第2話 疑惑の真相
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半年前、この地方に赴任した貴族学校の教師がジャン•モンタルド男爵だった。王都から北方の辺鄙な地方へ、いわば都落ちを経験したからなのか、モンタルド男爵はちょっと塞ぎ込んでいるように見えた。わたしは貴族学校卒業後、新米教師として教鞭を取っていた。
モンタルド男爵は同僚の教師となじめないようで、教師の輪から外れてぽつんと一人でいることがあった。そのことで陰口を叩かれた。
わたしは声をかけずにはいられなかった。
「あのー、よかったら一緒にお茶しません?」
昼食後のひと時の休息時間。
断られると思ったけど、モンタルド男爵は笑顔で返事した。
「喜んで!」
その豹変ぶりに驚いたけど、嬉しかった。
もしかして、わたしに気があるのかしらと勘ぐったけど、そんなわけないわ。ちょっと前まで貴族学校の生徒だったわたしに、年配の先生が気を遣ってくれてるんだと思った。モンタルド男爵の年齢は四十歳。わたしより十八歳も上だ。でも、整った顔をしていた。若いころはさぞかしモテたと思う。
「君と会うと懐かしい気持ちになるんだ……」
「あら先生、誰が聞いてるかわかりませんよ。学校では噂話の種になるような言動は慎むようにいたしましょう」
「あっ、そうだね。ごめん」
モンタルド男爵は肩をすくめた。そのしぐさは、生真面目な外見と違って妙に可愛らしいものだった。わたしは好感をもった。
それ以来、昼食後の昼休みにモンタルド男爵の机に椅子を近づけて、甘い菓子と紅茶を一緒にいただくのが習慣になった。ほかの先生たちがやっかんでも、わたしは気にしなかった。モンタルド男爵は、ちょっと気にしてたみたいだけど。
先輩の女教師からは
「まわりの空気を乱さないようにしなさい」
と注意された。
行き遅れのおばさんの言葉など知ったことじゃない。学生時代も校則は嫌いだったなー。今も学生気分が抜けていないのね。
ある日、モンタルド男爵が校長室から出て来てブツブツ呟いていた。わたしは背中越しに声をかけた。
「どうかしたのですか?」
「あっ、ロレンツィ先生。困りました。住むところがなくなったのです」
「えっ」
モンタルド男爵は貴族学校の旧校舎内に住んでいた。古民家を改造した今にも倒れそうな建物だった。それが近々取り壊されることになったという。
モンタルド男爵は頭をかかえた。この地方には知り合いがいないので途方に暮れていた。校長先生は自分の屋敷に居候したらと提案したけど、断ったらしい。
「なぜです? せっかくのいいお話なのに」
「……僕はあの校長先生が苦手です。加齢臭がきつい、口が臭い」
プッ。
キャハハハ──!
わたしは腹がにじれるほど笑った。目尻から涙がこぼれた。
モンタルド男爵はわたしが普段思ってることを代弁したのだ。わたしと同じ感性を持ってるじゃない。好感度が爆上がりね。
わたしの笑い声を不快を思ったのか、モンタルド男爵はムスッとした。
「僕にとっては切実なんです」
「……わたしの家のゲストハウスを使いますか? 田舎貴族の家なので狭いですが」
ガシッ。
いきなり右手を両手で握られた。
「お願いします! 私に家を貸してください」
「わかりました。両親に話してみます」
あれっ?
そんなに簡単に決めていいのかな。わたしなら職場までの距離、部屋の広さ、日当たり、近くに住む人々を確認してからじゃないと決められないけど、モンタルド男爵は即断した。
わたしの家は貴族といっても、そのルーツはこの地方の豪族にすぎない。王がこの地方の豪族たちを懐柔するために貴族の称号を与えたのだ。
だから、貴族学校創設の折は王都から貴族の教師を呼び寄せて教育、礼儀作法を学んだ。年月が経って今ではほぼ地元出身の教師でまかなうようになったけど。
モンタルド男爵は久しぶりの王都からの教師であった。だから注目を浴びた。田舎では王都は憧れだ。モンタルド男爵に王都の風を感じた女生徒は、何かと理由をつけて話しかけたりしていた。
「先生、結婚してるんですか?」
「はい。しています」
「えええー、残念です」
結婚していると知って女生徒はがっかりした様子だった。わたしは最初から既婚者だと知っていたのでショックはない。彼を愛する奥様がどんな女ひとなのかは、ちょっと気にはなったけど。
男爵の爵位は、最近お父様がお亡くなりになって引き継いだそうだ。こんな地方に来る爵位持ちの先生は珍しかった。前職は貴族院のお仕事をしていたらしいけど、特例で教師になったらしい。
「ロレンツィ子爵。このたびのご厚意、感謝いたします」
モンタルド男爵は、わたしの両親に面会すると、王都の貴族らしい作法で父スパーノ•ロレンツィ子爵を感激させた。母のラーラも気に入ったようだ。
「君がモンタルド男爵か、娘から聞いているぞ。なるほど噂にたがわぬ“いい男”だ。娘が気にするわけだ」
「お父様!」
わたしは慌てた。
父は何でも率直に口に出す。そこが田舎貴族なのよ。
それに、わたしがモンタルド男爵に気があるように思われるわ。そんなの困る。
モンタルド男爵は悩みの住居問題が解決したので、爽やかな表情だった。
「長い間放逐していた小さな家だが、下僕たちに大掃除をさせた。不便があったらなんでも言ってくれ」
父スパーノと母ラーラ、そして五つ下の妹ジルダと顔合わせが終わった。家族の評判はすこぶる良かった。
「あの人感じのいい人ねー。渋くて丁寧でなんたってハンサムよね、気に入ったわ」
面食いのジルダが言った。
「あらあら、うちの娘は二人ともあの人がお気に入りなのね。既婚者だから変な関係にならないでね」
と母は冗談を言った。
ハハハ、そんなことありえないのに。わたしより倍近い年齢の男性を好きになることなんてありえない。若く見えるといっても、四十歳の叔父様じゃないの。
住居が隣同士になったことで、わたしとモンタルド男爵はいつも一緒に行動するようになった。
朝晩の食事、通勤の箱馬車、そして職場の貴族学校、常に同行した。ある意味、家族よりも一緒にいる時間が長かった。
密接な時間が増えるとお互いのことを自然と話すようになった。モンタルド男爵は地方の文化に興味があって、この地独特の風土のことをあれこれ聞かれた。
「昔は仮面をつけた火祭が盛んだったけど、いつしかその風習もなくなりましたね。王都の文化が入って人々の意識も変わりました」
「残念です。僕はこの地方の人の素朴さが大好きなんです。先進的な王都の文化に毒されないでいてほしいですね」
「毒されていますか? 確かに表面的にはそうですけど、民族のアイデンティティは残っています」
「民族のアイデンティティ?」
「はい。刑罰に関することは法律ではなく【族長会議】で決定するのです」
「この地では石打ちの刑もあるそうですね。王都の貴族院で刑罰が残酷だと問題になったこともありました」
「はい。殺人は石打ちの刑で公開処刑。不倫は男は睾丸、女は舌を切除されます。これが北方地域の習わしです。野蛮と言われても仕方ありません」
「ロレンツィ先生、そんな悲しい顔をしないでください。僕は気にしてないです。むしろ古き掟を守るこの地方の伝統に感服しました。それでこの地域の犯罪が極端に少ないのですね」
理解してくれた。わたしは胸をなでおろした。
ロレンツィ先生か……
他人行儀すぎるよ。
いつか、ネレーアと呼んでくれるかな?
しばらくして、王都からモンタルド男爵の奥様ジャーダがやって来た。わたしと男爵は乗り合い馬車の停留所で到着を待った。
箱馬車から降りてきたのは、何とも可愛らしい女性だった。わたしより十歳年上だけど、とても若々しくてはつらつとしていた。
モンタルド男爵とジャーダはお似合いのカップルに見えた。
ジャーダとわたしはすぐに仲良くなった。彼女はわたしが肌の炎症に悩んでることを知ると、王都から持ってきた薬の軟膏を分けてくれた。感謝感激だわ!
彼女はわたしに対する警戒心がまったくなかった。開けっぴろげで誰とも仲良くなれる性格だった。わたしがモンタルド男爵に“好意”を持ってることは、絶対に知られてはいけない。
母ラーラとモンタルド男爵がときおり一緒に散歩するようになった。
朝食後、屋敷裏の池のまわりを一周するのが日課になった。二人で喋ってる姿は遠目でもとても楽しそうだった。
わたしは思い悩んだあげく、父に告げ口した。
あー、ヤダヤダ。告げ口するなんて最低な人間だ。
「かまわん、かまわん。隣人と仲良くなって何が不都合なんだ?」
「お母様のこと心配じゃないの?」
「心配? わしは今度ジャーダとデートするのでそのことで頭が一杯なんだ」
「お父様!」
「怖い顔するなよ。大人の付き合いってやつだよ」
大人って“夫婦交換”してデートするの?
いやらしく思うのは、わたしの人生経験が浅いせいかしら。頭がクラクラする。
翌日、父はジャーダと箱馬車に乗って町に出かけた。
わたしはいつものように貴族学校にモンタルド男爵と出かけた。
箱馬車に揺られながら考えを巡らせた。やはりここは釘を差したほうがいいかも知れない。
「お母様との朝の散歩は日課になりましたね」
とやんわり探りを入れた。
「ネレーアのお母様、ラーラとお話するのが楽しいです」
あら、ネレーアって呼んでくれた。
これまでのロレンツィ先生と比べて、なんて耳障りのいい言葉かしら。
わたしとモンタルド男爵との垣根が取り除かれたような気がした。胸の奥のモヤモヤが消え去った。
その後、貴族学校でわたしとモンタルド男爵の仲がちょっとした噂になった。
どうやらモンタルド男爵に恋した女生徒が流したもよう。犯人を特定したので叱ろうと思ったら、モンタルド男爵が止めた。
「やめましょう。ほっとけば噂は消え去ります」
「でもモンタルド男爵の名誉に関わることですよ」
「わたしがネレーアを好きなのは事実ですから」
「……」
わたしは周りを見渡した。昼食後、校舎の中庭のベンチに座ってお話していたけど、近くに生徒はいなかった。胸をなでおろした。
「わたしのことが好きなんですか?」
「大好きです」
もしかして本命はお母様ではなくわたしってこと?
そんなことって……
わたしは目をパチクリさせた。
「あなたはとても可愛い。可愛くて食べたくなるほどです」
モンタルド男爵の顔が迫る。
心臓の鼓動が激しくなった。
──耳元で囁かれた。
「ジャーダは教会の手伝いで一晩留守にします。今夜家に泊まりに来ませんか。朝まで語り合いたいですね」
信心深いジャーダは教会ボランティアの仕事が生きがいで、この地でも教会にあしげく通って働いていた。
そうか、奥様のジャーダは留守か……
「わかりました。今晩お伺いいたします」
わたしは覚悟を決めた。
「お嬢様、こんな夜分にお出かけになるのですか?」
こっそり玄関から外に出ようとしたら背中越しに声をかけられた。振り向くと、侍女のベルタがいた。右手に持った燭台のローソクの炎が妖しく揺れた。
「モンタルド男爵に明日の授業のことでご相談を……」
「そうでございますか。では玄関の戸締まりはいたしませんので、お戻りになったら鍵を閉めてください」
そう言って背中を向けて行ってしまった。
ベルタは苦手だ。もともと彼女は貴族出身の三女で、わたしに対して子どもの頃から厳しかった。しつけと言われればそうなんだけど、もう少しやさしくしてもいいのに。
朝やけとともに、モンタルド男爵の家から出た。
しめしめ誰もいない。庭先ではスズメがチュンチュン鳴いていた。朝帰りを知ってるのは小鳥だけね。
本宅の玄関ドアを開けると、ばったりベルタと鉢合わせした。
「お嬢様、おはようございます」
もー嫌!!




