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珈琲の香りと二十五年越しの初恋  作者: 佐倉穂波


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 日曜日。

 夏祭りでの宣伝やホームページの反響もあって、雑貨店「花と日々」の開店当日は、想像以上の賑わいだった。

 店の前には、笹原と健太から贈られた花が並び、柔らかな香りが通りに流れていく。


 「おめでとうございます!」

 次々と訪れる客に百合子と純恋は笑顔で応対し、気がつけば外の空が茜色に染まっていた。


 閉店後の店内には、温かな余韻が残っていた。

「お疲れさま。今日は本当にすごかったね」

 純恋が深呼吸して笑うと、百合子も肩の力を抜いた。

「ね、まさかこんなに来てもらえるなんて」

「うん。それにしても、あの花、きれいだったね」

「ふふ、あれは二人らしいわ」

 花瓶の中で咲く白いダリアを見つめながら、百合子の胸の奥にも、小さな灯りがともる。


 片付けを終えたころ、健太が携帯を見て言った。

「悪い、ちょっと呼び出し。純恋ちゃん、一緒に来てくれる? 夏祭りで撮ったPR動画について、取材が来てるんだって」

「え?取材? 分かりました、行きます!」

「二人は先に喫茶店行ってて」

 お店のオープンを祝して、喫茶店【樹樹】でささやかな打ち上げをしようと話していたのだ。

「分かったわ」


 健太と純恋が出ていき、残されたのは百合子と笹原だけになった。


「行こうか」

「うん」


 二人は歩き慣れた道を並んで歩く。


 街灯の明かりが道を縁取り、秋の夜気がほんのりと冷たい。

 昨日、純恋に言われた言葉が、百合子の胸をまたくすぐった。

(告白、か……)


 カランカランッ。

 喫茶店【樹樹】のドアベルが鳴ると、香ばしい珈琲の香りが二人を包んだ。

 マスターは変わらぬ微笑みで、静かに「いらっしゃいませ」と迎え入れてくれた。


 席につくと、自然と二人とも「樹樹ブレンド」を注文していた。

 しばらくして届いたカップから、深い香ばしさが立ちのぼる。


「二人で来たこともあったな」

 笹原が思い出したように、ぽつりと呟く。

「そういえば、健太くんが来れない日に、二人で寄ったこともあったっけ? 他愛もない話をして……楽しかった」

 言いながら、百合子の胸に、鮮やかな光景が浮かび上がる。


 制服姿の自分と笹原。

 放課後、窓際の席で笑いながら話している二人の姿。


(そうか……私、あの頃から透くんのことが——)


 気づいた瞬間、胸が熱くなる。

 カップを持つ指先がわずかに震えた。


 一方の笹原も、同じ香りに包まれながら過去を思い出していた。

 あの時は気づけなかった。

 卒業して離れて、初めてそれが恋だったと知った。

 そして、25年の時を経て、再び隣にいる。

(このままの関係で、もう十分だと思ってた。けど——)


 健太の言葉が胸に浮かぶ。

『このままでいいのか?』


 笹原はゆっくりと顔を上げ、真っすぐに百合子を見た。

 その瞳の奥に、迷いも躊躇もなかった。


「百合子」

「……なに?」

「俺は——百合子が好きだ」


 その言葉は、不意に落ちてきた秋の雨のように、静かで、けれど胸の奥に深く染みた。

 百合子は息を呑み、手の中のカップがかすかに揺れた。

 心臓が、痛いほどに高鳴る。


 思わず俯いた視線の先で、琥珀色の珈琲が小さく波打っていた。

 25年という時間の向こうに置き去りにしてきた想いが、今、音を立てて溶けていく。

(どうして、こんなにもまっすぐに……)


 笹原は、少し息を整えるように言葉を続けた。

「ずっと伝えられなかった。気づいた時には、もう遠くにいて……それでも、また会えて、今の百合子を見て、やっぱり好きだと思った」


 彼の声が震えていた。

 誠実で、不器用で、でも本気の声だった。


 百合子はカップをそっと置き、唇を噛んだ。

「……透くん……」

 声が小さく掠れる。


 笹原は「返事はいつでもいいから」と立ち上がろうとした。

 その腕を、百合子は反射的に掴んでいた。


「ま、待って……!」

 その声に、笹原が驚いたように振り返る。

 百合子は、震える唇を噛みしめながら、ようやく言葉を紡いだ。


「……私も……透くんのことが、好き……です」


 言い終えた瞬間、胸の奥の緊張がほどけ、涙が頬を伝った。

 笹原は驚いたように見つめ、それからゆっくりと微笑んだ。


 いつも真面目で表情の乏しい彼の顔が、ふいに柔らかくほころぶ。

 その笑顔は、25年前の教室の窓から差し込む光のように、まぶしかった。


「……ありがとう。嬉しい」


 百合子は涙を拭いながら、頷いた。

 ちょうどその時、マスターが軽食の皿をそっと置き、

「おめでとうございます」と微笑んだ。


 二人は顔を見合わせ、思わず笑い合った。

 窓の外では、店の前に飾られた花が夜風に揺れている。


 ——25年越しの初恋が、ようやく形になった。

 樹樹ブレンドの香りの中で、静かに、確かに、二人の未来が始まっていた。

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