表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元勇者の俺、魔王が経営するレストランで働くことになりました  作者: pakipaki
第1部:魔王と勇者のホワイトな職場
16/23

第16話 『休業日のじゃんぼぱふぇと、中間管理職の胃痛』

 王都の朝は、石畳を叩く馬車の規則正しい音と、あちこちから漂う焼き立てのパンの香りで穏やかに始まる。しかし、職人街の裏路地にひっそりと佇む『キッチン・ブラン』の厨房は、それらとは無縁の静寂に包まれていた。


 今日は看板を裏返し、お店をお休みする日にしている。俺は小麦色の腕をまくって、お気に入りの鍋を丁寧に磨いていた。窓際の特等席では、ディアボロが暇そうに陽光を浴びている。磁器のような白い肌が、窓から差し込む陽光を受けて、いつもより少しだけ透き通って見えた。


「アルフレッド、我は退屈だ」


 ディアボロが長い銀髪を白い指先でいじりながら、不満そうに声を上げた。俺は手を止めずに、柔らかく答える。


「休みの日なんですから、ゆっくりしてくださいね」


「我は常にゆっくりしている。だが、貴様が我の相手をせぬのは耐えがたいのだ」


 喉を鳴らすような低い声。俺は溜息をつき、磨いていた鍋を置いた。


「……分かりましたよ。何か甘いものでも作りますから。ちょうど、いい苺が入ってるんですよ」


 その言葉を聞いた瞬間、ディアボロの目が猫のように細められた。磁器のような頬が、わずかに緩む。


「ふん。貴様がそこまで言うなら、食べてやらぬこともない」


 素直じゃないのは、いつものことだ。俺は冷蔵庫から、冷やしておいた大きなガラスの器を取り出した。小麦色の腕を動かし、生クリームを泡立てる。厨房内にカシャカシャと小気味よい音が響く。


 そこに真っ赤な苺と、自家製のアイスをこれでもかと積み上げていく。名付けて、じゃんぼぱふぇだ。ディアボロはその作る様子を、まるで魔法の儀式でも見るような目で見つめていた。パフェが完成し、ディアボロの前に置く。山のようなクリームに、彼は白い指先で長いスプーンを差し込んだ。


「……これは、芸術的だな」


 一口食べて、ディアボロは満足げに喉を鳴らす。深紅の瞳を細め、至福に浸っているようだ。俺はこのまま静かに、休日が過ぎていくのだと思っていた。


 だが、その平和を破る音が、裏口から響いた。コン、コン、コンと、扉が規則正しく、けれど力なく叩かれる。


「……魔王様、すみません。開けていただけますか。ボク、限界です……」


 聞き覚えのない、けれど疲労感に満ちた男の声だ。俺が驚いて扉を開けると、そこには灰色がかった黒髪の若い男が、前屈みになって立っていた。ビシッとした貴族風の服を着ているが、前髪は乱れ、目の下には深いクマができている。


「なんだ、ゼノンか。珍しいな、こんな時間に」


 ディアボロがパフェを口に運んだまま、冷たく言い放つ。どうやら知り合いらしい。ゼノンと呼ばれた青年は、店内に入るなり、俺の目の前でゆっくりと膝をつき、そのまま床に両手をついた。


「……胃が、痛い。もう、無理です……」


「え、ちょっと、大丈夫ですか!?」


 俺は慌ててゼノンの肩を支えようとしたが、彼はそのまま床にべちゃりと広がり始めた。まるで、固形物が液体になるように、ゼノンの体の輪郭がぼやけていく。


「あ、溶けてます……完全に溶けてますね……。すみません、アルフレッドさん。床、汚しちゃって……」


「溶けるって、何が!? マスター、これ一体!?」


 俺が振り返ると、ディアボロは呆れたように溜息を吐いた。


「我が影だ。あやつは特異体質でな。ストレスが限界に達すると、ああやって物理的に溶ける。厄介な性質だが、本人の意思では止められん。放っておけば、そのうち元に戻る」


「放っておくって……。ゼノンさん、とりあえずそこの椅子に座ってください。いや、座れないか。えっと……」


 俺が困惑していると、裏口の扉が再び開いた。今度は、細めの眼鏡をかけた理知的な風貌の男が、静かに、しかし威圧的な空気を纏って入ってきた。手にした鉄の算盤を、パチンと鳴らす。


「お休み中に失礼します。私は魔界の会計徴収官のルシウスと申します。ゼノン、精算の時間です」


 ルシウスと名乗った男の声は、氷のように冷たかった。彼は床に溶けているゼノンを見下ろし、眼鏡の奥の鋭い瞳を細めた。


「ゼノン。宝物庫から魔宝石が消えました。鍵の管理記録を確認したところ、あなたが最後に開錠した記録が残っています。この損失、どう説明するつもりですか」


「……ボクは、やってません」


 床に広がったまま、ゼノンが弱々しく答えた。


「記録書は完璧に整理して、ルシウスさんに提出しました。鍵も、規定通り返却しました。ボク、書類仕事だけは……絶対にミスしません……」


「記録に不備はありませんでした。ですが、状況証拠はあなたを指しています。あなた以外に、あの宝物庫を開けられる者はいない」


 ルシウスが算盤を構え、ゼノンに一歩近づく。その瞬間、俺の小麦色の腕が自然と前に出ていた。気づけば、ゼノンをかばうように立ち、ルシウスの算盤を片手で力を込めて掴んでいた。


「待ってください。ルシウスさん、あんたの言う証拠ってのは、状況証拠だけでしょう。この人が犯人だっていう決定的な証拠はあるんですか」


 ルシウスの視線が、俺に向いた。


「……勇者の生き残りが、何の用です。これは魔界の内部問題だ」


「この店で起きてることは、俺にとっても問題ですよ。それに、この人を見てください」


 俺は床に溶けているゼノンを指差した。


「宝石を盗むような余裕がある人間が、こんな風に溶けますか? この人、相当追い詰められてますよ。もしかしたら誰かに罪を着せられてるんじゃないですか」


 ルシウスが眼鏡を指で押し上げる。彼の表情に、わずかな動揺が走った。


「……確かに、ゼノンの特異体質は把握しています。ストレスで溶けること自体は珍しくありませんが、今回は度が過ぎている。ふむ……」


 ルシウスは算盤をパチパチと弾き始めた。数秒の沈黙の後、彼は小さく舌打ちをした。


「……再調査します。もし、ゼノン以外の者が関与していた場合、その者には相応の処罰を下します。ゼノン、今回は保留だ。ただし、次に何か問題が起きたら、容赦しませんよ」


「……はい。ありがとうございます、ルシウスさん……」


 床に広がったまま、ゼノンが力なく答えた。ルシウスは背筋を伸ばしたまま、静かに店を後にした。扉が閉まった瞬間、ゼノンの体が少しずつ人の形を取り戻し始めた。


「……助かりました、アルフレッドさん。ボク、本当に何もやってないんです。でも、誰も信じてくれなくて……胃が……」


 ゼノンは椅子に座り込み、両手で腹部を押さえた。その顔は青白く、今にも倒れそうだった。俺は溜息をつき調理場へ戻った。


「とりあえず、何か食べてください。胃に優しいものを作りますから」


 俺はディアボロに出したのと同じじゃんぼぱふぇを作り始めた。ただし、ゼノン用には生クリームを控えめにし、苺の酸味も抑える。胃に負担をかけないよう、優しい甘さに調整した。


「ほら、これを食べて落ち着いてください」


 ゼノンの前に、パフェを置く。ゼノンはそれを見た瞬間、目の下のクマが少しだけ薄くなったような気がした。


「……これ、ボクが食べていいんですか?」


「もちろんですよ。相当疲れてるでしょう。甘いもの食べて、少し休んでください」


「……ありがとうございます。ボク、生きててよかった……」


 ゼノンがスプーンを手に取り、恐る恐る一口食べた。その瞬間、彼の表情が劇的に変わった。目を見開き、スプーンを持つ手が震える。


「……美味しい。胃に、優しい……。痛くない。こんなの、初めてです……」


 ゼノンは静かに、しかし確実に涙を流しながら、パフェを食べ続けた。その様子を見ていた俺は、少しだけ胸が痛んだ。この人、どれだけ追い詰められていたんだろう。ふと、その時。背後から凍りつくような視線を感じた。振り返ると、ディアボロが、食べかけのパフェを前にして、ひどく不機嫌な顔をしていた。


「……アルフレッド」


 低い、地を這うような声。


「我と同じものを、なぜあやつに与えた」


 ディアボロは、パフェを食べるのを止めて、ゼノンと俺を交互に睨みつけていた。


「いいじゃないですか。この人も災難だったんですから」


「我は、貴様が我だけのために作ったと思っていたのだ」


 ディアボロが、寂しそうに視線を逸らした。その横顔には、いつもの余裕が消えていた。俺は、困ったように頭を掻いた。


「……マスターのは、一番大きい苺を三つも乗せておいたんですよ。ゼノンさんのは、胃に優しいように酸味を抑えてますから、味も全然違います。どっちも特別製ですけど、マスターのは別格です」


 ディアボロが、ハッとしたようにこちらを見た。


「……本当か?」


「ええ。クリームの量も、マスターの方が多いですよ」


 俺の手が、ディアボロの磁器のような頬に触れた。温かい俺の手に若干擦り寄ってきたディアボロは、ぐるぐると喉を鳴らした。


「……ふん、当然だな。我が一番でなくては困る」


 そう言って、ディアボロは再びスプーンを手に取った。その顔には、満足げな表情が戻っていた。


「ゼノン。パフェを食ったら、さっさと魔界へ戻れ。我が不在の間、貴様がしっかりと仕事をせねば、魔界は回らぬぞ」


「……はい、陛下。ボク、頑張ります。書類だけは、完璧に仕上げますから……」


 ゼノンは力なく答えたが、その手はしっかりとスプーンを握りしめていた。パフェを食べ終えた彼は、少しだけ血色が良くなり、前屈みだった背筋が少しだけ伸びていた。


「アルフレッドさん、本当にありがとうございました。……この味、忘れません。ボク、また胃が痛くなったら、ここに来てもいいですか」


「もちろんですよ。いつでも来てください。胃に優しい料理、作りますから」


 俺がそう言うと、ゼノンは初めて、本当に心からの笑顔を見せた。


「……ボク、魔界に戻ります。書類が山積みなんです。でも、今日は頑張れそうです」


 ゼノンは漆黒の杖を拾い上げ、少しだけしっかりとした足取りで店を後にした。扉が閉まった後、俺は小麦色の腕を動かして、汚れた器を洗い始めた。


「……マスター、ゼノンさん、相当大変そうでしたね」


「あやつは有能だ。……だからこそ、我はあやつに全てを任せてしまう。我が人間界でパフェを食っている間も、あやつは魔界で書類の山と格闘しているのだろうな」


 ディアボロが、珍しく自嘲気味に笑った。


「……我も、たまにはあやつの胃を労わるべきか。アルフレッド、次にゼノンが来た時は、貴様の料理で癒してやれ。我の代わりにな」


「はいはい、わかってますよ」


 俺は笑いながら、カウンターを拭いた。悪くない休日だ、と俺は心の中でそっと呟いた。窓の外では、陽光が穏やかに差し込み、真っ白な壁を優しく照らしていた。

ここまで読んでくださってありがとうございます!

よかったらブクマで応援していただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ