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ヤンデレ死神少女 監視記録  作者: 黒炎 ルカ
奪われた日常 始まる非日常
22/31

記録その弐拾 殺戮の連鎖その四 

冷たく、穏やかな風が頬を撫でる。

嗚呼、こんな日はあまり好きではない・・・。


そう・・・かつての、つまらない日々を思い出しそうになる。


博士と出会う、ずっと前の・・・あの暇な日々。


感傷にふけっていると、背後から重たい沈黙にうんざりした

ラルーが“しゃぁ~!”という奇声を上げて抱きついてくる。

ぬしは野獣か、と静かに叱ると明らかに落ち込んだラルーが

そろりそろりと、離れる。


本当に何なのだ・・・。


私はラルーと共に、目の前の巨大な建築物を見上げていた。


非常に立派な教会。

パッと見、4階はあるであろう その教会はとうの昔に潰れており

今はただ寂しく残された木造建ての建物として

子供達に“お化け屋敷”などと呼ばれて恐れられている・・・。


ここに、敵の“十字剣の神父”は居るのだろうか?



「イヲナ、ここは敵のテリトリーよ」


「ああ、そうだな」


「・・・分かっていないわね・・・

敵はここに私たちを呼んだのよ? という事は・・・」


「・・・罠が確実に仕掛けられている、と?」


「ええ、そうよ

だから・・・出し惜しみはしないで

私も積極的に“力”を使うから」


「それは・・・抵抗があるな」


「さもなくば、敵に殺されるか、私の好きにされるか

好きな方を選んで頂戴?」


「分かった、出し惜しみはしない」


「それでよろしい」



ラルーとこれからの作戦について話し合う。


今回は“力”を積極的に使うように

しつこく言われた。


ラルーはそれほどにまで、

敵に警戒をしているという考えの表れだった。


作戦の内容は非常に単純明快。


私とラルーでお互いをカバーし合いながら

何かが起こればラルーが“力”を使って時間を止め

敵に不審に思われない範囲でその罠を突破し


教会内で待ち構えているだろう“十字剣の神父”を半殺しにして

雇い主や動機について、とことん問い詰めるだけ


私の役割は罠を解除する事と

何か予想外の事態が発生した場合

独自の判断でそれを破る事。


・・・私に上手くやれるかは分からんが



「イヲナ」


「なんだ?」


「・・・大丈夫よ、何の心配もないわ

貴方は強い人・・・そう理解していなさい

何か貴方が過ちを冒そうモノなら私が止めるから、安心して?」


「・・・?

私を心配してくれているのか」


「ええ、貴方ってほら・・・日本人にありがちな

謙虚心?が強いのか・・・自分に自信が無いみたいだから」


「・・・よく、分からんが・・・ありがとう」



ラルーはラルーなりにアドバイスをくれたようだが

私にはよく分からない・・・。


自分が強いと、理解する。


己の弱さを自覚するのは容易いが、己の強さを見出せと言われると困る。

己を強いと思い込めば恐ろしい過ちを冒しかねない

強さとは、抽象的すぎるのだ。


だから、理解するなど・・・不可能だ。



ラルーに突きつけられた難問に頭を抱えていると

私が答えを出す前にラルーは教会の扉を開け放つ。


・・・この難問の回答は後回しだ。


目の前の敵に集中をしよう・・・。



重々しい、木の軋む音を立てながら開かれた扉の向こうは

広いホールだった。


長椅子が幾つも規則的に並び、

美しい天使の彫刻や色鮮やかなステンドグラスがそのままに残されていた。

しかし、長い年月が経っている事を物語らせるように

ホコリが床に積もっていた。


そんな独特の神々しい雰囲気に相応しくない

ぎぃ、という弓を絞る音がする。


そこには・・・大勢の武装した人間が待ち構え

弓矢をこちらに向け、そして躊躇もなく放たれた。


その瞬間、全てが止まる。


・・・ラルーが時間を止めたのだ。

そういえば、いつぞやのブレスレットを着けたままにしていたが

コレのおかげで命拾いしたな・・・。


宙に浮かんでいるような形で矢は私の目前に止まっていた。

危ない・・・。



「ありゃ・・・想定外だねぇ・・・

罠じゃなく、待ち伏せだったとは・・・面倒ねー?

て、イヲナ? 大丈夫?」


「い、いや・・・少し待ってくれ」



てっきり向こう側には罠があるものだと勘違いしていた私は

大勢の敵の殺意に晒され、腰を抜かしてしまった。


おい、これを一体、どうしろと・・・。


そこで待ち構えていた敵は何十人もおり、

遠距離武器を装備した者が手前 横一列に並んで

それ以外の近距離専門の武器を装備した者はその後ろで警戒している。


よく見てみると、私とラルーを狙って放たれた矢は

精度が甘いようで、放たれた矢のほとんどが大きく私たちを外していた。


・・・敵は、素人なのか?



「うんうん・・・まぁ、これは・・・“鎖”を使うか

イヲナ? 奥の方に居る近接武器のヤツらを始末して?」


「ああ・・・“鎖”とは・・・まさか」


「ええ、そのまさかよ

ひょっとしてトラウマ?使っても平気よね?」


「・・・平気だ

だが、間違っても私を斬り付けないでくれ」


「了解!

さ、“罰当たりな神父に天罰を!作戦”決行!」



相変わらずの悪意に満ちたネーミングの作戦名を元気よく言うと

ラルーは拳を前に差し出し、ぶつぶつと何か呪文を唱えるように

言葉を紡いでいく。


“呪わしき力の眷属

忌まわしくも、愚かしくも、私の力の下

復讐を成さん、我が罪よ”


すると、拳の上に銀白色の水銀に似た金属光沢を持った丸い物が現れる。


それは、形が定まらない液体のように 球の形から

刺々しい形や四角を複雑に組み合わせたような形にめまぐるしく変化して

私の畏怖を込めた注目を惹きつけて止まない。




・・・かつて、“白かった”彼女が、“黒く染まった”直後に

私は、彼女と刃を交え、激しい命を賭けた戦闘を行った。


当時の“白い”彼女は幼く、とても純粋だった。


なのに・・・“黒く染まった”彼女は常識では考えられない

突飛な戦い方をした。


博士が我ら“作品”の為に開発した


ER流体のように 特定の力を加える事で

加える力の強弱によって段階的に硬化し、

そして元の液体状に戻す事が可能な、可逆的に変化する液体金属。


“マーキュリー・ダイヤモンド”


我らの力を加える事で自在に硬化させ、空中で操る事が可能なそれを

ラルーは盗んで、自在に操り、武器としたのだ。


刃が組み込まれた鎖の形に変化させ、硬化。


宙で自在に操り、立体の“鎖の迷路”を作り上げ

自らは一切、動かずして 私に近寄らせもせず・・・

効率的に攻撃を繰り広げる。


あの戦いは・・・ほとんど一方的に 最初からラルーが勝っていたのだ。


ゆえに、私はラルーを恐ろしく思った。


幼いながら、絶対的で複雑な力と思考を有し

狂気を孕んでいるがために 容赦のない、残忍な戦い方をする。


アレを・・・人とは思えぬ。

それは自分の創造主たる“博士”に強烈な殺意と怨みを抱き

その思いを実行しようとする“フランケンシュタインの怪物”だ。


私は・・・浅はかな自分を恥じ、大いに恐怖して

彼女を何よりもの脅威であると、骨の髄まで思い知らされた。




そんな、トラウマの一つと呼んでも良い

“マーキュリー・ダイヤモンド”を召喚したラルーは

かつて私に敗北の二文字を叩きつけた手法を

私にではなく、敵に振るうようだ。


・・・落ち着こう、このかつての恐怖に震える心を鎮ませ

ラルーから与えられた役目を果たさねば


“マーキュリー・ダイヤモンド”を“刃の鎖”の形に

変化させ始めるラルーに後を任せ、私は止まった時間の中を進む。

私の標的は後方にいる近距離武器を装備した者たち。


容赦はしない、“黒く染まった”彼女のように

私も冷酷に染まれ



ラルーから借り受けた両刃のナイフを握り締め

動きやしない敵たちの間をかいくぐり、教会の奥まで来た。


一人一人の武器を確認したが、“十字剣”を装備した者はいない。


よってここに“十字剣の神父”はいないという結論が導き出される。

ヤツは恐らく、この教会の最上階で待ち構えているのだろう


ならば躊躇する必要はない。



「ラルー!

ここに“十字剣の神父”はおらぬ!」


「OK! ありがと・・・サン!」



真の標的がいない事をラルーに伝えると

それを合図に“時間停止”は解除される。


放たれた矢は動き出し、ラルーの喉元まで迫るも

彼女が操る“刃の鎖”が蛇のようにうねり

矢を容易く、弾き返す。


ただ、それだけの事でも敵に動揺を与えるには十分だが


ラルーは派手なのが好みなようで

蛇のようにうねる鎖に紫紺(しこん)色の炎をつけ、

遠距離武器を装備した者共を揃って斬り付ける。


・・・あれが自分に向けられたモノではなくて良かった。


そう切実に思わざるを得なかった。

私はすぐそばにある()(こん)色の焔に染まる地獄から目を逸らし

目前の敵を見据える。



「・・・!?

お前、いつの間に・・・!?」



敵はそう、私が目の前にいるだけで戸惑い

うろたえる。


私は時間が止まっている間に この者たちの前に来たのだから

彼らからすれば私が瞬間移動したように 突如、現れたように見えただろう

動揺して防御に意識を回していない彼らは私からすれば

指で弾いただけで崩れる紙の城と同じだった。


単調にナイフを振るって、敵の首を次々に掻き斬って

倒していくだけ・・・。


・・・あまりにも弱すぎる。


待ち伏せしていたわりには、実力が足りていなさすぎる。

一体、どういう事だ・・・?



「イヲナ・・・!!

上よっ・・・!」


「!?」



だが、ラルーの荒れいだ声が聞こえると

私は反射的に後ろ向きに飛んだ。


激しい衝突音と、細かいつぶてが飛んできて

私は落ちてきた物を呆然と見ているしかなかった。


それは巨大な天使の彫刻だった・・・。

今はもう、石のガレキでしかなく・・・見る影もない。


こんな物が都合よく、上から落ちてくるわけはない


すなわち、ここで待ち伏せをしていた者は全員、使い捨ての囮で

全てはこの罠に掛けるために

用意した大掛かりな仕掛けである事を示していた。



「無事・・・!?」


「ああ、大丈夫だ・・・

しかし・・・そうとう厄介な事になったぞ」


「ええ、そうね・・・

こいつらは恐らく、金を握らせて騙した人たちなんでしょうね

表の人間まで巻き込むなんて・・・正気じゃないわ」


「・・・ぬしに言えた事では無いと思うが」


「何よ?」



ラルーは私を心配して駆けつけてくるが

私は無事だと伝えると、あからさまに安心のため息をついて

胸をなで下ろしていた。


・・・その勢いあまって彼女は偽善を吐いた。


ラルーよ、ぬしは少し前にアパートに潜伏する私の前任者・・・。

前の監視人を殺害する目的で強盗目的のアパート爆破テロに見せかけて

それを遂行してみせたではないか


それで表の人間が何人、巻き込まれたと思っている?


中には刑事の家族も巻き込まれていたという・・・。



「イヲナ!」


「は!?」



私はぼんやりと、ラルーがして来た非道の数々を思い出していると

彼女の叫び声で現実に戻され、気付くと抱きつかれていた。


こんな時に一体、何なのだ


と言いたかったが、その言葉はすぐに噛み殺す事となる。


上から、数え切れない矢が、雨の如く

降り注いでいたからだ。


その瞬間、私を庇ったラルーは再び時間を止めた。


ラルーの肩や背中に数本の矢が既に突き刺さっているのを見て

私は自力で矢を引き抜こうとするラルーの手を止め

代わりに矢を引き抜いた。


ラルーは自分を粗末に扱い過ぎだ。


吸血鬼の治癒力とよく似た再生能力があるにしても

適切な処置を施さなくては・・・。



「・・・イヲナ、なんだか

今回のヤツは只者じゃないわ・・・っ・・・」



矢を引き抜くと、痛みにラルーは顔を歪ませた。

いつもの笑顔が弱々しい・・・。



「確かに、手口があまりにも巧妙だ

今の状態はまさに“敵の拳の上で踊らされている”状態・・・

だが、ここは敵のテリトリー 危険は承知だった」


「・・・ええ、その通りよ

でも、私の予想を越えた手際の良さ・・・

相手は・・・私たちが“力”を使う事を想定しているわ」


「・・・!!」



敵は我らが“作品”であり、“力”を持つ事を知って

それを想定しているだと・・・?


だとすれば“十字剣の神父”とは、一体・・・何者なのだ?


我々の存在を知る者は一部の研究者と、作品自身だけ・・・。

しかも、我らの“力”に関してはまだ不明な部分は多い

“力”を使う事を想定しているとすれば、“力”を熟知した人物で間違いはない。


・・・この世で“力”を誰よりも熟知している者は

博士と、この・・・“最初の作品”ラルーだけ・・・。


博士が何かを仕掛けてくるとは考えられない。


これはどういう事なのだ?



「イヲナ、今回はあまりにもリスクが高すぎる

私一人だけなら策はいくらでもあるのだけど・・・」


「要は、私は邪魔者だから大人しく隠れ家に帰れと?」


「・・・ええ、乱暴な言い方だけど

私の隠れ家に帰って頂戴

そこで待機して欲しい」


「悪いが、却下だ

わがままを言わせてもらおう」


「・・・参ったわね・・・」



ラルーは私の安全を確保するべく

私にこの仕事から降りるように言うが

私はそれを拒む。


我らの“力”を熟知した正体不明の何者か・・・。


この可能性を野放しにするワケには行かなくなった。

もしかすれば、研究の情報が漏洩しているやも知れぬ・・・。

それとも、もっと想像を越える事が・・・?


ともかく、此度の敵を―――逃すわけには行かぬ。


ラルーの言う通り、非常にリスクが高い

が、“力”の限りを使ってでも挑めば問題は無い。


相手がどれだけこの“力”について熟知していようが

文字通り、この“力”は未知の存在。

なんでも出来ると言っても過言にあらず



「ラルー、戦うならば一人よりは二人

私は無力ではない

足でまといにならぬよう、全力を尽くそう

どうか、私の同行を許可してくれ」


「・・・・・・そう、そこまで言われちゃあ

意固地になって拒否れないわねぇ~」


「・・・許可をしてくれて、ありがとう

感謝する」


「別にいいわよ、もう・・・

こういう危険も良い経験になるから、頑張りましょう」



もう傷が完治したラルーはとても優しい笑みを浮かべると

上から降り注ぎ、停止した時間の中で止まっている矢を見上げた。


その光景を見ていると、以前のガトリングを思い出さずにはいられない。


用意周到な仕掛け

ラルーのような強力な能力が無ければ危うかった・・・。

“力”を持つ者にとっても手こずる罠を仕掛けるとは、


これをどう解除したものか



「イヲナ、人間の気が上の方から僅かに感じるわ・・・

たぶん・・・ここにある罠は全て、無人、なおかつ全自動なんでしょうね

面倒だから破壊してくるわ? イヲナは他に罠が無いか確認して頂戴」


「分かった、もしも、ここにこれ以上の罠が無いとすれば

上の・・・二階が怪しい事になるな」


「ええ、二階はきっとトラップ・トラップ・もうひたすらトラップ!

のトラップ地獄に違いないわ!

ま、ハニートラップが無い分、まだ良性だけど」


「現実にハニートラップなんぞあるのか・・・」


「あるわよ、ていうか私がもっとも愛用している手段よ?」


「・・・!?」


「安心して、ハニートラップと言いつつも体を売るつもりは一切無いから、

最終的には皆が絶句するような拷問を始めちゃうわ」


「・・・」



ラルーが好んでそんな手段を取るとは

悪質この上ない。


きっと彼女の本性を知らない者は呆気なく騙され

恐ろしいトラウマを刷り込まれるに違いない。


・・・もっとも、

それがハニートラップとは名ばかりの拷問でしかないというのは

ラルーらしいと痛感する。


・・・彼女が私の目の前で、その“拷問(ハニートラップ)”を実行しない事を祈ろう

私だってトラウマをこれ以上に増やしとう無い・・・。


私はラルーに言われた通りに

無残に切り裂かれた死体達が転がる室内を慎重に調べる。

時間が止まっている空間の中で私は一人、進む。


血だまりを踏むたびに“ぱしゃぱしゃ”と音が響き

私が踏んだ衝撃で跳ねた血は粒子単位で空中に止まる。


・・・時が止まっているのならば

音が鳴るはずはない、血も、衝撃を受け跳ねるはずもない。

だと言うのに・・・。


ラルーの“時間停止能力”について

より深い考察を行いたくなるな・・・。


時間が止まる、という現象は全ての物質活動が停止する事にある

と思うが・・・この様子を見ると

時間停止の本質は少し異なると推測出来る。


・・・私が思う、時間停止と言う概念は間違っている・・・?


だとすれば、時間停止とは正確には 如何なる力なのだ?


知りたい。



「イヲナ、こっちの罠を解除したわ

矢も全部回収した

そっちはどうだったかしら?」


「・・・他の罠は確認出来なかった

やはり、ぬしの予想通り

本命の罠は上の階に張り巡らされているのだろう」


「そっかそっかぁ~」



ラルーは矢の束を両手で持って

上の螺旋階段に仕掛けられた発射装置を解除出来たので

その上から飛び降りる。


両手が塞がったまま、飛び降りたものだから

私の心臓が飛び跳ねた。


だが、私の心配も尻目に彼女は問題無く着地。


・・・縮んだだろう私の寿命を返せ


私は精一杯にラルーを睨んでみるも

私に睨まれていると気付かないラルーは呑気に笑うだけである。

・・・おのれ・・・ラルーめ・・・。


ラルーは矢を地面に置くと

一息をつき、黙って部屋の奥にある二階に上がる階段を上り始める。


私もラルーの沈黙に釣られて黙り込み、

その後を追う

慎重に、階段に罠が仕掛けられていないか、警戒して―――



「イヲナ・・・」


「なんだ? ラルー、もしや罠があるのか・・・?」



ラルーはおもむろに私の名を呼ぶ・・・。

重い口を開いたという事は罠に気付いたのだろう

そう、私は解釈して、囁くような声でラルーに尋ねる。



「・・・イヲナ」


「ああ、分かっておる

だから、どうしたのだ? ラルー」


「・・・あのね? 聞いて、驚かないでね・・・?」


「ひょっとして、犯人の正体でも分かったのか・・・?」


「・・・実は、私・・・」


「・・・ぬしがどうした?」


「・・・私・・・なんか、頭がクラクラする・・・」


「!?」


「聞いて、驚かないで

って言ったじゃーん・・・驚くイヲナは可愛いー」


「ぬしは何を言うとるのだ!? ふざけるのも大概にせい!」



やけに引っ張るものだから

何事かと思えば大事であった。


吸血鬼並みの治癒力を有するはずのラルーが頭痛を訴えてくるなど・・・

一体、何が起きたというのだ?

洒落になっておらん・・・。


大変な問題なので、心配をすると

ラルーは私を茶化してくる。


本人は対した問題ではないと思っているのか

大問題だぞ、この阿呆。



「あ、イヲナっ・・・!!」


「っ・・・!?」



ラルーの危機意識の低さについて逆に私が危機感を覚えている内に

二階へと上りきり、二階の広間に先を行くラルーが入った。


だが、何かに気付いたラルーが私の方に振り向くと

強引に私の手を掴み、引き寄せられる。

と、同時に背後から“しゃん”という鋭い刃が擦れるような音。

ラルーの怪力が相余って、私はラルーに倒れ込んでしまう。


・・・一体、何が起きたというのだ?


背後を確認したいが、ラルーは私の頭の後ろに腕を回して

自身の胸に無理やり押し付ける。


とんでもない馬鹿力で、頭蓋がミシミシ言うとるのだが 我慢をしよう。

下手に逆らって頭を砕かれでもしたら、それこそ洒落にならん



「イヲナっ・・・イヲナ、ああっ・・・! イヲナっ・・・!」


「と、突然、どうした・・・?」



ラルーが必死に私の頭をまさぐり、私の名を繰り返す。

そのただならぬ様子に私はある事に気付いた。

あのラルーが、小刻みに震え、目に涙を浮かべていた事に・・・。


それは、まるで・・・何か恐ろしい目に遭ったようで

紅い瞳に浮かぶ涙の色が、か弱さを醸し出していた。


―――今回のラルーは・・・おかしい。


いや、ラルーはいつもオカシイのだが・・・

いつもにも増して様子が奇怪だ。


今回の依頼に何かの心辺りを持っている様子、

私の安全をいつもと違って心配し、

あるはずの無い頭痛を訴え、

今では、突然に泣き出している。


情緒不安定なのは理解していたが

それを越えるレベルで妙だ。


ラルーをこうさせる、“何か”がいるとしか考えられない。


それは・・・“十字剣の神父”なのか?

それとも、“十字剣の神父”の影に潜む“真の黒幕”か・・・?


ラルーですら恐れる存在―――それは、一体・・・?



「イヲナぁ・・・時間が、私の時間が・・・!」


「・・・!?

ぬしの“時間停止能力”がどうした・・・?」


「・・・っ・・・!

と、まらない・・・止まらない止まらない止まらないっ!

そのせいで、私はイヲナを殺しかけたっ・・・!

奴に、イヲナをっ! 殺しかけてしまった・・・!」



ラルーがやっと、私の名以外の言葉を発すると

衝撃を隠しきれない事実が発覚する。


ラルーの“時間停止能力”が・・・消滅してしまっただと・・・?


あまりにもショックなのか、ラルーは私から手を離し

その手で顔を覆い、悲観する。


離された私はすぐさま背後を振り向いた。


そこには―――ギロチンの刃が落とされていた。


二階の広間に入る手前、階段と室内を隔てる入り口に

その罠は仕掛けられていた。


私が一歩、遅ければ

この刃によって縦から真っ二つにされていたところだったのか


察するに、

いち早く罠に気付いたラルーは、時間を止めて私を助けようとしたが

どういうわけか、時間を止められず

慌てたラルーは強引に私を引っ張って、なんとか救出。


それで“時間を止められなくなった”事に気付いたのだろう


・・・実に厄介な状況に陥ったな

今までは、罠が作動しても その寸前で時間を止めて移動し、罠を解除。

それで安全を確実に確保していたのだが、もう使えない。


何故、ラルーの“時間停止能力”は消滅したのだ?


・・・少なくとも、前兆はあった。

この仕掛けに引っかかる前から、ラルーは頭痛を訴えていた。

関連性は不明だが、タイミングからすれば可能性は高い。



「ラルーよ、冷静にならんか」


「っ・・・う、ん・・・」


「よし、“時間停止能力”の消滅について考察したいところだが

ここは敵地、やはり呑気に構えている場合ではない

下手に進んでも、危険だが・・・どうする?」


「す、進むわ、この歩みを止められて

敵をいい気にさせたくはない、わ・・・」


「ならば、進もう

ぬしが選択したのだから、私はそれを全力で支援するだけだ」


「・・・!!

あ、ありがとう・・・!」



今は分からない要素が多すぎる。

こんな事に時間を取られていては敵の思うつぼだ。


私はラルーの意思を再確認して


辿り着いた二階の広間を見回す。

広間、とは言うが、そこは複雑に壁のような、ふすまが並び立てられ

迷路のように入り組ませてある。


そこが広間だと分かるのは、天井までは覆い隠されていないおかげだ。

隠されず、あらわにされている天井には

仕掛けが幾つも吊るされているのが見える。

気を引き付ける為の、“囮仕掛け”か・・・良く出来ている。


ラルーの“時間停止能力”が無い今、罠をどう看破するか

それが最大の問題である。



「ラルー、罠に対して有効に使えそうな能力はあるか?」


「・・・色々とあるけど・・・

実際に罠に掛かってみない事には分からない

ここにある罠がどういった罠か、定まらない今、考えたって無駄よ」


「なるほど、その場の判断に賭けるのか」


「ええ、そうよ

イヲナも積極的に動いて頂戴」


「分かった、では、行くか」


「行こう・・・!」



ラルーと少しばかり相談しようとしたが

数々の殺戮を引き起こしてきた“狂気の死神”としての

彼女の経験が物を言う。


“最初から分かる事など、無い”と


己を信じ 突き進む、それこそ

己の強さを理解する、その本質なのか・・・?


迷いながらも、私はラルーの指示に従って、その背を追うだけだ。


ラルーは私にアイコンタクトをすると

大きく深呼吸して、一瞬にして私の視界から外れる。


・・・ラルーが“罠の迷宮”に飛び込んだのだ。


踏み込みが早すぎる。

つまり、トラップが作動する前に駆け抜ける

というのが、最初の対策か?


私はラルーの策略を理解すると

その早すぎる走りに遅れぬように私も走る。




歯車が軋み合う音が鳴り渡ると

膨大な量の水が上から降り注ぐ。


・・・ただの水が罠に使われるはずはない、硫酸だ。



「―――ラルー!」


「ご心配なく・・・!」



これは私の手では対処出来ない。

ラルーに対処を求めると

とっくに手を打っていた。


天井から滝のように降り注ぐ硫酸が、突如 その動きを止めると

忽然と消え失せた。


時間を止められないのに、何が起きた?


私がそんな疑問に首をかしげていると、すぐに別の罠が作動した。

巨大な刃が3方向、天井と床と壁から飛び出て、私とラルーを目掛け横切る。

咄嗟に私は身を横に逸したから助かった。



「時間を止められると同時に、私は世界を操る

この“マーキュリー・ダイヤモンド”を好きに出来るのも

その力のおかげ」


「ラルー」



私の疑問に回答する形で

ラルーはポツリと独り言を漏らす。


ラルーも無事だったようだ。


時間を止める能力と、世界を操る能力?

途方も無さすぎる・・・。


すっかり、時間を止める能力を失くしたショックから立ち直ったのか

悪戯な笑顔がその顔には浮かばれていた。

視線を横に移して、“サッサと行こう”と催促してくる。


異論など無い私は走り出す。


すると、すぐに壁から引き金を引くような音がすると

小規模ながら、私を巻き込むには十分な爆発が起こる。



「イヲナっ・・・!?

・・・ちっ、野郎・・・蛇風呂に入れてやろうかっ・・・!?」



私を心配するラルーの声が聞こえる。


が、私は死んでいない。


両刃のナイフと、私の“剣”を札より取り出し

それぞれの刃を私の能力で強化。

防御壁を作り、なんとか爆風から身を守れた。


ラルーに返答を返そうと思ったのだが

さすがに堪忍袋の緒が切れたラルーが

何やら怖いイントネーションの単語を出した。


なんだ“蛇風呂”とは、絶対に良くない事だろう

・・・間違っても、実行してくれるな・・・



「ラルー、私は平気だ」


「・・・きゃああああああ!? イヲナ、血だらけよ!?


・・・ああ・・・はしたない血なんか見せてっ・・・

ああっ・・・痛そう・・・」


「!?」



爆弾によって辺りがぼんやりと煙で白っぽくなっていたが、

私の声を聞いたラルーが“力”を使い、風を起こすと

煙をあっという間に晴らしてくれる。


だが、私の姿を見たラルーは悲鳴を上げる。


何?私が血だらけだと?何の冗談だ、私は無事・・・ではなかった。

自分の姿を確認してみると確かに血まみれになっている。

血まみれであると、認識すると急に体中が鋭い痛みに襲われる。

突然の痛みに私は思わず座り込んでしまった。


なるほど、つまりは

あの爆弾は特殊な造りになっていたのだ。

爆発と同時に、爆弾の破片が広範囲にばらまかれるようになっているのだろう


うむ、面白い爆弾だな。


私はその爆弾の破片をくらってしまったが

見た目ほどに痛くは無い。

今、私が危惧すべきは目の前の、もはや野獣と化している“吸血鬼”だ。


一度は驚き、叫んだが

私の血だと分かると、途端に恍惚とした様子で

食い入るように私を・・・正確には私の“血”を見ている。


“痛そう”と心配の声を掛けてくれたが

それより先に放たれた


“はしたない血”


という言葉を聞いた現在、私はこの野獣に近寄る気になれん

吸血させてやらんぞ、変態。



「イヲナぁ、傷、平気ぃ?

私が治してあげようか―――?」


「断る」


「即答、ひどいわ~!

私、心配しているのにー!」


「それは下心があっての親切だろう」


「そうよ、下心よ!

だから―――私を拒まないで・・・?」


「断る」


「断らないで・・・?」



座っている私に合わせて、ラルーは私の隣に来ると

四つん這いになって妖艶に目を細め、笑顔を微かに歪ませ

顔を私の首筋にグッと近寄せる。


猫なで声の甘ったるい音声で、囁いてくる

完全に誘惑モードのラルー


ここは敵地、我々の敵は他にいるはずなのに

今の私の敵はこのラルーと化している。


冗談じゃない、放っておいてくれ

ぬしは吸血鬼ではないだろうに

参った、これをどうにかしない事には話が進まない・・・。



「ラルー・・・此度の目的を覚えているか・・・?」


「ええ、もちろん」


「じゃあ、復唱してみよ」


「イヲナの血を頂戴する!」


「・・・」


「・・・あ、“罰当たりな神父に天罰を!作戦”だったわね

ごめん、ジョークよ~? ジョーク!」


「・・・」



ラルーの目的がいつの間にか私の血を啜る事にすり替わっていた模様。

どんな怪談よりも、怖かったぞ・・・。


しかも、思い出したのは作戦名の方。

もう、こやつは何なのだ・・・? 私に何か、怨みでもあるのか


・・・。


・・・もう・・・もう良い!


この野獣を動かすには、もう私の血をくれてやるしか無いのなら

やむを得ぬ・・・!


全く、気が進まんが

血をくれてやろう、ついでに傷が治るオプションが付いているのだから

それで我慢するしか無い・・・。



「ら、ラルー・・・妙な事はするでないぞ・・・?」


「んー? 妙な事って・・・こんな事―――?」


「ぬし、私にこれ以上の何かをする気ならば

即座にこの首、掻き切ってやるぞ・・・」


「そんな怨念を込めた怖い声で威嚇して来ないでよー

心配は不要だわ? 痛みなんて・・・ すぐに忘れるわ?」


「死ね」


「悪かったって、ごめん、からかい過ぎたわ・・・」



私は最大限の警戒をして、

遠まわしに許可を出す。


ラルーはちゃんと理解し、逆に煽ってくる。


妖艶に“クスクス”と笑い出すラルーはさっきから

私の脇腹をなぞって、首元に口付けを繰り返している。


なんだ、何なんだ、これは


今なら、恥だけで自殺出来る。

今、自殺するに十分な理由の元凶が私を弄んでいるが

真面目に首を掻き切った方が良いのか?


・・・こやつの為に死んでやるのも癪だ。


ひたすら、我慢。

ただそれだけである。


ラルーは私がすっかり、うんざりとしている事を察すると

私の思いをやっと、本当にやっと、汲んでくれた。

ここに至るまでに私の思いを汲んだのは始めての事だ。


傷付いた箇所をラルーは探り、

見つければ、そっと口付けをされる。


なるべく痛まないように、との配慮なのだろうが

さりげなく舐めているから痛い。

そんなに血が欲しいか? エセ吸血鬼よ、ならば下の階に転がる死体にしてくれ。



「イヲナぁ・・・それはちょっと外道じゃない?」


「心を読みよったか、このサトリ吸血鬼め」


「私はサトリでも無ければ、エセ吸血鬼でも無いよ~

むしろ、現代の吸血鬼と比べて大人しいくらいよ~」


「大人しい? これのどこがだ?」


「・・・イヲナ・・・まだイライラモード?」


「黙れ、さっさと罠地獄を突破しようではないか」


「はいはーい」



私の心を、その能力で読み取ったラルーが反論。

言い合ってみるも、時間の無駄だ。


ずるずると時間を引きずってしまっている。


私はラルーに目的の続行を促し

再び“罠の迷宮”に挑む。



今度はラルーが先を行く


しかし、すぐに折り返し地点に辿り着き

分かれ道の片方を迷わず選ぶ。


が、突然、ラルーが選ばなかった方の道が

私の視界から消え失せる。


―――ラルーもろとも



「ラルー!」


「ああああぁぁ、卑怯な罠だねぇぇ・・・!!」


「呑気な愚か者が!」



選ばなかった道は沈むように視界から外れた・・・。

考えられる原因は床その物が奥に傾いたからしか無い。

ラルーが立っていた床も、その傾いた床に含まれていただけの話。


罠ならば、床からずり落ちた標的を確実に仕留める何かが

その下にあるのは決まっている。


私は咄嗟に、ラルーの“影”を掴んだ。


すると、掴めた感触があってしまった。

私は戸惑いつつ、ラルーの“影”を素早く引き上げると

本人も“影”に引っ張られるような反応をして、私の方に倒れこむ


・・・今のは何だ? またしてもラルーの能力か


ラルーは無事にこちら側に来れたが、

向こう側に見える床はひっくり返ってその大口を開いて

その下のモノを見せつけてくる。


おびただしい数の楕円型の刃が、待ち構えていた。


・・・あそこにラルーを落としたら、ラルーはどうなるのだろう?

うむ、実行したら殺されそうな予感しか無いな。



「イヲナ・・・ユニークだねぇ~」


「何の話だ」


「え、貴方の能力の話に決まっているでしょう?

能力を使って私の影を掴んで、助けてくれたんだよね?」


「・・・そんな覚えは無いぞ」


「イヲナ・・・無意識に能力を作動させたワケぇ?

ちょっとスリリングが過ぎるんじゃないの?」


「待て、ぬしの冗談か?

それとも本当に私の能力だとでも言うのか」


「そうよ!

・・・え、真面目に自覚が無い・・・? マジ?」



私に助けられたラルーは最初、キョトンとした顔をしたが

一瞬で元の顔に戻り、私をからかう。


私の能力がユニークだと・・・。


私はてっきり、ラルーが何かの能力を使ったから

“影”を掴むなどという現象を体験してしまったのだと思っていた。


でも、私が無意識の内に行使した自身の能力によるモノだった。


そんな事が・・・。

自分の能力は不透明で曖昧だと自覚していたが

ここまで制御が出来ないとは・・・。


・・・ラルーは魔法のような、明らかで絶対的な力を持つに対し

私は言葉のように、形を持たず曖昧な力しか現せなかった。


ゆえに、私は・・・『“最初の作品”の影』と呼ばれた・・・。


誇り高く、己の力を信じ、望みを叶えようと挑むラルーに

私が敵うはずなど・・・無い。


何故、私は形が無い? 私は所詮、“ラルーの影”でしかないのか?



「イヲナ? 平気かい?」


「あ、ああ・・・平気だ」


「・・・そう

ありがとうね、助かったわ」


「え?」


「ちょっと? どうしたの、本当に・・・

イヲナ、貴方が私を助けてくれたのよ? だから感謝してる」


「・・・形も無い私にか?」


「・・・どうして、人間は形にこだわる?

いざという時は形の無いモノにすがるクセに

形なんてどうでも良いでしょう? 


ここで形の有無は関係無いわ、しっかりして頂戴」



ラルーは呆然と、思考の檻に閉じ込められた私を叩き起すと

思わず卑屈になって言い放ってしまった私の言葉に、刃のような言葉を返す。

彼女は私の背中を叩くと、強引に私を引っ張って先を進む。



“形の有無は関係無い”


“形など、どうでもいい”


正論だ。

だが・・・私からすれば、強すぎる言葉だった。




私は、ずっと“自分のカタチ”を探し彷徨っていた。


そのためにも様々な事をした。

そのために、多大な犠牲も払った。


それでも、私は“自分”を得る事は無かった。


犠牲を払い過ぎ、死にかけ・・・無意味なまま、人生を終える時。

“博士”は私の前に現れた。


『価値が無いのであれば、作れば良い』


そう言って、私に“命”を与え“価値”を作ってくれた。

私の恩人―――シース・S・クレイン博士


私は彼に恩返しをするため、絶対服従の誓いを立てた。


そんな形が、私を救った。

形など、どうでも良いだと?

私が何よりも欲するモノを、ぬしは持っているからそのような事が言える。


・・・羨ましい



「イヲナっ・・・!?

何をボケーっとしているのよっ!?」



不意にラルーの急いた声が耳に刺さる。


そうだった、私がぼんやりしている間も

時間は流れる。

水の如く、止められる事は無く、流れる―――


ラルーは強引に引っ張って、私を歩かせていた。


きっと、罠にでも掛かってしまったのだろう・・・。


           だ が ・ ・ ・ 


視界に入るは、刃が付けられた壁。


刃の壁が、横から迫っている


           だ が ・ ・ ・





「―――それは、どうでもいい」




迫る壁を、私は躊躇無く素手に止めると

力づくで押し返す。


こんな、無茶な行動、ラルーの迷惑になるだけだ。


そんな事ぐらい・・・分かっている。


私はどうした?


自分のモノとは思えない、この手は刃で少し切っていた。

不思議な事にも痛みは無く・・・。


迫る壁は、豆腐のように呆気なく砕け散る。


私の血で微かに濡れた刃の数々が、私にまた突き刺さる。


嗚呼、どうした事か―――痛みを、感じない


何が起きた? 私はどうした? 




「―――イヲナっ・・・!」




突然、背後から抱きしめられると

とても暖かい手が心臓に当てられる。


着物の上からでも感じられるほどに暖かすぎて、優しい手・・・。


直接、触れられたら

とても心地よいだろうな


だが、私はそれを夢想する事すら出来ない。


私は知らないからだ。

知らない、何も、知らない・・・。


私はどうした? 背後から形の無い私に抱きついているのは、誰だ?




「私が・・・私が悪いのよね・・・? そうなんでしょう・・・?

散々にからかってゴメンなさい・・・! それで怒っているのなら

いくらでも謝罪する・・・だから、自分をいじめちゃダメ・・・!」




誰だ?

こやつは誰だ?


こんなに暖かい人間を、私は知らない。

こんなに優しい人間を、私は知らない。


その者は私の首裏に額を当て、耳元で囁くように謝罪の言葉が繰り返す。

ポタポタと、雫が首裏に落ちては背中の方に伝っていく

何故か、不快には感じない 何故だ?




「貴方の“力”は・・・“形の無いモノ全てを操る力”

“影”も“精神”も“記憶”も・・・“能力”すら操れる・・・

貴方はその能力で私の愛おしい命を救ってくれた・・・・

立派な能力じゃない・・・! なのに、


自分の目で見た事、耳で聞いた事、肌で感じた事

何もかもを疑っている・・・


お願いだから、自分を疑わないで、前を見据え、生きて

そして・・・全てが正しく終わったと思った時に・・・






美しく冷酷に、死ね




誇り高く、私には無い“人生”を完璧に全うしなさい・・・!」




その声は私の能力について悠長に話す。


“形の無いモノ全てを操る能力”・・・?


私は・・・己に形が無い事に強烈な劣等感を抱いていた。

ゆえに、何もかもを疑って生きてきた。


それを克服せねばならぬのか


私は正しく、生きなくてはならない・・・?


まるで、心臓を抉るような強い言葉

持ち上げて、突き落とすという・・・夢ならば悪質なやり口。


こんなひどい事を平気で言い放つ者を、

私は知っている、知っていたのに、一瞬 分からなかった。

私は少々、混乱してしまい暴挙に出てしまった・・・。



「優しい、言葉に見せかけた・・・罵詈雑言か」


「いいえ・・・そんなつもりは無いの

ただ甘いだけの言葉は無責任だと思うから・・・」


「ぬしなりの励ましの言葉か・・・

ありがとう、肝に免じよう ラルー」


「そう、なら良かった・・・私を許してくれる・・・?」


「・・・許さん」


「だと思ったー・・・悪かったと言っているでしょう?」



ラルー

私が監視する通称“最初の作品”

彼女は・・・ひねくれ者である。


ひねくれ者がゆえの歪んだ価値観。


しかし、私は彼女の価値観に、少しだけ・・・救われたのかも知れない。

彼女がひねくれ者ならば、恐らく、それに共感する私もひねくれ者なのだろう


正気を取り戻した私は未だに抱きついているラルーから脱出を図る。

子供の意地から、逃れようとする私を組み倒し

拗ねたらしく“血をよこせ”と私の血を要求。


おい、さっき私の血を散々、啜ったばかりじゃろうが・・・。



「血なんぞ、無くとも生きていけるだろう・・・」


「無ければ無いで、問題は無いけど

有ったら有ったで凄くハッピー! それに突然、暴れだす代償よ」


「・・・私が暴れたのは、もたもたと罠に引っかかり続ける事に飽きたからだ」


「しゃ!? 私以上に飽きっぽい!?」


「黙れ、首撥ね娘」


「・・・シュン・・・

飽きさせてゴメンネー?」



私が暴れた理由は苛立ったからだが・・・。

今はこのラルーを退けるために嘘を吐かせてもらう。

そしてまんまと騙されたラルーは私の上から退く。


やった。


ラルーが私の上から退いて

私は辺りを見回して見る。


私が暴れた証拠として、

粉々に粉砕された石のつぶてと刃がそこらじゅうに散乱している。


それは意外にも無駄骨ではなかったようで、

一つの壁の役割を果たしていた罠を破壊したおかげで、

1レーン向こうに直接移動出来る。


つまり、1レーン分の罠を回避出来るというワケだ。



「飽きちゃったイヲナの為にも、私

一肌脱ぎまっす! なんなら、物理的に皮を脱いでも・・・」


「物理的に脱皮なんぞ止せ、ただただエグいだけではないか

エグいだけで利益の欠片も無い」


「ハッキリ言うねぇ~ じゃ、服の方を脱ぐ?」


「脱ぐな 露出狂」


「誰が変態なのさぁ?」


「ぬしじゃろう? ぬし以外に変態はいるのか」


「断じて、私は変態ではありません 

逆に変態共が群がってきて困っているんだから!

断固、抗議します! 悔しいので、イヲナの服を剥ぎます」


「真の狙いはそっちか、頼むから両目が潰れてくれ」


「ヒドっ!?」



ラルーと無意味な会話を交わし

調子を取り戻して、罠の突破を続けようと思った矢先


ラルーが突然、私を抱きかかえ

罠地獄へ自ら飛び込む・・・。




自慢の脚力でぐんぐん、迷路内を走るラルー

ラルーの早さのあまり、背後で遅れて作動する罠の数々を見て絶句する私。

なんなら絶叫だってしたかったくらいだ。




ラルーに抱きかかえられ、

迷路を完全制覇して3階へ登る階段前まで到着するまで

私の感覚では60秒も満たないと思うが・・・。

凄まじいボリュームであった。


絶叫マシンに乗せられた時より、遥かに恐ろしい。


天井からは矢やら、毒が降り注ぎ

壁からは槍が伸びてきたり

そこらじゅう、目で捉えられないワイヤーで張り巡らされている中

ワイヤーを回避する為にアクロバティックに飛び回るラルー

私を抱きかかえている、にも関わらずだ。


もう・・・いっそのこと、死んだほうが良い。

ラルーに首を撥ねられた方が幸せだった・・・・。



「イヲナ・・・今にも死にそうなオーラを漂わせないでよ~

さっき言ったばっかりじゃーん“ジンセイ、全う”しろーって!」


「私を殺しかけているのはぬしじゃろうが・・・」


「え、私・・・!?

また病気、出ちゃった!?」


「病気とは、なんじゃ」


「ああ・・・しばらく殺してないとね?

私、無意識の内に人を殺しだしちゃうんだよ~

でも、コワクナイヨー?」


「死ぬほど怖いわ、この生きながらの殺戮マシンめ」



私はラルーから全力で離れ、

3階へと続く階段に座り込んで

頭を抱えた。


病的なまでに殺戮を愛する狂人・・・!

こやつの思考を理解する事は誰にも無理だ・・・!


疲れた、本当に、疲れた。


この仕事が最後の仕事か、聞いておらんが

意地でも今日最後の仕事にしよう。



「イヲナ、ちょっと休憩しよう

更に怪我しちゃったし、3階に何があるか分からないからね」


「それは当然だ、あと、いい加減に

敵である“十字剣の神父”を打ち負かす策を考えよう


へティー・ルアナから渡された紙には

敵に関する情報くらい書かれているだろうな?」


「イヲナ、相変わらず鋭い~

その通り 罰当たり神父の情報が事細かにあるよ~」



階段に座り込む私に擦り寄るラルーはまた紅い瞳を爛々と輝かせ

私の痛ましい傷を見て、物欲しそうな目を主張してくる。


まるで、お菓子をねだる子供みたいに。


否、まんま子供であった。

一瞬、混乱してしまった・・・こやつはこう見えて13歳だ。

仕草や見た目、精神年齢は完全に大人だが、それも悪質な麗人

だが、ただの子供に過ぎない。


私が暴れて負ってしまった傷と関連性の無い頭痛に悩まされる・・・。


うんざりした私は諦めの眼差しをラルーの真っ白な顔に浴びせた。

整った小さな顔は、少しの力を加えれば簡単に壊れそうな儚さを孕み

それが独特の神々しさを生み出している。


そんな儚い少女である彼女は狂気に染まり、おぞましい力を持つ。


実際には、その儚い顔を壊す事など不可能だ。

ゆえに抵抗は無駄。


私は小さく頷いた。


私の承諾の頷きを見たラルーは紅い瞳を更に輝かせ、

満面の笑みを浮かべると、件のへティー・ルアナから貰った紙を渡してくる。

私が紙を受け取り、内容を読み始めると

私の傷周りに付着した血を愛おしそうに口付けするラルー


背筋がぞぞっとした。


この変な感覚は止めて欲しい・・・・。

集中を妨げてくるでないぞ、ラルー



「・・・近接戦を好まない神父は

巧みに罠と投げ道具を使った中距離戦を好むそうだ」


「らしいねぇ~」


「この情報は信頼出来るのか?」


「信頼出来ない情報なら

あらかじめそれも情報として教えてくれるはずよ?

今日のそれは信頼出来る情報だから安心なさいな」


「・・・へティーがぬしを裏切る可能性は?」


「無いね、あったとしても恩返しに裏切らせてあげるわよ

そんでもって程々の被害を受けた後に嬲り殺しにする」


「・・・・そうか」


「ひょっとして、前の前の依頼主が裏切った事を根に持ってる?

大丈夫よ~もともと依頼主が殺し屋を切るなんて滅多には無いわ

殺し屋を焦って切るヤツは素人か、大馬鹿者よ」



今日の最初の仕事で真っ先に裏切られた事が

心の片隅に事実として居残り、安全性を再確認させてもらう。


そもそも依頼主が殺し屋を裏切る、などという馬鹿をするのはあまりない。


何故なら、相手は殺しを仕事にしている。

裏切れば躊躇なく殺されるのは確実だからである。


・・・もっとも、ここに例外がいる。


進んで裏切った方が利益を生む怪物が、ここに。


ゆえに、念入りに確認をしたいが・・・。

ラルーの歪み過ぎた“恩返し”の意を聞いて諦めた。


“例え、裏切ったとしても恩返しとして大人しく裏切らせてあげる

そして程々の被害を受けた後に嬲り殺しにする”


・・・本当に、歪み過ぎている。



「まぁ・・・中距離戦を好む、という事は

敵をなるべく遠ざけたい 敵が何よりも恐ろしい、

そんな弱気な本性が伺えるわねぇ~? なら、真正面から潰してやるよ豚が」


「ラルー ぬしほど鬼畜な人間を私は知らない」


「・・・に、んげん?」


「・・・すまぬ、ぬしは人間では無かったな」


「・・・イヲナ、私の事が嫌い・・・?」


「何故、そうなる」


「いいから」


「・・・・嫌いも何も・・・少し苦手だ」


「その苦手意識、殺せる?」


「・・・努力はする」



“十字剣の神父”を仕留めると誓うラルーに

私は今日で何度目になるとも知れないため息をついた。


そしてうっかり、彼女の事を“人間”と表現してしまった。


言われた本人はピタリと固まり、笑顔を引きつらせ驚いている。


失言だった・・・。


すぐに前言撤回すると、突然、話題を変えるラルー

簡単で単純を極める会話。


だが、私が出した曖昧な回答を聞いたラルーは安心したような表情を浮かべ

さっと立ち上がり、私に手を差し出す。



「さぁ、“十字剣の神父”を殺しに行こう―――」



導くような声、耳を疑いたくなる会話にすっかり慣れてしまった私は

その手を掴んで返答を返すでも無く、立ち上がって身体を伸ばすように動かす。

正常に傷は癒えたか、問題なく動けるか、確認し終えた私はナイフ片手に

3階へと続く階段を登り始める。


ラルーは私の前に慌てて走ってくると、

“自分が先頭を歩く”と睨んだ目で私に伝えて進む。

大人の姿をした子供、そう認めざるを得ないラルーの背を見つめながら

私たちは進む


標的“十字剣の神父”を倒す道へ・・・。


軋む木の螺旋階段をひたすらに登ると

ついに3階内の全貌があらわになる。


そこは・・・教会から伸びる時計塔の

絡繰り仕掛けが剥き出しになった時計塔内部・・・。


最上階にまでは登りきっていない為、時計その物は見られないが

そこにある大掛かりな仕掛けは非常に立派だ。

剥き出しの仕掛けを整備する目的のこの部屋は今までの部屋と違って

質素な造りで、ホコリを積もらせる木の床はボロボロ

置かれた家具も使われないため白い布が被せられている。


無機質な場所・・・だが、無機質がゆえに利用しやすかったのだろう


そこで待ち構えていたのは・・・“十字剣の神父”であった。


てっきり最上階にいるものだと思っていた私は驚いたが

ラルーはただ目を潜ませるだけ・・・。


十字剣の神父はその名の由来である“十字剣”を木の床に突き刺し

来たる“狂気の死神”を迎え撃つ強い意思を現した眼差しをラルーに向ける。

彼こそ・・・ラルーをここに呼び寄せた張本人。


どう出る・・・?


私は警戒して、ナイフを構え

ゆっくりと階段を登りきると、十字剣の神父は遂に動きを見せた。



「・・・そんな小娘が、かの“狂気の死神”か」



冷たい音声だった。


完全に、ラルーを甘く見下したセリフ・・・。


ここまで来て、それか・・・。



「ええ、こんな小娘が今話題の“狂気の死神”

拍子抜けしたかしら? それともガッカリさせた?」


「いや、むしろ、期待感が強まった

見た目は小娘でも・・・私の罠を突破して見せたのは事実」


「そうそう! 貴方の罠!

ひどいったらありゃしない、えげつない罠の数々!

戦わずして、殺しに来てるじゃない!」


「・・・・」



そう思われる事に慣れているラルーは皮肉を込めて笑顔を浮かべ

ペラペラと喋りだす。


・・・戦うんじゃなかったのか


十字剣の神父は最初、ラルーを疑ったセリフを言い放ったが

見下しているワケではなく、慎重に様子を伺っているようだ。


紳士的な雰囲気を纏ったその男は

十字剣を床から引き抜くと、こう続けた。



「蛇の怪物“メデューサ”・・・その末裔、“狂気の死神”

貴女の多くの秘密を、私は知ってしまった」


「・・・ふぅ~ん?

知って、どうする気かしら?」


「貴女のような怪物、野放しにするワケには行かない・・・!」


「あはははは! へぇ~! 雑魚の貴様に、私を殺せるの!

こりゃあ、面白いわねぇ・・・! なら見せてごらんなさいな!

私を殺せる“現実”を・・・!」



十字剣の神父は恐らく、悪い人間ではないのだろう

だが、相手が悪かったとしか言いようが無い・・・。


十字剣の神父の言葉を聞いた“狂気の死神”はその名に相応しい狂笑をすると

彼を唆し、再び“マーキュリー・ダイヤモンド”を操る。

私はラルーに全てを任せ、サポートに回るべく部屋の隅の方に移動する。


何本もの“刃の鎖”が室内に張り巡らされ

両手に短剣を握るラルーはすぐさま“十字剣の神父”の目前に現れると

その首を掻き切ろうと短剣を振るう。


甲高い金属音が耳に突き刺さる。


十字剣がラルーの短剣を受け止めたからだ。

かの敵はそう甘くは無いようだ。


ラルーは楽しそうに、狂笑を更に歪めると

もう片方の手に握る短剣を振り下ろす。

十字剣の神父が手にする武器は一つだけ、呆気なく決着は着いたかに見えた。


が、カチリという音が微かに聞こえると


シャン、という金属音が何重にも鳴り渡り・・・。

私は背後のただならぬ気配に気付いて後ろを向いた。


すると、鋭い杭が、私の腹と首に、深々と突き刺さった。


あまりもの衝撃に私は床に倒れこむ。

床に頭をぶつけたショックから意識がフッと途切れる。



「イヲナぁぁぁああああ!!!」



悲痛な叫びが耳に届いたが、

その声に見合う音量が聞こえない・・・。


ああ、私は死ぬのか


痛みだけは感じない。


そう、先ほど私が暴れた時のように


それが不幸中の幸いなのだろう


ぼやける視界に映る美しい紅。


彼女の瞳だ。


狂わしいほどに美しい彼女の目に浮かんでいるのは涙の色。


彼女は涙を流し、私を抱き上げ、何かを叫んでいるようだった。


もはや何を言っているのか、それすら聞こえない・・・。


“泣くでない”


私は、精一杯にそう言葉にしようとしたが

それはラルーには伝わらない・・・。


私の喉は杭で貫かれているからだ。


言葉にしたくても出来やしない・・・。


恐らく、十字剣の神父の罠に私は掛かってしまったのだろう

神父の武器である十字剣には、幾つものボタンが取り付けられているから

それで罠を遠距離操作しているのだと、私は推測する。


曖昧な意識の中で、私はそう結論付けると

意識が遠のいて行くようだった。


歪んだ視界、最後に見た映像は、“白い”ラルーが泣きながら

自らの首に刃を当て、横に滑らせ、“紅く染まる”さまであった・・・。








・・・・・








「・・・イヲナを、返せよ・・・クソガキ」



どことも知れない場所、

白の髪と紅の瞳を持つ少女の、冷たい声が響き渡る。


とても美しい少女、だが彼女が身にまとっている漆黒色のドレスは

ポタポタと得体の知れない液体を垂らしている。

まるで、彼女が重ねた罪、その物のような穢らわしさだ。



「対価を支払うのならば、俺が手伝ってやるぞ」



少女が睨む先と違う方向から

男の声がする。


紳士的な風貌のその男は

白いスーツに身を包み、ニヤニヤと笑っている。

紅い瞳が闇の中で輝いているようだった。



「・・・へぇ、じゃあ少し待ってくれる?

一応、コイツの返答も聞いておきたいわ」


「都合の良い方に抱かれるってか?」


「・・・ふふっ、残念ね

誰にも渡さねぇぞ、私の純潔は、

それが目当てなら散れ」


「冗談」


「殴るぞ、もしくは刎ねる」



少女はチラリと男の方を見やると

すぐに目の前に視線を戻し

そのまま、淡々と会話をする。


まるで、親しい悪友のようなやり取りで



「・・・お前は何を求める?」


「ああ?」



不意に、少女が見る先から声が響くと

少女は不機嫌さから顔を歪める。


苛立った雰囲気を醸し出す少女はあからさまに怒りを主張するために

組んだ腕を小刻みに叩いて、声の主の返答を催促する。

まるで、怨んですらいるように・・・。



「お前はいない者

いない者が何を求める?

今さら救いを求めるか、なんと愚かしい事か」


「黙れ・・・救いを求める前に私を見捨てたクセに・・・!

それともなんだ? 私を敵に回したいのか?」



透き通るような、何人にも脅かせぬ力強さを持つ声は

少女の“愚かさ”を指摘する。


存在しない者だとして・・・。


その言葉に逆上する少女を男が押さえる。

今にも少女は暴れ出してもおかしくはない。



「さぁ、これで結論は出た!

俺に手伝わせろ・・・いいな?」


「・・・ちっ、代償はやはり伴う・・・てか?

私はいない者なんじゃ無かったのか!?」


「その矛盾点について論じ合う時間はあるのかよ?」



冷静に、あくまでも話を押し進める男の言葉に

少女は更に異論を唱えるが、

“矛盾点を論じ合う時間は無い”という男の言葉に少女は舌打ちをする。

・・・正論だと、認めたから



「・・・私の一つの命をくれてやる

だから、イヲナを返して」


「いいだろう、お前の“死の奇跡”

見せてやるが良い」


「・・・ありがとう、契約に乗ってくれて

・・・ルシファー」


「俺の名前を呼ぶんじゃねぇ

お前と俺の間柄で名前を出すのは厄介な事になるぞ」


「誰が問題にするんだか、ここでの出来事を関知出来る存在は

貴方と、私と、そしてあそこに居るクソガキだけじゃない」


「そうか? じゃあ、アレは何なんだよ?」



不可解な会話をする少女と男。


ふと、男が私の方を見た。

男の言葉を聞いた少女も、それに釣られるようにこちらを見る。


・・・美しい、紅い瞳。


それが私に向けられると少女は微かに驚いたような、

冷たく見下すような・・・曖昧な表情をした。


夢のような、おぼろげな感覚の中。


それは蜃気楼のように揺らめいて、消えて無くなった。

この記憶も、砕けて散るだけ


眠りは必ず覚める。


記憶も同じように、私も同じように、覚めよう。








・・・・・









「おお、なんと呪わしい運命か

全ては仕組まれていた事、

人の生き死になど、全ては事を動かす道具に過ぎない

神なんて、人間の事を考えていやしないよ・・・?」


「黙れ、愚かな怪物めが・・・!」



・・・。


私の耳に入るのはラルーと十字剣の神父の会話。


一体、何が起きた?


私はホコリまみれの床に横たわっている・・・。


そうだ、腹と首を杭に貫かれて・・・!


私は慌てて腹部に手を当てた。

ぬめりとした感触、目を向ければ血がべっとりと付着している。

それも、致死量にあたるほどおびただしい・・・。


しかし、どういうわけか、痛みはどこにもない。


首の方も同じで、多量の血が付着しているだけで

痛みは存在しない。



何故かは知らないが・・・助かったのか・・・?



倒れている私のそばに私を貫いたはずの杭が2本、

血まみれになって転がっている。


やはり、私は杭で死にかけたのは間違い無いようだが・・・。


未だに自分の記憶を疑っている自分がいる・・・。



「・・・忌まわしい私と、愚かしい貴様

どちらが罪深いのかしら・・・」


「貴様に決まっている!」


「・・・そうね、でも、罪に問われるのは貴方よ

私は罪に囚われたりはしない」



“マーキュリー・ダイヤモンド”は一階で見た紫紺色の炎に燃え上がり

ラルーの周りを取り囲んでいた。


紫の光に照らされた白く美しい顔に、いつもの笑顔は無い。


凛とした無表情が、冷酷に存在した。


笑わないラルー・・・異常だ。


それは、空が青くないほど信じがたい事実。

無表情のラルーは腕を前に差し出すと、手の辺りに闇が漂い

意思を持っているかのようにラルーの手にまとわりついていた。



「―――私は、何にも囚われない


囚われず、縛られず、触れさせない


ゆえに、何も得る事は出来なかった


真に欲するモノは全て、“私”から逃げて消え去ってしまう・・・


“私”は何も得る事が出来ず、何にもなれない


何にもなれない私を、神は見捨てた


神の理から外された私は、何でもない存在と化した・・・


呪わしく、愚かしく、忌まわしい・・・虚無の存在・・・」



闇は不安定に歪み、

ラルーは呆然と、毅然と、“自分”を語る。


そんな彼女の言葉に応じるように、闇は形を作り上げる。


おぞましい“死神の大鎌”となって・・・。



今までの、あからさまに“狂気”を主張して

他人を嘲笑ってきた様子と打って変わり、


冷酷で、静かな怒りを影に潜ませ、

強烈な殺気と圧力を放つラルーの豹変ぶりに驚く“十字剣の神父”は

戸惑い、震えていた。


立っているだけで精一杯なほどの恐怖に支配されているのだ。


彼は、恐怖に震えているだけだったが、

大鎌を手にした“狂気の死神”がゆっくりと、こちらに向かってくると

舌打ちをして、恐怖と戦う決意をする。


十字剣のスイッチを押して、

部屋に仕掛けた罠を作動させる。


ラルーが立っている床がパタと開くと

下から何本もの槍が伸びてきて、

世にもおぞましい“狂気の死神”を仕留めようとする。


・・・しかし、槍は死神が纏うコートを貫いて引き裂くしか出来なかった。


何故ならば、

死神に向かって伸びる槍はその細すぎる白い手に触れただけで

大きく歪んでしまったからだ。


金属製の槍が、いとも簡単に押し歪められてしまうなど

そこに加えられた衝撃と怪力を想像するだけで恐ろしい・・・。



「人間、お前に分かるか?


神にすら見捨てられ、真の孤独に打ち捨てられる恐怖が


母の首を抱いて狂喜する娘の気持ちが


誰よりも救いを求めても、何人もの人間に奪われ続けて

“救済の光”の、その影に置き去りにされた子供の絶望が


・・・分かりやしないだろうな、分かるのであれば

お前はここで私に対峙したりはしない」



冷静な声で、淡々と世を呪うラルー・・・。


彼女・・・ラルーが、“狂気の死神”の名で殺し屋になったきっかけ・・・。


それは、自身の母 “苧環(オダマキ) 水仙(スイセン)”を、憎しみの末に殺したからだ。


私が知る限りのラルーの人生を客観的に見てみれば

決して恵まれた人生では無いと誰もが理解出来るだろう


生まれながらにして、彼女は・・・不運の娘であった。


恵まれなかった不運を、そんな人生を与えた神を、運命を、

全てを呪った少女・・・。


“狂気の死神”は不愉快そうに言うと

ボロボロに引きちぎられたコートを脱ぎ捨てる。


紅いレースと細かい刺繍が施された紅いYシャツに

引き締まった黒のジーンズ

よく似合っている格好だ



「私はっ・・・!

人々の為に、悪者を倒してきたっ!」


「そう・・・正義を振りかざしてきたのね

・・・浅はかな、偽りの正義」


「浅はかだと!? 偽りだと!?

何も間違っていない、私は何人もの人を救ってきた!」


「救ってきたから何? 貴方の正義は浅はかでしかないのよ

善人に救済を、悪人には制裁を・・・

当然のルール・・・でもね、本当の正義とは“悪人も救済する”

そう、やってのけてしまう・・・そういう強さの事を言うの」


「っ・・・!!」


「私は、一人だけ

その真の強さを見せつけてくれた人を知っている・・・

その人はね? 幼い少女なの、でも貴方よりは遥かに立派だった」



十字剣の神父はラルーに抵抗するべく、

自分を語るも呆気なく、その意義を論破してみせる。


自分の存在意義を完全に否定され、

悔しそうに唇を噛む十字剣の神父は投げ道具を

次から次へとラルーに放つ。


だが、ラルーは大鎌の柄を複雑に振るって

弾き返し、軽やかな足取りで罠が仕掛けられている中を駆け抜ける。


天井から針山が落とされても、大鎌の刃をぶつけて破壊し、


壁から炎が吹き出しても、“マーキュリー・ダイヤモンド”で盾を作り、


至るところから鋭利な針金が降りかかっても、鮮やかに宙を舞って避ける。


ラルーの足取りに迷いは無い。

その歩みを遅める事すら、十字剣の神父には叶わない。


そして遂に、ラルーの大鎌の刃が、十字剣の神父の喉元を捉えた。



「き、貴様はっ・・・!

ただの“メデューサ”に過ぎないんじゃなかったのかっ!?

“初代メデューサ”ほど強力な力は持っていないはずじゃ・・・!?」


「・・・誰がそう、言ったのか

分からないし、もう、私にはどうでもいいけれど・・・

教えてあげる」



死神に心臓を掴まれた哀れな神父は最後に、

彼女の正体を疑った。


ラルーの正体・・・彼女をここまで強者たらしめるモノ

それは一体・・・?


表情を一切、変えず

無表情なまま、ラルーは応えた。


“狂気の死神”であり、


“メデューサ”でもあり、


“吸血鬼”と在ろうとする彼女は・・・。



「―――私は、何でもない。


何でもないがゆえに何にでもなれる。


私は、“何色にも染まれる水”を満たした“何色にも染まらない器”


生も、死も、


喜びも、悲しみも、


希望も、絶望も、


時間も、空間も、


世界も、“私”も、


私の中では、その境界が存在して、存在していない・・・


己の中で自在に境界を線引いているがゆえに


万物を操る力を得た、神の理にすら干渉する権利を持つ、存在しない“存在”


それが、“私”


ご理解、頂けたかしら?」



最後の最後で、彼女は言葉を弄んだ。


わざと曖昧で、抽象的な言葉を選んで、

確かなようで、不確かな自分を表しおった。


つまりは、自分でも分かっていない。


という事らしい


壮大で、それらしい言葉だけ並べおって・・・。

ソレが真実か、偽りか、私には到底、判別出来ないが

私はそう解釈した。



「ははっ・・・はははははは!!」


「・・・壊れた?」


「まさしく! 神にも迫る、悪魔のような人をっ!

私は、本気にさせたのだ・・・!

素晴らしい・・・! ははははははっ・・・!」


「・・・いいえ、私は一瞬たりとも

本気なんて出しちゃいないわよ」


「はははぁ・・・!」


「・・・やっぱり壊れたか」



十字剣の神父はラルーの壮大なごまかしを聞いて

ラルーの凄まじさを理解すると

自分はそんな人物と対等に並べる存在だと思い込んだ。


・・・現実逃避をしたようだ。


ラルーの言うように、確かに“壊れてしまった”

呆れ果てた重いため息をつくラルーは飽きたのか、

真相を聞かずに、大鎌の刃を横に滑らせる。



そして、十字剣の神父の、最後の断末魔の叫びが響き渡る。







「何でも無い存在! 神を脅かす唯一の脅威!

悪魔よりもおぞましい怪物・・・!


名を持たないのならば、私が与えよう・・・!


“無ナル者”よ、汝こそ“虚無”を統べる王!

その祝福を、その永久の繁栄を、祈ろう!

この者に救いあれ!」






十字剣の神父


ラルーを“神の敵”と侮辱しながら

“無ナル者”などという名前を与え、彼女の救いを求めた。


・・・曖昧な言葉遣いで弄ばれた、その最後の反撃。


見事だと認めよう。

最後の最後で、ここまで言えたのは凄い。


言葉だけで、あのラルーが唖然としてしまっているだから。


そりゃあもう、口をこれでもかと開けて

何度も瞬きしている。

可笑しい反応をさせるだけのインパクトを与えたのだ。



この勝負、ラルーが勝ったが

半分以上に、ラルーは負けたのだった。





ラルー

種族 “無ナル者”

と表記出来るようになりました。

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