『いや、目的がはっきりしないと思ってね』
そもそも境界門とは。
今は400年前、惑星規模で発生した神的災厄の末、地上の人類文明が軒並み崩壊したことは周知の事実である。
しかし、文明そのものは瓦解したとしても、生き残った人類が少なからず存在していたのもまた、事実である。
そして生き残りがいれば、前歴時代、つまり文明が崩壊する前の技術もまた、少なからず受け継がれるはずだ。
そうして現に、日本をはじめとする世界各地に、前歴時代の遺産は数多く遺されている。
境界門もまた、そのうちの一つである。
境界門は、離れた場所にある境界門と何らかの形で接続されており、その間を行き来できる、という代物だ。
そして、境界門に身を委ねている間の記憶は、脳には残らない。
だから使用した本人が感じるのは、扉の敷居を跨いだという感覚だけだ。
この辺のメカニズムや構造も全て、前歴時代の技術の一部なので、詳しいことは何一つわからないのだが、それでもやはり、魔術や憑き神がごく日常的に生活に関わってくる今の世の中もあってか、理解は出来ないが、受け入れることは容易い。
「……で、境界門をくぐったわりには、見覚えのある顔と景色が見えるんだが」
ヴィルヘルム先輩の目線の先には、赤いフードコートを纏った少女の姿があった。
「お、おはようございます、ヴァイロンの皆さん…」
彼女は、つい先日の騒動の実行犯である魔人の一人であり、セシリア隊長の意向により、ヴァイロンの隊員に加わった、フィオラルド・バッカニーナである。
通称はニーナだ。
「ニーナちゃん!ご苦労様ぁ」
そしてそのニーナの後ろには、かなり大きく威圧的な帆船が、僕たちを見下ろしていた。
「…ここは、インド洋か」
ヴィルヘルム先輩は、目の前に広がる広い海を見渡してからそう言った。
「さぁ乗り込むよーみんなー」
「待てフィリー、何故インド洋に出たんだ、日本に直行するんじゃなかったのか」
「…え、ヴィルには言ってなかったっけ、ローライトの境界門から移動できる最東端の境界門は、このインドはテガン高原麓の境界門なんだよ?」
「…初耳だが」
…僕も初耳だ。
「テティちゃんは知ってたよね?」
「すいません、初耳です」
「……ぇえ、京くんは?」
「初耳ですね…」
「ぇええええ?!もしかして私みんなに言い忘れてたの!?」
……何故学校長は、こんな大事なことをフィリー先輩にだけ伝えてしまったのだろう。
「…フィリー、詳しく話せ、今すぐ」
「…う、うん、えっと、ここからは、この帆船で移動するんだよ、それで、ニーナちゃんが先にここに来て、色々準備とか整えてくれていたんだよぉ…」
「本当かフィオラルド」
「あ、は、はい!…あの、私はそのように学校長様から承りまして、この場所に……」
「……チッ」
「ごめんねヴィルぅ……」
どうやら、すぐに日本に帰れるわけではない、ということだけはわかった。
「…あはは」
そうして僕らは何とも言えないような、無理に言うなれば、出鼻をくじかれる形で、帆船に乗り込むのであった。
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「…さてと、案の定、私と京くんは同じ個室ですか」
「もう裏で手引きが行われているとしか思えないよ…」
乗組員の話によれば、この帆船は本来、客船では無いらしく、ヴァイロンのメンバー全員の分の客室しか余っていなかったそうだ。
そして本来であれば、全員が各々の個室で寝泊まりをすることが出来たはずなのだが…。
「雨漏りで床が腐敗してるって、船としてあるまじきことなんじゃないかな…」
「聞いた話によると、つい先日に、この地域で天気がかなり荒れたそうです。おそらくそれが原因でしょうね」
全く、僕の気の休まる時は、一体いつになるのだろう。
『いやぁでもさっき帆船と海を見た時のヴィルヘルムくん、少し嬉しそうな顔をしていたんだよね、彼もあんな顔をするんだねぇまったくいい発見をしたと同時に感慨深い』
その声は部屋の隅に設置されているテーブルの上に無造作に置かれた、ホルダーに収まったままの拳銃から聞こえた。
「兄さん、あまり喋らないようにと言ったじゃないですか、誰かに暴露たらどうするつもりですか」
『へいへい、…でもお兄ちゃんはテティちゃんが男と二人きりの部屋で寝泊まりする方がよっぽど問題があるように思うけどね』
「……む」
『だがまぁ、ここ何日か二人の生活に合わしてるわけだけど、…京くんのヘタレっぷりには、感嘆の声が漏れてしまうほど…』
「ルルイエ先生」
『うぉその髪色のまま笑顔で威圧しないでくれたまえ京くん、僕の存在が消されかねない』
ルルイエ先生は、いつものようにふざけた調子で振舞う。
「兄さん、京くんだって好きで髪の毛を真っ白にしてるわけじゃないんですから、そういう言い方はやめて下さい」
『わかってるよ、でも、いやなに、正直に言って、髪の毛が白いのより、身体が拳銃になってる方がよっぽどおかしいと思うけどね、そう思うのは僕だけかい!?』
いやごもっともである。
「いいよテティ、僕も小さい頃はずっと白髪のままだったし、慣れてるよ」
「…京くんがそういうなら、そうなんですね」
『この扱いの差はなんだろうね、僕の存在が酷く滑稽にみえて仕方が無い、いやぁ存在の意義が薄れると僕自身も存在の根本から消えてしまうかもしれないよぉお!』
しばらくの間他愛も無い会話が続き、テティが飲み水を取りに行くと言って、僕とルルイエ先生が二人きりになったところで、ルルイエ先生はふと口を開いた。
『後神くん』
その声のトーンは、嫌に質素なモノであった。
「どうかしましたか?」
『いや、目的がはっきりしないと思ってね』
彼は確かにそう言った。
「目的、ですか」
『そう、今回の、このぬるい任務は、何のために行ってるんだい?』
「……」
それは、
「この髪の毛の色をなんとかするために」
『本当にそれだけかい?』
僕は一つの拳銃に対して、威圧的な印象を感じた。
「…何が言いたいのかいまいちわかりませんが、星の記憶のチカラを使えば、僕の考えていることなんて、すぐにわかるんじゃないですか?」
『それが、無理なんだよ、いくら星の記憶でも、ウシロガミに干渉できるほどのチカラは持ち合わせていないのでね』
「…」
『僕には君が何を考えているかわからないし、ウシロガミの記憶を覗き込むことも出来ないんだよ』
だから、と、彼は続けて言う。
『よければ教えてくれないか、…いや、言い方が悪いな、本当にそれ以外の目的はないんだね?』
僕は拳銃の影を見つめる。
「逆に質問してもいいですか?」
『……質問に質問で返すなーと、言ってやりたい所だが、仕方が無い、答えるよ』
拳銃は僅かにその身を歪ませた。
「星の記憶を欺いてまで生き残ったのには、理由がありますよね、ルルイエ先生」
僕はあくまで無表情に、取り立てて興味の無い素振りを装って言う。
「星の予言についてはテティから少し話は聞きました、ルルイエ先生も、まだ何か隠していることがあるんじゃないですか?」
『………ふむ、参ったな』
ルルイエ先生は言葉をなぞって、大きく息を吐き出した。
『ウシロガミ……いや、閻魔王羅刹姫には、言ってしまっていいものなのか、果たしてどうなのだろうね』
「僕に言われてもわかりませんよ」
僕は笑顔で応える。
『……うん、やはり済まないが、こればかりは君のご実家についてから話すよ。この船の船員に、盗聴が趣味の輩がいるかもしれないからね』
「それは、そうですね」
『済まない、だから、君に話を伺うのも、その時にしよう』
「わかりました」
僕らの会話が丁度途切れた所で、トレイにガラスのコップを乗せたテティが、片手で扉を開けて顔を覗かせた。
「……お邪魔ですか?」
『いーやテティちゃん!早く入っておいで』
すると、それとほぼ同時に、聞き覚えのある少女の声が、けたたましく廊下から部屋の内に響いた。
「みんなぁ!!プールだよ!プール!船上プール!」
「え、ちょ、フィリー先輩、スカートを引っ張らないで下さい…!」
「京くんも行こうよ!」
「プールですか?」