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数日後、純恋は健太の家を訪ねていた。
ホームページの作り方を教えてほしいと純恋が頼むと、健太は「いいよ~」と快く引き受けてくれた。
はじめは商店街の事務所で教えてもらう予定だったが、パソコンの調子が悪いということで、急遽、健太の家に変更になったのだ。
玄関を上がると、懐かしいような木の匂いがした。
リビングに足を踏み入れると、生活感がそのまま残っていた。
ソファの上には雑誌とノートパソコン、ローテーブルの上にはマグカップと仕事の資料。
洗濯物が端にまとめられたままで、カーテンの隙間から差す光にふわりと埃が舞った。
けれど、床はきちんと掃かれていて、空気は不思議と清潔だ。
——几帳面じゃないけど、ちゃんと暮らしている人の部屋。
そんな印象だった。
「すみません、お邪魔します」
「ごめんね、ちょっと散らかってるけど」
健太が目を泳がせながら笑う。
「これくらい、散らかったうちに入りませんよ。あ、これ、食べてください」
純恋は、笑いながら持参した紙袋を差し出した。
「わざわざ気を使わなくていいのに……あ、これ。食べてみたいと思ってたやつだ」
最近できたケーキ屋のクッキーの詰め合わせ。何を持って行こうか悩んで選んだものだった。
健太の嬉しそうな表情に、純恋の胸が少しだけ温かくなる。
ノートパソコンを開き、商店街のサイトデザインについて話し始めると、健太の表情が真剣になる。
けれど、説明の合間にふと笑ったり、冗談を挟んだりするその雰囲気に、純恋は少しずつ緊張を解いていった。
しばらくして、「少し休憩にしようか」と健太が台所に引っ込んでいった。
純恋は「ん~~」と腕を上に伸ばし、肩のこりをほぐす。
ふと、棚の上の写真立てが目に入った。
白いワンピースを着た女性と、優しく肩を寄せる健太。
その表情があまりに柔らかくて、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
——誰だろう、この人。
気になって視線を止めたままでいると、隣の部屋の仏壇に同じ写真が飾られているのに気づいた。
花が供えられ、線香の香りが静かに漂っている。
「純恋ちゃん、クッキー一緒に……あ……」
背後から声がして、純恋ははっと振り返った。
紅茶とクッキーを載せたお盆を手にした健太が、少し気まずそうに立っている。
「その……隠してたわけじゃないんだけどね。その人、オレの奥さん——三年前に病気で亡くなったんだ」
「……奥さん」
思わず呟くと、健太はゆっくりと頷いた。
「大学の同期でさ。明るくて、すごく活発な人だったんだ」
淡々と語る声の奥に、静かな痛みがあった。
純恋は胸が詰まり、ただ小さく首を振った。
「……知らなかった。ごめんなさい」
「ううん。話してなかったんだから、知らなくて当然だよ」
その穏やかな笑顔が、かえって遠く感じた。
彼はいまも、その人を大切に胸に抱いている。
そして自分が、軽々しく“チャンスがありますね”なんて言っていたことを思い出し、頬が熱くなった。
「私……知らないで……アピールしたりして……本当にごめんなさい」
声が震えた。
健太は慌てて立ち上がり、「大丈夫だよ」とやわらかく言った。
「純恋ちゃんの気持ち、ちゃんと伝わってたよ。オレも久しぶりに、誰かに向き合う時間をもらった気がする。ありがとう」
優しさしかないその言葉が、痛いほど沁みた。
それでも、涙をこらえきれず、純恋は立ち上がった。
「……ごめんなさい、今日は帰ります」
健太が何か言いかけたが、純恋は首を振って玄関へ向かった。
秋風が頬を打つ。歩きながら、涙が次々にこぼれ落ちた。
*
泣きながら帰ってきた純恋を見て、百合子は驚いた。
「どうしたの、純恋……?」
返事の代わりに、妹は目元をぬぐい、かすれた声で言った。
「お姉ちゃん……九堂さんの奥さんが亡くなってたの、知ってたの?」
静かな問いに、百合子は小さく頷いた。
「……うん」
「どうして教えてくれなかったの!? 知ってたら、あんな無神経なこと、絶対言わなかったのに!」
純恋の声が震えていた。
百合子は一瞬言葉を探し、静かに口を開く。
「……私も、人づてでしか聞いていなかったの。それにね、純恋の素直さが、健太くんの心に新しい風を運んでくれるかもしれないと思ったの」
純恋は唇を噛み、視線を落とす。
「そんなの、無理だよ……私なんか、ただ傷をえぐっただけ」
「そんなことないわ」
百合子はそっと妹の肩に触れた。
「純恋の気持ちは、きっと届いてると思う」
「……お姉ちゃん、優しすぎるよ」
涙をこらえきれずに言って、純恋は顔をそむけた。
「ごめん。しばらく一人にして」
そう言って、部屋の奥へと消えていく。
歳の離れた妹と、こんなふうにぶつかるのは初めてだった。
百合子は、ただその背中を見送ることしかできなかった。




