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珈琲の香りと二十五年越しの初恋  作者: 佐倉穂波


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18/20

15

 雑貨店の開店を翌日に控えた夜。

 静かな店内に、段ボールを開ける音やパソコンのキーボードを叩く音が響いていた。


 純恋と健太はカウンター席でホームページの最終チェックをしている。

 写真の並び、文字の誤字、そして問い合わせフォームの動作確認。

 画面に映る店名「花と日々」のロゴを見つめながら、純恋が小さく笑った。

「やっと、ここまで来たね」

「ほんとにな。百合ちゃん、きっと喜ぶよ」

 健太がコーヒーを差し出すと、純恋は「ありがとうございます」と受け取り、少し照れたように微笑んだ。


 一方その頃、店の奥では笹原がモップを手に黙々と床を磨いていた。

 夜の照明が木目の床をやわらかく照らし、どこか家庭的な温かさを帯びている。

 百合子は最後の陳列を終えると、ふと一角の照明がついていないことに気づいた。


「……あれ? このライト、さっきまで点いてたのに。接触不良かな」


 片隅に置かれた脚立を持ってきて、ライトの接触を確かめるために登る。

 電球をキュッと締めた瞬間、パッと視界が明るくなった。

「やっぱり、接触不良——っ!」

 ガタンと音がして、脚立がぐらりと傾く。

(落ちる!)

 床に打ち付けられる衝撃を覚悟して、百合子はぎゅっと目を瞑った。


「危ない!」


 衝撃の代わりに、強い腕が彼女の身体を抱きとめた。

 目を開けると、すぐ目の前に笹原の顔。

 普段よりずっと近い距離。息がかかるほどの距離だった。

 胸の奥でどくん、と大きな音がする。


「ご、ごめん……ありがとう」

「この脚立、危ないって言ってただろ。それに、高いところの作業は俺を呼べって」

 叱る声はかすかに震えていて、抱きしめた腕はなかなか離れなかった。


 百合子が「あの……」と小さく声をかけると、笹原はハッとしたように手を放し、背を向けた。

 その耳が真っ赤に染まっているのが見え、百合子は思わず口元を押さえて笑ってしまう。

 胸の奥が、じんわりと温かくなった。


 ――そんな二人の様子を、隣の部屋のドアの隙間から健太と純恋はしっかりと目撃していた。

「……今の、ドラマで見たことあるよね」

「だな。あれでまだ付き合ってないって……」

 健太が笑いをこらえ、純恋も小さく頷いた。


 夜、作業が終わったあと。

 純恋がベッドに腰を下ろした姉に声をかける。

「ねえ、告白しないの? 好きなんでしょ、笹原さんのこと」

 百合子は一瞬驚いたように目を見開き、それから小さく息をついた。

「そうね。でも、怖いの。今の関係から進むのがね」

 言葉の端が少し震える。

「透くんといると、心が落ち着くの。だから余計に、壊したくないのよ」

 ずっとこのままの関係でいいのかと自問すれば、「それも嫌だ」と思う自分もいる。

 だけど、その感情にはまだ蓋をしてしまうのだ。



 同じ頃、笹原も店の片付けを終えたあと、健太と車の前で話していた。

「……透、好きなら言えばいいのに」

「簡単に言うなよ。伝えて今の関係がギクシャクするのも嫌なんだ」

「昔の婚約者のこと、前に話してただろ。百合ちゃんは臆病になってるんだと思う。透がその気持ちを受け止めてやれなきゃ、誰ができるんだよ。本当にこのままでいいのか?」

 健太の言葉に、笹原はしばらく黙り込んだ。

 夜風が通り抜け、看板のライトがゆらゆらと揺れている。


 健太と分かれ一人になった笹原は、夜空を見あげながら、フーっと大きく息を吐いた。

「本当に、このままでいいのか…、か」

 笹原はぽつりとつぶやいた。

 その声は、胸の奥に灯った小さな火のように静かで、確かだった。

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