第19話 『冷徹な徴収官と、白き壁の聖域』
連休なので、22日と23日は毎日2話づつ更新予定です。(8時、22時)
よろしくお願いします。
午後の柔らかな光が、真っ白な店の壁に反射して目に眩しい。ランチタイムが終わったあとの『キッチン・ブラン』は、この白さのおかげで、より一層静かに感じる。俺は厨房で、使い込んだフライパンを磨いていた。視界に入る自分の腕は、厨房の熱気と日差しで、また少し小麦色が濃くなった気がする。
ふと窓際を見れば、ディアボロが優雅に足を組み、背もたれに深く身を預けていた。陽光を透かした銀の長髪は、相変わらず手入れが行き届いていて綺麗だ。
「……ふあ。アルフレッド、茶を淹れろ。喉が渇いた」
ディアボロが、長く美しい指先で口元を覆いながら、欠伸混じりに命じてくる。
「はいはい、今淹れますよ。マスター」
俺は苦笑いしながら、手際よく湯を沸かした。茶葉を量る自分の指先が、火まわりの熱で少し火照っているのがわかる。茶を準備していると、店の扉が音もなく開いた。規則正しく、冷徹なほどに迷いのない靴音。
「……相変わらず、ここは気が緩んでいるようですね」
氷のように冷たい声が、白い壁に反響して鋭く響いた。現れたのは、細めの眼鏡をかけた男、ルシウスだ。薄い茶色の髪は一分の乱れもなく整えられ、薄い唇の間からは、魔族特有の鋭い牙がチラリと覗いている。
ルシウスは迷いなく俺のいるカウンターへと歩み寄ってきた。その手には、使い込まれた黒い算盤が握られている。
彼の視線が、カウンターの隅に向けられた。そこには、トマトやタマネギを入れた籠のすぐ隣に、眩い輝きを放つ魔宝石が転がっている。
「……説明を伺いましょうか。アルフレッド、そして魔王様」
ルシウスの声が一段階、温度を下げたのがわかった。
「なぜ、国家予算級だと以前に説明した石が、使いかけの布巾の横に放置されているのですか」
俺は茶をディアボロのテーブルへ運びながら、空いた手で困ったように肩をすくめて見せた。
「放置したわけじゃないんですよ。この前、ギャレットがここに忍び込んできて、これを見せびらかしに来てそれを取り上げたんだ。あいつの手垢で汚れてたから、さっき中性洗剤でピカピカに洗っておいたんですよ。検品してから返そうと思ってね」
「洗った……?」
ルシウスの算盤を持つ手が、ピクリと震えた。
「ええ、油汚れもスッキリです。ね、マスター」
俺が窓際を振り返ると、ディアボロは組んだ足を組み替え、伏せていた真紅の瞳をゆっくりと持ち上げた。
「石の汚れなど、アルフレッドが磨けば十分だ。ルシウス、貴様がいつまでも回収に来ないから、そこに置いてあっただけのこと。文句があるならさっさと持って帰るがいい」
ルシウスは深く、深く溜息をついた。
「中性洗剤で洗う魔宝石。そしてそれを放置する魔王。……頭痛がしてきました」
ルシウスは算盤をパチリと弾いた。
「いいですか、本来なら銀の盆に乗せ、結界を三重に張って運ぶべき代物です。それを、野菜の隣に置くなど……」
「硬いこと言わないでくださいよ、ルシウスさん。無事だったんだからいいでしょう。……ほら、これでも飲んで落ち着いてください」
俺は、ディアボロに出したものと同じ、淹れたての茶をカウンター越しに差し出した。ルシウスは一度、眼鏡の奥の鋭い瞳で俺を射抜いた。
「……不要です。仕事中に口にするほど、私は暇では」
言いかけたルシウスの鼻腔を、茶の香りがくすぐったらしい。彼は一瞬だけ言葉を止め、眉間に皺を寄せたまま、しぶしぶといった様子でカップを手に取った。どうせ一口飲んで文句でも言うつもりだろう。
だが、彼がその薄い唇を茶につけた瞬間。パチリ、とルシウスの動きが止まった。
「…………っ」
眼鏡の奥の瞳が、驚きに見開かれる。氷のようだった表情が、熱い茶の温度に溶かされるように、ほんの少しだけ緩んだ。
「……美味しい。なんですか、この雑味のない香りは。計算が……狂うほどに……」
あんなに冷たかった声が、今は驚きで僅かに震えている。ルシウスは無意識のうちに二口、三口と茶を運び、最後には深く、長い息を吐き出した。
「……ふん。味だけは、一級品ですね。徴収官として認めざるを得ないのが忌々しい」
「だろう? アルフレッドの淹れる茶は格別だ。貴様には勿体ないほどにな」
窓際のディアボロが、自分のことのように誇らしげに鼻を鳴らした。ルシウスは我に返ったように咳払いをすると、手慣れた動作でカウンターの魔宝石を引き寄せ、手元の算盤を叩き始めた。「パチ、パチ」と乾いた音が、静かな店内に心地よく響く。
「……傷なし、魔力の欠損なし。ですが、この不適切な保管状況によるリスク料を、次回の予算から差し引かせていただきます」
「なにっ!? ルシウス、貴様、我にそのような無礼を!」
「無礼なのは管理を怠った方です。ゼノン様がどれほど胃を痛めて石の行方を案じていたか、貴方はご存じないのですか?」
ディアボロが不機嫌そうにそっぽを向くと、ルシウスは算盤を収め、魔宝石を懐にしまい込んだ。
「やれやれ。この店の収支と理屈、算盤を何度弾いても合いませんね」
ルシウスは静かに立ち上がり、最後に一度だけ算盤の珠を力強く弾いた。眼鏡の奥の瞳が、俺とディアボロを交互に射抜く。
「……次は、この茶にふさわしい真っ当な徴収で訪れるとしましょう」
氷のような声を少しだけ和らげて呟き、ルシウスは背筋を伸ばしたまま、静かに店を後にした。
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