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珈琲の香りと二十五年越しの初恋  作者: 佐倉穂波


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01

「いつもこの席に座ってたよね」

 三人は一番奥の、窓のない席に向かう。

 そこは入口から見えない席だ。

 放課後は補導の先生が見回りをしている日があったので、店を訪れても見つからないようにこの席を選んでいた。

 それに隣の席との間には仕切りがあり、少し閉鎖的な雰囲気が秘密基地のようで好きだったのも、この席に座る理由のひとつだった。


「でも、本当に久しぶりだよね。高校卒業してから会ってないから、二十五年ぶりかぁ」

「え、もうそんなに経つんだ」

「同窓会もなかったし、会う機会なかったもんな」


 二十五年が経ち、三人とも大人になった。

 けれど笹原も健太も、当時の面影はしっかり残っていて、それがなんだか嬉しい。


「笹原くんも健太くんも、あまり変わってないね」

「いやいや、ダンディないい男になっただろ?」

 健太が笑いながら返すと、笹原も相槌を打つように頷く。

「ふふっ。ダンディだよ、ダンディ。見た目は大人になったけど、雰囲気は変わってないってことね」

「百合ちゃんは、キレイになったな」

「え~、お世辞はいいって」


 笹原まで「そうだな」と真面目に頷くものだから、百合子は年甲斐もなく顔が熱くなった。


「マスター、樹樹ブレンドをお願いします」

 照れを隠すように立ち上がった百合子は、カウンターで豆を挽くマスターに声をかける。


日向(ひなた)、メニュー表に樹樹ブレンドなんてないぞ」

「え、ウソ」


 笹原の指摘に、百合子はメニュー表を手に取り確認する。確かにそこには樹樹ブレンドという文字はない。


「マスター……」

「樹樹ブレンドですね。少しお時間がかかりますが、よろしいですか?」

「え、あ、はい。大丈夫です」


 注文を変更しようともう一度声をかけようとしたが、マスターはにこやかに頷き、樹樹ブレンドの注文を受けてくれた。


(あ……)

 店に入ったときは「全く変わっていない」と思ったマスターも、よく見ると目尻のしわが増え、髪に混じる白も多くなっている。

 それでも穏やかな表情はあの頃と変わらなかった。


 マスターはカウンターの奥から別のコーヒーミルを取り出し、豆を挽き始める。

 百合子が頼んだ樹樹ブレンドは、特別な手順を踏む一杯らしい。


「昔、メニューに樹樹ブレンドってあったかな?」

 健太が、年季の入ったメニュー表を見つめながらつぶやく。珈琲の価格こそ少し修正されているが、メニュー自体は変わっていない。


「いや……あの頃は安いメニューばかり頼んでたから、あまり覚えてないな」

「確かに。ブレンドコーヒーばかりだったわ」


 テストの結果が良かった日や記念日には少し奮発してデザートを頼んだこともあったが、基本はブレンドコーヒーだった記憶がある。


「メニュー覚えてないわりに、百合ちゃん、迷いなく樹樹ブレンドって注文してたよね」

 健太が不思議そうに尋ねる。


「うーん、あるって思い込んでたのかな。夢で見たから……」

「夢?」

「そう。何日か前にね、高校の頃、この喫茶店に来てた夢を見たの」


 夢の中で百合子は、マスターに樹樹ブレンドを注文していた。だからメニューにあるものだと思い込んでいたのだ。


 百合子の話を聞いた笹原と健太は、驚いたように目を瞬かせる。


「俺も最近、高校の頃にこの店に来てた夢を見た」

「オレも」

「え、二人も?」


 今度は百合子が目を見開く番だった。三人そろって高校時代の喫茶店の夢を――しかも同じ時期に――見るなんて、そんな偶然があるだろうか。


「オレは試験前に居眠りして、マスターからブランケット掛けてもらった夢だった」


 健太が見た夢は、実際にあった出来事だ。

 試験前、三人で勉強していて、いつの間にか三人とも眠ってしまったことがあった。あの時、マスターはそっとブランケットを掛けてくれていた。


「俺は、お前たちと初めて会ったときの夢だった気がする」

「初めて会ったとき……あれ、いつが初対面だったかな」


 二十五年も経つと、昔の記憶は曖昧だ。高校三年の頃はすでに三人で放課後を過ごすことが多かったが、いつから仲良くなったのかは思い出せない。


「お待たせしました」


 百合子が三人の出会いを思い返していると、マスターが珈琲を運んできた。

 ちなみに健太と笹原はブレンドコーヒーを注文している。


 百合子の前に置かれた樹樹ブレンドは、ブレンドコーヒーより一回り小さなカップ。

「ありがとうございます」と百合子は礼を言い、まず香りを吸い込む。ビターな焙煎香が鼻の奥をくすぐった。


 一口含んだ瞬間、ある日の光景が鮮やかに蘇る。


「あ……思い出した」


 あの日――試験のあと、百合子と健太がたまたま入った喫茶店で答え合わせをしていた。

 二人とも違う答えを書いた問題があり、「私が合ってる」「いや、オレが合ってる」と言い合っているところに、笹原が「どっちも違う」と不機嫌そうに話しかけてきたのだ。


「初対面の笹原くん、機嫌悪かったよね」

「そうだな。ゆっくり音楽を聴きながら珈琲を飲んでたのに、お前たちが不毛な言い争いをしててイラッとした記憶がある」


 実は笹原は当時からの常連。

 常連からしたら、ガヤガヤとうるさい二人に苛立ったのも無理はない。


 その後、笹原による試験問題の解説を受け、結果が惨敗だった二人は打ちひしがれることになった。

 それがきっかけで三人で話す機会が増え、いつの間にか放課後をともに過ごす仲になっていった。


 帰宅部だった三人は、よくこの喫茶店を訪れ、話をしたり課題をしたり、試験対策に笹原の“講義”を受けたりしたものだ。


 樹樹ブレンドが運んできたのは、高校時代の大切な思い出のひとつだった。

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