第18話 『布巾の従業員ふたたび』
翌日の『キッチン・ブラン』は、昼食のピークを迎えていた。昨夜、ギャレットが残していった魔宝石は、カウンターの隅に無造作に置かれたままだ。だが、そこから立ち昇るどす黒いもやは、昨夜よりも明らかに濃度を増していた。
「……マスター、これ、やっぱりまずいんじゃないですか」
俺は小麦色の腕を忙しなく動かし、大ぶりのエビに衣を付け、次々と油の海へ放り込みながら、隣で皿を並べているディアボロに小声で囁いた。シュワシュワと心地よい揚げ音が厨房に響き、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
「案ずるな。魔界の空気が足りぬゆえ、少々魔宝石が機嫌を損ねているだけだ。放置しておけばそのうち収まる」
「収まる前に、誰かに見つかったらどうするんですか」
「見つかったら見つかったで、我が叩き潰すまでだ。……ふん、これならば魔界の毒海を泳ぐデビルシュリンプを仕入れさせ、メニューにすれば魔宝石も喜んだものを。下僕よ、貴様の腕はそんなにも鈍ったのか!! 揚げ色が薄いぞ!!」
ディアボロが、鋭い爪を立てて俺の小麦色の腕を軽く突いた。俺はフライパンの熱に顔をしかめつつ、即座に応じる。
「はいはい。そんなことしたら保健所に捕まっちゃいますからね。今日のは港で仕入れた大きめの普通のエビですよ。毒海のデビルシュリンプなんて出したら、お客さんが毒で全滅しますよ」
「……ふん。いちいち毒ごときで死ぬとは、人間界の輩はひ弱すぎて話にならぬな」
ディアボロが不満げに鼻を鳴らす。そんな二人のやり取りを遮るように、入り口から聞き覚えのある音が響いた。
ガシャン、ガシャンという、重厚な金属の擦れる音。久しぶりに聞いたその音に俺は顔を上げず、すっと布巾を頭からかぶった。もはや身体が勝手に動く熟練の動作になってしまった。視界は布巾の白い繊維で覆われたが、それで十分だった。視線の端に映ったのは、やはり輝く金色の甲冑を纏った、見覚えがありすぎる大男の姿だ。
「やはりここのレストランは毎回きても落ち着くな、レオナルド」
聖騎士ガイルが、慣れた足取りで店の中央へと進んでくる。その背後には、忠実な部下のレオナルドが控えている。
「左様でございますね、ガイル様。少々風変わりですが、味は確かですから」
「……いらっしゃいませ。お二人様ですか」
布巾をかぶったまま、俺は低く抑えた声で応対した。ガイルはいつもの席に腰を下ろし、怪訝そうにこちらを見る。
「ああ。……相変わらず、変な格好の店員だな。顔を隠して何をしている」
「ええ、伝統ですので。それよりおすすめはエビフライです。今日のは景気のいい大盛りの一皿ですよ」
俺はそっと顔をそらしたが、その時、ガイルがふと鼻をひくつかせた。気づいたらカウンターの隅の魔宝石から、どす黒いもやがガイルの鼻先まで伸びていた。
「……待て。マスター、この石は何だ? 禍々しい気配がするぞ」
ガイルが椅子から立ち上がり、聖剣の柄に手をかけた。レオナルドも即座に反応する。俺は手近にあった『準備中』と書かれた古いうちわをひっ掴み、ガイルの元へ駆け寄った。
「あ、あああああ!! お客様、落ち着いてください!!」
俺は頭から布巾を被ったまま、猛烈な勢いでうちわを振り始めた。
「これ、実は新種のドライアイスなんです!! 魔界風の演出を楽しんでいただこうと思いまして!! ほら、こうして扇げばすぐに消えますから!!」
「な、何を……!? 貴様、布巾を被ったままうちわで扇いで……怪しすぎるぞ!!」
ガイルが顔を背けるが、俺は止まらない。小麦色の腕をフル回転させ、もやを散らしていく。布巾の下で、俺の顔は脂汗でぐちゃぐちゃになった。
「すみません!! でも、こうしないと演出が!!」
バタバタと扇ぐたびに、うちわがガイルの金色の甲冑を掠める。その時、隣から冷ややかなマスターの声が響いた。
「下僕よ。無様な真似はやめろ。騎士の鼻が曲がってしまうではないか」
ディアボロは俺の頭を布巾の上から軽く小突き、俺の手からうちわを奪い取った。そして、そのうちわでガイルのテーブルをわりと雑に扇ぎ始めた。
「騎士よ。我が店で剣を抜くことは許さぬ。その石が気に入らぬなら、その様子を我が見極めるまで見守っていろ」
ディアボロの威圧感に、ガイルは思わず一歩後ずさる。
「……貴公、一体何者だ。やはりただの店主には見えんが」
「ただのレストランの主だ。それより、貴様の料理が冷めてしまうぞ。早く食え」
ディアボロはそう言って、ガイルに見えないよう俺の腰を軽く蹴った。
「下僕。何をしている。茶を淹れてこい。……いや、やはり我が淹れよう。貴様では騎士の舌には合わぬだろうからな」
ディアボロはそう言い捨ててカウンターの内側へ戻った。俺は布巾を被ったまま、深々と頭を下げてその奥の厨房へ逃げ込んだ。レオナルドの鋭い視線を感じるが、もうどうにでもなれという気分だった。
「ふん。変な店だ。だが、これほど腕の立つ店主が、なぜこれほど妙な店員を雇っているのか」
ガイルが吐き捨てるように言い、再び席に着いた。俺は厨房の陰で、小麦色の手を震わせながら、ディアボロが淹れる湯の音を聞いていた。
俺は再び布巾を被ったまま、ディアボロが淹れた茶を運ぶ盆を受け取った。このスリリングな昼休みは、まだ終わらなかった。
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かつての宿敵である魔王と勇者が、なぜか一緒にレストランを営むことになった、少し騒がしくて美味しい日常ファンタジーです。二人の不器用なドタバタ劇を、楽しんでいただけたら嬉しいです!
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次回も極上の一皿をご用意してお待ちしております。これからも『キッチン・ブラン』をよろしくお願いいたします!




