第2話 ミュータント・インキュバス
【サキュバス聖地 サキュバス女王御座】
私は椅子に座ったディオネ女王の前に跪く。オレンジ色の髪の毛に赤い瞳をしたディオネ女王。彼女の部屋はレンガで整備された美しい部屋だった。
「セイレーン、よくぞ戻った。わらわに火急の話があるそうじゃな」
「はい、ディオネ女王。近頃、連合政府が援軍をお求めではありませんか?」
私は答えを知る質問をディオネ女王に投げかける。
このサキュバス王国は、かつて私を奴隷のごとく扱ってくれた連合政府の加盟組織だった。半月前、連合政府は敵対する国際政府との戦いで凄まじい被害を負った。それで兵が足りなくなった連合政府はサキュバス王国に――。
「ああ、あれか……。連合のグランド・リーダー、ティワードが兵10万を貸せと申して参ったわ……」
「女王閣下、ティワード率いる連合政府を信用してはなりません。兵を貸したが最後、彼女たちは二度と戻っては――」
「なぁに、大丈夫じゃ。わらわはティワードなんぞに兵を貸すつもりはない」
私の言葉が終わらぬ内に言葉を返したディオネ女王は、不気味な笑みを浮かべて立ち上る。その細い手には黄金色の杖が握られていた。
「わらわはこの際、ティワードを殺すつもりじゃ」
「…………!?」
「ティワードを殺し、お前の復讐を果たそうぞ……」
ディオネ女王は今までにないほどに不気味な表情を浮かべる。蒼い炎が彼女の顔を照らし、ますます不気味に見える。
「しかし、どうやって連合政府首都ティトシティのヴォルド宮に近づきますか? ティワード居城のヴォルド宮は無論、ティトシティの警備は万全です」
「ふっふっふっ、連合は使者を送って返答せよと申して参った。その使者に紛れてティトシティに入るがよい」
「その後は……?」
「ヴォルド宮も完全ではない。魔法を駆使して忍び込め。その為にお前はしっかりと吸精をするがよい……」
ディオネ女王の言葉が終わるとほぼ同時に別のサキュバスが現れ、私の手を取って他の部屋に連れて行こうとする。
「遠慮はいらぬ。先ほどまでの外出で連れて来た餌じゃ。存分に喰らうがよい」
「……ありがとうございます」
私は深々と頭を下げ、お礼を述べた。サキュバス王国では男が足りてないワケじゃないけど、それでも貴重なモノだった。連れて来るには大陸の北にまで行かないといけなかった。
私が部屋から出ようとした時だった。大きな扉を開けて数人のサキュバスが勢いよく入ってくる。彼女たちは素早くディオネ女王の前に跪くと、挨拶を抜きにして本題を口にする。
「ディオネ女王陛下、“ミュータント・インキュバス”が現れました」
「……ほう?」
ミュータント・インキュバス? なんだろ、それは。私はミュータント・インキュバスなるものを聞いたことがなかった。
「セイレーン、お前も着いて来い」
「えっ? あ、はい」
立ち上ったディオネ女王は半ば早歩きで部屋を後にする。私も急いで女王について行く。
インキュバスはサキュバスと対を成す魔物。サキュバスが女しかいないのと対照的にインキュバスは男しかいなかった。だが、インキュバスはほとんど死に絶えた。絶滅種と認定される魔物だった。
*
【サキュバス王国 性魔の森】
森では既に戦いが起きていた。数人のサキュバスが弓矢を手に紫色の翼を羽ばたかせながら怪物――ミュータント・インキュバスを四方八方から攻撃していた。
数本の矢が一直線に風を切りながら飛ぶ。しかし、ミュータント・インキュバスは素早く動き、避けてしまう。その動きは彼の巨体からは到底想像できないものだった。
ミュータント・インキュバスは体長4メートルから5メートルある男だった。肌の色は灰色。かなりの筋肉質な肉体だった。どう鍛えたらあんなになるのか。
「…………!」
ミュータント・インキュバスは太い腕の先にある拳を勢いよく突き出す。すぐ目の前にした可愛らしいサキュバスの顔を殴りつける。彼女は吹っ飛ばされ、やや距離のあった大木に背中をぶつける。
私は慌てて彼女の方に駆け寄る。だが、彼女は既に息絶えていた。顔は陥没し、あの可愛らしい顔はぐちゃぐちゃな醜いものとなっていた。
「ひ、酷い……」
私はついポロっと言葉を口に出す。その時、後ろから空気を切り裂くような悲鳴が上がる。私はさっと後ろを振り返る。そこには悲惨な、残虐的な光景が広がっていた。
ミュータント・インキュバスは1人のサキュバスの腹部に手を突っ込んでいた! おびただしい量の血が流れ出す。彼はそのまま手を引き抜く。ぐちょぐちょした身体の中のものを引きずり出すと、草むらに投げ捨てる。彼女は倒れる。
「う、ウソ……」
私は恐怖でその場に立ち尽くす。北の大陸でもそんな悲惨な光景は見なかった。確かにたくさんの仲間が殺されたけど、こっちのは殺し方が異常だった。
だが、サキュバスたちも負けていなかった。1人のサキュバスがミュータント・インキュバスの顎に飛び膝蹴りを喰らわせ、その場に仰向けに倒す。そして、彼女は彼に跨ると、その腰巻をめくり上げ、吸精を試みようとする。
「もらったぁッ!」
「ずるい!」
「私も!」
サキュバスが一斉に群がる。ミュータント・インキュバスもこれで終わったか。後は吸精されて殺されるんだ。……と思ったが、ミュータント・インキュバスは跨ったサキュバスの首を大きな手で握ると、握りつぶした!
「はっ!?」
片手で首を握りつぶした彼は、彼女の頭部を吹き飛ばす。血まみれの胴体を、片足で軽々と空高く蹴り飛ばすと、近くにいたサキュバス2人をそれぞれ片手で殴る。首の骨が折れたのか、2人が立ち上がることはもう二度となかった。
「な、なんてヤツ……」
ミュータント・インキュバスは大きくジャンプする。近くを飛んでいたサキュバスを掴むと、そのまま地面に着地する。
地面に着地すると、髪の毛を掴んで彼女の首を引っこ抜く。血が噴き出る。胴体はその場に倒れた。首はまだミュータント・インキュバスが持っている。
「…………」
ミュータント・インキュバスは一言も発さないで、その首をサキュバスの1人に投げつける。凄い勢いだった。目にも止まらぬ速度でそれは飛び、サキュバスの顔面にぶつかった。彼女もその場に倒れ、息絶えた。
「あれがミュータント・インキュバスじゃ。わらわの領内を我が物顔で蹂躙するケダモノよ」
いつの間にか近くによって来たディオネ女王は私にそう言った。ケダモノ――というより殺戮者だった。間違いなく。彼が暴れたところ、血の河と死体の丘が築かれていた……。