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珈琲の香りと二十五年越しの初恋  作者: 佐倉穂波


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12/20

10

 翌朝、テーブルに並べた朝食を前に、純恋が小さくため息をついていた。

 昨夜は別々に帰ってきたので、顔を合わせるのは祭の実行委員の詰め所で別れて以来だ。

 明るくよく喋る妹が、やけに静かで百合子は心配になった。


「純恋、どうしたの? 寝不足?」

「ううん……ちょっと、考えごとしてただけ」


 そう言ってトーストをちぎり、口に運ぶ。

 笑顔を作ろうとしているけれど、どこかぎこちない。

 百合子は湯気の立つカップを両手で包みながら、少し迷ったあとで尋ねた。


「昨日、健太くんと一緒だったんでしょう? ……何かあったの?」


 純恋は一瞬、動きを止めて視線を落とす。

 そして、小さく息を吸い込んだ。


「……昨日、花火のあとに告白したの」


 その言葉に、百合子は思わず息をのんだ。

 けれど、驚きよりも先に胸に浮かんだのは――“ああ、やっぱり”という気持ちだった。


 純恋が健太を好きなことは、ずっと前から知っていた。

 小学生の頃、健太に会うたびに真剣な顔で「お嫁さんにしてね」と言っていた。

 いつの間にか大人になり、恋人もできた純恋を見て、健太への初恋は終わったのだと思っていた。

 だけど昨日、久しぶりに健太と並んでいる純恋を見たとき――その考えが間違いだったことを悟った。

 純恋の顔は、あの頃と同じ表情だったのだ。


「そうだったのね。それで、健太くんは?」

「“純恋ちゃんに、オレはもったいないよ”って、笑ってた」

「……健太くんらしいわね」

「でも、そんなこと言われたら、余計に諦められなくなっちゃったよ」


 そう言って、純恋が少しだけ笑った。

 強がりではなく、静かな決意のこもった笑顔。

 百合子はその表情を見つめながら、胸の奥がじんと温かくなった。


(健太くんが抱えている痛みを、純恋が少しでも癒してくれたら――)


 けれど、それを口にはしなかった。

 健太が妻を亡くしたことを、純恋はまだ知らない。

 それを今、わざわざ伝える必要はないと思った。

 彼女の真っ直ぐな想いが、健太の心を少しずつ変えていくかもしれない。

 そう信じたかった。


「あのね、お姉ちゃん」

 少ししんみりした空気を変えるように、純恋が姿勢を正して百合子を呼んだ。

「私、もうそろそろ仕事を辞めようと思ってるの」

「えっ、そうなの?」

「後輩も育ってきたし、一区切りつけようかなって。それで――もし良かったら、お姉ちゃんのお店、手伝わせてもらえないかな?」


 意外な言葉に、百合子は一瞬きょとんとしたが、すぐに口元がほころぶ。

「もちろん。大歓迎よ。オープンまでにアルバイトの募集もしなきゃと思ってたから、助かるわ」

「やった……良かった!」


 純恋がようやく心から笑った気がした。

 その笑顔は、昨日の花火よりも眩しく感じられた。




 ――昼過ぎ。

 百合子は商店街の空き店舗で、祭の片付けをしていた。

 使い終えた器材を片付けていると、入口の方から声がする。


「おーい、手伝うよ」


 顔を上げると、健太が段ボールを抱えて立っていた。

「え、いいの?」

「ちょっと時間できたからさ。この器材、運んだらいい?」

「お願い。奥にまとめておいてもらえる?」


 健太は軽々と箱を運びながら、ふと辺りを見回した。

「今日は純恋ちゃんは?」

 その何気ない一言に、百合子は思わず微笑む。


「……気になるの?」

「え、いや、別に。ちょっと昨日のこと、気になってたというか……聞いてるよね?」

 百合子と純恋が何でも語り合う仲の良い姉妹だということを、健太は知っている。


「純恋に、告白されたんでしょう?」


 健太は耳の後ろをかきながら、少し照れくさそうに笑った。

「うん……純恋ちゃんの気持ちは嬉しいんだけどさ。オレの中では、まだちっちゃな女の子ってイメージなんだ。それに、恋愛とか、そういうのはまだ考えられないっていうか……」


 その言葉に、百合子は静かにうなずく。

(やっぱり――まだ、奥さんのことを引きずってるのね)

 そう思ったが、あえて何も言わなかった。

 彼が口にした“まだ”という言葉の中に、ほんの少しの未来が感じられたからだ。


「聞こえましたよ!」


 不意に背後から明るい声がして、健太が驚いて振り返る。

 仕切りの向こうから、段ボールを抱えた純恋が顔を出していた。


「純恋ちゃん!? いつからそこに!?」

「最初からです。ちゃんと聞いてました。“まだ”ってことは、チャンスはあるんですよね?」


 にっこり笑うその顔は、今朝とはまるで違う。

 まぶしいほどに生き生きとしていた。


「これからもアピールしていくので、覚悟しておいてください!」

「え~、お手柔らかに頼むよ……」


 健太が困ったように笑う。

 その笑顔を見て、百合子は胸の奥でそっと呟いた。


(健太くんの心の傷が、少しでも癒えますように)


 外では、祭の後片付けをする人たちの声が響いていた。

 夏の終わりの風が、ゆるやかに店の中を通り抜けていった。

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