ちでこんな苦痛を加えた男に再び手を差し出すなど
とてもではないが、“勇気”が必要だった。
「・・・ほう、簡単には信用しないか
ならば仕方がない、“第2の作品”を差し出せ
彼にも同じ“痛み”を経験してもらおう」
「だ、め・・・!!」
「・・・なら、どうするべきか・・・
その程度は分かるだろう?
分からないのであれば、さすがに“もう一度”見切りを付けるぞ」
「・・・っぅ・・・!」
男は研究者たちに少年も差し出すように言うと
少女の不信に満ちた眼差しに焦りの色が現れた。
慌てて少女は男の声を遮るように叫んだ。
冷たい緑眼には感情が感じられなかった。
淡々と、仕事をこなすように・・・少女に脅しをかける。
感情が高ぶった犯罪者なんかとは比べ物にならない気迫がそこにはあった。
そんな凍りつくような残酷さに
少女は観念して、激痛に震える手を差し出した。
男は差し出された か弱い手をむしり取るように掴むと
まだ突き刺さったままのドライバーを躊躇なく引き抜く。
再び加えられた激痛に少女は悲惨な叫びと、か細い呻き声を漏らす。
男は白衣のポケットを再び漁ると
取り出したのは電動式の特殊な注射。
鋭い針を見て、少女と少年は“裏切り”を噛み締めた。
あからさまに嫌な顔をしたのが
よく見えた。
男はそんな確信した疑惑の目を向けられても気にせず
少女の首を鷲掴みにし、首に直接、薬剤を注射した。
さっきと比べるには些細な痛みに少女は目を見開いて驚きの表情を見せた。
注射を終え、少女を乱暴に離した男はすぐに資料に様々な見解を書き込む。
離された少女は震える血濡れの手を見つめる。
小さな手に空いた穴は見る見る内に塞がり、次第に痛みも引いていった。
あとに残るのは凄惨な苦痛を物語る大量の血液だけ。
少女は疲れ果てた様子でふらふらと少年の方に歩み寄る。
“実験”の結果を確認した研究者たちは少年を離し、
それぞれの仕事に戻っていた。
ふらふらと今にも倒れそうな少女を抱きとめる少年は力一杯に少女を抱きしめ
無力な自分を悔いる言葉と、助けに入る事が出来なかった謝罪を繰り返した。
「・・・身体に異変はないか?
後遺症があるのなら、報告をしろ」
資料に細かい字を書き込みながら
男は無機質に親切心の欠片もない心配の言葉をかける。
無論、口だけの・・・文章で見れば心配の言葉だが、そこに“心配”の感情はない。
ただ、先ほど使用した薬剤のデータを取るための
冷酷極まりない言葉。
「後遺症・・・あ、りません・・・」
「そうか、ならコレは使える
今度は生きた生身の人間にも試そう」
「・・・私は、人間じゃ・・・ない・・・?」
「ああ、お前は“最初の作品”
大切なモルモットだ、それ以上にも、それ以下でもない」
「・・・そう、ですか・・・」
もはや意識は朦朧としているのか
はたまたは、呆然と考える事を放棄したのか
少女は淡々と、男の質問に答えを返す。
血は止まったが、虚ろな紅い瞳から涙の色は失せる事は無かった。
「・・・ふざけるなっ・・・!」
空気を切り裂く激情の声。
少年は無感情な少女とは違い、激しく怒り狂っていた。
「なんでこんな目にあわなきゃならねぇんだよ・・・!
僕らは何もしていないのに、僕らは何も知らないだけなのに!
空は青いんだろ! 外は木々がお生い茂り、風が吹く・・・!
だが、僕らは空の青さを見た事はない
人よりも大きな木どころか、植物だって・・・!
風も、太陽の光も感じた事はない・・・
お前たちの“当たり前”が、僕らには“非常識”だ!
僕らだけが、世界から決定的にずれている!
世界から取り残され、遅れている・・・!
だから、僕らを外に出してくれ!
そして、もう二度と僕らに構わないでくれ!
こんな意味もわからないまま、苦しむために僕らは生まれたわけじゃない!」
少女とは違い、流暢に綺麗な言葉を並べ
不平等を熱弁する少年。
悲痛な叫びだった、憐れみを誘うほど上手な言葉の重ね方。
だが、その言葉はたったの一言で打ち砕かれた。
「何を言っている? お前たちは、苦しむために生まれたんだぞ?」
その言葉に、少年は希望を壊された。
そもそも、彼らにとって少年と少女は人間ではなく“使い捨ての実験動物”
どうやっても自由になる事は叶わない。
人間のような、幸福の恩恵を受ける事は許されない。
何故ならば、生まれついたのが白い姿だから・・・。
少年と少女は思った。
“嗚呼、呪われているんだ”
そう思わなければ耐えられないほどの悲しみだった。
「・・・だが、“第2の作品”
お前のスピーチには少しだけ感動した
“最初の作品”と比べ、語学力が発達している・・・
ここまで賢く、知恵を欲する姿勢は喜ばしい限りだ
せめてもの慰み物に、双子兄妹同士、仲良く同じ部屋で暮らす事を許そう
“父親”として、“息子”の成長に感激したぞ」
無表情なのに、“喜び”を語る緑眼の男の話を聞いた
少年と少女は動揺を隠せなかった。
少女はぼんやりと空を見つめていたのに、震え、顔を俯かせた。
深く・・・深く・・・。
「僕、らは・・・双子兄妹・・・?
お前が、僕らの・・・父親だと・・・?」
「なんだ、知らなかったのか
まあ、無理もない
いくら記憶力を強化していたとしても・・・
目も開いていない赤子の頃の記憶は皆無に等しいだろう
私の名は“シース・クレイン”
血縁上にも、生物学的にも、お前たちの父親だ
だが、これからは“父親”としてではなく
お前たち“作品”の研究を進める“博士”として接する
くれぐれも私を父親と思うな、お前たちは子供であって子供ではない
あくまでもお前たちは“実験動物”だ」
男・・・博士は淡々と残酷な真実を幼い子供に叩きつける。
少年は震える言葉で、真実を受け入れられずに
ただ腕に抱く少女を見下ろす。
「・・・本当に、後遺症は無いのだろうな?」
博士はより冷たい言葉で少女に話しかける。
そこに“父親”らしいモノは何一つ、存在しない。
そう、博士が自分で言ったように
“親子であって、親子ではない”
「後遺症・・・?
いい、え・・・無い、そんなもの、無い・・・
痛み、も・・・震えも・・・何も、無い・・・」
「・・・拒絶反応も無いのか
少しくらいは拒絶反応がありそうなものだと思っていたが・・・
元より、“最初の作品”は“感染”に抗体があるのか・・・
いずれにせよ、血液を採取して調べよう
人間でもコレを試さない事には何も分からない」
「・・・拒絶、反応・・・?」
「コレは“吸血鬼”の治癒力を応用して
人間にも使えように開発した試薬
“吸血鬼”の治癒力を元に作られた薬だから
一時的に“感染”症状が現れるか、もしくは強烈な拒絶反応を予想していた
なのに、それが“全く無い”というのは理解に苦しむ・・・」
「・・・能力を、強化する、話は・・・どう、したの・・・」
「ちゃんと強化したぞ、“治癒能力”を・・・
能力は能力でも、お前たちの“力”はメカニズムが完全に分からん
手の付けようがない」
博士は知識を披露する事が好きなのか、
クセになってしまっているのか
残酷な宣告がウソだったかのように
少年と少女の質問や疑問に丁寧に答えた。
少年の話を聞いて
“知識を欲する姿勢は喜ばしい限りだ”
と述べたように
その点を伸ばそうとしているのか・・・。
衝撃と恐怖に支配された2人は現実逃避に
博士の話を黙って聞くしか出来なかった。
2人はどう抗っても逃れられない、そんな諦めが虚ろな紅い瞳に巣食う。
それでも、
少年と少女の紅い瞳に取り憑く“憎しみ”の色は現在も衰えを見せていない。
この2人はこの件をきっかけに、他人を容易に信用する事が出来なくなった。
信じられるのは血を分けたお互いだけ。
他人を信用しなくなったと同時に、両者の依存度は飛躍的に高まった。
以降の実験に対し
2人は積極性をこれっぽっちも持たなかった。
実験参加を拒否したり、
参加しても、妨害を謀ったり・・・。
研究の邪魔を繰り返したため
博士は2人の“痛覚”を強化させ、
通常感じる苦痛よりも遥かに激しい激痛を感じるようにさせると
“傷つき、痛みを受けたくなければ黙って協力しろ”
と、脅し
強引に実験参加を強制した。
賢明な少年は形だけ従順に振舞った。
しかし、少女は少年のように賢く振舞う事が出来ず
実験参加を拒否し続けた。
そのため、少女は博士によって延々と苦痛を伴う実験を受けさせられた。
如何なる毒も、薬も効かなくさせ
麻酔も効かなくなった少女を“意識がある”状態で手術したり・・・。
能力の殺傷性を確認するために
完全に拘束し、適当に作り上げられた化け物がひしめく部屋に閉じ込め
化け物によって苦しめられる恐怖を刷り込み、化け物を殺させたり・・・。
少年と違い、少女は悪夢のような苦痛を受け続けていく内に
如何なる苦痛にも耐えられる精神を得た。
この頃の少女は完全に“怪物”と恐れられ
身体を化け物に貪られながらも
淡々と素手で殺す姿は・・・“人”とは呼び難かった。
人として育てられた猿が、人のように振舞うように・・・。
怪物として育った少女は怪物たる精神を磨いていた。
生まれた時から狂気を孕んでいたという少女が有する狂気性は日に日に増した。
最初は化け物を殺す時は無駄なく一瞬で終わらせていたが
次第に“楽しむ”事を覚えたのか、じっくり痛ぶってから殺すようになり
やがて、“拷問”の才能を開花させた。
その頃から、少女はどこかおかしくなっていった。
実験に参加しても、勝手な行動を貫き通し
結局、実験どころでは無くなり・・・
博士による手術を受けても
想像を遥かに越える激痛を加えられているにも関わらず
抵抗一つせず、ただ淡々と“私の弟はどうした?”と繰り返すばかり。
もはや会話一つ、成立しなくなっていた。
結果・・・博士は諦めた。
彼女が知るはずの無い、“弟”の存在を認識し
言葉一つ通じないほどに気が触れている様子。
これ以上、少女を外部と接触させ続けていれば危険と判断した博士は
少女を実験に起用しない事を決めた。
ただし、その決意は僅か数ヶ月で破られる事となる。
少女を実験に参加させなくなってからというもの
研究は非常に行き詰ってしまった。
最初の作品がそこまで重要な存在だったのか。
誰もが疑った。
あのような怪物が必要不可欠な研究をこれ以上、押し進めても良いのか。
そんな状況の中、博士は賭けに出た。
数ヶ月ぶりに少女を実験に参加させたのだ。
しかし、その実験で一人の女性研究者が犠牲になった。
始めて実験で死者が出たのだった。
だが、何も少女が研究者を殺めたワケではなかった。
あれは悽惨な事故・・・。
決して少女は悪くなかった。
が、この実験を切っ掛けに少女は少年から切り離され
地下の倉庫に幽閉された。
以前の、白い部屋に閉じ込められていた時とは違う。
倉庫から一歩も外に出る事を許されず、“入る”事も出来ない。
それは、飢えて死ね。
という意味。
彼女はとうとう、その命まで見切りを付けられたのだ。
地下の倉庫に幽閉して
14日間、少女は放置された。
そして、14日目の夜
私は博士に命じられ、少女の死体を確認するため
倉庫の扉を開け放ち・・・私はこの目を疑った。
・・・そこには、“何も無かった”
あるはずの少女の死体も、
彼女がそこに居た痕跡すら・・・。
私は博士にその事を報告。
博士も何が起きたのか、理解出来ずにいた。
“天才”と謳われる博士の想定を容易く越える“最初の作品”・・・。
彼女はその日を境に忽然と姿を眩ませた。
彼女にとってこの研究所こそが地獄。
そんな彼女が行方を眩ませたとするのなら
外へ逃げた、と考えるが妥当・・・。
我々はその日から、密かな大捜索が始めた。
万が一にも少女と少年が脱走した際に備えて
2人に着せていた服は“白”の特異な服装。
本人たちはそれが普通に思っていても他人から見れば目立つ姿。
だから、見つけるのはとても簡単だったはず・・・。
捜索開始から一週間が過ぎた。
にも関わらず、手がかり一つ判明しなかった。
白い異様な服に、
伸ばしたままにした長い白髪と白い肌、そして恐怖心を起こすような紅い瞳。
そんな真っ白な少女が誰にも気付かれずに逃げ続けている状況は異常であった。
あからさまに病的な容姿で病衣のような格好をしていれば
必ず見掛けた人は少女を“病院から脱走している患者”と認識する。
そうすればすぐに警察に通報などをするはず。
例え、一人がそうしなかったとしても
ここは“都会”だ。
大勢の目に触れているのは間違い無い。
一人が何もしなかったとしても、他の誰かがそれをする。
必ず少女は捕まえられるはずなのだ。
一週間が経過しても、情報一つ手に入らない・・・。
明白な異常事態。
考えられる原因は・・・。
“少女は能力を駆使して逃走している”
答えが出ると、我々は落胆した。
普通の人間では少女を捕まえるどころか、発見すら出来ないからだ。
彼女を捕まえられるとしたら・・・。
それは彼女と同じ“力”を持つ者だけ。
現時点で“最初の作品”を発見する方法は2通り。
博士はその内、実現不可能と思われる方法から当たった。
彼は分かりきった失敗と認識していてもソレを100%否定するため
まず、そういう選択から潰していく。
その方法は“第2の作品”に協力を仰ぐ事。
だが、予想通り
少年に協力を仰いで見ると
「あの子は貴様に勝ったんだ
もう今さら、どんなに探したって見つかんないぞ
僕が協力したとしても、だ・・・
もっとも、協力するなんて事の方がずっと有り得ないんだけど」
さも当たり前のように
少年は協力を拒んだ。
そして不敵に笑いもせず、ただ淡々と“少女は見つからない”と断言した。
・・・・少年と少女には強力な能力じみた“繋がり”がある。
今、思い返せば少年には少女がどこにいるのか常に認識していたのだろう。
だが、当時の私たちに、その繋がりに気付くほどの余裕は無かった。
最後に、博士はもう一つの方法を選んだ。
それは“最初の作品”及び“第2の作品”に匹敵する才能を持つと予想された
“第3の作品”に協力を仰ぐ事。
協力を仰げば、“第3の作品”は決して拒まない事を博士は知っていた。
しかし、協力したとしても見つかる保証は無かった。
何故なら、あくまでも
少年と少女に匹敵する才能を持つと“予想”されていたに過ぎないからだ。
実際にそれだけの才能があるのかは使ってみない事には分からない。
ゆえに、この場面で始めて“私”は重大な仕事を任されたのだ。
“第3の作品”は持てる力全てを使い
少女の行方を調べた。
30分で、研究所がある国内の何処にも少女はいない事が判明した。
1時間で、周辺国にも少女がいない事が判明。
更に2時間で、北半球のどこにも少女がいない事が判明。
私は次に南半球の方を調べようと思っていると
博士によって止められた。
あまりにも効率が悪い上、少女確保が夢のまた夢だと把握したので
“最初の作品”はひとまず諦めよう。
と・・・。
元より“廃棄”する予定の作品。
それがどうなろうと、結局はどうでも良かったのだ。
それから一ヶ月が経過した。
なおも“最初の作品”は発見どころか、情報一つ入らなかった。
異常事態を通り越して、“神隠し”という異変に様変わりしていた。
だが、唐突に事態は大きく進んだ。
私は“第3の作品”として実力を認められ
少年と少女と違い、博士に忠実だったこともあり
忙しい日々を過ごしていた。
それでも、私には毎日欠かさない習慣が出来ていた。
それは少女が幽閉された地下の倉庫をチェックする事。
皮肉にも、いるはずの少女が“神隠し”のように忽然と消えていなくなった
かの事件は私にとって大いに衝撃的であったと同時に、唯一の心残りとなっていた。
結局、少女はどこに消えてしまったのか。
どうやって密室から抜け出す事が出来たのか。
無事にこの研究所から脱出したとして、どのようにして生き延びているのか。
疑問ばかりが胸に募った。
私は事件を“発見”した者として、“全ての最初の場所”を見直せば
何かが分かるのでは? と間抜けにも、そう思っていた。
が、その考えは間抜けではなかった事がこの日、証明されてしまう。
いつものように、鍵を使って冷たい金属の扉を開け
ホコリの積もった倉庫内を見渡した。
いつもと同じ行動。
いつもと同じ様相の場所。
だが、一つだけいつも通りではなかったモノがあった。
室内に散乱している木箱の一つに腰掛ける
真っ白な肌に、長い白の髪を垂らした紅い瞳の少女。
彼女は何の違和感もなく、そっとそこにいた。
大きな宝石のような美しい瞳をこちらに向け
不思議そうに、微かな笑みを顔に張り付かせて
少女の小さな口が開く
「そこの仮面の貴殿よ
どうか博士殿にお目通りさせて頂けないかしら?」
かつての、しどろもどろで音声会話が不得意な
狂気の少女はほとんど別人になっていた。
丁寧で上品な言葉遣い
その言葉には威厳を感じさせられる。
無表情でいつも淡々としていたのに、
微かな笑みを不敵に浮かべて真意を読み取らせない。
この一ヶ月と二週間の間、彼女に何があった・・・!?
再び、私は言葉に出来ない衝撃を味わった。
それは稲妻に打たれるような、だが逆に身をじっくりと焦がされるような。
自分の身体が思い通りに動かなくなるほどのものだった。
気付けば、私は夢遊病患者のようにフラフラと
少女を博士の元まで案内していた。
いるはずのない少女がいなくなったかと思えば
戻ってくる事こそ有り得ないとされた少女が戻ってきた。
完全にその行動は予測不能だ。
だからこそ、きっと私は少女と対面して
マトモな思考回路を失うほど驚愕してしまったのだろう。
こんな体験は後にも先にも、これっきりだった。
博士は私の様子を見て
目を見開かせて“何事だ”と驚いたのだって、この時だけ。
博士は誰も自分の研究室には入れないというのに
この時だけは少女を自分の研究室に招き入れ
二人きりで話をしていた。
その時、どのような会話があったのか
外で待つように言われていた私には知る由もない。
ただ、豹変した少女は博士を変えた事だけは分かった。
外で待機してしばらくの時間が経過すると
博士の研究室内が騒がしくなる。
私は不可解に思い、扉を前に室内を伺っていると
不意に扉が開け放たれ、中から少女が飛び出してきた。
扉の前に立っていた私と、部屋から飛び出して来た少女。
どうなるかなど明白だ。
少女と私は正面衝突してしまう。
そして体格差で、私は少女を受け止める形でその行く手を遮る。
私より遥かに身長の低い少女は私に弾き返され
何事かを認識するべく、その紅い瞳を私に向けてくる。
紅い瞳は涙で潤み、大粒の涙が頬を伝っていた。
何をされても決して涙だけは流さなかった少女の涙に
私は更に混乱した。
一体、博士とこの少女の間にどのような会話が交わされたのだ?
そんな疑問が私の思考をあっという間に覆い尽くす。
しかし、どんなに考えようとも答えなど分かるはずもない。
「イヲナ、最初の作品を捕えろ」
研究室から響く冷めた声。
私はその言葉に、もう考える事を止め
目の前の少女を拘束した。
そのか細く白い腕を強引に掴み
近くの壁に少女を押し付け、身動き一つも許さなかった。
下手にもがけば腕の骨が折れるほど強固に捕らえた。
それは実験で暴れる少女によく使われた拘束法だ。
ゆえに、もがけば骨が折れる事は少女にはよく分かっていたはず・・・。
だが、何故
なおも抵抗をする?
何故、そう必死になって解放を訴える?
あまりにも少女は変わりすぎていた。
疑問ばかりが次々に湧水のように浮かぶ。
私はこの時から、この少女を“知りたい”と思うようになっていた。
これほどにまで不可解な存在は知らなかったから。
彼女の存在そのものを紐解きたいと、始めて私は研究者らしい感情を抱いた。
泣きながら必死にもがく少女を強引に押さえつけている内に
大勢の研究員が集まったので、複数人の男性職員で協力して
やっと少女を完全に拘束した。
少女を博士の命により少年がいる部屋に入れると、
これからの研究方針の変更を博士は宣言した。
最初の作品が戻った事で研究が大きく進んだ。
最初の作品無くしてこの研究は無い、と断言する者が現れるほど
少女は結局、研究には必要な存在だったのだ。
博士が大々的に研究方針の変更を宣言して間もなく
私は博士に呼び出された。
呼び出されるような失敗は犯した覚えがなかったため
意味も無く緊張していた。
博士殿は確かに尊敬する人だが、どうも気を許す事が出来ない。
どうしても、緊張をせざるを得ないような重たいプレッシャーを放つ人物。
そのため、“天才”として尊敬の目を一身に浴びるも
親しい友人と呼べる人間は見掛けた事はなく、博士自身もよくわからない人だ。
「イヲナ、お前の能力で最初の作品のように姿を眩ます事は出来るか?」
「・・・最初の作品の失踪を解き明かせるとは思えません
私と彼女では性質そのものが異なるように見えます」
「今さら私は実験動物の失踪原因を解き明かすつもりはない
私が知りたいのは、お前にも同じような事が出来るかだ」
博士は淡々と、冷たい口調で
私を問い詰めるように、尋問した。
緑の瞳が決して私に向けられる事はなく
手元の端末に並ぶ数字と英語の羅列に落とされていた。
何かのプログラムだろうか・・・。
「・・・出来る、と思います」
「そうか、ならばそれは瞬間移動のようなものか?
それとも・・・ただ単に姿を隠すだけのものか?」
「姿を隠す事も、瞬間移動も出来ます」
「ならば、今すぐ“瞬間移動”でここにあるという石像を回収して欲しい」
「はい・・・?」
「座標はこの紙に書いてある
石像には傷一つ付けるな」
「今すぐ、ですか・・・」
「ああそうだ
今すぐに、ここにある石像を回収してこい」
「石像を、ですか?」
「そうだ」
「・・・はい」
最初の質問に答えると
トントン拍子で意図不明な命令が下された。
博士から渡された紙に記された座標を見てみれば
ここから何千キロも遠くの国にある深い森に位置する。
しかも、“古ぼけた遺跡のような場所に石像があるので、自力で見つけ出せ”
と言葉が添えられている。
博士の指示で未だかつてここまで大雑把で
意図が分からなかったものはあっただろうか・・・。
もっとも、命令には従うが・・・。
何故、そんな遺跡のような場所にある石像が必要なのか。
その上、私に回収を指示するとは急を要する貴重な代物のようだ。
「イヲナ、10分以内だ
良いな?」
「・・・っ!?!?
10分以内っ・・・!?」
「カウントはもう始っている、急げ」
博士はこんなユニークな事を言う人物ではなかったのだが・・・。
最初の作品の狂気が博士に伝染してしまったというのか・・・。
何はともあれ、急がねばこの首が飛ぶ。
急がねば。
・・・・・
能力を使用し、何とか目的地に辿り着いた。
が、ここで予想外の事態が発生している。
想像以上に森は深く、とてもではないが遺跡など見つけられそうにない。
そもそもこのような森に遺跡がありそうにも見えない。
い、否・・・博士がここに遺跡があるというのだから
あるのだ・・・そう、あるに決まっておる・・・・。
探すのだ、探さねば私の首が飛ぶ。
思考を回す暇があるのならば、足と能力を働かせろ。
・・・・
タイムリミットの関係もあり、最終的には
最初の作品捜索の際と同じ手法を用いて遺跡を発見した。
まさか本当に遺跡があるとは・・・。
・・・もっとも、どう見ても遺跡というよりは廃墟に近く
廃墟と呼ぶにはあまりにも朽ち果て過ぎていた。
かつてあっただろう屋根は全く見当たらず、
壁の役割を果たす石の壁の隅っこだけがかろうじて残っているのみ。
そこらへんに石が沢山、散らばっているだけで建物とは間違っても呼べない。
だが、そこを遺跡だと分かれたのは
目的の石像を遺跡よりも先に見つけたからだ。
かろうじて残されている石の壁のそばにその美しすぎる石像はあった。
今に動き出しそうなほど細かい彫刻。
着ている古めかしい服装のシワから風になびく髪まで
完璧に再現された素晴らしい限りの石像だ。
真っ白なそれは大理石から作られたのか・・・
見事極まりない。
一人の美しい男性の姿をした石像・・・。
着ている服装は細かい装飾が施されたコートを羽織った貴族のモノで
男らしからぬ長い髪をリボンで結んでいる姿を見るに、
かなり古い時代の人物がモデルだと分かる。
予想するに、これは中世に作られたと思われるが・・・。
かなりの技術を要する石像だ。
あまりにも精巧に作りこまれたこの彫刻を、人が作ったとは思えない・・・。
この石像を作った人物と言い、モデルになったと思われる
美麗な貴族男性と言い・・・凄い石像なのだろう。
だが、そんな石像がどうしてこのような廃墟に放置されている・・・?
この石像が持つ価値は想像も付かないが、それなりの値打ちはあるだろう・・・。
が、これを“博士”が求める意味の方がよっぽど分からぬ。
博士にはこういう美術的な物を集める趣味があったのか?
だとしても、このような場所に野ざらしにされた石像を私に回収させる理由が
全く理解出来ない。
素晴らしい石像とはいえ、野ざらしにされていた石像を
私に10分以内で回収させる意味がまるで分からない・・・。
・・・否、もう考えるのはよそう。
博士の考えを理解しようなど、私は何を思い上がっているのだ。
私は黙って博士の命令に従えば良いのだ。
石像を持ち上げて、能力で博士の元へ移動する。
それだけの行動で終わる事なのだから
答えなど求めるな。
私は石像を持ち上げるべく、石像を掴み
力を込めて上へ・・・。
・・・だが、石像はびくともしない。
理由は石像の足元を見て
すぐに発覚した。
長年の時を放置されたためなのか
石像の足は地面に敷かれた石とくっついてしまっている。
これは実に厄介だぞ・・・。
私は札を袖から取り出し、
更に御札から剣を引きずり出した。
石像と接着してしまった敷石の境目を見定め
そこに剣を突き刺す。
石像自体に傷を付けぬように、私は慎重に突き刺した剣を拳で叩く。
じわじわと接着面にヒビが入り、叩けば叩くほどに裂け目が広がる。
やがて、手間を掛けていく内に無事、石像を敷石から切り離す事に成功。
・・・タイムリミットの事をうっかり忘れてしもうた・・・!
急がねば・・・!
石像を抱え上げ、私は慌てて能力を使用した。
「・・・ギリギリ制限時間内だ
ご苦労」
「っ・・・」
博士の研究室に石像を持って帰還すると
冷たい声が私の苦労を労う。
疲れた。
無駄に疲れた。
たったこれだけの作業なのに、何故ここまで汗だくになってしまったのだろうか。
日頃の運動不足が祟ったか・・・
それとも、博士のプレッシャーによるものなのか・・・。
まあ、何はともあれ良かった。
無事に任務は遂行出来たのだから、それで十分だ。
「博士・・・」
「なんだ」
「・・・この石像は・・・」
「私にも詳細は理解しかねる」
「・・・」
「だが、この石像は必要だった
非常に切羽詰った状況のところを助かったぞ」
「・・・そうですか」
「ああ、そうなのだ
今日のところはゆっくり休め、相当な疲労が見える
能力の負担か・・・確かにお前の力と最初の作品とでは性質そのものが異なるようだ」
石像の詳細を説明してもらいたかったが、博士にもよく分かっていないようだ。
・・・本当にどういう事なのだ。
全く納得出来ぬが、博士の言う通り今日はゆっくり休もう・・・。
博士にも分からない事をこれ以上、追求したところで
収穫などあるはずもない。
博士も得体の知れない石像をそのまま放置するような人間ではない。
きっと半日で石像の事を調べ尽くし
詳細は明日には全て判明するだろう・・・。
明日に再度、博士に聞けば疑問は解消出来る。
元より人手が足りないため休み無く働き続けてきた。
不意に与えられた休みをありがたく満喫しよう。
身体を休める事は例え、“作品”だとしても必要な事である。
そうして、私は僅かな休日を過ごすも
翌日・・・また“最初の作品”による事件に頭を悩まされる事となる。
「・・・本当に、最初の作品は退屈をさせないな」
私は自分の研究室で仮眠していたところ
同僚に叩き起され、何事かを訊ねてみれば・・・。
“最初の作品”が再び、ここから逃亡したという。
それも、今回は少女だけではなかった。
逃亡したのは・・・“第2の作品”と、少年と少女を捨てた母親
『オダマキ スイセン』及び 双子兄妹から見て一歳年下の弟 ナラス・・・。
この4名であった。
事件は研究に大きな衝撃を与えたが、それ以上にも
博士にとっては最悪の事件だった。
少年と少女を実験動物として見捨てたあとに生まれた子供・・・ナラスは
最初に生まれた双子兄妹と違い、健康な男児として誕生した。
ゆえに、博士は大いにナラスの誕生を祝福した。
正式な後継者としてナラスは求めてやまなかった存在。
博士はナラスに対し、始めて父親らしき顔を見せ
少年と少女にしたような冷徹な態度とは真逆の優しい態度で
ナラスに接し続けた。
大切な息子たるナラスは何よりも大切に育てられた。
だからこそ、少年と少女の存在は彼からすれば忌々しいものだったのだろう。
ナラスにも双子兄妹にも、お互いの事は一切知らせなかった。
不幸に突き落とされた双子と、健康的に何不自由なく育ったナラス・・・。
あまりにもその境遇は違いすぎた。
そんな事実を子供たちは認識する術を持たなかった。
しかし、ある実験にて少女が口走った一言によりそんな常識は覆される。
「私の弟はどうした?」
気の触れた少女は拷問も同然の“手術”を受ける度
こう繰り返した。
彼女が弟の存在を認識出来るはずはない。
にも関わらず、彼女は知っていた。
この事を持って博士は少女を実験から切り離したのだ。
それほどにまで、博士は少女を危険視していた。
それほどにまで、博士はナラスを大切に思っていた。
なのに、そのナラスは気の触れた少女と共に行方を眩ませた。
きっと、内心では気が気ではなかったろう。
それでも、博士はあくまでも冷静に振舞った。
冷静に速やかな行動を開始した。
逃亡者の中に妻である『オダマキ スイセン』が含まれている事から
下手な行動や作戦は読まれ、世間知らずの作品と違い
ありとあらゆる“弱み”を突いて来る事を予測した博士はあえて追っ手を出さず
秘密裏に監視する事を決定。
研究は今まで通りに進めつつ
慎重に“最初の作品”と“第2の作品”を観察して
捕獲するチャンスを伺い続ける。
それが博士の策略だった。
長い時間がかかるが、下手に刺激する方が危険と考えた結果だ。
そして、少年と少女 及び『オダマキ スイセン』とナラスの監視人として
私はその役を与えられた。
ああ、本当に。
本当に最初の作品は退屈をさせない。
凄い事になって私は不覚にも興奮している。
私が今、最も知りたいと願ってやまない少女をよく知る絶好の機会。
これを活用しない手は無い。
私はありとあらゆる準備を進めた。
念入りに、かつ手早く。
そして全ての準備が整った私は博士に報告しに行く。
博士は現在、第14実験室にて何らかの試みを行っていた。
実験室と隣接した大きなマジックミラーが張り出された
薄暗い部屋で博士は黙って実験の模様を見ていた。
博士は基本的には実験には参加せず、ただ傍観するだけだ。
「博士殿、今日より“最初の作品”及び・・・」
「ラルー」
「・・・はい?」
「“最初の作品”は“ラルー”と言うそうだ
自らそう名乗った」
「・・・」
「今後、知っておいて損は無い情報だ」
「は、はい・・・」
いつも博士と会話していると
知らず知らずのうちに気圧されている自分がいる・・・。
情けないが、博士は博識過ぎるため
会話をしようとすれば先読みされて置いていかれる。
何もかもを見抜いているような言動は、たまに理解に苦しむ事がある。
しかし、博士の言葉に従って失敗した事はなかった。
逆に従わなかった場合は恐ろしい目にばかり遭っている記憶しかない。
「あと、律儀なのは良いがお前がこれからどうするのかは分かっている
いちいち繰り返さずともいいだろう・・・」
「失礼、しました・・・」
「それよりも、1つ良いか」
「なんでしょうか」
「今日から監視の役目に就くのは良い
しかし、その前に“事件”が発生するまでここに留まれ」
「事件・・・ですか?」
先の未来を推測して
見抜く博士の言葉は完全に予言者のよう。
不思議な事にも、そこに胡散臭さはない。
確かな経験則から来る
信憑性が、疑いを全て払いのける。
“事件”という言葉に、私はむしろ恐怖心を煽られた。
「ああ、今日必ず“事件”が起きるだろう
それに備えて、この“カルム”と一緒に待機していて欲しい」
「・・・カルム・・・?」
「紹介しよう」
黙って透けた前方のマジックミラーの窓を見ていた博士は
その視線を室内の奥に向けた。
薄暗い室内に佇む一人の人影がふらりとこちらに近寄ってくる。
その異様な気配から、私は咄嗟に身構えた。
嫌な予感と、異様な気配から、私はその人物が“人外”と認識したからだ。
一歩ずつ、静かに歩み寄る人影はやがてその全容を現した。
簡素な服装の上に、白衣を纏った
“美しい”と呼ばざるを得ない美貌を持つ男。
白銀の切り揃えられた髪に
薄暗い室内で輝いて見える程、綺麗な黄金の瞳。
その男・・・カルムは私を見据えて、始めて声を発した。
「―――は、初めまして・・・!
カルムという者です! 怪しい者では断じてありません!」
無駄な美声は威厳を帯びていた。
が、それは全てその一言で粉砕された。
無邪気、というより緊張で震えた声。
挙動不審に周囲をキョロキョロしながら、目を泳がせ
砕けた態度。
うむ。
さきほど私が感じたプレッシャーを返上させろ。
「ぬしは何を言うておるのだ」
「あ・・・」
「・・・阿呆か、つまりは?」
「・・・なんか、すみません」
なんなのだ、この男は。
未だに警戒を解く事が出来ない。
あまりにも、カルムは不可解過ぎる・・・。
この態度は油断を誘うための策略か?
はたまたは、何か意味あってのものか・・・。
難癖があるぞ。
「イヲナ、そうカルムを追い詰めるな
その男は気付いているだろうが只者ではない・・・」
「やはり・・・
何者ですか・・・?」
「“吸血鬼”だ」
「っ・・・!?
こんなヤツが、か・・・!?」
「それも無理はない
カルムは“記憶喪失”しているからだ」
「吸血鬼が記憶喪失・・・?」
「考えづらい話だが、間違いはない
吸血鬼である事や記憶喪失に疑いはない
イヲナ、とりあえずカルムと共に“事件”に備えて欲しい」
「待ってください・・・!」
カルムは記憶喪失の吸血鬼・・・。
その態度や、私が感じた違和感に対する答えとしては疑いようがない。
が、この状況を理解するワケにはいかなかった。
記憶喪失の吸血鬼。
あまりにも都合がよさすぎるがゆえに
この者を信用出来ない。
もしかしたら、何者かの差し金かも知れない。
そもそも、吸血鬼が記憶喪失するだと・・・?
馬鹿げた話だ。
信用する方が難しい。
「疑わしいのは分かる・・・が、そこは何も言わずに従え
カルムはこれより我々と共に研究員として働く・・・
上司として部下の世話をしろ、良いか」
「ぐ・・・
分かりました・・・」
「・・・少しくらいの詳細が知りたければカルムに聞け
“事件”はいつ、どこで発生するか分からないが
被害を最小限に留めろ、いいな?」
「・・・はい」
博士は有無を言わせない口調で私の異論を押しのけ
カルムを部下として可愛がれと言う。
・・・博士の命令、では逆らいようもない。
私はカルムを連れ
博士がいる部屋から退出して長い廊下を進む。
「あ、あの・・・俺は・・・何か悪い事をしてしまったんでしょうか
イヲナさん」
「その変な敬語は止めろ
さん付けもだ」
「すみません・・・」
「して、詳細を話せ」
「はい?」
「ぬしは今、私から疑われている
ゆえに私はぬしを一切、信用出来ていない
少しでも容疑を晴らしたくば、ぬしが知る限りの状況を説明せい」
私の隣を歩くカルムは申し訳なさそうに
ウロウロとして、あからさまに動揺していた。
そんな事は私からすればどうでもいい。
私は少女の監視をしなくてはならないのに
ワケの分からぬ“事件”によって足止めを食っている。
それでストレスが生じていた。
それを曲がりにも部下であるカルムにぶつけてしまっているのは
単純に私の性格が悪いからなのか、ただ単にそこにカルムがいたからなのか。
「えっと・・・記憶が曖昧で・・・気付いたらここで目が覚めて・・・
俺は博士に命を救われたみたいだった
命を救ってくれた上、記憶喪失の俺の面倒を見るっていう博士に
少しでも恩返しをするため俺はここで働く事にしたんだけど・・・
俺はやっぱり厄介者なのか・・・」
「む・・・」
本人にもどうしてここにいて、どのような目に遭ったのか
分かっていないようだ。
ただ抽象的に、博士に救われたから恩返しをする。
そんな単純な考えだけで
記憶喪失の吸血鬼という身の上でありながら、
博士のために働く気でいるカルムは大マヌケだ。
「厄介者かどうかはぬしの働き次第じゃ
しかし、ぬしは己の記憶を取り戻したくはないのか」
「俺の記憶は博士が取り戻してくれる事になっている」
「・・・」
本当に大マヌケだ。
記憶喪失なのはウソではなさそうだ。
博士がカルムの記憶を取り戻す?
出来るはずなどない。
・・・大体の話は分かった。
博士はこの記憶喪失のカルムを騙している。
どういうツテなのかは分からないが
記憶喪失のカルムの身柄を得て、無知な彼を騙すことで
“吸血鬼”という強力な手駒を我が物としたワケだ。
通常、吸血鬼は人と協力する事などそうそうある事ではない。
何故なら、彼らからすれば人間は食い物でしかない。
吸血鬼はこの裏の世界において強力な存在として住んでいる。
ひっそりと、闇の中で生きる存在がゆえに
人と協力せずとも大抵の事は自力で解決出来る。
まさにこの世界は吸血鬼の為の世界も同然だ。
そんな吸血鬼を手駒としようと目論む博士はハッキリ言って
正気の沙汰ではない。
だが、博士の考えに私如きが口出しなど出来ない。
黙って私は博士に従い
博士の望みを叶えるだけだ。
「・・・悪い態度をとってすまなかった
ぬしにもこの状況はよく認識出来ていないのに
私ときたら・・・」
「え、気にしなくても・・・!?
俺は別に平気だし、イヲナの反応はむしろ当然だし!?」
「・・・そうか
そう言ってもらえると助かる
カルムよ、これからの任務について話し合おう
これより起こると推定される“事件”の被害を抑える事が我々の目的だ」
「ああ、事件の元凶を突き止めて
それを捕まえれば良いんだな!」
「・・・そこだが・・・」
「・・・?」
「捕まえるべき元凶の事に関して、博士は何も言わなかった
ただ、“被害を抑えろ”とだけ・・・
元より元凶の捕獲が不可能と考えているのか・・・」
「捕まえられない元凶って・・・
一体、何者なんだ?」
「・・・恐らく、“最初の作品”だ」
「最初の作品・・・?
なんだそれ」
「説明しても理解に苦しむだろう、まあ、見れば分かる
とにかく、彼女がこれから起こると推測される事件の元凶ならば
捕獲は非常に難しい・・・その上、被害も想像を絶すると思われる」
「彼女・・・?
女、なんだよな・・・? その言いようじゃ、ただの化け物じゃないか」
「その通り、儚げな見た目からは想像も付かないほどの力を有しており
その上、気が触れているため話し合いや説得も通じないだろう・・・
何を考えているのかも分からない、
下手をすれば“悪戯”のつもりで惨劇を起こすのかも知れない
正真正銘の化け物だ、決して信用するでないぞ?」
「・・・気の触れた女の姿をした化け物・・・
女を見掛けたら気を付けよう・・・だが、どうすればいいんだ?
いつどこで何が起こるのかも分からないんじゃ、対処のしようがない」
カルムと打ち合せながら
長い廊下を進む。
ここは秘密研究所とはいえ、
所属している研究員は100を越える大規模の研究所だ。
もしも、彼女がここで暴れるとしたら恐ろしい被害が出るだろう。
その際の被害を金銭に換算すれば
簡単に何億という金が飛ぶ・・・。
博士がわざわざ私たちに被害を抑えるように指示する理由はよく分かった。
しかし、カルムの言う通り
彼女がいつどこで何をするのか分からないため
対処のしようがない。
・・・そもそも、何故
今日中に“事件”が起きると博士は断言するのか。
その根拠を聞きたかったが・・・。
今日の博士はどこか機嫌が悪そうだったので
とても聞けそうにない。
致し方ない。
「カルム、いつどこで起こるかも知れない事件に備える方法は一つだけある」
「・・・!
本当か、それは! 教えてくれ!」
「ああ、簡潔に言うと“パトロール”だ」
「・・・ぱ、パトロール・・・?」
「む、ぬしは今、パトロールを馬鹿にしたじゃろう・・・」
「め、滅相もございません!」
「いいか!
パトロールとは事件を未然に防ぐための
効率的で合理的な最良の防犯作戦と呼んでも誤りはない!
誰もが、パトロールを馬鹿にし甘く見るが、その実績は途方も無いモノで・・・」
「・・・!?
・・・・うん! パトロールって凄いんだね!
言われてみて、気付いたよ!」
「ほう、パトロールがいかに惨劇を未然に防ぐ事に特化しているか
それが伝えられたようで良かった
では、私とぬし二人でくまなく研究所内を巡回しようではないか」
「ああ! 分かった・・・!
・・・・イヲナって研究者特有の変人なんだな、気を付けよう・・・」
「あ? 何か言うたか?」
「いえ、何でも・・・」
ここで取るべき作戦はこれのみ。
パトロールで事件の被害を抑えれれば良いのだが・・・。
これ以上の手は無い。
にしても、カルムの奴
独り言が丸聞こえじゃぞ、許さぬ。
「そうか、では私は研究所の2階を巡回する
カルムは1階を頼む」
「え、別行動なのか!?」
「大丈夫じゃ、地図を渡しておくから
自分で研究所の構造を覚えて、慣れておけ」
「え、え、え!?
上司として部下をちゃんと指導する責任を鮮やかに放棄した!?」
「こういう時は己で勝手に学んだ方が分かり易いものだ
それに、これは仕事だ
事件の被害を何が何でも抑えねばならないのだから、効率を重視するのは当然」
「絶対、違うと思う
絶対、面倒くさいだけだ・・・!」
「上司に逆らうのか」
「え!? 嘘だろ!? 圧力をかけてきた・・・!?
・・・分かりました、1階ですね・・・」
カルムに研究所の地図を渡し
二手に別れた。
なんだかんだで、ここの研究員は変化に敏感だ。
例えカルムが迷子になったとしても
好奇心で接触してくる研究員たちに助けられるだろう。
何の心配もいらない。
2階を巡回する私は常に目を光らせ
何か異常は無いか、少女が潜伏しそうな場所は無いか、
細かく確認した。
念入りに調べていたものだから
すっかり時間が経ってしまった。
・・・そろそろカルムと合流し
状況を報告し合おう・・・
2階の方は何もなかったが、1階の方は何かあるのやもしれない。
私は1階へと階段を降りる。
その時点では異変など、何一つ無かった。
だが、異変は私が1階の床に足を付けた瞬間に“起こった”
「それは“最初の作品”だ!
捕まえろ!」
前方の曲がり角に差し掛かる地点で
ダンボールの箱を抱えた研究員が叫んだ。
その視線の先は丁度
こちらからは死角となって見えない曲がり角の先に向けられていた。
私はすぐに駆け出した。
研究員の叫び声一つで全ての状況を把握した私は
曲がり角まで辿り着き通路の方を睨む。
そこには、ダンボール箱を放り捨て、迷うことなく
綺麗な手で“誰かの頭”をわし掴みにして
壁に容赦なく叩きつけるカルムの姿があった。
恐らく、お人よしなカルムは研究員に声を掛けられ
その手伝いをしていたところ、“彼女”と出くわしたのだろう・・・。
先に“彼女を信用するな”という私の言葉に従っての行動。
普通ならば、先手を打つこの行為は“正解”だ。
なのに・・・理由は定かではないが、
これは取り返しのつかない“誤り”であった。
―――そこにいたのは、紛れもなく“最初の作品”だった。
だが、私にはその少女が“最初の作品”だと認識出来なかった。
白い壁に加えられた凄まじい力は壁を砕き、抉るほど
そんな力をまともに受けたはずの少女の頭は深紅の血を少し垂らすだけで
肉体の損傷をほとんど感じさせない。
長い白の髪に、白い肌
宝石のように煌く美しい紅の瞳。
間違いなく彼女だ。
これほどの衝撃を受けてもなお平然としているのなら
もはや疑うまでもない。
ここで私は少女を捕らえれば良い。
そうすれば全てが解決するのに・・・。
私は何も出来なかった。
何故か。
とても近づけなかった。
衝撃で抉れた壁に寄りかかったまま、少女は顔を俯かせていた。
力なく垂れた腕、微かに震える肩、僅かに折り曲げた足。
その姿は悲壮感に満ちていた。
少女が放つ圧倒的なプレッシャーは彼女の“父親”を思い起こす。
想像も付かないほど壮絶な空気に、近寄ることすら出来ない。
「・・・ふふ」
やがて、絞り出すように掠れた笑い声が響いた。
緊張から張り詰めていた静寂には
微かな声でも十分に響く。
その異様な調子に少女の頭をわし掴みにしていたカルムは
慌てて手を離す。
一歩、一歩と後退するカルムの表情には焦りと驚愕があった。
どう考えても、その光景は理解に苦しむ
正真正銘の“異変”だ。
病衣を模した白いドレスが、見る見る内に黒く染まっていく
まるで、“白”を侵食していくように。
“黒”が“白”を飲み込んでいく
意図や、理由が全く理解出来ない光景だ。
あまりもの光景に、息も止まる。
そこに込められた意味は後に思えば単純極まりなかった。
「ふっ、ふふふ・・・
私は“白”ではない・・・“黒”だ・・・!」
無垢な純白さを捨て去った怪物がする事など・・・一つだけだ。
狂乱の怪物が自分を不当に扱った人間に対して抱く感情など、一つしかない。
真っ白なドレスは、真っ黒に染まった。
俯いた顔には歪んだ笑みが浮かべられていた。
壁に寄りかけていた身体をそっと起こして、右手を横に差し出す。
右手の辺りを黒い霧のようなモノが現れたかと思えば漂い
深い霧の中で煌く銀色の持ち手がちらつく
それを握り締めた白い手、黒い霧から遂に取り出されたのは
銀色の十字架を象ったナイフだった。
完全なる、吸血鬼に対する宣戦布告。
皮肉を込めた挑発だ。
かつての、“白かった”少女はいない・・・。
そこにいるのは、“ラルー”だ・・・。
私が知っていて、知らない別人だ・・・。
「おい・・・!
イヲナ、この子をどうすればいいんだ!」
カルムは殺意を向けられ
私に助けを求めるように、指示を仰いでくる。
・・・そうだ、仕事だ。
彼女、ラルーが今日この場所で事件を起こす事は
あらかじめ博士殿が予見していた。
そんな博士殿が我々に指示したのは“被害を抑える”事・・・。
ラルーの捕獲よりも、被害を抑える事が最優先事項である。
ならば、早急に行動に移すのみだ・・・!
「そこの研究員!
直ちに、全職員を避難させろ!
重要な資料や機材は必要最低限、持ち出せるだけ持ち出せ!
だが、あくまでも人命優先だ! いいな!?」
「は、はい・・・!」
近くにいた研究員にそう指示を送り
次に私はラルーの動向を見た。
すでにラルーは手にした凶器で
カルムを斬り付けていた。
その機敏で迷いの無い動きは美しささえ有していた。
「カルム・・・!
移動するぞ、私について来い!
ここではあまりにも戦いづらい・・・!」
ここは廊下。
攻撃をかわせるようなモノはないし、それほど入り組んでもいない。
地の理などあったものではない、単純な戦闘力だけではラルーに勝てない。
何よりも、研究員の被害を出さぬよう
人があまりいない場所に誘導すればこちらも心置きなく戦える。
私の言葉を聞いたカルムは私の方を見ると、
ラルーが振るうナイフを避けながら、慎重に私の方へと走った。
カルムにちゃんと指示が通った事を確認して
私は廊下を駆け抜ける。
確か、この先には広い吹き抜けになっている実験場がある。
そこは今、ある特殊な液体金属を実験しているが
その液体金属を極限まで熱して、それを冷やすために実験を中断している。
ゆえに人はいないはずだ。
ラルーをその実験場に誘導し、そこで足止めをしていれば時間を稼げる。
被害も実験場一つだけに留められるはず・・・。
私はより早く走った。
長い廊下を進み、
曲がり角や分かれ道に差し掛かるたびに道を曲がると
次第に道は大きく広くなっていった。
そして、ついに目的地である
第2実験場の固く施錠された金属の扉が姿を現した。
・・・まずい。
一刻も早く、あの扉を開けなければ
この行き止まりでカルムはラルーと戦わざるを得なくなる。
不利なのは目に見えている。
私は走る勢いを殺せず、勢いのまま扉にぶつかってしまう。
全身を打ち付け鈍い痛みに襲われるが、それどころではない・・・!
扉横に取り付けられたパネルに慌ててパスワードを入力。
画面はパスワードのチェックを始めて
正しいパスワードだと認証する。
次に、扉の方から開錠音がすると
重たく分厚い扉がゆっくり一人でに開く・・・。
私は後ろを振り返り
カルムとラルーの姿を確認する。
扉までの距離 十数メートル・・・。
早うせい・・・。
私は扉脇に移動して、
ゆっくり開かれる扉を睨みながらそう念じた。
「かぁ・・・る・・・む・・・!!」
「イヲナ、避けろ!!」
背後から掛かった声に私は咄嗟に振り返った。
それが幸いした。
首のすぐ横をナイフが掠めた。
金属の扉に当たり、カランと落ちたのは
ラルーが黒霧から取り出した銀のナイフだった。
運が悪ければこのナイフが私の首に突き刺さっていた・・・。
ラルーとカルムの戦闘は非常に激しいもので
既にカルムが羽織っている白衣はボロボロに切りつけられ
本人の顔には疲労と焦りが浮かんでいる。
しかし、カルムもやられっぱなしというワケでもなく
ラルーが繰り出す攻撃、斬撃を掻い潜りながら僅かな隙を探っては
果敢にも反撃を試みていた。
・・・もっとも、その反撃は未だに成功していない。
このままでは話が進まない。
完全に開け放たれた扉から私は実験場に入り
暗闇の室内の照明をつけた。
「ラルーよ・・・!
何ゆえにカルムをそう、執拗に狙う!?
私はカルムの上司だ・・・部下の命をこれ以上に狙うのならば・・・
私と勝負をせい!!
そして、この首を刈り取って見せよ!!」
鎖が幾重にも垂れ下がる
吹き抜けの実験場の中央で私は叫んだ。
巨大な水槽のような容器に満たされているのは
水銀のような液体金属。
その上に鉄格子が蓋をするように掛けられており、私はその上にいた。
これ以上にカルムと戦わせてはならない。
“最初の作品”ことラルーと対等に戦えるモノは同じ“作品”だけ・・・。
彼女と今、戦うべきは“第3の作品”である私だ・・・!
私のあとを追ってカルムと、
カルムを追ってラルーが順に実験場に飛び込んできた。
私が浴びせた言葉にカルムを襲っていたラルーは
その紅い瞳をこちらに向けてくる。
狂おしいほどに美しく、そして恐ろしい紅の瞳が私の姿を映す。
「・・・真っ白、ねぇ・・・」
黙って不思議そうに、だが確かに面白そうに見上げていたラルーが
ぽつりと漏らした一言。
それは真っ黒に染まったラルーなりの褒め言葉なのか
イヤミなのか・・・。
どちらにせよ、その一言は私に関心を持った証拠だった。
次の瞬間
突如、現れた複数の剣が私に襲いかかった。
“剣”が、私に襲いかかったのだ。
宙に浮かんだ剣の数々が一人でに私を斬りつけてくる。
「っ・・・!!」
これこそがラルー・・・“最初の作品”の能力
魔法の如き力
“万物を自在に操る能力”・・・。
粒子単位のモノから、自分より遥かに巨大なモノまで、自在に操れるのだ。
そこに何一つの制限はなく
“操る力”で、“破壊”をもたらす事さえ出来る始末。
正直に言うと、彼女に勝てる策や能が私には無い。
どうやっても“最初の作品”は途方も無い存在で
“第3の作品”である私と比べるのも誤りなほどだ。
飛来してくる幾多の剣に私はどうすれば良いというのだろうか。
否、どうにかしなくてはならない。
これは博士からの命令であり
この研究所で最後の仕事なのだ。
完璧にこなさねば、これまでの日々を無駄にしたと言っているも同然だ。
私は羽織っていた白衣を脱ぎ捨てた。
脱いだ白衣を複数で固まっている剣たちの方へと投げると
白衣に剣たちは絡まって力なく落ちていく。
次に、私に向かって振り下ろされる剣をかわし
まるで亡霊にでも振るわれているかのように、剣技を放つ剣に
私は“札”から取り出した剣で受け止めた。
・・・重すぎる一撃だ、とても人間が繰り出す攻撃ではない・・・!
だからこそ、宙を飛び
個々に振るわれるこの剣には、それが可能なんだろう・・・。
にしても異常なまでに重たすぎる一撃だぞ・・・!
下手に受け止めるべきではない。
「ふふふっ・・・!」
「ぬ・・・何がおかしい!」
「いえ、貴方の戦いぶりに関心していたの
以前にこれをやった時“キシサマ”は動揺して
戦いどころではなかったから」
「普通の反応だ
この能力は常識外のものなのだから」
「ええ、そのようね
やっぱり“遊ぶ”とすれば
私のこの力を知っている事が前提になるわね」
「・・・」
所詮、ラルーからすればこの戦いは“遊び”でしかないのか。
私にとって命懸けの勝負は、彼女からすれば さして重要ではない戯れ。
自分の弱さが、不甲斐ない・・・。
今このようにして遊ばれている間は大丈夫なのだろう。
が、途中で彼女が飽きてしまえば・・・私はどうなるのだ?
吸血鬼であるカルムを軽々と圧倒していたような娘に、私は勝てるのか?
この戦いのあと、私は生きているのか・・・?
そんな不安が、恐怖に変わるのは間もなかった。
冷たい汗が額を伝い、喉が緊張のあまり今に張り裂けそうになる。
このままでは確実に飽きられる。
このままでは絶対に殺される。
この先の結末が明らかだ。
一体、私はどうすれば助かる?
どうすれば、彼女に勝てる?
いや・・・勝てなくても、彼女を追い払えさえすれば良いのだ。
だが、その方法は?
何もかもが分からなかった。
ただただ、頭だけがぐるぐると焼けそうになるほど回っていたが
結局、何も解決策は浮かばなかった。
「・・・何故、急に黙るのかしら
あーあ、やっぱり。
貴方も結局はつまらない人
もう、面倒になったわ・・・カルムに用があるから邪魔をしないで頂戴」
短いため息を吐くと
ラルーはそう笑顔で言い放ち、手のひらをそっと横に払った。
すると、先ほど私が落とした剣が浮かび上がり
必死に避けていた数々の剣が一斉に私を囲んだ。
刃はどれも私に向けられ、静かな殺気をあらわにしていた。
カルムに用とは・・・?
ラルーはカルムと何らかの面識があるのか・・・?
そんな疑問が、こんな状況下にも関わらず
私の頭を埋め尽くした。
それはただの現実逃避なのか、最後に研究者として抱いた感情なのか。
私は死を覚悟した。
ああ、私は結局・・・己に価値を見い出す事は出来なかった。
私の人生は間違いなく無駄だった。
否、無駄どころか・・・無駄な犠牲しか生み出せなかった。
絶対に許されないだろう。
剣が私の身体に突き刺さる。
あまりの激痛に
私はすぐに意識を手放した。
おぼろげな夢現かも定まらない中。
脳裏をよぎるのは“あの日”の光景と誰かも分からない人の声。
『イヲナ様、どうか必ず、私たちをお救いくださいっ・・・!
私たちの犠牲を、絶対に無駄にしないでください
・・・いつまでも、私たちは待っていますから・・・
・・・・・・・ああ、こんな死に方ッ・・・嫌ぁ・・・』
結局、無駄にしてしまった。
本当に・・・償いようのない失敗だ。
許されるはずがない。
私だけはいつも生きていて。
でも、他の人々は皆、死んでいく。
私は一体、何人の死を看取ったのだろう・・・もはや記憶にない。
数多くの死を看取ったからこそ
私は意味を成さねばならない。
そう、例え
私に意味や価値が、“自分”が無くても。
・・・・
「イヲナっ・・・!
死ぬな、生きろっ・・・!」
「っ・・・?」
「俺が弱いせいで・・・!
博士にどう顔向けすれば良いんだよ・・・!
俺は・・・!」
「・・・ぬし」
「・・・!?」
「カルムよ・・・」
「生きている!?」
「 今 の 状 況 を 説 明 せ い 」
「え、九死に一生を得てまずそれ!?
あ、はい・・・分かりました」
海に沈むような感覚の中。
ふと気が付くとカルムの声と共に容赦なく身体を揺さぶられていた。
あまりもの容赦のなさで、逆に痛いくらいだ。
辺りを見回せば
狭い個室で、灯りが無いため真っ暗だ。
どれだけ狭いかと言うと、私一人が横たわる程度のスペースしかない。
カルムは室内の片隅で縮こまって座っているので
私だけは余裕だが・・・。
この部屋はなんなのだ? このような部屋、知らないぞ?
「剣でイヲナが串刺しにされて・・・
俺はとにかくパニックになっちまって・・・」
「吸血鬼が私の串刺し姿を見てパニックを起こしたのか・・・」
「そりゃあ、上司が串刺しにされりゃ黙ってないだろ!
で、ラルーに“そんなに遊びたいのなら遊んでやる”って持ちかけて
隠れんぼする事になった」
「ぬしは何を勝手にやっておる!?」
「悪かったって・・・
それでラルーと俺たちで隠れんぼをする事になった
“隠れんぼ”って遊びはよくわからないが・・・
ラルーは千数えて待ってくれるらしいから、その間にイヲナを回収して
ここに隠れたわけだ」
「千も数えてくれるとは良心的だが・・・
何故、私は死んでおらぬ・・・? 串刺しにされたはずじゃぞ」
「刺さっていた剣を引き抜いたら
すぐに治ってしまったが・・・普通じゃないのか・・・?」
「・・・」
カルムは私が意識を失っていた間の状況を説明してくれる。
隠れんぼする事になるなど
展開がおかしなことになっているが、まあ良い。
しかしここで問題になるのは
何故、私は生きているのかだ。
我々“作品”には吸血鬼のような再生能力がない。
ラルーならば、出来るかも知れないが・・・。
基本的には、いくら“作品”とはいえ人間のように呆気なく死んでしまう。
ラルーや“第2の作品”が規格外なだけなのだ。
ゆえに、剣で串刺しにされた私は死んでいなければならない。
なのに・・・どうして私は生きている?
いや・・・今はそれどころではない。
あのラルーが鬼として私たちを探してくるのだ。
この疑問はあとで解決しよう。
それよりも、記憶喪失のカルムの危険性が露呈して
若干、別の意味で恐怖している自分がいる。
最低限の知識を有しているとはいえ
いくらかの常識の欠損が見られる。
ゆえに、私が串刺しにされてもなお死なない事に疑問を抱かない。
カルムの記憶喪失の重症さが分かった気がする・・・。
「それと、この部屋は何なのだ?」
「見ての通り、掃除用具入れだよ
隠れるなら此処だろ?」
「・・・偏った考え
むしろ、あからさますぎて直ぐにバレるぞ!
場所を移そう・・・」
「え、ここ無茶苦茶、隠れるに最適だと思うんだけど!?」
「隠れんぼじゃぞ?
それも、鬼があのラルーなのだ・・・
絶対に普通の隠れんぼで終わらせてくれないだろうが」
「・・・絶対、普通には解決しないの」
「このような事で解決するなら、最初からこんな事にはなっとらん」
私は血塗れになった服に強烈な気持ち悪さを感じつつも
立ち上がり、掃除用具入れの扉を開いた。
「300と、60・・・
300と、61・・・
300と、62・・・」
どこか遠くの方からラルーの数える声が聞こえてくる。
彼女は千まで数えるようだから
我々に与えられた時間は十分に余裕がある。
隠れんぼと言っても、どうせ最終的には殺し合いになるだろう
今なら先手を打てるか・・・?
だが、先手を打てたところで私は彼女をどうにかできるのか?
先ほどの戦いではあまりにも私が無力なせいで
あっという間に飽きられてしまった。
かと言ってカルムも同じだ。
1対1で勝負したところで勝目は全く見えない・・・。
我々の勝利条件は彼女を追い払う事にある。
しかし、彼女をどうすれば追い払えるのかも分からない。
追い払う、といっても
それは彼女を窮地に追い込まない事には話にもならないな。
一体全体、どうすれば良いのか・・・。
「イヲナ、何を考え込んでいるんだ?
隠れんぼなんだから、早く移動した方がいいんじゃないか?」
背後でカルムは不安そうに話しかけてくる。
全く、少しは黙っておれ。
私は今、ラルーに勝つ方法を考えているのだから・・・。
隠れんぼ・・・?
不意に、脳裏に浮かんだ作戦は我ながら馬鹿げたものだと思う。
だが、追い詰められた私にはその考えは正解のように見えた。
1対1では勝目など無い、普通に殺し合っても逆に弄ばれるだけ。
なればこそ、今の・・・
カルムが導いたこの状況は最も我らが勝つ可能性をもたらしていた。
「カルム、ぬしはとんだ阿呆じゃが
それはラルー相手には相性の良い阿呆じゃ」
「え、なんで急に馬鹿にされまくってんの? 俺は」
「私の作戦をよく聞いて欲しい
もしかしたら、安全に貴奴を追い払えるやもしれない・・・!」
「それは本当か・・・!?
話してくれ!」
・・・・
「900と、98・・・
900と、99・・・
900と・・・100・・・千よ・・・!」
ラルーは丁寧に数え終えると顔を上げた。
そこは人の気配を感じさせない寂しい実験場。
彼女は微かな微笑みを浮かべながら
自らの周囲に剣たちをまとわりつかせ、我々を探し始めた。
当然、真っ先に我々が先刻まで隠れていた掃除用具入れをあたっていた。
あのままだったらどうなったのか。
想像するだけでもゾッとする。
緊張感から生唾を飲み込んで、私は軽く戦慄する。
「・・・ん、考えたね」
しばらくラルーは実験場を探索して
一通り調べ尽くすと、一言そう漏らした。
すると、ラルーの周囲に浮かんでいた剣の一つが突如
その切っ先を上に向けると、その方へと飛ぶ。
シュンと風を切る音が響いて、肉に突き刺さる音が鈍く鳴った。
そして不意に上からカルムが落ちてきた。
ぐしゃ、と地面に衝突したカルムは腕や足がありえない方向に曲がってしまい
その見開かれた瞳には生気を感じさせない。
カルムはぴくりとも動かない・・・
少しすると、カルムから溢れた血が床を紅く染め上げ
恐ろしい池を作っていた。
カルムの喉には剣が突き刺さっており、彼が落ちた理由を物語っている。
「ここって、たくさんの鎖が天井から吊るされているし
天井がとっても高いから、天井に張り付いたり
鎖にぶら下がったりしていれば案外、気付かないわ?
そこに目を付けるなんて、頑張った頑張った
さすがはカルム・・・でも、
ざあんねん!」
ラルーは裸足で、ぱしゃぱしゃとカルムの血だまりを踏み鳴らし
その主であるカルムの頭をわし掴みにすると
喉に突き刺した剣を勢いよく引き抜いた。
剣を引き抜かれ、カルムの喉には
痛ましい穴が血を溢れさせながら残されたが、
見る見る内に穴は塞がって気が付けば跡形も無く癒えていた。
喉の傷が癒え、意識が回復したカルムは血反吐を吐き出し
激しく咳き込んだ。
ラルーはその様子を黙って見ているだけだった。
笑顔を微かに止め、目を細め
ただジッとカルムを見つめていた。
その表情が曖昧極まりなく
私が始めて見るもので・・・そこにはどんな感情があったのか
何一つ、読み取れなかった。
が、その曖昧な表情はすぐに消えた。
「カルムの負けー!
お利口に待っているのよ〜? さもなければ」
意識が回復したカルムの頬を両手で包むラルーは静かに言うと
そっとカルムの首筋にキスをする。
突然の事に、カルムは目を見開かせて
私が彼に渡したナイフをラルーに刺そうと振りかざした。
しかし、それは出来ず終いになる。
ラルーは紅い瞳を細め、色っぽく笑うと
キスをするために閉ざした口を開けて鋭い犬歯をカルムの首筋に突き立てた。
突き立てた牙は深く突き刺さり、
所詮は“人間”の少女が吸血鬼を吸血するという
理解に苦しむ、皮肉な光景が出来上がる。
不可解な光景に私は唖然とせずにはいられない。
だが、私はカルムに現れた変化を見逃さなかった。
ラルーに吸血された吸血鬼カルムは途端に
ぐったりと、悔しそうに呻いて床に倒れ込んだのだ。
カルムの首筋には紅い刻印のような模様が浮かび上がっている・・・。
ラルーがカルムを吸血する際に何かをしたのだ。
それによって吸血鬼たるカルムが衰弱させられている・・・!
なんという事なのだ・・・。
あの吸血鬼すら、まるで赤子の手を捻るように容易く倒すなど・・・!
“最初の作品”はどれだけの力を持っているというのだ・・・!?
「“炎呪”の呪いよ
大丈夫、カルムが大人しくしていれば・・・それ以上に苦しくはならないわ?」
「ぐっ・・・
何を考えているんだ・・・“最初の作品”・・・!」
「・・・気に食わないわ 黙りなさい」
力なく床に倒れたままカルムはラルーに問う
何を考えているのか、と・・・。
しかし、その回答は無い。
彼女に関しては分からないずくめ・・・。
今まで、私はそう認識していたが
今回の件でその認識は誤りだと分かった。
彼女の事が分からないのではない、彼女が分かられないようにしているのだ。
他人からの干渉の全てを拒んで
一切の情報さえ与えない。
彼女は自分の事を分かられたく無いのだ。
「さあて・・・白面の男よ、どぉこにいるの・・・?
見ーつけよう、見ーつけよう!
探し当てて・・・美麗なその首を貰おう!
私はおーに、貴方はかーくれご・・・!
日暮れ時まで探そう探そう・・・
白面の者? 白の男? ・・・会うべき人・・・?
・・・“白き者”よ!
探し、見つけ、遊ぼう!
私は鬼―! 貴方は隠れ子―!
もういいかい? もういいかい? まだなの? まぁだなの?」
ただ彼女は遊びたいだけ。
彼女は化け物
だが、それ以前に・・・10にも満たない子供なのだ。
狂気に満ちた言動、洗礼された仕草、大人びた行動をするが
所詮は幼子・・・。
複雑な気分だ。
しかし、いくら子供でも
彼女は化け物でしかない、ここで何とかしなければ
死者が出るだろう。
私は・・・ここで彼女を追い払わねばならぬのだ・・・!
「もう、もういい
“ラルー”よ、私を見つけられるのならば私を見つけてみよ
私が見えるのならば・・・!」
「っ・・・!?」
私はそう叫びながら
剣を振りかざし、ラルーの目前に立って斬りかかった。
ラルーは剣が空を切る音を聞いて“始めて目の前にいる私”に気付き、
寸前のところで剣を避ける。
ラルーの笑みを浮かべた顔が始めて歪んで、焦りをあらわにする。
私は最初からラルーのすぐそばにいた。
なのに、ラルーは私の存在には一切気付かなかった。
否、“気付けない”のだ。
何故ならば、私の姿は今・・・透明と化し、誰にも見えないのだから。
出鱈目ながらも、これは私の能力。
自分でもイマイチ詳細が分からない、不明瞭な力だが
それはラルーにも作用するのならば都合が良い。
「これはあくまでも、“隠れんぼ”という遊びじゃ
よって隠れる側の私の勝利条件は明白・・・
“日暮れ時まで鬼に見つからなければ勝ち”
なればこそ、見つからぬよう
文字通りに姿を消したまで・・・」
普通に戦ってもラルーには勝てない。
例え私とカルムは二人で共闘したところで勝ち目は見えない。
だが、隠れんぼという遊びならば
我らにも勝つ可能性が生まれる。
カルムが導いたこの不可解な遊戯は皮肉にも助け舟となった。
「っ・・・卑怯よ!」
「ああ、確かに我ながら卑怯な手だと思う
だが、最初からこういう行為を禁止しておらぬではないか?
遊びとはいえ、人の命が掛かっておるのだ
私だって死にとうない、だから恥を捨ててでも勝つ」
「~~~っ!!」
ラルーはどこにいるのかも分からない私を探し
きょろきょろと大きく首を動かしながら叫んだ。
紅い瞳を大きく見開かせ、宙に漂わせた剣をあちらこちらに飛来させ
私の在り処を暴こうとするも
こちらは彼女の魂胆くらい分かっているから、相応の対応をするだけじゃ。
飛来する剣の数々を避け
音を立てぬように、常に移動を続ける。
ただこれだけの事で、私は彼女の目から逃れていた。
このまま日暮れ時まで見つからずにおれば
彼女は諦めて立ち去ろう・・・。
私はそう計画していた。
何事も起きぬ事を期待して、穏便に全てが解決する事を祈り。
なのに、彼女はそれを良しとしなかった。
右手を上に掲げたラルーは小さく叫んだ。
その悲鳴はおぞましい高音から成り、あまりもの不快な音に私は耳を塞いだ。
すると、信じがたい変化が巻き起こった。
見る見る内に世界は暗闇に包まれたのだ。
彼女の白いドレスが黒く染まったように、視界が闇に汚染される。
光を操って私の視覚を遮断したのか・・・!?
彼女の目的は私の視界を奪い
行動を制限して居場所を暴き出す事。
つまり、ここで止まっていては危険・・・!
私は慌てて駆け出した。
方向感覚はあっという間に狂い、何度も足を取られた。
しかし、私のそんな必死の抵抗も虚しく
突如、背中に鈍い衝撃を受けた。
衝撃のあと・・・やって来たのは鋭い激痛と生ぬるい液体の感触。
耐えろ、耐えねば死ぬ。
そんな簡潔な考えが一瞬で私の頭を支配した。
「みぃ・・・つけたぁ・・・!!」
無情にも響く、幼く残酷な声。
そして開けた視界の先には彼女が仮面の笑みを貼り付けて立っていた。
私の周囲には数多くの剣たちが浮かべられ
完全に逃げ道を奪われている。
だめだ、この方法ならば勝てると思ったが・・・負けてしまった。
どうすれば良い? どうすれば・・・!
私は手にした剣の切っ先をラルーに向けながら
どうにか出来る道を探した。
「残念ね、貴方
面白そうなクセにつまらないわ
だからもう、さよならしましょう?」
ラルーは右手を上げ、それを振り下ろした。
右手の動きに合わせて宙を浮かぶ剣たちは私の方へと飛んでくる。
だめだ、普通に戦ってもダメ
行動を制限するルールに則ってもダメ
もはや、思考しても無意味だ。
私は剣を強く握り締め、思考を放棄した。
上から6本の剣がほぼ垂直に降り注ぎ
左右からは4本の剣が交差するように飛来してくる。
目で確認出来る限りの剣の動きを読んでかわし
私は剣を手に、ラルーの方へと突進する。
私の無謀な行動にさすがのラルーも驚いたのか
目を大きく見開かせ、咄嗟に宙に浮かぶ剣の内一つを手に取り
私の剣を受け止めた。
そして激しい剣の打ち合いが始まる。
右、左、下、上、突き。
普通の剣と剣の戦いならば大雑把だが、パターンを予測出来る。
が、ラルーの場合は別だ。
ラルー自身が振るう斬撃に加え
他に宙を浮かぶ剣たちの攻撃もあるからだ。
ラルーが右から斬りつけようとする。
それを避けようと屈むと、上から剣が降ってくる。
剣がそれぞれに複雑な攻撃を仕掛けてくるのを
必死になって剣で受け流していると
背後からラルーが突きをかましに来る。
あまりにも不利だった。
変幻自在に宙を舞う剣たちもさることながら
それらを操る当人の剣の腕前が凄まじい。
軽やかな足取り、遠心力を込めて振り回される剣、私の反撃をいなす・・・。
子供のチャンバラごっこなどではない。
ちゃんとした太刀筋、研ぎ澄まされた殺意と刃・・・!
一体、どこでこのような剣術を得た・・・!?
“力”を戦闘に織り交ぜるどころか、当人の戦闘能力が桁違いだぞ・・・!
完璧極まりない殺人術・・・デタラメではない、紛うことなき“知識”だ。
あっという間に私は押されていた。
ラルーの剣筋に付いて行くのがやっとだった。
切りつけられた背中からの出血のせいか
視界が歪み初めて来た・・・疲労は頂点をとっくに超えていた。
むしろ、よく今まで全ての剣や斬撃をかわせたものだ・・・。
火事場の馬鹿力とでも呼ぶべきか・・・。
もはや私に出来そうな事はあと1回の斬撃くらいじゃ
これに全てを賭けるしかない・・・!
私はどうせ、出血多量で間もなく死ぬのだから。
開き治った私は捨て身の攻撃に出た。
防御もせず、全てをこの攻撃の一手に賭けて。
一気にラルーとの間合いを詰めていく。
無情にも振り下ろされる宙を浮かぶ剣が足に突き刺さる。
だが、それも無視して無我夢中で駆けた。
ただ目の前のラルーに勝つ、その一心で。
私の異変に気づいたラルーは剣で私の剣を受け止めようと
剣を縦に構えた。
私はそれをかわすべく、ラルーの剣を避けて縦に斬り付けた。
私の白い剣はラルーが着けていた黒い革のベルトに
巻き付けられた銀色の懐中時計を掠める。
そして私はここで初めて、ラルーがベルトに巻き付けていた懐中時計に注目した。
美しい装飾の施された銀の懐中時計・・・。
内部に組み込まれた金や銀の歯車が剥き出しにされ
黒い文字盤に時刻が描かれている、思わず目が奪われるような立派な時計。
何故、そのような邪魔にもなりかねないようなモノを
ラルーはベルトに巻き付けて持っている・・・?
私の剣に掠められた懐中時計の鎖は千切れ
じゃらじゃらと音を立てて、滑らかにラルーのベルトからすり抜け
落ちそうになっていた。
ラルーはそれを見て、私の腹を蹴り飛ばすと
慌てて高く後ろの方へと飛んだ。
かたん、とラルーは液体金属を湛えた水槽の上
鉄格子が蓋のように敷かれた場所に着地したのだが
慌てて落ちそうになる懐中時計をラルーは掴もうとするも
その手をすり抜け、懐中時計は無情にも鉄格子の荒い網目に落ち・・・。
網の隙間から下の液体金属が波波と入れられた水槽の中へと
ちゃぷん、という呆気ない音と共に落ちたのだった。
この液体金属は限界まで熱せられ
今はそれを冷やす為に実験を中断しているところ・・・。
まだ液体金属の熱が残っているとすれば、懐中時計は簡単に溶けてしまうだろう。
懐中時計の結末を簡単に理解した私は単純にも
そんな考えを頭の中に浮かばせ、もったいない事をしてしまったな。
と、美しい事この上ない懐中時計を名残惜しんだ。
私の最後の攻撃はラルーの肉体を傷付ける事も出来なかった
その現実逃避として、私は呆然とそんな事を考えていた。
が、ラルーの肉体を傷付ける事は無かったにしろ
私の最後の攻撃は・・・大きく彼女の精神を傷付けていたのだ。
だからこそ、彼女はこの瞬間 やっと本気を出した。
「ううぅ・・・あああああああぁぁぁぁ!!!」
液体金属の水槽に落ちた懐中時計を見たラルーは途端に
おぞましい断末魔のような叫び声を上げる。
凄まじい音声に私は耳を押さえた。
なおも音は和らがない。
膨大な空気の振動はやがて・・・実験場の至る窓ガラスを砕いた。
上から降り注ぐのは剣の刃ではなく、砕けたガラスの破片。
ラルーの制御下に無い
純粋な危険に私は諦めた。
だが、上を仰いだ視界を埋め尽くす
煌く鋭利な破片の数々は突然にも一時停止したように
宙に留まって止まった。
やっと、このときに私は自分が斬り付けたのは
ラルーの時計ではなくラルーの怒りそのものだった事に気付く。
さらさらと、液体の流れる音がする。
川のせせらぎのような静かな音。
その音の発生源が、ラルーが立ち尽くしている
水槽の中に満たされた液体金属なのは明らかだった。
液体金属が水槽の中で、まるで魚でもいるかのように蠢く
気味の悪い感覚を覚えていると突如としてそれは起きた。
どんっ!
巨大な木槌でも振り下ろされたような振動は地面を大きく揺らした。
それに私はふらついてしまい、地べたに座り込んでしまう。
だが私の目は足元には向かない。
否、向けるワケには行かなかった。
何故ならば、
水槽に満たされた液体金属―――“マーキュリー・ダイヤモンド”が
無重力空間にでも入ったかのように浮かび上がり
形の定まらない液体は鎖状に変化してラルーの周辺を取り囲んでいたからだ。
やがて、水槽内の液体金属は全て姿を消しラルーの周辺を漂う中
空っぽの水槽に取り残された無傷の懐中時計が姿を表していた。
ラルーは手を懐中時計の方に差し伸べると、
その手に吸い込まれるように懐中時計は勢いよく飛び
彼女の手中に収まる。
大切そうにラルーは懐中時計を抱きしめると
宙を漂っていた鎖状に変化した“マーキュリー・ダイヤモンド”は
凄まじい速さで実験場を覆い尽くすように蠢き出す。
そう、ディアスを襲った“鎖の迷路”を形作っていたのだ。
ディアスの時と違う点は実験場が非常に広いため、
その規模は何倍も大きかった事。
そして・・・その迷路の中心に迷路を操るラルーがいた事。
私は一瞬にして鎖の迷路に捕らえられ
一刻も早い脱出を模索し、折り重なって壁として行く手を遮る鎖の中に
重なり具合が薄く、脆弱であろう箇所を発見した。
多少の打撲があるだろうが
このようなラルーにとって幾らでも有利に成りうる“テリトリー”に
長居するべきではない・・・私は迷わず、その鎖の壁に飛び込んだ。
「っ・・・!!」
しかし、事はそう単純ではなかった。
鎖に触れた瞬間、鋭利な刃物で切りつけられるような痛みが生じ
私は咄嗟に後ろに飛び、強行突破の脱出を断念。
ただの鎖ではないのだ。
鋭利な刃が組み込まれた“刃の鎖”がこのおぞましい迷路を形作っているのだ。
一瞬でも鎖に触れれば服は裂け、肉を絶たれ、骨を砕かれる。
あやつは遊びたいだけなのじゃ。
これはあやつが作り出した狂気の遊戯
迷路ならば迷いながら出口を見つけ出さねばならない。
だが、出口などあるのか?
空間全てを使ったこの立体的な鎖の迷路に、
無事に脱出できる方法が?
到底、何一つとして目の前の事象を信用出来ない・・・。
あやつには光を操る力があるのだから
一見、“マーキュリー・ダイヤモンド”を操り鎖状に変化させ
“鎖の迷路”を作ったように見せかけているだけかも知れない。
私を弄ぶ為に迷路を作りつつも出口など用意していないでは?
そのような疑いが私の胸を埋め尽くした。
が、疑っているワケにはいかなくなる。
鞭のように束になって鎖が振り下ろされて来る。
私はそれを慌てて避けて
迷路内を駆け出した。
・・・疑っていたって仕方がない。
止まっていれば呆気なく殺されるのだから。
例え、この迷路が幻でも
出口が無くても
私はそれに関わらずこの迷路に迷わなければ死ぬ。
行き止まりに入らぬように
足元に注意しつつ、道の先を確認して走り続けた。
この迷路の厄介なところは
刃の鎖で形作られている事、
迷路の形を常に維持する為に鎖は激しく宙を行き来しており
時間が経つにつれ微妙に迷路の形が変化しているから。
最初はそういった“誤差”はちょっとした些細なものだ。
が、こういうモノに限ってその些細な誤差はやがて・・・
命に関わるほど蓄積して巨大な差になる。
つまり、時間を掛けてはならない。
まだ緩やかな今の内に・・・どうにかせねば・・・!
動く度に激痛が走る。
その痛みに耐えながら私は考えた。
この身体で、相当な消耗が予想される迷路脱出は不可能だ。
しかもちゃんと脱出が出来るかも分からない。
ならば、どうすればいい?
・・・答えは目の前にあるではないか。
迷路の中心で、どういうワケか一歩も動かず
膨大な鎖を緻密に操作しているラルー
いくら最高傑作と謳われるラルーでも
一歩も動かないのはこの鎖の迷路を操る事で精一杯だから。
しかも、操作しているのはただの鎖ではなく液体金属
鋭利な刃の鎖を維持し続けなくてはならないし
私の動きに合わせて迷路の形状も変化させなくてはならない。
膨大な情報量と集中力を必要とする作業・・・。
だとすれば、その妨害をしていた方がずっと確実だ。
私はその考えに至り
頭上を飛び交う刃の鎖の上に飛び乗り、ラルーの方を目指し
迷わず駆け出した。
複雑に交差し、形作られる迷路の通路に出来る僅かな穴をくぐり
真っ直ぐ進めずに上へ下へと翻弄されたが、
ラルーがいる空間に迷路の頂上から飛び降りる事で入れた。
等しく、私に浴びせてくるのは紅い瞳の殺意。
私は確かに、この時 大いに恐怖した。
凄まじい殺気は呼吸一つ許さず
冷や汗で手が滲む。
指や足は震え、目の前の“少女”を何よりも恐れてしまう。
彼女が私にぶつけてくる殺意は間違いなく私を慄かせた。
博士が戯れに向けるプレッシャーとは明らかに違う
正真正銘の“怒り”は私に“彼女は本気なのだ”と悟らせるものだった。
「―――白い愚か者さん?
まだ、何かをするつもりなのかしら?」
その音声は、先ほど発していた甘い無邪気な声とは程遠く
非常に冷たく・・・恐ろしい声。
白い顔に浮かぶのは
もはや狂気の笑顔ではなく、“無”であった。
そして彼女は続ける。
笑顔を止め、戯れを終え、初めて見せる“怒り”の感情をあらわにして。
「あんまりにもしつこいようなら―――首を刎ねましょう
愚かな罪人は首を絶たれるものなのでしょう?
ええ、ええ・・・私が、貴方を処刑してあげると言っているのよ
さよなら、“白き者”よ
貴方は取り返しのつかない大罪を冒したのだから」
冷淡な声で、不気味に輝く紅い瞳は虚ろに
あまりにも美しすぎる白い顔は悲しげに、だが儚げに。
その瞬間はきっと・・・何よりも美しかった。
細いか弱い少女の手が、差し出された。
黒いドレスがどこからともなく発生する風に揺らめき
冷たい蜃気楼が起き、少女の周囲の光は歪む。
まるで、空間そのものがグニャグニャとこじ開けられるように。
光が歪み、何もないところに黒い黒い“闇”が生まれる。
完全に光を通さない闇は宇宙に漂う塵のようで
ラルーを優しく包むヴェールのように、闇の粒子はなだらかに舞う
ラルーの差し出された手は大きく開かれると
闇の粒子は彼女の手の元に集い始めた。
命令を受けたかの如く。
質量を持った闇の粒子が勢いよく集まると
それは次第にある形に成り立つ。
少女の身の丈以上に長い棒
その先に覗くのは滑らかにカーブした刃。
見間違う事無く、それは大鎌である。
闇の粒子から作られた大鎌には細かい鎖が絡みついており
日本刀のように波打った美しい曲刀の刃は鈍く光を照らつかせる
その刃とは反対に外側向きの刃が付けられ、
その刃の曲面には歯車のような模様が浮き出ていた。
鎖と歯車、美しい銀の輝きと艶やかな黒の闇。
その大鎌は・・・先刻、ラルーが落としてしまった懐中時計を思わせた。
そんな大鎌を手に取ったラルーはふわりと前かがみに倒れ込むと
一瞬にして私の目前に“現れる”
彼女の速さのあまり“見えなかった”せいだと理解したのは間もなかった。
美しい白い顔は私の目の前にあった。
紅い目を細め、無表情ながら少女とは思えないほど達観した美貌。
思わず目を奪われた。
そう、完全に目的を忘れかけるほどに。
だが私の首元に掛けられた大鎌の刃を見て私はハッとして剣で受け止めた。
甲高い刃と刃がぶつかり合う音が響く。
重たい一撃に私は一歩、間合いを取ろうとしたが
ラルーはそれすら許さない。
大鎌の刃を横に薙ぎ払うと、カーブした刃の性質上
それを受け止めていた私の剣も巻き込まれ、剣を取られかける。
強く握り締め、慌てて刃を引き抜いた。
ラルーはその隙に大鎌を逆さまにして私の顎を下から突き上げるように打つ。
大鎌を逆さまにした為、大鎌の柄が私の顎を打ち付けた。
それは棍棒で殴られたも同然のダメージだ。
抗いようのない衝撃に私の頭は上へと反り返る。
首がへし折れそうな勢いに一瞬、視界が真っ白になった。
首をすぐに戻し、視線をラルーに向けると
逆さまにした大鎌をまたひっくり返し、歯車模様の刃で腹を横に斬りつけてきた。
そして横になぎ払った大鎌の内側向きの刃が私の方に向けられる。
計算され尽くした美しい三撃だ。
だが、これが決まると私は確実に死ぬ。
既にボロボロの身なのにこれ以上、痛い思いはしたくない。
強く握り締めた剣を振るい、斬りつけられる前に刃を受け止め
手をラルーの顔へと差し伸べる。
私の能力で彼女に攻撃するために。
私にとってこの剣は武器ではない。
この剣はどちらかというと“盾”だ。
鋭利な武器という見た目で牽制出来る万能な盾として扱ってきた。
だからこそ、ラルーとの戦いにおいても防御にのみ使う。
私にとっての武器はこの“力”相手の脳に力を流し込むだけで意識を奪う事。
これさえ成功すれば・・・!
が、突如
私の脇腹に鋭利な衝撃が走る。
目を向ければ、そこには大鎌の刃の先が私の腹に刺さっている。
私が甘かった。
通常の剣やナイフなら、受け止めるだけで攻撃する事を防げるが
大鎌に限って違う。
大鎌はカーブした刀身から、剣で受け止めても
完全に刃を固定出来ない。
奥に傾けるだけで刃を動かせる。
それが私の腹に刺さっただけの話。
こんな凡ミスを犯すほど、私は衰弱しきっていた。
彼女の凄まじく鮮やかな大鎌使いに耐え切れるはずもなかった。
私の腹を蹴り飛ばし
後ろによろけた隙に歯車模様の刃で私の胸を斬りつけ
今度は大きい方の刃で私の首を切断しようと振りかぶる。
その動きから大体の軌道を予想し
私は咄嗟に避ける。
そんな事を3〜4度くらい繰り返したと思う。
その間、私は着々と傷付けられ
ほとんどされるがままになっていた。
信じられない事にも、これほど高度な戦闘をしているのに
“鎖の迷路”は未だに精密にその形を成している・・・。
私は彼女の集中を削げればあるいは・・・と思っていた。
これほど難儀な技を使っている今なら弱っていると信じて。
なのに、“鎖の迷路”には乱れ一つ無い。
私は彼女の集中を妨げる事すら出来ていないのだ。
我ながら、滑稽だな。
このような小娘に翻弄され、弄ばれた挙句・・・殺されるのか。
ラルーの大鎌の刃がついに私の首に深く突き刺さる。
熱い血液が流れ、意識が朦朧とし、あまりもの激痛に絶望する。
しかし、その刃は私の首を完全に切断する事なく外された。
無表情の少女は不意に私の事を軽く蹴った。
糸の切れた操り人形のように
簡単に倒れ込む私の身体は“鎖の迷路”の壁に巻き込まれた。
最後の最後の戯れなのか、悪意による拷問なのか。
刃の鎖の数々が私の身体に巻き付き
私の身体は凄まじい勢いで上の方へと持ち上げられる。
幾多もの鎖が私の身を激しく斬りつけ、頂上から力なく落ちた頃には・・・
私はズタボロに全身を斬りつけられていた。
防御の一つも取れない無抵抗な私は地面に強く衝突し
弾けるような音が響く。
もはや指一本も動かせない。
私は死ぬのだ。
この、膨大極まりない激痛と後悔と共に。
私の白い着物は完全に真っ赤に染まっている。
骨や肉が剥き出しになって、無残な有り様だ。
そんな私を静かに見下ろすのは世にも美しすぎる少女だった。
まるで天使のような無垢な美しさを持っているのに
その精神は狂気に染まり、もはや浮かべる笑みは狂っている・・・。
―――だが、これほどの美しい人に看取られるなら少しは救いがある。
ああ、これほどにまで美しい時間を過ごした事はない。
普通ならば悽惨極まりない
おぞましい目に遭っているはずなのだが
私はそれを“美しく”思っていた。
右へ、左へ
大鎌を振るう度に、風になびく艶やかな白い髪。
私を見下ろす、整った白い顔
固く結ばれた、ほのかに赤い唇
虚ろな宝石のように美しい紅い瞳
黒いドレスが細く華奢な体躯にはよく似合い
儚げな少女には洗礼された美貌があった。
気が触れている、そんな事すらどうでも良くなるほどの美しさだ。
「・・・何故、仮面を付けているの」
「それは、顔を隠すためじゃ
それ以外に理由なんぞ在るものか」
「そう・・・では何故、顔を隠したいの」
「・・・顔を隠して、生きてきたからじゃ
今さらこの仮面を外すのは・・・とても恐ろしい」
「・・・死ぬよりも?」
「・・・死ぬよりも、であろうな・・・」
「・・・変な人ね」
「ああ、そなたがそう言うならば
私は変人なのじゃろう・・・もっとも、ぬしほどの狂人ではないが」
少女は静かな声で私に話しかけてくる。
本来ならば、この娘を憎むべきなのだろうが
不思議と“憎しみ”の感情を抱く事はなかった。
畏怖とはこういう思いを言うのだろうか?
そう、私は何よりもこの娘を恐れていると同時に
その圧倒的な力と美貌を尊び敬っている。
そんなラルーに殺され、看取られるのも・・・悪くはない。
「―――っ」
すると、私を見下ろしていたラルーが床に座ると
私の顔を両手で包むように触れてくる。
その白い顔に浮かんでいる無表情には微かながら感情らしきものがある。
・・・? 一体、彼女は何を思ってこのような曖昧な表情をする?
ゆっくりとラルーは顔を私に近付けて
大鎌によって深く抉られた私の首にそっと口づけを落とす。
呪いが解けたかのような錯覚を抱くほど、不思議な神聖さを感じた。
もはや朦朧とした意識が消えかかっていた。
むしろ、よくここまで意識を保っていられたものだ。
死は間近、死に方も穏やかとは決して呼べぬ。
にもかかわらず私は静かに幸せを感じていた。
多少の後悔はある。
だが、さきほど死にかけた時とは違う。
その時は無意味なまま死にかけたが、少しだけ生き存えた。
ただそれだけで、やっと意味を見い出せた気がする。
私はこの娘と出会えたことに最大の意味を、幸福を得たのだ。
この狂気満ちる少女こそが、私の錆び付いた歯車を動かしてくれた。
何かがやっと変われたように思えた
これだけでも十分に価値がある。
穏やかに殺されることが出来る・・・。
私は目蓋を閉ざし、眠るように“死”を受け入れた。
全身の血の気が引き
力が抜けていくようだ。
これが“死” これが人に“殺される”苦痛・・・。
・・・・
脳裏には数々の思い出が巡っている。
幼かった時、私と遊んでくれた母上がとても優しくて嬉しく思ったこと。
その母上が突然に姿を消してしまったこと。
妹と弟が間もなくして母上のことを全て忘れてしまったこと。
それを深く悲しんだと同時に、未だに忘れられない自分が嫌になったこと。
母上の葬儀にも結局、姿を現さなかった父を恨んだこと。
様々な過去の喜怒哀楽を思い出した。
そう、今は強く感情を揺さぶられることが無くなってしまったが
昔は人一倍に感情的だった。
だが、昔の記憶が全て幸福だったとは呼べぬ。
幸福と呼べる時期は母上がいた頃だけ。
なんで母上は死んでしまった?
何故、父は子供であるはずの私たちの前に一度も姿を現さなかった?
どうして私は生まれついた瞬間から仮面を付けられた?
何ゆえに―――私の住んでいた神社にはラルーと瓜二つの骸があった?
私はラルーを一目、見た瞬間から縁を感じていた。
私が生まれ育った神社には不可解な習わしの数々があり
未だに理解に苦しむような儀式も繰り返し行った。
その内、一つの儀式・・・“鎮魂”の儀を執り行ったとき
神社の奥の、普段は人の立ち入りが禁じられている本殿に入った。
そこには黒い沼のようなところにラルーに良く似た女性の骸が
下半身は沼に浸され、上半身は鎖に絡ませ繋がれている状態。
非常に水々しく、たった今死んだと言われても疑わないほど美しい遺体・・・。
私はその、死んでから数十年も経っているという美しい骸の“鎮魂”を行った。
その時には何も感じなかった。
が、後にその骸と瓜二つのラルーに出会ったとき・・・。
驚きを禁じ得なかった。
まさかとは思うがあの不可解な骸とラルーには何かの関係があるのか?
そう思わずにはいられなかった。
今になって知りたい事が多いが・・・もう・・・。
歪み、歪み、壊れていきそうな視界には
儚げに液体金属の鎖と共に舞う少女の姿があった。
綺麗な歌声が聞こえるが、その声が何を言っているのか分からない。
・・・何語で歌っているのだろう?
英語でもない、日本語でもない・・・。
何を言っているのか分からないながらも美しい歌声に聴き入ってしまう。
ラルーが歌っているのか・・・素晴らしい歌だ。
消えかかった意識の中
そんな感動を覚えた。
次第に舞い踊るラルーの姿が見えなくなる。
人は死ぬとき、徐々に感覚を失っていくという。
痛みも気付けば消えている。
しかし、どんなに感覚が消えていこうとも
聴覚だけは最後まで残されている。
だから、美しい歌声がいつまでも聞こえていた。
ああ、せめて日本語で歌ってくれたのなら
彼女が何を訴えているのかが分かれたのだが・・・
こればかりは仕方がない・・・。
もはや光を写さぬ眼を開き
私は穏やかな永遠の眠りに落ちかけていた。
が、そのような安らかな気分は砕かれた。
「・・・っ!!?
貴様・・・ぁぁぁああああああああ!!!」
美しい歌声が一瞬にして悲鳴に変わる。
そして
「“第3の作品”
誰に命じられて、死のうとしている?
私の許可なく勝手に死のうとするとは・・・これまた愉快な事が起きたものだ
改めて、“最初の作品”お前の変貌ぶりには驚かせられる」
冷酷な、紛れもない博士の声が聞こえた。
すると途端に目が痛みだし
眩しい光が見えてくる。
「っ・・・はぁっ・・・!!」
消えたはずの感覚が次々に蘇ってきたと思えば
痛みも再び全身に走るが、痛みに限ってはすぐに消えてしまった。
眩しさから真っ白な視界には徐々に色が付き・・・。
視界も完全に治ってしまった。
違和感と気怠さが少しだけ残っているが
自分の身体を確認すると、全身を斬りつけられたはずなのに
その傷は消えている・・・。
全身に受けた傷という傷、全てが一瞬にして治癒したのだ。
原因など、すぐ傍らに立つ博士を見れば明らかだった。
博士の手には注射器。
・・・博士が開発した薬を注射された事により、私は蘇生されたのだ。
「は、博士・・・」
「よくやった、イヲナ
よもや“最初の作品”をここまで足止めするとは・・・
殺されずに生き延びるとは見事だ」
「っ・・・あと間もなく殺されていたところでしたが」
「ああ、それはもう惨い状態だったのは見た
それでもショック死しなかったことを讃えているのだぞ」
「・・・ありがとうございます」
「と、話はあとだ
まさかまた帰ってくるとはな、“ラルー”」
博士は無表情のままだが、どこか嬉しそうに私に話しかけてくる。
ああ、確かに殺されずにここまで生きていられたのは
奇跡と呼んでも問題は無いだろう。
私は“第3の作品”
“最初の作品”であるラルーから見て少し遠いようで近く。
だが、決して似ているワケでもない。
全く異なる性質を持つ者同士が初めて衝突した瞬間だ。
博士からすれば興奮せずにはいられない状況かも知れない。
・・・なんだかんだで私は凄い事をしでかしてしまったか・・・?
「私の大切な名を・・・勝手に口にするでないぞ・・・!!
汚らわしい下劣な愚か者め・・・!」
鎖の迷路は気付けば解かれており
宙を舞う鎖はラルーを囲むようにぐるぐると回っていた。
ラルーは博士に名前を言われた事が癪に障り
あからさまに怒りを現した。
大きく目を見開き、大鎌を抱きしめ、
液体金属の鎖は彼女の怒りに反応して刺々しく変化する。
博士、よりにもよってラルーを挑発しないで欲しい・・・。
いくら博士の薬で身体を治せても、私はこれ以上ラルーと戦いたくはない。
「―――素晴らしい・・・!」
「ああ?」
そんな私の思いとは裏腹に
博士は考えられないような歓喜の声を上げた。
それには私も眉間にしわが寄ったがラルーからすれば意味不明を極めているはず。
「想像以上の出来栄えだ・・・!
一体、いつの間にここまで完成した・・・
いやまだだ・・・まだまだこれは完成しきっていない・・・
これからどう完成するのか、私はこれほどの喜びを知らない・・・!」
これほど素直に喜ぶ博士の姿は見た事が無い。
無表情が、確かな笑顔に変わっている。
この目を疑わずにはいられない。
彼は娘であるはずの少女をモルモットにした挙句
危険と思えばすぐに遺棄し
消息不明になっても、結局は最後まで探さなかったくせに
戻ってきた少女の変貌ぶりに驚き、その強力な力に感激している。
少女の成長を、父親として喜ばず・・・いち研究者として喜んでいる。
私の目から見ても・・・異常だ。
私はこのときに限ってラルーを深く哀れんだ。
深く同情したと同時に、憎らしくも思えた。
私は父の姿を一度も見た事が無かった。
そのため、父が何者なのか分からなかった。
彼が悪いのか、家庭環境が悪かったのか判断できなかった。
おかげで父を恨めても、心底憎む事だけは出来なかった。
だが、ラルーは父親の姿を見てきた。
愚かで、醜く、恐ろしい悪者たる姿をずっと見てきたのだ。
ならば惜しみなくラルーは父親を憎む事ができる。
父親の正体を何よりも理解し、悪としてハッキリしている。
私は母上を亡くし、この世が滅びるような絶望を 悲しみを抱いた。
母上を忘れゆく妹と弟の姿を見て嘆き、罪悪感に駆られた。
いつまでも姿を現さぬ父に腹が立ち、非常に憤怒した。
ラルーは母や父が死んでも悲しまないだろう。
むしろ、それを嘲笑うだろう。
弟が自分の事を知らなくても何も思わないだろう。
これ以上に無いほど不幸な家庭で育ちながらも、きっと彼女は何も感じない。
何故ならば、彼女は気が触れているから。
狂っているからこそ自由奔放に他人を気にせず、生きていける。
私は・・・ラルーを羨み、そして妬ましく思ったのだ。
「・・・なら、私に殺されても喜ぶの?」
液体金属の鎖が鞭のようにしなり、うねると
そこから一筋の硬質な刃が博士の首めがけ飛ぶ。
博士は咄嗟に横に振り向いたため、寸前でかわせたが
その目に驚愕の色が覗いていた。
「あのね、何をどう思っているのか・・・何を勘違いしているのか
分からないけど、この際だから言うわ
私は何よりも貴様を殺したいんだよ、クソ邪魔男
分かってる? アンタは人に憎まれて殺意を抱かれてんだよ
例え、アンタが何億もの命を助けたとしても、
天変地異の災いを鎮めたとしても
私は貴様を許す事はないわ、必ず私がお前を殺すの・・・絶対よ?
一瞬で殺す事も無いわ?
誰よりも苦しんで、誰よりも恐怖しながら、誰よりも絶望しながら 死ね
本気で生まれてきた事を後悔させてやるよ・・・楽しみにしてて?
永遠にずっと、ずーっと・・・貴様を呪うの・・・
きっとこれからの人生、楽しくなるわ! 貴様を殺す日が今から楽しみよ!」
ラルーはいつもならば上品な言葉遣いだ。
なのに、その言葉遣いも乱暴なものに変わるほど
彼女は博士を怨み、憎み、呪っている・・・。
その言葉一つ一つにおぞましい重さが含まれており
彼女が放つ殺気は私が受けたモノとは比べ物にならない。
博士は自分が恨まれている事を知らなかったのか。
ラルーの言葉を聞き、すっかり黙ってしまった。
先ほどの無邪気な笑顔は消え失せ、怖い無表情でラルーを見つめていた。
長い、長い沈黙が空間を支配した。
が、その沈黙は大胆不敵な狂人である彼女が破った。
「言う事は言ったわ、やるべき用事も済ました事ですし・・・
そろそろお暇させて頂くわ?
もっとも、ダメだと言っても消えるけど」
ラルーは嘘っぱちの笑顔を浮かべて
そう言うと手をひらひらと振り、私たちに背を向ける。
私は彼女を逃がすまいと、立ち上がろうとするが
思っていた以上に受けていた傷が深いのか、身体が鉛のように重く
ふらりとよろけてしまう。
背を向けたラルーは顔だけ私の方に振り返らせ色っぽく笑うと、
彼女の周囲を漂っていた液体金属が凄まじい勢いで
ラルーの首元に集まる。
そして液体金属が小さな球状に集まりきると・・・
ラルーは幽霊のように、すうっと半透明になり
空気に溶け込んだかのように、消えていなくなってしまった・・・。
・・・・
・・・このあと、この事件は研究に深い影を落とした。
こんな事があったせいか、研究に協力する研究者は大幅に減った。
何故ならば、私やカルムがラルーと遭遇する前に
何十人もの若い研究者が惨たらしく殺されたからだ。
協力者が減ってしまうのも無理はない。
今はただ、実績を少しずつ積んでいくだけ・・・。
ラルーに襲われ“炎呪”の呪いなるものを掛けられた吸血鬼カルムは
数日もの間、昏睡状態に陥った。
彼が目覚めた時・・・。
何故か、その目には涙を滲ませており
「大切な何かを失ったみたいだ
苦しい・・・」
と言葉に出来ない喪失感と胸が締め付けられるような苦しみを訴えた。
カルムに関しては不明な点が多いが・・・。
調べようにも手がかり一つ無いとあっては私もお手上げだった。
あの日、あの時。
私は彼女に殺されるはずだった。
しかし、博士によって救われた・・・。
否、これ以前にも
私は死ぬはずだったところを博士殿に救われた。
一度ならず二度も・・・。
例の事件によって発生した被害は大きい。
ラルーによって殺害された研究員と、その事を持って辞めてしまった研究員
そして、研究に参加する研究員が遥かに少なくなった。
次にラルーが強奪していった博士が開発した液体金属
“マーキュリー・ダイヤモンド”・・・。
被害を金銭に換算すると億という金が消えてしまったわけだ。
これでも被害は抑えられた方なのだから驚きだ。
しかし、失ったものは大きい。
故に、私はその後 損失を取り返す事に奔走した。
当初の予定通り
“最初の作品”及び“第2の作品”
“オダマキ スイセン”と“ナラス”の監視をしつつ
ほんの少しだけ殺し屋という仕事をしてみたり、研究の実験台になったり。
非常に忙しい日々を送った。
それでも私は楽しく過ごしていたと思う。
あの事件からというもの、研究者としての性分が出来たのか
仕事を第一に楽しんだ。
何よりも・・・それ以降もラルーの事をよく知れた。
彼女が事件の後、送った生活はなかなかに衝撃的にして刺激的であった。
逃亡したこの4名は“オダマキ スイセン”の故郷に隠れ住む事になった。
ナラスと“第2の作品”はオダマキ スイセンにより溺愛され
逃亡の身でありながら裕福な生活をした。
が、オダマキ スイセンはやはり“最初の作品”を受け入れず
ラルーは間もなく近くの神社に売られた。
売られたラルーはその神社にて“神”に祭り上げられ
村の信仰を一身に受けた。
しかし、ラルーは子供。
この日本という国では子供は学校に通わせなければならない。
そのため、ラルーは村では“神”として生活し
学校では“一生徒”として生活した。
私はラルーが神として村の人々の願いを全て叶え続けた姿を見守った。
私は学校であっという間に孤立していくラルーの姿を監視し続けた。
村では“神”として懸命に村に尽くさねばならず
誰にも一人の子供として扱われない。
学校では気味の悪い頭のおかしな娘と扱われ
誰にも相手にされなかった。
彼女は村でも、学校でも、居場所がなかった。
私は彼女の事をずっと監視し続けていたが
具体的にどのような事が起きたのか詳細は把握しきれていない。
それに、私の仕事はあくまでも彼女の“監視”
だから私は彼女が追い詰められている事を認識していても“何もしなかった”
そのせいなのか・・・。
しばらくして、おぞましい惨劇が僅か半日で起きてしまった。
ある紅い月の昇る夜。
美しい着物に身を包んだ“神”が薙刀片手に村を駆けた。
舞うように薙刀を振るえば
鮮血と首が飛び
数時間ほどで村の人間は いなくなった。
約100人の命が一夜にして殺された。
紅い月が沈み、眩い太陽が昇る朝。
返り血一つ浴びていない着物姿のまま
気の触れた女生徒が登校した。
あどけない少女の手には禍々しい大鎌。
弄ぶように大鎌を振るえば
悲鳴と血しぶきがまき起こり
1時間ほどで学校内は 静かになった。
約900人の命が残忍にも奪われた。
学校で起きた殺戮は目も当てられなかった。
次々に首が刈り取られ
まるでおもちゃを並べるかのように
生首を机の上に置き
泣き叫ぶ生徒をあえてすぐには殺さず
最後の一人になったところでゆっくりと・・・。
なのに、学校で起きた惨劇と村で起きた惨劇には大きな違いがあった。
村では生き残りはラルーと“第2の作品”とナラスの3人と
もう一人、ラルーに仕えた巫女だけだった。
学校に関してはひとクラスに一人から二人ほどの生存者が残された。
そのため、学校で起きた殺戮は悲惨を極めながら
徹底的な殺戮が繰り広げられた村と裏腹に、本来なら殺せたはずの
大勢の生き残りが、何故かそこにはいた。
当然、この惨劇は世間にも気付かれ
ラルーは警察に捕らえられた。
容疑者として、だ。
状況的に見ても最もラルーが疑わしい。
ラルーの殺人が証明され、捕まるのは間もないと覚悟したが
どうしたことか、ラルーは無実であるとして容疑は晴れた。
そしてラルーは解放されて間もなく
表の世界から消息を断つ。
彼女は見事に完全犯罪を成功させ、
裏の世界にて“狂気の死神”という二つ名で
殺し屋となったのだった・・・。
・・・・
「分からぬ事は多い半生じゃが・・・
これが、私が把握している彼女の情報の全てだ」
やっと、彼女の半生を話し終えた。
非常に長く、膨大な情報量だが
何も詳細は分からないため、どんな情報が重要なものなのか
不必要な情報を判断する事が出来なかった。
おかげで話すとなれば異様に長々と話し込んでしまう。
これは私がラルーに対して研究者として強い熱を持っているからなのか
それとも私はラルーを恐れるあまり、忘れたくても忘れられないだけなのか
もはやそれすら分からない。
へティーとカルムは私の話を聞き
静かに驚愕していた。
そりゃあ、この話はこの世のものとは思えぬほど
現実離れした壮絶な物語だ。
ディアスは深く深く、考え込んでいるのか
無愛想な表情のまま黙り込んでいる。
一体、この男は何を思っているのか・・・。
これほどにまで思考を読み取れない人は博士以外にはこの男くらいだ。
ラルーはだいぶ何を考えているのか
大体、察しが付くようになったから良いものを。
へティーは感想を述べるべく、そっと口を開けた。
彼女がこのなんとも言えない空気を直してくれるのか
非常に助かる。
私はへティーの一言を聞くべく
耳を傾けた。
話し疲れたが、へティーの疑問解消に付き合わせられそうだ・・・。
私はそんな事を考えながら
へティーの声を待った。
しかし、どういうワケか声が聞こえてくる事はない。
何事かと思い
へティーの方を見ると何故か口を開けたまま固まっている。
「な、なんじゃ・・・
へティー・ルアナ? 私を茶化しているのか?
気味の悪い冗談は止めんか・・・」
「いいえ、冗談ではないわ・・・?」
「っ・・・!?」
私はへティー・ルアナが重たい空気を粉砕するために
ふざけて固まった演技をしていると思った。
何かの冗談だと。
だからこそ、へティーに話しかけたのに・・・。
返ってきたのはへティーの回答ではなかった。
上品な言葉遣い、覚えのある声・・・。
件の、ラルーだ。
「何の真似じゃ・・・!」
辺りを見回せば確かな変化があった。
不自然に固まっているのはへティーだけではなく
ディアスもカルムも、まるでよくできた人形のように固まって
完全に動かない。
壁時計を見れば、秒針も止まっている。
これはラルーの“時間操作”の能力によって
時間が止められたに違いない・・・!
不意にディアスの背後から
博士が発するプレッシャーに良く似た気配がする。
その方を見てみれば、何の違和感もなく
彼女は暗闇の中からゆっくりと姿を現した。
室内だと言うのに、黒いフードを深くかぶり真っ白な顔に影を落としていた。
その影の奥から、ぼんやりと不気味な紅い輝きがちらついた。
「ひどいわ、何よ・・・その物言いは?
私たち、仲間でしょう?
“ぬしの時間を取り戻せて良かったな”とでも祝福してくれたって良いのに」
「・・・ディアスの言う通りで良かったな」
「ふふふっ! やだなぁ~・・・棒読みじゃない・・・
ひどいわ、本当にひどいわ・・・
人の過去を勝手に洗いざらい話したりするし・・・」
何やら異様な雰囲気をまとったラルーを見て
私は直感した。
“こやつは怒っている”と・・・。
虚ろな紅い瞳
貼り付けた偽りの笑み
余裕に満ちた態度と口調
彼女はどうやらディアスに封じられた“時間操作”能力と共に
いつもの調子を取り戻したようだ。
「しかも、よりにもよってへティーにまで喋ってるし」
「その点に関しては許せ
ディアスをここまで連れてくるために
ぬしの情報で取り引きせねばならなかったのだ・・・
喋らねばならぬ状況にされてしまった」
「・・・なるほど
じゃあ、お仕置きしなくちゃねぇ?」
「何故、そうなる」
「え? だって、確かにイヲナだけが悪いわけじゃないけど
喋った事実に偽りは無いじゃない?
悪い子はお仕置きするものなんでしょう?」
「・・・・単純に私を弄びたいだけじゃないのか」
「うん!」
「・・・」
「あ、ごめん
今のはジョークよ、冗談!」
「信じられるか」
ラルーはディアスの隣に来ると
私の顔を覗き込みながら話し始めた。
お仕置きか、最悪じゃ・・・。
こやつの言う“お仕置き”は
“拷問”なのか、“お遊び”なのか
判断に苦しむ。
出来れば拷問でない事を祈る。
「それでラルーよ、ぬしは何をする気じゃ?」
「あら? 私は何もしないわよ?」
「嘘を吐け
ならばなぜ わざわざ時間を止めて現れた?
そんな面倒な事、する必要が無いじゃろう」
「・・・2つだけ、あー、いや3つくらい?
やらなくちゃならない事があるからよ」
「ほう、では説明願おう」
あからさまに様子のおかしいラルーに何らかの考えがあるのは明らか。
それに、時間が止められている中
私だけ動けるのはラルーの意思によるもの。
つまりは、彼女がやらなくてはならない事に私が関係しているようだ。
ならばとっとと済ましてしまおう。
・・・おおよそ予想が付くが
「じゃー、順序よく進めましょうか
一つに、とっても残念だけど私はイヲナに釘を刺さなくてはなりません」
「だと思った」
「え! 以心伝心・・・!?
ついに私とイヲナの心が通じ合えた・・・!?」
「ワケの分からないテンションを止めろ
私はただ単にぬしの思考回路を少しだけ読めるようになっただけじゃ
なんじゃ、心が通じ合えたとは・・・」
「・・・イヲナとの間にある壁はひどく高い・・・」
「いいから話を進めんか」
「・・・はーい
イヲナ? くれぐれも今後、今日みたいな
私の昔話をペラペラと喋ったりとかはしないでね?
とてつもなく私が困るから」
「ああ、分かった
今後ともこのような事が無いよう気を付けよう」
「・・・本当に?」
「私が嘘をついているように見えるのか」
「・・・見えないわね
分かったー、では二つー!」
彼女は極端に、自分の事を知られる事を毛嫌う。
自分の過去を忌まわしく思っているからだろう・・・。
釘を刺されるのは当然だ。
下手すれば殺されたかも知れないが
そうならなかったのはひとえに“仲間”という関係がそうさせた。
私は運が良い・・・。
「私の昔を知っちゃったへティーとディアスを
どうにかしなくちゃいけません!」
「どうにか出来るのか?」
「―――出来るわ」
「・・・!?」
二つ、ラルーの情報の抹消。
彼女の目的が分かったが
それをどうにかする方法が分からない。
私はその疑問を素直に言葉にすると
不穏な気配に呼吸が止まった。
ラルーはおもむろに深くかぶったフードを下ろした。
あらわになる白い髪と・・・
光り輝く紅い瞳、そして・・・影のような半透明の黒い蛇が
ラ ル ー の 白 い 髪 と は 別 に 伸 び て い た
「―――忘れた?
私は “メデューサ”なのよ・・・?」
妖艶な笑みを浮かべ
ラルーは固まって動きやしないディアスに後ろから抱きつく。
繊細な指でディアスの髪をくるくるとなぞって弄んでいるようだ。
「私は“追憶のメデューサ”・・・
貴方たちは私たちの事をよく分かっていないから、教えてあげる
メデューサの目には2つの力があるの
1つは全てのメデューサが共通して持つ
“視界に映る生物を意のままに石化する能力”
そしてもう1つの能力は
個性で、みな自分だけの能力を持っている・・・
その自分だけの能力によってメデューサとしての名が決定するの
私のメデューサとしての名は“追憶”
その理由は・・・“記憶を喰らう能力”だから
死者の記憶も、生者の記憶も
記憶を根こそぎ奪う事も、記憶を捏造する事も
私は“記憶”を弄れるのよ・・・」
ラルー・・・もとい“追憶”は親切にも
メデューサという種族がどういうものなのか説明をしてくれる。
そもそも、私はこの世に“メデューサ”なる存在がいるとは知らなかった。
神話や、おとぎ話に登場する架空の生物だと認識していた。
吸血鬼を部下に持つ私ながら、皮肉にもそう思っていた。
独自の文化を持つ種族であり
正に“未知”そのものたるメデューサ
ラルーの説明だけで、私はそう分析した
その生態を紐解けば、ラルーの事をより深く理解出来るのか?
研究者として強い興味がそそられるが・・・。
1つの疑問が私の脳裏をよぎる。
何故、私はメデューサを知らない?
私は何でも知っていると呼んでも過言ではない博士と
行動を共にしてきたのだ。
私が知らないという事は、“誰も知らない”という事・・・。
何故、メデューサは誰にも知られていない?
これほど神話やおとぎ話で有名な怪物なのに
吸血鬼と並んで、脅威的な存在性を有するにも関わらず
その影は霧ほどの実態も無い。
・・・メデューサという存在に気味の悪さと
強い“嫌な予感”を感じずにはいられなかった。
「私の能力をもって
へティーとディアスの記憶を改ざんするわ・・・
悪いけど、このビッグネームに知られると都合が悪いの」
ラルーは静かにそう呟くと
紅い瞳は更に光り輝く
髪から伸びる影の蛇が大きくうねり
ぱき、という脆い宝石が砕けるような微かな音が響き
ほのかに安心したような表情を浮かべた。
すると瞳の輝きは失せ、髪の蛇はするりと落ちるように消えた。
「・・・これで2つ目のやるべきことは済んだか?」
「ええ、最もイヲナが2人に何か大切な話をする状況が出来た以上
イヲナ、貴方は何か代わりの話をしなくてはならないわ?
いくら私の能力をもってしても、そこまで誤魔化せないから・・・」
「それが、やるべき3つ目のことか・・・」
「ええ、代わりに出来そうな話はある?」
「そんなの、私自身の話しかない」
「あら、貴方の昔語りが聞けるのね?」
「否、そんなワケあるか
素直に告白するのだ、私はぬしの監視人であり
ラルーの事を調べている
ゆえに私はラルーの事を詳しく知っているわけではない、と」
「ああ・・・じゃあ、これまでの細かい流れを説明するの
じゃあ、その記憶を捏造してあげるわ」
「それはありがたい」
いとも簡単にラルーはそう言うと
ちらりとディアスとへティー・ルアナに目やり
すぐにディアスから離れ、力を使って姿を消した。
もう記憶の捏造が出来たというのか・・・。
そのメデューサの能力の源はあくまでも“眼”
ちらりと目やるだけで、全てが完了するという事か・・・。
ただでさえ化け物じみた強さを持っているのに
更に恐ろしい力を隠し持っていたとは
本当にラルーは凄まじい存在だ
ぱん、という手を叩く音が不意にすると
止まった世界が突如、“動き”を取り戻した。
「なるほど、イヲナ
つまりは私を騙した、という事なんだな?」
「・・・否、嘘にはなっておらぬ
私がぬしに持ちかけた条件ではっきりと言ったぞ
“私が知る限り”だと」
「ちっ・・・これはまた、上手に欺かれました」
・・・ラルーの記憶改ざんは成功したようだ。
ディアスはラルーが捏造した記憶から
私が詐欺まがいの取り引きを持ちかけたと認識し
呆れた様子だ。
これで怒っていたら
どうしようかと危惧したが、まあ助かった。
「死神ちゃんに監視人・・・
確かに、あの子って分からない子だからねぇ」
へティーも同様の反応だ。
こうも簡単に記憶を捏造出来るのだな・・・。
そして、記憶が捏造された事に気付けないのか・・・。
複雑な心境だ。
「・・・は? え?
待って、何が起きた」
が、うっかりしていた。
カルムには記憶改ざんの手が加えられていなかった。
何故、カルムだけ何もされなかったのは
今思えば妙な話だ。
私の仲間だから記憶を弄らなかっただけなのか?
・・・とにかく、今はカルムのヤツをどうにかせねばならぬ。
「ぬし、まさか私の話の最中
居眠りでもしていたか?」
「え、そ、そんなのするわけないだろ!?」
「では私が今さっきディアスとへティーに話した話を
私に説明してみよ」
「・・・!?」
「出来ぬようじゃな・・・
やはり昼間に夜行性の吸血鬼が起きているものじゃないのう」
「・・・す、すみませんでした・・・」
カルムは簡単に権力の力で押さえ付ける事が出来るので
私はそれを惜しみなく使う。
一応、カルムが居眠りした事にすれば
話のつじつまを合わせられる・・・。
「ね、ね、やっぱり
さすがの吸血鬼でも疲れる事ってあるの?
昼間に起きていると辛い?
というか、昼間に起きていて平気なの?」
「なんでそんなに目を輝かせて問い詰めてくるの!?
・・・頑張りすぎたら、そりゃあ疲れるし眠くなるよ」
「おお! 良い事、聞けた!」
へティーに問い詰められ渋々、少しだけ答えるカルム
・・・すまぬ、許せカルム・・・。
「・・・え、吸血鬼・・・?」
「ああ、“不明の悪魔憑き”
このカルム君は紛れもない吸血鬼だよ・・・!
相当な変わり者だから、私の質問によく答えてくれるし、最高だよ!」
「そ、それは良かったですね・・・」
ディアスはカルムが吸血鬼だと分かると
急に固まる。
そんなディアスもそっちのけでへティーは楽しそうに喋る。
へティーはよほど嬉しいのか、無駄にテンションが高い。
若干、ディアスがへティーのテンションに困惑しているようで面白い。
「・・・ディアス!」
タイミングを図って姿を現すラルー
最良のタイミングだ、このままでは
へティーが暴走しかねない状況だった。
「死神ちゃん! 会いたかったよ!
そんでもって教えてよ!
“不明の悪魔憑き”が死神ちゃんの師匠になった詳細を!」
「その詳細は言えないんだ~・・・ごめん
代わりと言っちゃなんだけど、
ディアスの今までの彼女たちの数と名前を教えてあげる!」
「まじで!? 死神ちゃん大好き!」
「ちょっ・・・!!
何を人の元カノを晒そうとしているんだ!? それも全員!」
・・・前言撤回じゃ
ラルー登場によって火に油が注がれた。
もう嫌じゃ・・・
私は文字通りに頭を抱えた。
それを黙って慰めてくれるカルムはつくづく親切だ。
「・・・今日という今日は本当に嫌な日だ」
「ルクトか? 久しいのう」
「半日くらい会ってないだけだろ
はぁ・・・僕が嫌いなヤツらが2人もいやがる・・・」
「・・・へティーとディアスの事か
私も少々、苦手なタイプじゃ」
「その点では意見が一致するな、イヲナ」
半日ほど行方を眩ませていたルクトが私の隣の席に座ると
早速、愚痴を漏らす。
その雰囲気からだいぶ不機嫌な事が分かる。
ルクトは普段、喋る時は声に感情を込めない。
非常に冷たい言い方を好むが
今の彼の口調は抑揚が付き、感情的に取れる。
明らかな変化に気付くのに難はなかった。
ぎゃーぎゃーと盛り上がる情報屋と殺し屋と悪魔憑き
それを黙って傍観する殺し屋と監視人と吸血鬼
なんとも混沌とした状況じゃな・・・。
面倒になってきたのは気のせいか。
この状況を早く収束させたい気持ちが強くなってきたので強行手段といこう。
「へティー・ルアナ!」
「はい!?」
「そういえば、私の働き次第では
私の二つ名を考えてくれる話はどうなった?
忘れない内に早く聞かせてくれ」
「ああー、うん
イヲナ君にピッタリの名前、考えたよ」
「それは良かった
是非にも教えて欲しいものだ」
騒ぐへティーに声を掛けて
無理やりラルーとディアスとの言い合いを中断させ
私がだいぶ気になっていた話題に切り替えさせる。
一体、どんな二つ名になるのか
非常に気になる。
「イヲナ君の二つ名は・・・
“正気の白”
・・・なんてどう?」
へティーは自信に満ちた笑顔で
私の二つ名を宣言する。
・・・正気?の、白? こやつ、何が言いたいんじゃ?
正気とは、正常な心を意味する“正気”で良いのじゃな?
そのあとの“白”が完全に意味不明じゃ
なんじゃ・・・白って・・・。
そんなにも私は白い仮面の印象しか無いのか・・・。
ハッキリ言って残念じゃ。
期待した気持ちを返せ
「わー すっごくピッタリの名前じゃない!」
ピッタリな名前じゃと? そりゃそうじゃろう
私の見た目を簡潔に一文字・・・“白”と表したのだから。
何故、そう関心しておるのだラルー・・・!
「悪いが、別の名前が良いのじゃが・・・」
「これ以外に考えつかないよー」
「何」
「それに、それほど悪い名前じゃないはずだよ
ちゃんとした名前の由来だってあるんだから」
由来とな?
“白”と付くワケは明らかなので
“正気”の方か?
正気の方が完全に意味不明だったので
由来があるというのなら、聞きたい
「この世界にいる人間って基本
どこか頭のネジが壊れている人しかいないんだよ
その理由はマトモな人間がこの世界にたどり着かないように
出来ているから、だと思っていたんだけど・・・
今日の、君の活躍を聞いて驚いたよ
多少、変なところがあるけど
その根本は“正しさ”にある
君のような人間がこの世界に来てしまったのは
周りに流されない頑なな頑固さに
迷いのない視点と独特な考え方によるもの・・・
この世界にはそうそういないタイプだよ
まさに“黒い狂気”に寄り添う“白い正気”
だから、それを名前にする以外
手はないと思ったんだよ、ね? いい名前でしょ?」
私はへティー・ルアナの説明を聞き
素直に驚いた。
私の事を、“正気の人間”と思ったのか?
この私が?
・・・違うんだ、へティー・ルアナよ
私は・・・異常だ。
そう、私は・・・本来ならば“黒く”なければならないのは私だった。
それを・・・私は・・・。
「どうしたの? イヲナ
いいえ・・・“正気の白”さん?」
悪戯な笑みを浮かべ
ラルーは私を“白”だと呼ぶ。
私はそれを聞いて、何も否定出来なくなった。
私は“白く”あったはずの彼女を“黒く”貶めた
彼女はそうとは思っていないだろう。
だが、私は確かに知っているのだ。
しかし、私はこの事を彼女に告白する事はないだろう。
何故ならば、
この事を告白すれば、
私はかの犠牲を、かの地獄を、無に帰してしまうからだ。
私は犠牲を払ったのだ。
ラルーもその犠牲の内、犠牲の上に立っている私はそれを
無駄にしてはならない。
何も無駄にしないために
私は嘘を吐く。
ただ、黙って首を縦に振るだけ
「じゃ、決定ね~!
イヲナのデビューを祝おうじゃない~!」
「おい・・・
“仕切り直し”の話はどうなった?」
「あ」
ラルーの様子から見て
私の嘘はバレていないようだ。
ホっと安心したのも束の間。
ディアスはイラついた様子で
私からすれば二度目の“討論”の火蓋を切った。
私は心底、安心した。
きっとこれからも、私の嘘は彼女に気付かれる事はないだろう。
そう、それならば良いのだ。
私はいつの間にか胸に抱いた不可解な感情を抑えて
“これで、彼女と一緒にいられる”と
残酷にも、愚かにも、そう喜んだ。
次回、ヤンデレ兄妹VS“不明の悪魔憑き”ディアス
による討論をお楽しみください




