桜の小径と迷子の影
春の庭を抜けたユメは、次第に桜の木々が並ぶ小道へと足を進めた。
桜の花は今、満開の時期を迎えており、淡いピンク色の花びらが風に揺れながら、ふわりふわりと舞い落ちていく。
空気に溶け込んだ甘い香りと、ほのかな湿気がユメの鼻をくすぐり、心地よい春の気配に包まれていた。
地面には花びらがじゅうたんのように敷き詰められ、その上を歩くたびに、足元で柔らかく揺れる音が聞こえた。
まるで、歩くたびに地面が軽やかなリズムを刻んでいるかのようだった。
「わあ……きれい……」
ユメは目を大きく見開き、思わず声を漏らした。
花びらが風に乗って踊り、太陽の光を浴びて、まるで小道全体が光と色の海に包まれているかのように感じられる。
尾をふわりと揺らすと、そのリズムに合わせて花びらが舞い、光が揺れる。
ユメは、まるで自分自身も桜の一部になったような気持ちになった。
歩きながら、ふと視界の隅で何か小さな影が動くのが見えた。
その影はひっそりとした動きで、まるでユメを見ているかのようにこちらをじっと見つめていた。
影の輪郭はまだ不鮮明で、淡い光に溶けるように動いている。
ユメよりも少し小さな猫の形をしているが、尾が短く、目もはっきりと見ることができなかった。
「……あの子、迷子かな?」
ユメは足を止め、その影を見つめた。
影は急に動きを止め、すっと小さく丸まって身を隠すように見えた。
その様子から、どうやらユメのことを警戒しているようだった。
ユメはそのまま、静かに影に近づいていった。
「大丈夫だよ、怖くないから」
ユメは尾を優しく揺らし、声をかけた。
その声はできるだけ穏やかに、そして優しく響くように意識した。
影の猫は小さく震えて、しばらく動かなかったが、少しずつ姿を現し始める。
灰色の毛並みには、舞い落ちた桜の花びらがひとひらと乗り、その姿はまるで春の小さな精霊のように見えた。
「ぼく……どこに行けばいいかわからないんだ」
影の猫が小さな声で呟く。ユメはその声に柔らかく耳を傾け、尾を揺らして静かに答えた。
「大丈夫、一緒に道を探そう」
影の猫は、少し安心したように、尾を小さく揺らした。
その仕草に、ユメも心の中でほっと息をついた。
二匹は並んで小道を歩き始める。
桜の花びらが風に乗って二匹の間に舞い、軽やかに光と影が重なり合う。
歩きながら、ユメはふと思いついて影の猫に尋ねた。
「君、名前はあるの?」
影の猫は少し恥ずかしそうに首をかしげる。
「……まだないんだ」
その返事に、ユメはにっこりと微笑んで、尾を高く揺らした。
「じゃあ、私が名前をつけてあげるよ。春の精霊みたいだから……『ハル』ってどう?」
影の猫は驚いたように目を大きく見開き、そして小さく尾を揺らした。
微かに笑みを浮かべながら、答えた。
「……うん、『ハル』。いい名前だね」
名前をもらったハルは、少しずつ自分の足で歩く勇気を出し始めた。
ユメは尾を大きく揺らして、道の先に見える小さな橋や、石畳の道を指し示す。
桜の花びらが舞い、風の中で二匹を包み込んでいるように感じられた。
「ほら、あの光を目指そう」
ユメは優しく声をかけた。
ハルは少し怖がっていたが、ユメの明るい言葉に安心したように、ゆっくりと歩き始めた。
二匹の間に舞う桜の花びらが、光に反射して揺れ動く。
それはまるで、二匹を導くようにリズムを作っていた。
歩きながら、二匹はお互いのことを少しずつ話し始める。
ユメは自分が迷子猫であること、そして春の庭を抜けて、四季を巡る冒険に出ることを語った。
ハルも、今まで見てきた夢の世界のこと、迷子になってしまったことの不安や孤独を打ち明けた。
「怖いこともあるけど、ユメがいると楽しいね」
ハルは尾を揺らして、にっこりと笑った。ユ
メもその言葉に微笑み返し、尾を揺らしながら応えた。
小径に舞い散る花びらが、二匹の友情を祝福するかのように、光を反射しながら舞い踊った。
やがて、小道の終わりに広い草原が広がっているのが見えた。
草原には、春の光が全体を包み込み、二匹の影が長く伸びていた。
桜の花びらはもう舞い散っていなかったが、代わりに春の香りが空気を満たし、心地よい風が吹いていた。
「これからも一緒に冒険をしようね、ハル」
ユメは尾を高く上げて言った。その目には、確かな決意が宿っていた。
「うん、ユメと一緒なら、どんな迷子も怖くない」
ユメは微笑みながら、ハルの頭を軽くなでる。
その手のひらに感じた温もりは、夢の世界の不確かさの中でも、確かなものとして二匹の心を結びつけていた。
二匹は、桜の花びらに包まれた小道を抜け、春の光に導かれて歩き続ける。
花びらが舞い落ち、二匹の尾が揺れるたびに、夢の世界は少しずつ色を変えていく。
迷子だった影の猫は、名前をもらい、そして友達を得たことで、少しずつ自分の居場所を見つけ始めていた。
春の小径を進むその足取りは、もう一度迷子になることのないように、確かなものになっていたのだった。




