10
翌朝、テーブルに並べた朝食を前に、純恋が小さくため息をついていた。
昨夜は別々に帰ってきたので、顔を合わせるのは祭の実行委員の詰め所で別れて以来だ。
明るくよく喋る妹が、やけに静かで百合子は心配になった。
「純恋、どうしたの? 寝不足?」
「ううん……ちょっと、考えごとしてただけ」
そう言ってトーストをちぎり、口に運ぶ。
笑顔を作ろうとしているけれど、どこかぎこちない。
百合子は湯気の立つカップを両手で包みながら、少し迷ったあとで尋ねた。
「昨日、健太くんと一緒だったんでしょう? ……何かあったの?」
純恋は一瞬、動きを止めて視線を落とす。
そして、小さく息を吸い込んだ。
「……昨日、花火のあとに告白したの」
その言葉に、百合子は思わず息をのんだ。
けれど、驚きよりも先に胸に浮かんだのは――“ああ、やっぱり”という気持ちだった。
純恋が健太を好きなことは、ずっと前から知っていた。
小学生の頃、健太に会うたびに真剣な顔で「お嫁さんにしてね」と言っていた。
いつの間にか大人になり、恋人もできた純恋を見て、健太への初恋は終わったのだと思っていた。
だけど昨日、久しぶりに健太と並んでいる純恋を見たとき――その考えが間違いだったことを悟った。
純恋の顔は、あの頃と同じ表情だったのだ。
「そうだったのね。それで、健太くんは?」
「“純恋ちゃんに、オレはもったいないよ”って、笑ってた」
「……健太くんらしいわね」
「でも、そんなこと言われたら、余計に諦められなくなっちゃったよ」
そう言って、純恋が少しだけ笑った。
強がりではなく、静かな決意のこもった笑顔。
百合子はその表情を見つめながら、胸の奥がじんと温かくなった。
(健太くんが抱えている痛みを、純恋が少しでも癒してくれたら――)
けれど、それを口にはしなかった。
健太が妻を亡くしたことを、純恋はまだ知らない。
それを今、わざわざ伝える必要はないと思った。
彼女の真っ直ぐな想いが、健太の心を少しずつ変えていくかもしれない。
そう信じたかった。
「あのね、お姉ちゃん」
少ししんみりした空気を変えるように、純恋が姿勢を正して百合子を呼んだ。
「私、もうそろそろ仕事を辞めようと思ってるの」
「えっ、そうなの?」
「後輩も育ってきたし、一区切りつけようかなって。それで――もし良かったら、お姉ちゃんのお店、手伝わせてもらえないかな?」
意外な言葉に、百合子は一瞬きょとんとしたが、すぐに口元がほころぶ。
「もちろん。大歓迎よ。オープンまでにアルバイトの募集もしなきゃと思ってたから、助かるわ」
「やった……良かった!」
純恋がようやく心から笑った気がした。
その笑顔は、昨日の花火よりも眩しく感じられた。
――昼過ぎ。
百合子は商店街の空き店舗で、祭の片付けをしていた。
使い終えた器材を片付けていると、入口の方から声がする。
「おーい、手伝うよ」
顔を上げると、健太が段ボールを抱えて立っていた。
「え、いいの?」
「ちょっと時間できたからさ。この器材、運んだらいい?」
「お願い。奥にまとめておいてもらえる?」
健太は軽々と箱を運びながら、ふと辺りを見回した。
「今日は純恋ちゃんは?」
その何気ない一言に、百合子は思わず微笑む。
「……気になるの?」
「え、いや、別に。ちょっと昨日のこと、気になってたというか……聞いてるよね?」
百合子と純恋が何でも語り合う仲の良い姉妹だということを、健太は知っている。
「純恋に、告白されたんでしょう?」
健太は耳の後ろをかきながら、少し照れくさそうに笑った。
「うん……純恋ちゃんの気持ちは嬉しいんだけどさ。オレの中では、まだちっちゃな女の子ってイメージなんだ。それに、恋愛とか、そういうのはまだ考えられないっていうか……」
その言葉に、百合子は静かにうなずく。
(やっぱり――まだ、奥さんのことを引きずってるのね)
そう思ったが、あえて何も言わなかった。
彼が口にした“まだ”という言葉の中に、ほんの少しの未来が感じられたからだ。
「聞こえましたよ!」
不意に背後から明るい声がして、健太が驚いて振り返る。
仕切りの向こうから、段ボールを抱えた純恋が顔を出していた。
「純恋ちゃん!? いつからそこに!?」
「最初からです。ちゃんと聞いてました。“まだ”ってことは、チャンスはあるんですよね?」
にっこり笑うその顔は、今朝とはまるで違う。
まぶしいほどに生き生きとしていた。
「これからもアピールしていくので、覚悟しておいてください!」
「え~、お手柔らかに頼むよ……」
健太が困ったように笑う。
その笑顔を見て、百合子は胸の奥でそっと呟いた。
(健太くんの心の傷が、少しでも癒えますように)
外では、祭の後片付けをする人たちの声が響いていた。
夏の終わりの風が、ゆるやかに店の中を通り抜けていった。




