15
雑貨店の開店を翌日に控えた夜。
静かな店内に、段ボールを開ける音やパソコンのキーボードを叩く音が響いていた。
純恋と健太はカウンター席でホームページの最終チェックをしている。
写真の並び、文字の誤字、そして問い合わせフォームの動作確認。
画面に映る店名「花と日々」のロゴを見つめながら、純恋が小さく笑った。
「やっと、ここまで来たね」
「ほんとにな。百合ちゃん、きっと喜ぶよ」
健太がコーヒーを差し出すと、純恋は「ありがとうございます」と受け取り、少し照れたように微笑んだ。
一方その頃、店の奥では笹原がモップを手に黙々と床を磨いていた。
夜の照明が木目の床をやわらかく照らし、どこか家庭的な温かさを帯びている。
百合子は最後の陳列を終えると、ふと一角の照明がついていないことに気づいた。
「……あれ? このライト、さっきまで点いてたのに。接触不良かな」
片隅に置かれた脚立を持ってきて、ライトの接触を確かめるために登る。
電球をキュッと締めた瞬間、パッと視界が明るくなった。
「やっぱり、接触不良——っ!」
ガタンと音がして、脚立がぐらりと傾く。
(落ちる!)
床に打ち付けられる衝撃を覚悟して、百合子はぎゅっと目を瞑った。
「危ない!」
衝撃の代わりに、強い腕が彼女の身体を抱きとめた。
目を開けると、すぐ目の前に笹原の顔。
普段よりずっと近い距離。息がかかるほどの距離だった。
胸の奥でどくん、と大きな音がする。
「ご、ごめん……ありがとう」
「この脚立、危ないって言ってただろ。それに、高いところの作業は俺を呼べって」
叱る声はかすかに震えていて、抱きしめた腕はなかなか離れなかった。
百合子が「あの……」と小さく声をかけると、笹原はハッとしたように手を放し、背を向けた。
その耳が真っ赤に染まっているのが見え、百合子は思わず口元を押さえて笑ってしまう。
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
――そんな二人の様子を、隣の部屋のドアの隙間から健太と純恋はしっかりと目撃していた。
「……今の、ドラマで見たことあるよね」
「だな。あれでまだ付き合ってないって……」
健太が笑いをこらえ、純恋も小さく頷いた。
夜、作業が終わったあと。
純恋がベッドに腰を下ろした姉に声をかける。
「ねえ、告白しないの? 好きなんでしょ、笹原さんのこと」
百合子は一瞬驚いたように目を見開き、それから小さく息をついた。
「そうね。でも、怖いの。今の関係から進むのがね」
言葉の端が少し震える。
「透くんといると、心が落ち着くの。だから余計に、壊したくないのよ」
ずっとこのままの関係でいいのかと自問すれば、「それも嫌だ」と思う自分もいる。
だけど、その感情にはまだ蓋をしてしまうのだ。
同じ頃、笹原も店の片付けを終えたあと、健太と車の前で話していた。
「……透、好きなら言えばいいのに」
「簡単に言うなよ。伝えて今の関係がギクシャクするのも嫌なんだ」
「昔の婚約者のこと、前に話してただろ。百合ちゃんは臆病になってるんだと思う。透がその気持ちを受け止めてやれなきゃ、誰ができるんだよ。本当にこのままでいいのか?」
健太の言葉に、笹原はしばらく黙り込んだ。
夜風が通り抜け、看板のライトがゆらゆらと揺れている。
健太と分かれ一人になった笹原は、夜空を見あげながら、フーっと大きく息を吐いた。
「本当に、このままでいいのか…、か」
笹原はぽつりとつぶやいた。
その声は、胸の奥に灯った小さな火のように静かで、確かだった。




