「ふふ、海賊王も陸地に上がればただの無能か?」
ヴィルヘルムは城壁に囲まれた街を一人で歩いていた。
「……………チッ」
そわそわして落ち着かないなんて、我ながら俺らしくもない。
昨晩任務の対象の悪魔を撃破し、今日一日この街で休暇をとって明日になってからローライトに帰ろうかと思ったが……。
「気が変わった、今から帰ろう」
嫌な予感がするし、なんかイライラもする。
以前、獣人族に裏をかかれてローライトに攻め込まれた時の雰囲気と少し似ている。
まぁ今回はフィリーたちがローライトにいるはずだ、あの時のような被害はおそらく出ないだろうが………。
瞬間、
「ッ!?」
気づいた時には鋭利な刃物のような切っ先が、目の前にまで迫っていた。
「…ックソが」
ヴィルヘルムは身体を空中で翻し、制服のマントを刃先に引っ掛けるようにして受け流す。
しかし間に合わず、僅かに裂かれた腕の皮膚から鮮やかな血が吹き出てしまう。
「(……チッ、少しかすったか)」
だがこの程度の負傷で怯んでなどいられない、ヴィルヘルムはすぐに体制を立て直し、裏路地へ駆け込んだ。
「…ったく真昼からお盛んなこった」
敵の本体が見当たらない。
おそらく遠距離攻撃を得意としているのだろう、それも相当の手練れだ…殺気をまったく感じない。
殺気も何もなければ、相手の動きを読んで行動に移すことができないのだ。
それに相手の数もまったく予想がつかない、最悪、すでに周りを囲まれているか………。
続けて襲いかかる一瞬の刹那、
衝撃は背後からであった、辺りの様子を伺うために背をつけていた家屋の煉瓦が、一瞬で砕け散って宙を舞う。
「!?」
それと同時にヴィルヘルムは背後に神経を集中させ、裏路地のさらに奥へ大きく飛んだ。
攻撃の本体を避けるためである。
「(くっ……2人組だったか…?)」
「…驚いた、背後からの攻撃をかわすとは」
その本体は、崩れた煉瓦の壁を踏み越え、ヴィルヘルムの目の前に現れた。
「ふむ、魔術的な回避措置はとっておらんな、単なる反射神経によるものか……」
2mはゆうに超えているであろう巨体のそいつは、低い声でそう言った。
「……一体何者だ」
赤いフードコートで全身を覆っているため、人間か悪魔かすら判断がつかない。
「その質問には答えかねる」
「ケッ、そうかい」
ヴィルヘルムは路地の傍らに置かれていた、雨水の貯まったバケツの取っ手を足の甲で引っ掛け、巨体の足元へ投げつけた。
当然、バケツからこぼれた水が、僅かながら瓦礫に拡がる。
「答えないのなら、敵とみなすが…悪く思うなよ」
「この程度の水で何をする気かわからんが、かまわん、我輩は貴殿の敵だ」
「いちいち癇に障る野郎だな」
ヴィルヘルムは左眼の眼帯の布地を撫でるように指先でなぞる。
すると、彼を纏う空気の色が変わった。
「(水が無い場所でこの力はほとんど役に立たないが…、生身で戦うよりは幾分かマシだろう…)」
「ふふ、海賊王も陸地に上がればただの無能か?」
「…………俺を海賊王と知ってて狙ったか」
ヴィルヘルムは身構える。
ーそして、その時にはもうヴィルヘルムの攻撃は始まっていた。
「間欠閃ッ」
爆音と共に、巨体の足元の水が強烈な勢いで暴発し、水飛沫がその身体を飲み込んだ。
しかし、ここで攻撃をやめるわけにはいかない。
「(…もう一人はどこだ)」
憑き神のチカラを発動させている今なら周囲の気配が手に取るようにわかる。
「……………………」
ヴィルヘルムは懐に収めた護身用の拳銃を瞬時に取り出し、路地のさらに奥へ銃口を向け、引き金に指をかけた。
「(……見つけた)」
もう一人も同じような服装をしている。
赤いフードコートに身を包み、こっちは巨体と比べて少し小柄のようだ。
そして、ヴィルヘルムは躊躇なくその引き金を引いた。
火薬の炸裂する音と同時に、独特な金属の接触音が裏路地に響き渡る。
しかし、ヴィルヘルムは唐突な違和感に襲われた。
「(……なんだ今の音は…)」
いや、その違和感も次の瞬間には目視出来る物になっていたのだ。
それは、ヴィルヘルムと小柄なフードコートが対峙する路地の煉瓦の壁、そこにヴィルヘルムが放った鉛の弾丸を串刺しにするように突き刺さる、銀色の一本の針。
「弾丸を撃ち落としただと…?」
驚愕に思考を停止させた瞬間、
「海賊王、後ろがガラ空きだぞ」
耳元をかすめる轟音。
「(しまったッ)」
ヴィルヘルムは、巨体の拳による攻撃に対し、咄嗟に右腕で頭部を守る。
「ッぐぁ…あッ!」
あまりの衝撃に、一瞬、視界が奪われてしまったが、ヴィルヘルムは巨体に背中で体当たりするように地面を蹴った。
「グッ」
「(…クソが…こいつら雑魚じゃねぇ)」
路地裏から、さっきまで歩いていた通りに転がり出し、そのまま間隔を開けずに全力で走り出した。
「チッ、肩が外れてやがる…」
受け止めただけで脱臼するなんて聞いたことがない。
「(……あの怪力野郎…人間ではないな、…いや、それよりもちっこい方だ)」
はっきり捉えることは出来なかったが、奴は確かに俺の弾丸を撃ち落とした。
口径8mmの銃口から、音速を超える速さで撃ち出される銃弾を、糸も簡単に射抜いたのだ。
「(……どっちも人間じゃない)」
まったく、面白くなってきた。
陸地とは言え、偉大なる海賊王がまさか逃げる羽目になるとは…。
「………追ってはこないのか」
ヴィルヘルムは密かに高揚していた。
化け物じみた連中に出会う事で、身の危険を実感し、戦いの喜びに打ちひしがることが出来るのだ。
「(久しぶり、久しぶりだ、この感覚)」
しかし戦いに酔って、犬死するわけにもいかない。
犬死こそ無様。
戦いは結果が全てなのだと、今まで散々教え込まれてきた。
「…用水路でもいい、大地の流れにそう川があれば…」
川はいずれ海に繋がる。
そうなれば海賊王のチカラを、思う存分振るうことが出来るのだ。
そうなれば奴らとも、まともに戦うことが出来るだろう。
ヴィルヘルムは街で唯一の出口である東門へとやってきた。
走り続けてきたが、彼の息は僅かにすら上がってはいない。
ところが、ヴィルヘルムの眉間にシワがよる。
「………おかしい、門番がいない」
不可解な点はそれだけではなかった。
今は太陽も昇り、普段なら街の住人達が賑わい出す時間帯のはずだ。
「(…ここにくるまで、人に出会ったか……?)」
罠だ、ヴィルヘルムはそう確信した。
確信した時には、もう遅かった。
物陰から、先ほどの赤いフードコートを着た連中が、二人、四人、七人十人と、姿を現した。
「……………………」
全部で12人。
「海賊王、我々から逃げることは出来ない」
さっきの巨体が一歩踏み出てきた。
おそらく奴らの親玉なのだろう。
「…この街の人達はどこへ行った?」
「ほう、こんな状況で他人の心配が出来るか、流石だ、敬意を表そうぞ海賊王」
「いいから答えろ、化け物」
その時、ようやく影に隠れていた巨体の形相が、日差しに照らされて露わになる。
「我らが喰らった」
「…………!」
悪魔のような言葉を並べるそいつの顔は、自分と同じ、見慣れた人間の、それだった。