表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
珈琲の香りと二十五年越しの初恋  作者: 佐倉穂波


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/17

08

 夕方、商店街の灯りがひとつ、またひとつと点り始めたころ。

 露天の商品は、ほとんど売り切れていた。

 風鈴が、涼しげな音を立てて揺れる。


(そろそろ片付けようかな)

 予定より少し早いが、百合子は露天の片付けを始めた。


「手伝う」


 そう言って現れた笹原の声に、百合子は振り向く。

 いつものスーツ姿ではなく、白いTシャツにジーンズというラフな格好。髪もオールバックではなく、前髪を下ろしている。


(わっ、前髪下ろすと雰囲気変わるなぁ。高校生の頃みたい)


 思わずじっと見つめていると、笹原も百合子を見つめ返していることに気づく。


「笹原くん?」

「あ、いや、ごめん。浴衣姿が珍しくて……見惚れてた」


 はっと我に返ったように早口で言う笹原。

 “見惚れてた”という言葉に、百合子の頬がふっと熱を帯びる。


「純恋がね、帰ってきてて……着付けしてくれたの」

(きっと笹原くんは、浴衣に見惚れただけ。そうに違いない)


 自分にそう言い聞かせ、百合子は頬の熱を冷まそうとした。


「純恋ちゃん、帰ってきてるんだな。確か俺たちと十一離れてたから……三十二歳か。だめだ、俺の中では小学生で止まってる」

「それ、純恋に言ったら怒られるよ」


 幸い、笹原は浴衣の話題を深追いしなかった。百合子はすぐにいつもの調子に戻ることができた。


「もう片付けるんだな」

「うん。笹原くんの助言のおかげで、たくさん買ってもらえたわ」

「それは良かった」


 談笑しながら、残った商品を箱にしまっていく。


「この箱はどこに持っていくんだ?」

「ひとまず借りてる店舗に置いておこうと思ってる」

「重いから持っていくよ」


 慣れた手つきで木箱を運んでいく笹原の後ろ姿を見ながら、百合子の胸の奥がじんわりと熱くなる。


 その時、通りすがりの学生たちが笹原に声をかけてきた。


「あっ、笹原先生じゃん! 何してるんですか? あ、女の人といる!」

「浴衣美人じゃん!」

「え、彼女?」


 からかう声に、笹原は少し顔を赤くしながら、「違う」と手を振っている。

 学生たちは「またね~」と言って、祭の喧騒の中に紛れていった。


「生徒さん?」

「ああ。祭り来てるって言ってたな」

「人気あるのね、笹原先生」

「いや、ただの冷やかしだよ」


 そう言いながらも、どこか照れくさそうに目をそらした。


 片づけを終えると、達成感が百合子の胸にじんわりと広がる。


「せっかくだし、どこかで休もうか」

「そうだな」


 二人は並んで歩き出した。


 途中で、露天の販売を終了したことを報告するため、祭の実行委員の詰め所に立ち寄る。

 夕方から夜にかけて商店街はさらに賑わい、祭りは佳境に入っていた。

 詰め所では、健太たち実行委員が忙しそうに荷物を運んだり、どこかに電話をかけている。

 そして、「ちょっと見てくる」と言って別れた純恋の姿もあった。


「純恋、ここにいたの?」

「うん。あのあと九堂さんと会ってね、流れで手伝ってるの。今から商店街のPR動画を撮るんだって。モデル頼まれちゃった」


 純恋は嬉しそうに笑う。


「あ、百合ちゃんと透だ。露天どうだった?」

「おかげさまで繁盛したよ。夜になる前にほとんど売れちゃったから、片付けてきたんだ」

「お~、それは何より。オレも百合ちゃんの露店のぞきに行きたかったなぁ」

「実行委員、大変そうだね」

「まあね。昨日から走り回ってるよ。あ、純恋ちゃん借りてます」


 健太が思い出したように笑って頭を下げる。


「商店街のPR動画、出来上がり楽しみにしてるよ。純恋、健太くんの迷惑にならないようにね」

「分かってるよ~、大丈夫!」

「そうそう、さっきから純恋ちゃんには手伝ってもらってばっかりだよ」


「お姉ちゃんたちは、これからどうするの?」

「少しどこかで休憩」

「そうなんだ。あ、花火は見て帰るよね?」

「そっか、祭の締めは花火だったね。どうしようかな……見てかえろうかな?」

 せっかくなので、祭のフィナーレまで参加したい気持ちはある。


「じゃあ、またあとでね~」

 詰め所を出る百合子と笹原に、純恋が手を振った。


 二人は商店街の裏道を抜け、いつもの喫茶店――【樹樹】へ入る。

 カランカラン、とドアベルが鳴った。

 中は外の喧騒が嘘のように穏やかで、ジャズの低い音が流れている。


「……やっと座れたね」

「お疲れさま。思ったより売れたんじゃない?」

「うん。笹原くんが手伝ってくれたから、早く片づけられたよ」


 アイスコーヒーのグラスに光が差し込み、氷がかすかに溶けていく。

 その音が、静かな心臓の鼓動と重なった。


 笹原は、ふと視線を落としたまま言った。

「その浴衣、すごく似合ってる。……きれいだ」


「え?」

「いや……」


 軽く笑って誤魔化す彼を見て、百合子の頬がほんのり熱を帯びた。

 カップを持つ手に力が入る。


 外では、花火の音が遠くで鳴り始めた。

 夜が、夏の終わりを告げるように静かに降りてくる。


 百合子はグラスの中の氷が沈む音を聞きながら、そっと思った。


――今年の夏は、少しだけ違う夏になるかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ