第49話 『冷徹な計算機と、正しすぎる正義』
王都の地下深く、地図には存在しない区画にその部屋はあった。『王立治安維持局・特別対策室』。埃一つない無機質な白い部屋。壁一面には王都中の魔力数値を監視するモニターが並び、無数の数字が滝のように流れている。
その中央にある執務机で、一人の男が報告書をめくっていた。
神経質そうな細身の体躯に、完璧に仕立てられた灰色のスーツ。片目にはモノクルを嵌め、手には汚れ一つない純白の手袋を着用している。
この組織の室長、ヴァレリウスだ。
「……なるほど。グレゴリウスの魔力反応、想定内での減衰を確認。以前のような『大陸を割る』出力は失われているか」
ヴァレリウスは感情の乗らない声で呟き、ペンの先で書類にチェックを入れた。その動作は、人間を評価しているというより、不良在庫の部品を検品しているようだった。
部屋の隅には、先ほど帰還した実行部隊長ハウンドが直立不動で控えている。
「室長。……魔王ディアボロの介入はありましたが、交戦規定に基づき撤退しました。追撃はありません」
「賢明な判断だ、ハウンド。我々の目的は『戦争』ではない。『清掃』だ。床を汚さずにゴミを片付けることこそが、我々の美学だからね」
ヴァレリウスはモノクルの位置を直し、冷ややかな視線を虚空に向けた。
「かつての英雄たちは、確かに過去にこの国を救った。だが、平和になった今、彼らは規格外すぎる。……制御できない力は、もはや『兵器』ですらない。ただの『不発弾』だ」
彼は手元の資料にある『英雄リスト』を指先でなぞった。グレゴリウス、エリアーナ、リディア。そして、死亡扱いとなっているアルフレッドの名。
「特に、圧倒的な力の象徴であった『勇者』を失った今、その力は不安定だ。いつ爆発して、魔界との繊細な均衡を壊すかわからない。……だからこそ、私が計算で限界値を超えたものを処理するのだよ。感情ではなく、数式によってね」
ヴァレリウスは薄い笑みを浮かべた。それは、ルシウスが見せる計算への執着に似ていたが、決定的に何かが欠けていた。
「次は弓聖か、大賢者か。……どちらにせよ、効率的に進めよう。過ぎた英雄は、死んで銅像になっている時が一番美しいのだから」
同時刻。王城の一角にある聖騎士団本部。団長室の重厚な扉の中から、ガイルの唸るような怒声が響いた。
「どういうことですか! 『静観せよ』とは!」
ガイルは、執務机を拳で叩きつけていた。その黄金の甲冑が、主人の怒りに共鳴するようにガチャリと音を立てる。
目の前にいるのは、王国の宰相補佐官だ。彼はガイルの剣幕にも動じず、一枚の羊皮紙を淡々と突きつけた。
「言葉の通りです、ガイル団長。現在、王都内で発生している元英雄たちへの襲撃事件……これに対し、聖騎士団は一切の介入を禁じます」
「馬鹿な! グレゴリウス様は、私の先達であり、この国の恩人だぞ! その方が襲われたというのに、騎士団が指をくわえて見ていろと言うのか!」
ガイルは食い下がる。グレゴリウスが襲撃されたという一報は、彼の耳にも届いていた。すぐに部隊を動かそうとした矢先に、この命令書が届いたのだ。
補佐官は、魔石をあしらった白金の眼鏡を押し上げ、冷徹に告げた。
「これは『国策』です。……彼らは引退後、何も生産しないばかりか、その強大すぎる力で周辺地域に多大な魔力的負荷をかけている。これ以上の放置は、国家への損害と判断されたのです」
補佐官は、ガイルの安物の軍服を蔑むように一瞥し、薄く笑った。
「なので、今回の件は、治安維持局による『適切な処置』であると、上層部は判断しました」
「適切な処置だと? 英雄を犯罪者のように扱うことがか!」
「感情論で語らないでいただきたい。……団長、貴方も立場ある人間なら理解できるはずだ。平和な時代に、軍隊並みの武力を持つ個人が野放しになっているリスクを」
補佐官の言葉は、正論だった。正論すぎて、反論の余地がなかった。国家の安寧を守る。それはガイル自身が誓った騎士の本分でもある。だが、そのために仲間を見捨てろと言うのか。
「……それに、忘れないでいただきたい。貴方の任務は『聖女エレンの護衛』と『王都の治安維持』です。過去の遺物に構っている暇はないはずですが?」
補佐官は冷たく言い放ち、部屋を出て行った。残されたガイルは、行き場のない怒りを拳に込め、壁を殴りつけた。
ドォン!
壁に亀裂が走る。だが、胸のつかえは取れない。
「……くそっ! 私は、何を守っているんだ……!」
ガイルは窓の外を見た。職人街の方角。そこには、あの奇妙な料理店『キッチン・ブラン』がある。グレゴリウスは、あの店からの帰りに襲われたと聞いた。
「……店員殿。君なら、どうする」
脳裏に浮かぶのは、布巾を被ったあの男の姿。ガイルは知っている。あの店員が、ただの料理人ではないことを。そして、彼が作る料理が、どれほど人の心を救ってきたかを。
だが、今のガイルは動けない。組織という鎖が、彼の黄金の鎧をがんじがらめに縛り付けていた。
その頃、『キッチン・ブラン』の店内は、重苦しい空気に包まれていた。客足が途絶えた午後の時間帯。カウンターの隅で、ルシウスがいつものように算盤を弾いていたが、その音はいつもより遅く、重かった。
パチ……パチ……。
「……計算が、合いません」
ルシウスが低い声で呟いた。
「ルシウスさん?」
アルフレッドが心配そうに声をかける。ルシウスは眼鏡の奥の瞳を鋭く細め、手元のメモを睨んでいた。
「敵の動きが、あまりに『合理的』すぎます。グレゴリウス様を襲い、しかしトドメを刺さずに撤退した。……これは、単なる暗殺ではありません。グレゴリウス様の戦力を削ぎ、精神的に追い詰めるための『間引き』です」
ルシウスは顔を上げ、窓際で腕を組むディアボロを見た。
「魔王様。敵の指揮官は、私と同類……いえ、私以上に『感情を持たない計算機』の可能性があります。……非常に、厄介です」
ディアボロは何も答えず、ただ深紅の瞳で外を見ていた。その視線は、かつてないほど冷たく、静かな怒りを宿していた。
「……ふん。計算機か。ならば、計算外の熱量で焼き切るまでだ」
ディアボロの指先から、小さな黒い炎が揺らめいた。だが、その炎はまだ、爆発の時を待って静かに燃えているだけだった。
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