08
夕方、商店街の灯りがひとつ、またひとつと点り始めたころ。
露天の商品は、ほとんど売り切れていた。
風鈴が、涼しげな音を立てて揺れる。
(そろそろ片付けようかな)
予定より少し早いが、百合子は露天の片付けを始めた。
「手伝う」
そう言って現れた笹原の声に、百合子は振り向く。
いつものスーツ姿ではなく、白いTシャツにジーンズというラフな格好。髪もオールバックではなく、前髪を下ろしている。
(わっ、前髪下ろすと雰囲気変わるなぁ。高校生の頃みたい)
思わずじっと見つめていると、笹原も百合子を見つめ返していることに気づく。
「笹原くん?」
「あ、いや、ごめん。浴衣姿が珍しくて……見惚れてた」
はっと我に返ったように早口で言う笹原。
“見惚れてた”という言葉に、百合子の頬がふっと熱を帯びる。
「純恋がね、帰ってきてて……着付けしてくれたの」
(きっと笹原くんは、浴衣に見惚れただけ。そうに違いない)
自分にそう言い聞かせ、百合子は頬の熱を冷まそうとした。
「純恋ちゃん、帰ってきてるんだな。確か俺たちと十一離れてたから……三十二歳か。だめだ、俺の中では小学生で止まってる」
「それ、純恋に言ったら怒られるよ」
幸い、笹原は浴衣の話題を深追いしなかった。百合子はすぐにいつもの調子に戻ることができた。
「もう片付けるんだな」
「うん。笹原くんの助言のおかげで、たくさん買ってもらえたわ」
「それは良かった」
談笑しながら、残った商品を箱にしまっていく。
「この箱はどこに持っていくんだ?」
「ひとまず借りてる店舗に置いておこうと思ってる」
「重いから持っていくよ」
慣れた手つきで木箱を運んでいく笹原の後ろ姿を見ながら、百合子の胸の奥がじんわりと熱くなる。
その時、通りすがりの学生たちが笹原に声をかけてきた。
「あっ、笹原先生じゃん! 何してるんですか? あ、女の人といる!」
「浴衣美人じゃん!」
「え、彼女?」
からかう声に、笹原は少し顔を赤くしながら、「違う」と手を振っている。
学生たちは「またね~」と言って、祭の喧騒の中に紛れていった。
「生徒さん?」
「ああ。祭り来てるって言ってたな」
「人気あるのね、笹原先生」
「いや、ただの冷やかしだよ」
そう言いながらも、どこか照れくさそうに目をそらした。
片づけを終えると、達成感が百合子の胸にじんわりと広がる。
「せっかくだし、どこかで休もうか」
「そうだな」
二人は並んで歩き出した。
途中で、露天の販売を終了したことを報告するため、祭の実行委員の詰め所に立ち寄る。
夕方から夜にかけて商店街はさらに賑わい、祭りは佳境に入っていた。
詰め所では、健太たち実行委員が忙しそうに荷物を運んだり、どこかに電話をかけている。
そして、「ちょっと見てくる」と言って別れた純恋の姿もあった。
「純恋、ここにいたの?」
「うん。あのあと九堂さんと会ってね、流れで手伝ってるの。今から商店街のPR動画を撮るんだって。モデル頼まれちゃった」
純恋は嬉しそうに笑う。
「あ、百合ちゃんと透だ。露天どうだった?」
「おかげさまで繁盛したよ。夜になる前にほとんど売れちゃったから、片付けてきたんだ」
「お~、それは何より。オレも百合ちゃんの露店のぞきに行きたかったなぁ」
「実行委員、大変そうだね」
「まあね。昨日から走り回ってるよ。あ、純恋ちゃん借りてます」
健太が思い出したように笑って頭を下げる。
「商店街のPR動画、出来上がり楽しみにしてるよ。純恋、健太くんの迷惑にならないようにね」
「分かってるよ~、大丈夫!」
「そうそう、さっきから純恋ちゃんには手伝ってもらってばっかりだよ」
「お姉ちゃんたちは、これからどうするの?」
「少しどこかで休憩」
「そうなんだ。あ、花火は見て帰るよね?」
「そっか、祭の締めは花火だったね。どうしようかな……見てかえろうかな?」
せっかくなので、祭のフィナーレまで参加したい気持ちはある。
「じゃあ、またあとでね~」
詰め所を出る百合子と笹原に、純恋が手を振った。
二人は商店街の裏道を抜け、いつもの喫茶店――【樹樹】へ入る。
カランカラン、とドアベルが鳴った。
中は外の喧騒が嘘のように穏やかで、ジャズの低い音が流れている。
「……やっと座れたね」
「お疲れさま。思ったより売れたんじゃない?」
「うん。笹原くんが手伝ってくれたから、早く片づけられたよ」
アイスコーヒーのグラスに光が差し込み、氷がかすかに溶けていく。
その音が、静かな心臓の鼓動と重なった。
笹原は、ふと視線を落としたまま言った。
「その浴衣、すごく似合ってる。……きれいだ」
「え?」
「いや……」
軽く笑って誤魔化す彼を見て、百合子の頬がほんのり熱を帯びた。
カップを持つ手に力が入る。
外では、花火の音が遠くで鳴り始めた。
夜が、夏の終わりを告げるように静かに降りてくる。
百合子はグラスの中の氷が沈む音を聞きながら、そっと思った。
――今年の夏は、少しだけ違う夏になるかもしれない。




