F級専門の受付職員、担当した新人が全員S級になっていた――しかも有名S級美少女から「先生」と慕われています
「俺、探索者に向いてないんだと思います」
本日七人目のF級探索者は、俺の窓口に来るなりそう言った。
ここは日本ダンジョン協会新宿支部。
俺――高瀬圭介は、探索者登録を済ませたばかりの新人を担当する、F級専門の受付職員だ。
仕事内容は、依頼の紹介、装備の確認、簡単な助言。先輩職員からは「誰でもできる雑用窓口」と呼ばれている。
十九歳の青年、羽田海斗の盾には細い傷が五本、すべて右上から左下へ走っていた。左肩には打撲。剣の刃には、ほとんど使用痕がない。
「昨日は何と戦いました?」
「角兎が三匹です。剣を振る暇もなくて……盾で防いでいたら、仲間に助けられました」
「三匹を何分止めました?」
「え?」
「助けが来るまでの時間です」
「たぶん、十二分くらい……」
「盾は一度も落とさなかった?」
「はい。でも、攻撃できませんでした」
俺は机の下から、貸し出し用の短槍を取り出した。
「羽田君。長剣は置いて、これを使ってみましょう」
「槍、ですか?」
「君は攻撃が遅いんじゃない。防御を崩したくなくて、剣を振れないんです。盾を構えたまま突ける武器のほうが合っています」
「でも、十二分も防いだだけですよ」
「新人が角兎三匹を相手に十二分耐えるのは、『だけ』ではありません」
彼は目を丸くした。
「今日から四日間、背の高い盾と短槍で訓練してください。それでも駄目なら、別の方法を考えます」
「別の方法を考えてくれるんですか?」
「それが俺の仕事ですから」
◆◆◆
四日後、羽田君は再び窓口へ来た。
今度は、ひどく興奮した顔だった。
「高瀬さん! できました!」
「落ち着いて。何がです?」
「訓練場で、粘液鼠を五匹、十五分止めました! 盾の隙間から槍を出したら、二匹は自分で倒せたんです!」
「それはよかった」
「教官に、盾役の適性があるって言われました。来週から正式に防衛訓練を受けられます!」
近くの窓口で書類を処理していた同僚たちが、一斉にこちらを見た。
羽田君は頭を下げると、足取り軽く訓練場へ向かっていった。
「短槍に替えさせただけで、あんなに変わるものなのか」
隣の席の柴田さんが感心したように呟いた。
「盾の傷が全部同じ角度でしたから。怖くて目を閉じている人なら、傷はもっと散ります。彼は最後まで相手を見ていたんです」
「そこまで見ていたのか?」
「装備確認は受付の仕事でしょう」
そう答えると、斜め向かいの窓口から小さな笑い声が聞こえた。
「新人相手なら、たまたま助言が当たることもあるさ」
神谷俊介。俺と同期の受付職員だ。
彼はA級、S級探索者の専用窓口を担当している。
仕事は速く、制度にも詳しい。だからこそ、彼はF級窓口を非効率だと考えていた。
「高瀬は一人に時間をかけすぎなんだよ。F級の大半は半年で辞める。将来性のある探索者に時間を使うほうが、協会全体の利益になる」
「そうかもしれないな」
「反論しないのか?」
「羽田君が盾役に向いていたのは事実だから」
神谷は肩をすくめた。
俺自身、探索者として成功できなかった人間だ。
六年前に探索者登録をしたものの、攻撃技能は最低値。身体能力も平均以下。E級への昇格試験にも落ちた。
だから俺は、新人が何につまずくのかをよく知っている。
俺がしているのは、自分が昔ほしかった助言を渡しているだけだった。
◆◆◆
翌週、三人組のF級探索者が窓口へ来た。
「パーティーを解散しようと思っています」
代表して口を開いたのは、小宮大地という体格のいい青年だった。
「俺たち、連携が全然できなくて。俺がなぜか魔物に狙われるし、桜井の火は当たらないし、宮野は弓を撃てないし……」
「撃てないんじゃありません」
弓を抱えた宮野美咲が俯いた。
「外したら誰かに当たりそうで……」
もう一人の桜井理奈も、小さく手を挙げた。
「火球を撃つと、味方まで燃やしそうになります」
「昨日の戦闘記録を見せてもらえますか?」
三人の探索端末を確認する。
小宮君は一戦で二十七回、敵の注意を引いていた。
桜井さんの火球命中率は二割。しかし、とっさに出した防御障壁は十二回中十一回成功。
宮野さんは矢を一本しか放っていないが、他の二人より平均して七秒早く敵を発見していた。
「解散する必要はありません。役割が逆なだけです」
「逆?」
「小宮君は前衛で敵を引きつける。桜井さんは攻撃魔法をやめ、障壁で小宮君を守る。宮野さんは弓を捨てなくていい。ただし、戦闘中は索敵に専念してください」
桜井さんが困った顔をした。
「でも、攻撃役がいなくなります」
「最初から一人で全部倒す必要はありません。採取依頼を中心に受けて、危険な敵は避ける。その間に小宮君が反撃を覚えればいい」
「戦わずに逃げてもいいんですか?」
宮野さんが聞いた。
「依頼品を持ち帰れば達成です。魔物を倒すことは目的ではありません」
三人は半信半疑だった。
それでも、俺が作った役割表を持って訓練へ向かった。
◆◆◆
二週間後。
「第三層の採取依頼、達成できました!」
三人は魔力草の入った袋を受付台へ置いた。
納品量は規定の二・三倍。負傷者はゼロ。予定帰還時刻より四十分早い。
「小宮が魔物を引きつけて、私が障壁で通路を塞いで、美咲が安全な抜け道を見つけたんです!」
「二回しか戦わずに済みました」
「これなら続けられそうです!」
報告を聞いた周囲の職員がざわついた。
F級パーティーの初回依頼は、軽傷者が出ることも珍しくない。それを三人は、規定を超える成果で終えた。
「次は一段階上の採取区域へ行けますか?」
小宮君に尋ねられ、俺は首を横に振った。
「まだです。今回は宮野さんの索敵に頼りすぎています。次の二回は同じ区域で、撤退経路を全員が判断できるようにしてください」
三人は少し残念そうな顔をしたが、すぐに頷いた。
結果が出たからといって、すぐ難度を上げればいいわけではない。
成功した直後こそ、同じ成功を再現できるか確かめる必要がある。
「せっかく調子がいいのに、慎重すぎないか?」
神谷が言った。
「事故が起きれば、一度の失敗で辞めることになる」
「それは本人たちが判断することだろう」
「判断材料を渡すのが受付の仕事だよ」
「受付は教師じゃない」
神谷の言葉は正しい。
協会の規則上、受付職員は探索者を指導する立場ではない。
けれど三人は、次の二回も負傷者を出さずに依頼を達成した。
◆◆◆
一か月後、小宮君たちのパーティーはE級に昇格した。
それを皮切りに、俺の窓口を訪れた新人たちの昇格報告が続いた。
片手剣に向いていない青年には、狭い場所で扱いやすい棍棒を。
詠唱が遅い魔法使いには、威力より準備時間を優先した魔法を。
罠を怖がる少女には、床ではなく天井の変化を見る方法を。
もちろん、全員がうまくいくわけではない。
生活が不規則で訓練を続けられない者もいた。恐怖心を克服できず、探索者を辞めた者もいる。
その場合は、素材鑑定や地上運搬の求人を紹介した。
ダンジョンへ潜れないからといって、その人の努力まで無駄になるわけではない。
◆◆◆
三か月後、支部内の定例会議で、奇妙な数字が報告された。
「F級探索者の三か月以内離職率が、前年同期の四十一パーセントから二十三パーセントまで低下しています」
報告した柴田さんが、資料をめくった。
「E級昇格者も前年の一・八倍。特に高瀬担当の直近十組は、八組が昇格、残る二組も依頼達成率八割以上です」
会議室の視線が俺に集まった。
「高瀬、何をした?」
支部長に問われた。
「相談を受けて、向いていそうな役割を提案しました」
「それだけか?」
「はい」
神谷が資料を覗き込み、眉をひそめた。
「短期間の結果だけでは判断できません。高瀬が簡単な依頼ばかり選んだ可能性もあります」
「それなら過去の記録も確認しましょう」
柴田さんが別の書類を机に置いた。
「高瀬がF級窓口に配属されて四年。その間、六か月以上継続して相談を担当した探索者は十二名です」
神谷が数字を読み上げた。
「S級三名、A級六名、B級二名、C級一名……?」
一瞬、会議室から音が消えた。
支部長が書類を奪うように手に取る。
「十二名中九名がA級以上? しかもS級が三人?」
「記録上はそうなっています」
「何かの集計ミスでは?」
別の職員が言った。
「確認しました。雷撃術師の藤堂玲奈。防壁部隊長の黒崎拓海。単独斥候の柊木薫。現在S級の三名は、全員F級時代に一年以上、高瀬の窓口を利用しています」
今度こそ、全員が俺を見た。
「高瀬。お前、知っていたのか?」
「三人がS級になったことは知っています。でも、それは本人たちが努力した結果です」
「三人とも、お前の担当じゃないか」
「F級専門なので、最初は全員俺の窓口に来ます」
「そういう意味ではない!」
支部長に声を上げられてしまった。
だが、本当に俺が特別なことをした覚えはない。
藤堂さんは雷撃魔法の威力こそ高かったが、命中させるのが苦手だった。だから敵を見るのをやめて、地面へ導電杭を打つよう勧めた。
黒崎君は盾を持つと足が止まる癖があったので、守る対象ではなく出口を背にするよう伝えた。
柊木さんは人との会話が苦手だったが、音や匂いを記録する能力に優れていた。無理にパーティーへ入らず、斥候として情報を売る方法を一緒に考えた。
それだけだ。
「偶然ですよ」
俺が答えると、神谷が険しい顔をした。
「偶然でS級が三人も育つか?」
「育てたわけじゃない。相談に乗っただけだ」
「俺はA級担当になって三年だが、担当者からS級に上がったのは一人だけだぞ」
「十分すごいじゃないか」
「今は俺の話じゃない!」
神谷が頭を抱えた。
◆◆◆
翌日から、俺の窓口に妙な列ができた。
F級探索者だけではない。E級やD級、中にはB級の探索者まで並んでいる。
「最近伸び悩んでいまして」
「高瀬さんに装備を見てもらいたくて」
「俺にも隠れた才能があると思いますか?」
「順番にお願いします。それと、隠れた才能が必ずあるとは限りません」
期待されすぎても困る。
俺にできるのは、記録を見て、本人の話を聞き、見落としている選択肢を示すことだけだ。
列を整理していると、支部の入口が急に騒がしくなった。
銀色の髪を後ろで束ねた女性が、白い外套を揺らして入ってくる。
胸元には、探索者の最高位を示す金色の認識票。
「藤堂玲奈だ」
「『白雷』がどうして新宿支部に?」
日本に二十人しかいないS級探索者の一人だった。
彼女は周囲の視線を気にせず、まっすぐ俺の窓口まで来た。
「高瀬先生、お久しぶりです」
その一言で、受付フロアが静まり返った。
「先生はやめてください。俺は受付職員です」
「私にとっては先生です。高瀬先生がいなければ、私は三回目の依頼で探索者を辞めていました」
「藤堂さんなら、別の方法でも成功していたでしょう」
「いいえ」
彼女はきっぱりと否定した。
「当時の私は、動く魔物に雷を当てられず、自分には才能がないと思っていました。先生だけが、敵ではなく導電杭を狙えと言ってくれた」
見物していた職員たちがどよめく。
「今でも使っています」
藤堂さんは腰の小袋から、黒い杭を一本取り出した。
「私の広域雷撃術は、これを起点にしています。先生の助言が、私の戦い方の基礎です」
神谷が椅子から立ち上がった。
「ちょっと待ってください。その導電杭は、藤堂さん独自の技術として教本にも載っていますよね?」
「最初の一本を渡してくれたのは高瀬先生です」
全員の視線が、再び俺に突き刺さる。
「金物屋で買った園芸用の杭ですけど」
「値段は関係ありません」
藤堂さんは笑った。
「私の人生を変えた一本です」
◆◆◆
その日から、職場で俺を見る目が明らかに変わった。
以前は「F級窓口の高瀬」と呼ばれていたのに、廊下を歩くだけで職員が会釈してくる。
俺としては、少し居心地が悪い。
神谷だけは何も言わなかった。
ただ、以前のようにF級窓口を雑用扱いすることはなくなった。
変化が起きたのは、それから十日後だった。
午後三時二十七分。
支部内に警報が鳴り響いた。
『多摩第六訓練ダンジョンで崩落事故発生。地下二層と三層を結ぶ通路が封鎖されました』
受付の大型画面に、緊急情報が表示される。
多摩第六は、F級とE級が実地訓練に使う低難度ダンジョンだ。
「内部に十六名が取り残されています!」
通信担当者の声が響く。
「崩落によって未確認の旧区画が開通。魔物の反応あり。推定A級が一体!」
「A級だと?」
支部長の顔色が変わった。
F級やE級の新人では、遭遇しただけで全滅しかねない。
「救助隊は?」
「現地到着まで最短二十五分です。付近にいた藤堂玲奈さんが向かっていますが、それでも二十分かかります!」
「内部との通信は?」
「不安定ですが、一部端末と接続できます」
大型画面に、取り残された探索者の名前が表示された。
羽田海斗。
小宮大地。
桜井理奈。
宮野美咲。
俺の窓口へ通っている四人がいた。
「現地の地図を出してください」
俺は通信席へ向かった。
神谷が横から腕を掴む。
「高瀬、何をする気だ?」
「四人の端末へ繋ぎます」
「相手はA級だ。受付職員が指示できる状況じゃない」
「倒す必要はありません。二十分、生き残ればいい」
神谷は一瞬黙り、俺の腕を離した。
「……何が必要だ?」
「各自の位置、装備、周辺の音声。それから旧区画の建築資料を」
「俺が出す」
通信が繋がった。
『高瀬さん!?』
羽田君の声が聞こえる。荒い息の向こうで、何か重いものが床を叩いていた。
「状況を教えてください」
『巨大な獅子みたいな魔物がいます! 角が燃えていて……教官が負傷しました。俺たちは訓練倉庫に逃げています』
画面に魔物の推定情報が出る。
炎角獅子。A級。
高い跳躍力と鋭い嗅覚を持つ。新人用装備で正面から防ぐのは不可能だ。
「宮野さんはいますか?」
『います』
「目を閉じて、周囲の音を聞いてください。出口を探すのではなく、空洞の広さと魔物の位置だけを教えて」
『はい』
数秒後、宮野さんの震える声が返ってきた。
『右の通路に獅子。距離は四十……いえ、三十メートル。左奥から風の音がします。金属が揺れる音も』
神谷が旧区画の図面を机に広げた。
「左奥は資材運搬路だ。だが出口は崩落している」
「出口でなくていい。広い場所へ移動できます」
俺は通信へ戻った。
「小宮君、訓練用の発音球はありますか?」
『三個あります』
「右の通路へ一個ずつ投げて、魔物を引きつけてください。ただし最後の一個は残すこと」
『俺が囮になります』
「駄目です。君は敵に狙われやすい。それは、捕まっていいという意味ではありません。自分ではなく道具に仕事をさせてください」
『……分かりました!』
発音球が投げられる。
甲高い破裂音。
炎角獅子の咆哮が遠ざかった。
「全員、左奥の運搬路へ移動!」
通信担当者が叫ぶ。
「魔物が戻ってきます! 予想より早い!」
「桜井さん、通路の左右に障壁を斜めに張ってください」
『塞がなくていいんですか?』
「完全に塞げば壊されます。走る方向だけをずらしてください」
二枚の障壁が展開された。
追ってきた炎角獅子は一枚目を踏み台にしようとして、体勢を崩した。続く二枚目に肩をぶつけ、狭い通路で横滑りする。
それでも止まらない。
『来ます!』
「羽田君。殴り合わないでください。最後尾で盾を構え、負傷者だけを守って」
『でも、俺が止めないと!』
「止めるのは壁です。君の役目は、全員を壁まで運ぶことです」
運搬路の先には、古い鉄骨資材が積まれていた。
だが、その前は吹き抜けになっている。獅子の跳躍なら一息で届く。
「残っている装備を確認!」
『盾三枚、短槍二本、消火筒が四本、訓練用ロープ――』
「消火筒を負傷者の通った道へ噴射してください。血の匂いを隠します」
白煙が通路を満たす。
獅子の足音が一瞬止まった。
「小宮君、最後の発音球を吹き抜けの向こうへ」
『はい!』
音が鳴り、獅子が白煙から飛び出した。
敵意を引きつけやすい小宮君が物陰から姿を見せる。炎角獅子の顔が彼へ向いた。
「今だ、下がって!」
小宮君が走る。
獅子が跳んだ。
「桜井さん、床へ障壁!」
『床ですか!?』
「少し傾けて!」
半透明の障壁が斜面となり、着地しようとした獅子の前脚を滑らせる。
巨体が資材置き場へ突っ込んだ。
「羽田君、ロープを引いて!」
羽田君が、あらかじめ鉄骨へ結びつけたロープを全体重で引いた。
積まれていた鉄骨が崩れ、炎角獅子の周囲へ落下する。
倒すには足りない。
だが、即席の檻にはなった。
『閉じ込めました!』
「全員、距離を取ってください。藤堂さんが到着するまで刺激しないで」
そこで、炎角獅子が鉄骨へ体当たりした。
一本が弾け飛ぶ。
二本目が曲がる。
即席の檻は、長くはもたない。
『高瀬さん、あと何分ですか?』
「十一分です」
『十一分も……』
誰かが泣き出した。
羽田君の荒い呼吸が聞こえる。
『俺たち、やっぱりF級だから……』
「違います」
気づけば、俺は通信機を強く握っていた。
「F級は才能がないって意味じゃない。まだ始めたばかりって意味だ」
通信の向こうが静かになる。
「宮野さんが敵を見つけ、小宮君が誘導し、桜井さんが足を止め、羽田君が負傷者を守った。君たちはもう、自分の役目を果たしています」
『……はい』
「あと十一分、同じことを続けましょう」
獅子が鉄骨を壊すたび、宮野さんが音で位置を伝えた。
小宮君が発声と投石で注意を逸らす。
桜井さんは残った魔力で、薄い障壁を何枚も作った。
羽田君は盾を使い、飛んでくる破片から負傷者を守った。
九分。
七分。
五分。
とうとう最後の鉄骨が弾き飛ばされた。
炎角獅子が檻から這い出る。
『高瀬さん!』
直後、旧区画を白い光が貫いた。
『全員、伏せて!』
藤堂玲奈の声。
床に打ち込まれた三本の導電杭を結ぶように、雷が走った。
炎角獅子の巨体が浮き上がる。
轟音とともに床へ落ち、それきり動かなくなった。
『救助対象、十六名を確認』
藤堂さんの冷静な報告が入る。
『負傷者四名。全員、命に別状なし。死亡者――ゼロです』
受付フロアのあちこちから、息を吐く音がした。
誰かが拍手した。
それが広がり、やがてフロア全体を埋め尽くした。
俺は力が抜け、その場の椅子へ座り込んだ。
「助かった……」
「高瀬」
隣に立っていた神谷が、低い声で言った。
「お前が全員の特徴を覚えていたから、あの指示ができたんだな」
「相談記録に書いてあります」
「記録なら俺も読んだ。だが、あの場で四人の能力を組み合わせるなんて思いつかなかった」
「俺は、いつも通り助言しただけだ」
「いつも通りで十六人を救えるなら、それは普通じゃない」
神谷は悔しそうに唇を噛み、それから深く頭を下げた。
「俺が間違っていた」
周囲の職員たちが息を呑んだ。
「俺は探索者の今のランクしか見ていなかった。F級に時間を使うのは非効率だと決めつけていた。でも、お前はその先を見ていたんだな」
「先が見えるわけじゃないよ」
「じゃあ、何を見ている?」
「その人が昨日できなかったことと、今日できたことだ」
神谷はしばらく黙り、苦笑した。
「それを見続けるのが、一番難しいんだよ」
◆◆◆
事故から一週間後。
協会本部による正式な調査結果が発表された。
救助対象十六名、生存率百パーセント。
高瀬圭介の指示開始からS級探索者到着まで十九分四十二秒。
その間、炎角獅子による直接負傷者はゼロ。
さらに過去四年間の担当実績も再調査された。
長期担当者十二名のうち、A級以上への昇格者九名。S級三名。
担当した新人全体の一年継続率は七十八パーセント。支部平均より三十二ポイント高かった。
俺は支部長室へ呼ばれた。
「高瀬君。本部は君を、新設する新人育成室の主任に推薦した」
「主任、ですか?」
「等級は課長補佐相当。給与も現在の一・七倍になる」
「一・七倍……」
それは少し心が動く。
「君の相談方法を体系化し、全国の支部へ広げたい。受けてくれるか?」
「条件があります」
「言ってみたまえ」
「週に三日は、F級窓口を担当させてください」
支部長は目を瞬いた。
「主任になっても、窓口に座るのか?」
「新人育成の制度を作るなら、今の新人が何に困っているのか知らないといけません」
「部下から報告を受ければいいだろう」
「記録だけでは、盾の傷の角度までは分かりません」
支部長は数秒黙ったあと、大声で笑った。
「分かった。好きにしたまえ」
「ありがとうございます」
「ただし、残り二日は指導者の育成に使ってもらう。君一人に任せ続けるわけにはいかないからな」
「それなら、ぜひ」
俺が支部長室を出ると、廊下で神谷が待っていた。
「受けたか?」
「F級窓口を続ける条件で」
「やっぱりか」
神谷は一冊の手帳を差し出した。
「これは?」
「俺が担当しているA級探索者の相談記録だ。最近伸び悩んでいる。時間があるときに、助言の仕方を教えてほしい」
「俺がA級に助言していいのか?」
「ランクを見ないんだろう?」
「それはそうだけど」
「俺も新人育成室へ異動願いを出した。お前のやり方を学ぶ」
以前の神谷なら、決して口にしなかった言葉だ。
「歓迎するよ」
「先に言っておくが、事務処理の速さなら俺のほうが上だからな」
「知っている。だから来てくれると助かる」
神谷は照れたように顔を背けた。
◆◆◆
さらに一か月後。
新人育成室が正式に発足した。
羽田君はE級昇格試験に合格。
小宮君たちのパーティーは、初心者向けダンジョンの月間採取記録を更新した。
藤堂さんは、暇ができるたび訓練講師として顔を出すようになった。
本人は「先生への恩返しです」と言っているが、F級の新人たちは毎回、S級探索者の登場に固まっている。
今日も俺は、いつものF級窓口に座っていた。
「俺、探索者に向いてないんだと思います」
本日五人目の新人が、半泣きで大剣を抱えている。
「何がうまくいかないんです?」
「剣が重くて、持ち上がらないんです。でも、探索者なら大きな武器を使わないと駄目だって……」
「誰に言われました?」
「武器屋の店員です」
俺はため息をついた。
「まず、その大剣を床に置きましょう」
「でも、武器がなくなります」
「あなた、登録書類に薬草店勤務とありますね」
「実家が薬草店です。十年くらい手伝っています」
彼の荷物袋から、練習中に採ったという薬草を見せてもらう。
どれも根を傷つけず、葉も変色していない。
保存処理まで完璧だった。
「剣ではなく、採取用ナイフを持ってください」
「ナイフで魔物と戦うんですか?」
「戦いません。あなたは薬草採取から始めましょう。この品質なら、初回依頼でも通常の二倍近い報酬になります」
「これが、ですか?」
「ええ。まずは自分にできることで、ダンジョンに慣れてください」
青年の表情が明るくなる。
少し離れた場所で、藤堂さんと羽田君たちがこちらを見ていた。
「先生、また見つけましたね」
「今度は採取系のS級でしょうか」
「気が早いですよ。まだ依頼も受けていません」
「高瀬さんがそう言う人ほど、後ですごくなるんですよ」
俺は新人用の採取依頼を机に並べた。
「俺はただ、F級の相談に普通に乗っているだけです」
なぜか、後ろで全員が笑った。
新人は不思議そうにしていたが、俺は依頼書を一枚差し出す。
「では、最初の仕事を選びましょうか」
その人が何級になるかなんて、今はまだ誰にも分からない。
けれど、F級は才能がないという意味ではない。
まだ始めたばかりという意味なのだから。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「面白かった」「こんな受付職員に担当してほしい」と感じていただけましたら、下の☆☆☆☆☆から評価していただけると、とても励みになります。
次回作にもどうぞご期待ください!!!




