記録その壱。
夢幻のような感覚で
未だに覚えていた。
あの、真っ白で美しかった少女の姿を
けれども次に出会った時には彼女は“白”ではなかった。
黒く染って狂気に笑っていた。
儚くも美しかったあの少女・・・。
何故、彼女は狂った?
どうして黒く染まり、狂気の刃を振るって
己が親を殺そうとするのか
・・・結局は、私も同類なのだ。
そう、思うと私もまた愚かな人間なのだと
思い知らされたのだった・・・。
彼女は“白”
何よりも美しく、凛と気高い存在。
私は・・・そんな気高い彼女を、“黒く”貶めた。
その罪は決して許されてはならない。
愚かしくも、私は彼女が持つはずだった“白”を纏って
・・・・
入り組んだビルの路地裏を私は必死に走り続けていた。
もうすでに足は感覚を無くして、棒のようになっているが
そんな事に構っている場合ではない。
背後からほとんど音も無く飛来する投げナイフをギリギリで・・・。
否、まぐれでなんとか避けて、私は命懸けで逃亡しているのだ。
しかし、そんな私の命懸けの抵抗は虚しく
私をここまで追い詰められているその犯人が私の首裏を鷲掴みにして、
そのまま力ずくでコンクリートの壁に叩きつけられる。
固い壁に頭を打ち付けて、くらりと激しい目眩に見舞われ
視界が真っ白になりその機能を失うとすぐに意識が途絶えた。
が、数秒の時間を掛けて意識は回復。
ぼんやりと状況を把握すると
私は壁に打ち付けられたあと、その犯人が私の胸倉を掴んで
向かい合わせになって私の上体を無理やりに起こしている・・・。
犯人は私と目が合うと不愉快そうに
その手を離した。
そして私は宙に放られ再び壁に身体を打ち付ける。
「っ・・・!!」
さすがにこれは痛い。
耐え切れず、情けない声を上げてしまった。
けれども、そんな私に対して情けすら掛けない
相手はその手にしたおぞましい武器を突きつけて来た。
・・・暗闇の中で、ぬらりとその刀身は鈍い輝きをちらつかせた。
それは、巨大な大鎌だった。
細かい鎖を絡ませた大鎌の刃が、私の首元に首枷のように
突きつけられているのだ。
そして、その現実離れしつつも非常に危機的なこの状況に
見合わない声がその場に響き渡る。
「お兄ちゃんを・・・返せ・・・!」
私は現在、いきなりながらも監視対象たる少女・・・。
ラルーに襲われていた。
黒いフードを深く被って
ボロボロのマントが微かな風に揺らめく
フードの中から覗く顔は非常に色白で形が整っている。
白いブラウスにコルセットを巻いて
黒いゆったりとしたスカートが血に濡れていた。
それが誰の血なのか、分からないが少なくとも私の血ではない。
血がよく似合う幻想的なその少女は―――“狂気の死神”と呼ばれている。
柔らかな白い髪がフードの中から垂れ下がり、
フードの奥には発光していると見紛うほどの鮮やかな紅の眼、
路地裏の奥から覗く真っ赤な夕焼け空に映える美しい少女・・・。
彼女に関してはあらゆる工作員が根を上げた。
今やマトモに監視しているのは私だけだ。
そして、あらゆる工作員は彼女の事をこう呼んだ・・・。
“史上最悪のヤンデレ死神少女”と・・・。
この名称は実に彼女をよく言い表した名称だと私も思う。
現に彼女の溢れんばかりのヤンデレっ気から
私は人生最大のピンチを迎えている・・・。
「な、何の事か、私にはサッパリ解らんな・・・」
「愚か者、私の目は偽りと真実を見抜ける
故に貴様がどれだけの大嘘を吐いているかぐらい解る」
「ッ・・・!」
容赦のない強い口調でラルーは冷たく吐き捨てた。
まずい、尚更 彼女を逆上させてしまった・・・!
この女は人を平気で殺せるような冷酷な人間だから
いつ、彼女が手にする大鎌で首を刎ねられてもおかしくはない・・・!
「それにしても久しいな“白き者”よ」
「私にはちゃんとした名がある・・・」
「あるにはあるのだろう・・・
しかし、私はそれを知らん」
私に合わせてなのか、彼女は古風な喋り口調をする。
鋭い彼女の大鎌の刃が私の喉に当てられたままだ。
そういえば私は自己紹介をしていなかったな・・・。
名を隠す必要は無いだろう
「・・・我が名は“イヲナ”・・・
決してぬしの兄 誘拐には関わってはおらん」
「・・・ほう?」
「真実を見抜けるそなたの目には偽りに見えたか?」
「いや、私の目からも貴様の言葉は真実に見える」
「ならば、解放してもらえぬか・・・?」
「だが、私のお兄ちゃん 誘拐の犯人を知っているでしょう?」
「・・・」
初めて私は彼女に名乗ると、彼女は微かに目をしかめたように見えた。
彼女は今、兄を誘拐されて非常に荒ぶっておる。
私はその誘拐の犯人と思われ、追い詰められている所だ。
ちなみに彼女の紅い瞳は今、光を浮かべていない為
尚更、恐怖心を掻き立てる。
「ああ、確かにぬしの兄 誘拐の犯人を見た」
「ならば、言え・・・
さもなければ貴様はその綺麗な首と身体がオサラバする事となるぞ」
・・・非常に由々しき事態である・・・。
怒りに狂ったこの女の言葉が現実にならないようにしなくては・・・。
「・・・犯人は・・・」
「犯人は?」
だが、言葉が出る寸前で止まってしまう。
・・・はっきり言って癪に障る。
改めて思ったのは
“何が悲しくてこのような大鎌で人を脅すような娘に
無償で情報を提供しなければならないのだろうか”
という意地汚さと往生際の悪さが出た感情だった。
ゆえに、思わず口を突いて出たのは
「・・・おぬし」
「死ね」
「すまぬ、ついふざけてしもうた」
「おふざけは不要だ、吐け」
だんだん、彼女の口調が荒くなる。
実に恐ろしい事か。
・・・しかし恐るるに足らず。
そういえば私はこの世で唯一、彼女と対等に戦う事が可能な存在なのだ。
・・・うむ、今さっきまでは忘れていたが
まあ、大丈夫だろう
この際だ、彼女の反応を実験してみようではないか
「・・・犯人は・・・」
「さっさと言え」
「兄の自作自演」
「そんなワケないでしょう?
私はこの目で連れ去られていくお兄ちゃんの姿を見たんだから!」
「すまぬ」
「またついふざけたワケ!?
いい加減になさい!」
いよいよ彼女はヒステリックに叫び始める。
・・・なんだか・・・面白いな、コレは
「おい、貴様
今の貴様の心、読んだぞ」
「っ・・・!?
心を読めるのかッ!?」
「読めるんだよ! 貴様ぁ!!
わざとだと分かった現在、容赦はしないぞ!!」
彼女は大鎌を振り上げる。
「すまぬ、すまぬ!
ついつい、ぬしが綺麗だからからかいたくなっただけだ」
「あら? こんな私でも口説いてくれるの?
嬉しいわね・・・うん、この世から去れ愚か者」
「・・・」
最初は明るくハイトーンで話したのに、
“うん”のあたりから急に低い声で冷たく言い放った。
実に厳しい・・・。
口説きにも揺らがない辺り、一途だな・・・。
・・・単純に私が女を口説く色男じゃないからかも知れないが
「はぁ・・・真面目に答えてやるから落ち着け」
「これが落ち着けるワケがないでしょう
兄を誘拐されて落ち着いてられる妹なんて妹じゃないわ」
「たまには正論も言うのだな?」
「いつだって正論のみを語ってるつもりなのだけれど」
「そうか、
犯人は恐らく新参の殺し屋グループだと思われる」
私は大人しく彼女の要求に従う。
「新参の殺し屋グループがなんでお兄ちゃんを襲うの?」
「それは恐らくぬしと兄が脅威だからだろう、
“狂気の死神”と“終の死神”のタッグは今や
鳥肌が立つほど恐れられてるからの」
「へぇ~・・・
私とお兄ちゃんの正体を既に知っているなんて奇遇ね?」
「大鎌で兄の行方を迫る女なんて
“狂気の死神”しかないだろう?」
「・・・あっそ」
一旦は私を不審に疑うも、興味が消滅したのか
深くは聞かない。
この少女、ラルーは今現在
非常に恐れられている新人の殺し屋で
彼女の双子兄妹の兄もまた、その冷酷性で恐れられている。
二人は“死神兄妹”と呼ばれる殺し屋コンビである。
・・・並大抵の者じゃあ死を覚悟せざるを得ないほど恐ろしい存在だ。
「その新参のグループ、一体どこにいるのかしら?」
「あのマンションの4階、409号室にいる」
「・・・ありがとう、今回は殺さないでおくわ
感 謝 な さ い ? 」
そう言って彼女は兄の救出に向かうため、私が指差したマンションの方に
歩き進もうとするが、私は彼女の手を掴み止める。
「・・・何?」
「ぬしの兄 救出を・・・
手伝わせて欲しい」
「なぜ?」
大鎌の刃を離されて、
今まで刃を当てられていた箇所に手を当てると血が付着している・・・。
・・・当てただけで切れてしまうなんて、地味に痛いではないか
ほとんどその悔しさから私は彼女の手を掴んで
監視人としての意地を張った。
「“狂気の死神”たるぬしは頻繁に殺しをする上、
主に仕事は日本国内で行う故、その素性はある程度、明らかになっている
が、それに対し“終の死神”はせいぜい
“狂気の死神”の兄であり、世界各国を飛び回っては
殺しをしている程度の事しか分かっていない
だから私はぬしの兄に関心を抱いているのだ、実際に会ってみたい」
無論、ここで語る理由は嘘である。
ラルーと行動を共にしてもっと確かで細かい監視をしたい、
というのが本当の目的だ。
「・・・・・・あらかた出回っている私の情報は・・・私が流したデマよ
貴方、戦えるの?」
重い沈黙の後、僅かに心を開いたのか
自分の情報の多くは自ら流したデマだと説明をして
私を見据えてくる・・・。
「戦える」
彼女の問いかけに答えて
私は強い意思表示を示した。
「・・・そう、なら、うっかり私に殺されても文句は言わない事ね」
「ああ、殺されぬよう気を付けよう・・・」
かくして、監視人である私は監視対象の彼女と共にマンションに潜伏する
新参の殺し屋グループの掃除をする事となった・・・。
もちろん、彼女の監視目的で仲間になっただけだ。
決して負けて悔しいから捨て身に出たワケではない。断じて。
・・・・・
ラルー・F・クレイン
・フルネームで呼んだ監視人は後に惨殺死体で発見された
間違っても“クレイン”と呼んではならない。
・本人曰く “ラルー・F・ヴィレノア”が正しい名前とのこと。
誰にも心を開かない気持ちの表れなのか
常に黒いフードを深く被り、素顔を晒す事を極端に毛嫌う。
私が彼女の瞳を見れたのはいつも彼女が
目を覆うように巻いている包帯がはだけた為。
素顔を見せたがらない理由はアルビノだからだと思われる。
裏の世界では“狂気の死神”の二つ名で恐れられている殺し屋。
二つ名の由縁は彼女の武器が大鎌であり、黒いマントに身を包み、
フードを深く被っている容姿から“死神”
そして人を殺す際、彼女の溢れんばかりの狂気があらわになる為、
“狂気の死神”と・・・。
他の注意点といえば
・“博士”を彷彿とさせる言葉を口にしないこと
・“クソガキ”と罵ること
(それ以外の侮辱語には反応が薄く、大して気にしないようだが
この侮辱語を使った時は異常なまでに激昴する
試しにこの侮辱語を使用した研究員は一瞬にして四肢が弾け飛び死亡
恐らく“オダマキ スイセン”を思い出すためと思われる 詳細不明)
・嘘を吐くこと
・容姿を褒めること
・彼女の兄や弟を貶めるような発言
など・・・。
「何、考えているの?」
「いや、ぬしの情報を整理しているだけだ」
「・・・気味が悪いから斬っていい?」
「斬っては悪い」
「そーかー」
思わず戦慄してしまいそうな事を言う彼女に
私は彼女が望むであろう返答を返す。
いつ何時、この首を刎ねられるか解らんな・・・。
「ところで、イヲナはなんで仮面を着けているの?」
何気なく彼女は私の面の事を聞く、
私はこの顔を隠すために面を付けている。
昔はお前はふざけているのか、と叱られたものだ。
「単純にこの顔を隠すためだ。
それ以外に面を付ける理由などない」
「・・・ふーん」
やはり興味なさげにするラルー
彼女自身、私にはこれっぽっちの関心はないのだろう。
だが、まだ信頼に足りうる存在でもないから、
彼女は私を詮索しているのだろう・・・。
しかしこの後、もはや驚愕を隠しきれない出来事が起きるなど
私は思ってもいなかったのだ。
このあと、何が起こって
それに私が巻き込まれ・・・
そして、私が行き着く先が
どれだけ悪夢のような結末なのか
私は後悔しているだろうか?
この時、私がラルーと一線を引いて接していれば・・・と。
ラルーが些細ながらも
私に関心を示していた事に気付くべきだったと。
しかし、全てはもう手遅れなのだ。
私の嘘と、彼女の純粋さ、あるいは狂気。
これらによって後の運命は最初から決定されていた。
最初から、変えようもない未来・・・。
ゆるりと雨のように堕ちる
呪いに満ちた結末・・・
すなわち“かの悲劇”はこの瞬間を持って運命付けられた。