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日曜日。
夏祭りでの宣伝やホームページの反響もあって、雑貨店「花と日々」の開店当日は、想像以上の賑わいだった。
店の前には、笹原と健太から贈られた花が並び、柔らかな香りが通りに流れていく。
「おめでとうございます!」
次々と訪れる客に百合子と純恋は笑顔で応対し、気がつけば外の空が茜色に染まっていた。
閉店後の店内には、温かな余韻が残っていた。
「お疲れさま。今日は本当にすごかったね」
純恋が深呼吸して笑うと、百合子も肩の力を抜いた。
「ね、まさかこんなに来てもらえるなんて」
「うん。それにしても、あの花、きれいだったね」
「ふふ、あれは二人らしいわ」
花瓶の中で咲く白いダリアを見つめながら、百合子の胸の奥にも、小さな灯りがともる。
片付けを終えたころ、健太が携帯を見て言った。
「悪い、ちょっと呼び出し。純恋ちゃん、一緒に来てくれる? 夏祭りで撮ったPR動画について、取材が来てるんだって」
「え?取材? 分かりました、行きます!」
「二人は先に喫茶店行ってて」
お店のオープンを祝して、喫茶店【樹樹】でささやかな打ち上げをしようと話していたのだ。
「分かったわ」
健太と純恋が出ていき、残されたのは百合子と笹原だけになった。
「行こうか」
「うん」
二人は歩き慣れた道を並んで歩く。
街灯の明かりが道を縁取り、秋の夜気がほんのりと冷たい。
昨日、純恋に言われた言葉が、百合子の胸をまたくすぐった。
(告白、か……)
カランカランッ。
喫茶店【樹樹】のドアベルが鳴ると、香ばしい珈琲の香りが二人を包んだ。
マスターは変わらぬ微笑みで、静かに「いらっしゃいませ」と迎え入れてくれた。
席につくと、自然と二人とも「樹樹ブレンド」を注文していた。
しばらくして届いたカップから、深い香ばしさが立ちのぼる。
「二人で来たこともあったな」
笹原が思い出したように、ぽつりと呟く。
「そういえば、健太くんが来れない日に、二人で寄ったこともあったっけ? 他愛もない話をして……楽しかった」
言いながら、百合子の胸に、鮮やかな光景が浮かび上がる。
制服姿の自分と笹原。
放課後、窓際の席で笑いながら話している二人の姿。
(そうか……私、あの頃から透くんのことが——)
気づいた瞬間、胸が熱くなる。
カップを持つ指先がわずかに震えた。
一方の笹原も、同じ香りに包まれながら過去を思い出していた。
あの時は気づけなかった。
卒業して離れて、初めてそれが恋だったと知った。
そして、25年の時を経て、再び隣にいる。
(このままの関係で、もう十分だと思ってた。けど——)
健太の言葉が胸に浮かぶ。
『このままでいいのか?』
笹原はゆっくりと顔を上げ、真っすぐに百合子を見た。
その瞳の奥に、迷いも躊躇もなかった。
「百合子」
「……なに?」
「俺は——百合子が好きだ」
その言葉は、不意に落ちてきた秋の雨のように、静かで、けれど胸の奥に深く染みた。
百合子は息を呑み、手の中のカップがかすかに揺れた。
心臓が、痛いほどに高鳴る。
思わず俯いた視線の先で、琥珀色の珈琲が小さく波打っていた。
25年という時間の向こうに置き去りにしてきた想いが、今、音を立てて溶けていく。
(どうして、こんなにもまっすぐに……)
笹原は、少し息を整えるように言葉を続けた。
「ずっと伝えられなかった。気づいた時には、もう遠くにいて……それでも、また会えて、今の百合子を見て、やっぱり好きだと思った」
彼の声が震えていた。
誠実で、不器用で、でも本気の声だった。
百合子はカップをそっと置き、唇を噛んだ。
「……透くん……」
声が小さく掠れる。
笹原は「返事はいつでもいいから」と立ち上がろうとした。
その腕を、百合子は反射的に掴んでいた。
「ま、待って……!」
その声に、笹原が驚いたように振り返る。
百合子は、震える唇を噛みしめながら、ようやく言葉を紡いだ。
「……私も……透くんのことが、好き……です」
言い終えた瞬間、胸の奥の緊張がほどけ、涙が頬を伝った。
笹原は驚いたように見つめ、それからゆっくりと微笑んだ。
いつも真面目で表情の乏しい彼の顔が、ふいに柔らかくほころぶ。
その笑顔は、25年前の教室の窓から差し込む光のように、まぶしかった。
「……ありがとう。嬉しい」
百合子は涙を拭いながら、頷いた。
ちょうどその時、マスターが軽食の皿をそっと置き、
「おめでとうございます」と微笑んだ。
二人は顔を見合わせ、思わず笑い合った。
窓の外では、店の前に飾られた花が夜風に揺れている。
——25年越しの初恋が、ようやく形になった。
樹樹ブレンドの香りの中で、静かに、確かに、二人の未来が始まっていた。




