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元勇者の俺、魔王が経営するレストランで働くことになりました  作者: pakipaki
第1部:魔王と勇者のホワイトな職場
20/25

第20話 『魔王の帰還と、白き聖域の温もり』

連休なので、22日と23日は毎日2話づつ更新予定です。(8時、22時)

よろしくお願いします。

※22日1話目

 ※ディアボロ視点



 窓から差し込む陽光が、忌々しいほどに不透明な闇へと変わっていく。我が玉座――いや、この『キッチン・ブラン』の普段の特等席から見える景色が、魔界の歪んだ魔力に侵食されていた。

 真っ白であるべき壁には、どろりとした黒い霜が這い、不気味な模様を描き始めている。我が愛するこの場所を、我が認めたこの静寂を汚す不届きな魔力が気に入らない。


「……ちっ。ゼノンの奴、何をまごついている。暗黒の太陽の転換期だというのに、調整の一つもできんのか」


 我は不機嫌さを隠そうともせず吐き捨てた。視線の先では、アルフレッドが厨房で手を動かしている。いつもなら、その小麦色の腕がフライパンを鮮やかに操り、我を満足させる香りを生み出すはずだった。だが今、奴の指先は冷気にかじかみ、その健康的な肌の色が、寒さのせいで僅かに白っぽく見えた。


「アルフレッド。いつまでそこに突っ立っている。寒いのではないのか?」


 我は鼻を鳴らし、早く動けと言わんばかりに顎で示して命じる。アルフレッドは苦笑いを浮かべ、レストランをクローズの状態にし、扉を閉めしっかりと閂をかけた。


「すみません、マスター。今淹れますよ。……でも、これじゃ今日はお客さんどころじゃないですね。職人街もいつもより静かですし」


 アルフレッドの声は相変わらず落ち着いている。だが、茶を淹れるためにポットを握るその小麦色の手が、微かに震えているのを我は見逃さなかった。

 我の、下僕であり、我が唯一、その料理と茶、そしてその存在を認めた男。その男の手が、魔界の太陽の機嫌ひとつで凍えるなど、あってはならぬことだ。


「……説明するまでもないが、暗黒の太陽のバランスが崩れれば、人間界の火はすべて消える。この街の職人共どころか、世界中の有象無象がもろとも、永遠の氷河期に沈むだろうな」


 我は椅子から立ち上がり、アルフレッドの元へ歩み寄った。カウンター越しに、我はその冷え切った掌を、我の両手で包み込んだ。人間界の軟弱な体温とは違う、魔王の根源たる熱。我の熱が奴の指先に伝わり、小麦色の肌に赤みが戻っていくのを、我は黙って見届ける。


「マスター……?」


「アルフレッド。我がいない間、この店を死守せよ。一分の塵も、一粒の霜も残すな」


「……行くんですか? 魔界へ」


 アルフレッドが、真っ直ぐに我を見つめ返してきた。この臆さぬ瞳が、我は嫌いではない。


「当然だ。我が直々に太陽を躾けてやらねば、収まりがつくまい。……貴様の火力が落ちれば、我の食事が不味くなるからな」


 我は奴の手を離し、窓の外の闇を睨みつけた。正直に言えば、面倒でしかなかった。魔界の玉座など、今やこの椅子の座り心地に比べれば、硬くて冷たいだけの石塊に過ぎぬ。だが、この店を守るためには、我が行かねばならぬのだ。


「……すぐ戻りますか?」


 奴の問いに、我は鼻で笑った。だが、その実、我の胸中には微かな、実に不快で奇妙な感情が芽生えていた。数刻の間とはいえ、この場所を離れるのだ。アルフレッドの淹れる茶も、奴の小麦色の腕が動く様も見られぬ場所へ。それが不愉快だった。


「当然だ。我を誰だと思っている。……だが、そうだな。数刻はかかるかもしれん。アルフレッド、我が戻った時、茶が冷めていたら貴様を下僕から解雇するからな」


「はいはい、わかってますよ。マスターが戻る頃には、とっておきの甘いものを用意しておきますから。……気をつけて」


 アルフレッドの「気をつけて」という言葉が、妙に耳に残った。魔王に向かって、何を。だが、我はそれを不快とは思わなかった。我は黒い炎を纏い、愛する白い壁を抜けて、魔界の深淵へと転移した。


 魔界は、相変わらず騒々しく、そして空虚だった。吠え猛る暗黒の太陽。浮足立つ下等な魔族共。そして、涙目で我を迎えるゼノンの、情けない顔。


「ま、魔王様ぁぁ! 来てくれたんですね!! もう僕、どうしたらいいか分からなくてぇ……!」


「黙れ、ゼノン。我は忙しいのだ。一秒でも早く、あの店に戻らねばならん」


 我は問答無用で魔界の核へと踏み込み、暴走する太陽の首根っこを掴むように、圧倒的な魔力でねじ伏せた。咆哮。衝撃。魔界の大地が震えるたびに、我の頭をよぎるのは、あの路地裏の突き当たりの、小さな店のことばかりだった。あそこには、この不快な硫黄の臭いはない。あそこには、淹れたての紅茶の芳醇な香りと、アルフレッドの穏やかな声がある。


 我は自嘲気味に笑った。魔王たる我としたことが、あのような人間の男に、こうも容易く居場所を与えてしまうとは。


 だが、認めざるを得ない。我がいない間に、あの小麦色の腕が他者のために振るわれることを想像するだけで、腸が煮えくり返る。あの店は、我の聖域だ。アルフレッドは、我の所有物だ。


「……よし、大人しくなったな」


 荒れ狂う太陽を沈黙させた我は、ゼノンのフニャフニャとした報告も聞かずに、再び転移の炎を灯した。もはや、一刻の猶予もなかった。茶が冷める前に。我が寂しさを、完全に自覚してしまう前に。


 扉を開ける。閂など、我が魔力の前では無に等しい。飛び込んだ視界に入ってきたのは、眩いばかりの、一点の曇りもない真っ白な壁だった。


「……ふん。相変わらず、扉の建て付けが悪いな。直しておけ、アルフレッド」


 我は努めて尊大に言い放った。だが、視界の端で、小麦色の腕を捲り上げ、必死に壁を磨いていたアルフレッドの姿を認めた瞬間。我の胸の奥に、すとんと重たい安堵が落ちた。


「おかえりなさい、マスター。早かったですね」


 アルフレッドは、汗を拭いながら笑った。カウンターには、まだ熱を帯びた、フォンダンショコラが乗った皿がある。甘くて、濃密なチョコの香りが、魔界の嫌な臭いを一瞬で消し去った。


「……当然だ。あんな退屈な場所に、長くいてたまるか」


 我は定位置に座り、差し出された菓子を口にした。中から溢れ出す熱いチョコが、我の喉を、そして凍りついていた心を溶かしていく。


「…………美味い」


「よかったです。お茶も今、淹れますよ。……お疲れ様でした」


 アルフレッドが、手際よく茶を淹れる。その無駄のない動き。小麦色の肌の上を、光が滑る。我は茶のカップを両手で包み込んだ。魔王城の冷たい金杯よりも、この安っぽい陶器のカップの方が、ずっと我の手には馴染む。


「アルフレッド」


「なんですか、マスター」


「……魔界は、やはり騒がしくて空虚すぎる。あそこには、この茶の香りも、貴様の焼く菓子の匂いもない」


 我はそっぽを向いて、熱い茶を啜った。正直に言えば、あちらにいる間、我はひどく飢えていた。空腹ではない。この、穏やかで平凡な、白い壁に囲まれた日常にだ。


「我がいない間、寂しかったか?」


 我の問いに、アルフレッドは少しだけ困ったように笑った。


「……そうですね。壁が凍りついていくのを見るのは、一人じゃ心細かったですよ」


「そうか。ならば、もう一人にはさせん」


 我は、茶の温度に隠れて、小さく吐息をついた。寂しいと感じたのは、我の方も同じだった。だが、それをあえて言葉にするのは魔王の矜持が許さない。


「……さて、マスター。元気が出たなら、壁の掃除を手伝ってください。魔王様の炎で、一気にこの湿気飛ばせませんか?」


「貴様……! 我を暖房に使う気か!? 魔王の炎は、世界の敵を焼き尽くすためのものだぞ!」


「ホワイトな職場ですからね。みんなで綺麗にするのが基本ですよ。さ、マスター、そっちの角をお願いします」


 我は不本意ながらも立ち上がり、指先から極小の、温かい炎を出した。アルフレッドの小麦色の腕が届かない、高い場所の湿気を払っていく。アルフレッドは、我を使い走りにすることに、一点の躊躇もない。だが、それがいい。この、我を魔王としてではなく、マスターとして扱うこの場所こそが、我が求めた唯一の城なのだから。


「……ふん。次は、もっとマシな茶を用意しておけよ、アルフレッド」


「はいはい、今度はとびきりの茶葉を仕入れておきますよ。マスター」


 真っ白な壁に囲まれた、路地裏の聖域。魔界の太陽を躾けるよりも、この小麦色の腕を持つ男の機嫌を取る方が、どうやら我にとっては重要な役目であるらしい。我は不敵に、そして満ち足りた気分で、再び茶のカップを口にした。

ここまで読んでくださってありがとうございます!

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