第13話 『小麦色の腕と、週一の光る新入り』
職人街の喧騒から少し離れた『キッチン・ブラン』の重厚な扉を、誰かが遠慮がちにコンコン、と叩いた。
アルフレッドが「はい、どうぞ」と声をかけるより早く、扉がゆっくりと開き、一人の少女が背筋をピンと伸ばして入ってきた。
そこに立っていたのは、黄金色の髪を高い位置できっちり二つに結んだ少女だった。左右に揺れるツインテールは、彼女の規則正しい歩き方に合わせて、メトロノームみたいに正確に揺れている。
顔には知的な金縁の眼鏡をかけていて、その奥にある瞳は、店内の掃除が行き届いているか厳しくチェックでもしているみたいに、あちこちせわしなく動いていた。
「失礼いたしますわ。こちらで、掃除の……あっ」
彼女は挨拶の途中で、入り口の小さな段差をわざわざ大袈裟に跨ごうとして、逆に足をもつれさせた。
声を出す暇もなく、勢い余って前につんのめった彼女の鼻先から、金縁眼鏡がずり落ちる。
彼女は真っ赤な顔をして、慌てて眼鏡を押し戻し、何事もなかったかのように再び背筋を伸ばした。
「失礼いたしますわ。私、……レンと申しますの。こちらで働かせていただきたく、参りましたわ」
彼女の声は凛としているけれど、どこか緊張で震えているのが分かった。
カウンターの奥では、ディアボロが磨き上げたグラスを光にかざしながら、ルビーのような瞳を彼女に向けていた。月光を浴びたみたいな彼の銀髪がさらりと肩に流れ、磁器のように白い肌が店内の薄明かりの中で冷たく光っている。
「……なんだ、その不快な塊は。我が城の静寂を乱すどころか、隅々まで品定めに来たのか。はっきりさせてもらおうか」
ディアボロは冷ややかな笑みを浮かべて、グラスをそっと置き、不機嫌そうにカウンターを人差し指でトントンと叩きながら、彼女を観察する。
だが、アルフレッドには分かっていた。マスターの視線は、彼女が着ている、つぎはぎだらけだが一点の汚れもない真っ白なエプロンドレスに釘付けだ。
彼は表向きは厳しいけれど、こういう清潔さに妥協しない相手には意外と甘いところがある。
「まあ待ってくださいよ、マスター。ちょうど掃除を手伝ってくれる人を探していたところでしょう? レンさん、と言ったかな。そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ」
アルフレッドは厨房の台を拭いていた手を止め、彼女の前に歩み寄った。
近くで見ると、金縁眼鏡の奥の瞳が、アルフレッドの腕の筋肉をじーっと見つめていた。まるで何か珍しい生き物でも見るみたいに瞬きを繰り返す彼女を見て、アルフレッドは面白い子だな、と思った。
「あ、アルフ……いえ、料理人様。私のような者に気遣ってくださるなんて。……私に出来ることといえば、ただこの箒……も、森で拾ったただの枝を束ねた道具で、皆様の足元の汚れを払うことぐらいしかできませんわ」
彼女は背負っていた古びた箒を、宝物でも扱うみたいに大切に抱えて差し出した。
その拍子に箒の柄がカウンターのメニュー表に当たり、バタンと床にはたき落としてしまった。
ディアボロは、その箒から漂う清々しい気配を敏感に感じ取ったみたいだったが、彼女の不器用な様子を見て、ルビーの瞳をわずかに細めた。
「ふん。貴様のような騒がしく、危なっかしい小娘を雇って、我が城が騒々しい空気になったらどう責任を取るつもりだ、アルフレッド」
「大丈夫ですよ、マスター。彼女の目を見てくださいよ。一生懸命な気持ちが伝わってきます。俺がしっかり教えますから」
アルフレッドがそう言うと、彼女は嬉しそうに胸を張り、眼鏡を指でキリッと押し上げ、勝ち誇ったような顔をした。
「レンさん、君は住み込みを希望しているのかい?」
アルフレッドが問いかけると、彼女は慌てて首を振った。
「いいえ! 私は……週に一度だけ、こちらへ通わせていただきたいのですわ! それ以外の日は、皆様に忌まわしい姿をお見せするわけには参りませんの!」
「週に一度だと? 貴様、我が城を腰掛け程度に考えているのか。我を愚弄しているとしか思えぬがな」
ディアボロが身を乗り出して、人差し指で彼女の顎をクイッと持ち上げた。
いつもの、人を寄せ付けないような魔王の威圧だ。
だが、彼女は眉間に皺を寄せ、金縁眼鏡の奥で視線を泳がせながらも、しっかりとした声で言葉を返した。
「そ、そうなのですわ! 私は……特定の曜日を除く六日間、聖女……いえ、恐ろしい呪いによって全身が眩しく発光し続けてしまう体質なのです! 光が収まる一日だけ、私はこの店で平穏な静寂に仕えたいのですわ!!」
「……全身が発光し続ける呪いだと?」
ディアボロが意外そうに眉を跳ね上げた。
アルフレッドは横で話を聞きながら、思わず自分の手のひらを見つめてしまった。
六日間も光り続けて、誰にも会えない不自由さを、彼女はどれほどの思いで耐えてきたんだろうか。
アルフレッドは、彼女がそんな話を一生懸命にしているのを聞くと、嘘をついているようには思えなかった。
「マスター、いいじゃないですか。週に六日も光り続けているなんて、相当な苦労ですよ。その一日をうちで過ごすことで、彼女の心が少しでも休まるなら、俺は歓迎したいです」
「……ほう、六日間も発光し続け、一日だけ沈黙する呪いか。ふん、貴様の存在そのものが五月蝿い閃光のようで鬱陶しいが。そもそも我は、常に発光する魔導灯のような女を側に置く趣味などない」
ディアボロは冷たく言い放ったが、その瞳の奥には、面白そうなやつを見つけた時の光が宿っていた。
「良かろう。アルフレッド、貴様がそこまで言うのであれば、この不器用な小娘を週一の掃除係として置いてやる。ただし、営業が終われば即座に立ち去れ」
「ありがとうございますわ!! オーナー、そして料理人様! 誠実に、かつ慎重に、備品を壊さないよう勤めさせていただきます!」
こうして、金縁眼鏡をかけた新人メイド、レンとしての週一通い生活が始まった。
彼女の仕事ぶりは本物だった。箒を手にした瞬間、彼女の周りの空気が急に凛として、隅々の埃が嘘みたいに消えていく。
ただ、たまに気合が入りすぎて、棚の裏まで掃除しようとして箒を突っ込み、自分で棚をガタガタさせて驚いているのが欠点だった。
「ここです! 汚れが溜まっています! 消えなさい、埃よ! あっ、また棚の角に肘を!」
彼女が賑やかに、たまに自分の不器用さに悶絶しながら掃除を進めるたびに、店全体がどんどん綺麗になっていく。
その様子をディアボロはカウンターで頬杖をつきながら、面白そうに眺めていた。
「ふん。あの箒、ただの道具ではないな。貴様、どこでそれを手に入れた。あんなに汚れが落ちる枝は、滅多にお目にかかれるものではないぞ」
「……これは、その辺の森で拾った、ただの枝ですわ! オーナーこそ、先程から喉を鳴らして、猫のようにくつろいでいらっしゃるのではありませんか!?」
「なっ。貴様、我を猫などと呼ぶか! これは喉の筋肉の鍛錬だ! アルフレッド、この失礼な小娘を今すぐ叩き出せ!!」
「まあまあ、マスター。本当にお店が綺麗になりましたよ。レンさん、すごい技術だね。お礼に、今日のまかないは特製のポトフにするよ。市場でいいカブが手に入ったんだ」
アルフレッドは厨房に戻って、逞しい腕を振るって野菜を切り分けた。大きなカブと肉厚なベーコンを、じっくりとスープで煮込む。
完成した熱々の皿を、彼女の前に置いた。
「わあ、おいしいですわ! なんて、なんて優しい味なのでしょう! カブが口の中でとろけて、もう……」
彼女は一口食べるなり、眼鏡の奥に涙を溜めて、本当に幸せそうな顔をしてくれた。その一生懸命な反応を見ていると、なんだかこっちまで嬉しくなる。
「だろう? うちのアルフレッドの腕は、我の胃袋を完全に掌握しているからな。貴様のような新米には勿体ない味だ」
ディアボロが横から口を挟むが、彼自身も、アルフレッドが淹れた紅茶を満足そうに啜っている。
磁器のように白い肌の魔王と、それを支えるアルフレッドの小麦色の腕。
そこに加わった、光の呪いを持つ真面目すぎる女の子。
「私、毎週来ますわ! 光に呑まれない限り、必ず、毎週来ますから!」
彼女はツインテールを揺らして、一礼しようとして眼鏡を再びずらしながらも、強い決意を口にした。
それを見送るディアボロのルビーの瞳も、どこか楽しそうに見えた。
「ふん。来なければ呪いで光り輝くのだろう。面倒なことだ。仕事が終われば、とっとと自分の家へ帰るがいい。……それに貴様のその髪、騒がしすぎるゆえ帰り道もあまり振り回すな」
週に一度の、新しい仲間。彼女の本当の姿に二人が気づくのは、もう少し先のことになるだろう。
職人街の夜は、今日も穏やかに更けていく。
賑やかになった店で、アルフレッドはまた新しい料理を作るのが楽しみになっていた。
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