第50話「カラメル色の思い出」
暖かい焚き火の炎にあたりながら、まきぽんは夢を見ています。
そこに出てきたのは……?
夢の中で、私は小さかった頃の自分に戻っていた。
背もまだ低くて、家の中の何もかもが大きく見える。
「ふ〜ふふん……♪」
コンロの前では、エプロン姿の女の人が鼻歌まじりに鍋をかき混ぜていた。
肩までの髪をゆるく結んで、時々前髪を指で払う癖のある——
私の、おかーさんだ。
「おかーたん、なにつくってるの?」
私はキッチンの入口から、ぴょこっと顔を出した。
「ふふ、りおんの好きなものよ。楽しみに待っててね」
おかーさんは振り返って微笑むと、また鍋に視線を戻した。
くつくつと小さな音を立て始めた鍋から、ほんのり苦くて甘い香りが立ちのぼる。
「わぁぁ……」
ちいさなお腹が、きゅ〜っと鳴った。
(これ、……カラメルのにおいだ)
おかーさんはコンロの火を止め、鍋の中身を小さな容器にそっと流し込むと、今度はテーブルの方へと移動する。
「よいしょ……っと」
私はダイニングチェアに手をかけて、んしょ、んしょ、とよじ登った。
大きなテーブルの上には、小麦粉や砂糖の袋、銀色のキッチンスケール、ボウルや泡立て器などが並んでいる。
小さな私には、それらがワクワクする公園の遊具のように見えた。
「りおん、この白いのなーんだ?」
「んとね……こむぎこ!」
「ピンポーン♪」
おかーさんはスプーンで小麦粉をすくうと、ボウルの中にさっとひと振りした。
そこへ牛乳と溶き卵を流し込み、泡立て器でシャカシャカとかき混ぜていく。
とろりとした黄色い液体が、ボウルの中でゆっくり回る。
「これがね、プリンのタネになるの」
「たね……?」
私は身を乗り出して、ボウルの中を覗き込んだ。
「これ……ぷりんなの?」
「そうよ、今日は特別だからね。りおんのためだけの、手作りプリン」
おかーさんはそう言って、ボウルの中身を小さな耐熱カップに流し込んでいく。
それをオーブンの天板に並べると、そっと扉を閉めた。
「じゃあ、できあがるまで絵本を読んであげましょうね」
「うん!」
私は嬉しくなって、おかーさんの手を引いてリビングのソファーへ向かった。
お気に入りの絵本を膝の上に広げ、おかーさんの肩に寄りかかる。
ページをめくるたび、絵本のインクのにおいと、キッチンの方から漂ってくる甘い香りが混ざり合う。
そしてだんだんと、甘い匂いが部屋中に漂い始めた。
「いいにおーい!」
「さあ、できたわよ」
おかーさんが立ち上がり、オーブンの扉を開ける。
ふわっと、あたたかい湯気といっしょに、焼きたてのお菓子の香りが部屋に広がった。
天板の上には、狐色に焼き上がったプリンのカップが並んでいる。
「おかーたん……まほーつかいみたい!」
「そんなことないわよ。普通のプリンよ」
そう言いながらも、おかーさんは少し誇らしげに笑っていた。
テーブルに運ばれたプリンを、私は銀色のスプーンでぷにぷにとつつく。
表面が、ぷるん、と揺れる。
「いただきまーす」
初めて食べる、手作りのカスタードプリン。
ドキドキしながらスプーンを差し込むと、
底からジュワッと、カラメルソースが溢れてきた。
大きく口を開けて、パクッとひと口。
甘くて、とろとろで、ほんの少しだけ苦い。
さっきまでキッチンに漂っていた香りが、そのまま口の中に広がった。
「……どう? うまくできたかな?」
「うん、おいちい!!」
おかーさんは、ほっとしたように笑った。
(おかーさんのプリン、世界でいちばん美味しかった……)
プリンを食べ終えた私は、またソファーに戻って絵本を広げた。
ページをめくるうちに、まぶたがだんだん重くなってくる。
ソファーにもたれながら、私はそのまま、こっくりこっくりと眠りに落ちていった。
* * *
——再び目を開けると、私は別の場所にいた。
見慣れた手狭なリビング。
前の家より小さなキッチンには、
大きなオーブンはなくて、電子レンジと小さなコンロしかなかった。
そこは、私とおかーさんが今でも二人で住んでいるマンションだった。
(今度は……小学生くらいの頃かな)
学校から帰っても、部屋の中には誰もいない。
ランドセルを椅子に放り投げて、いつも一人で「ただいま」を言っていた。
宿題を済ませて、テレビをぼんやり眺めて——
玄関の鍵が回る音がするのを、ずっと待っていた。
「ただいまー、りおん」
ガチャリ、とドアの開く音と一緒に、少し疲れた声が聞こえてくる。
「あ、おかーさん、おかえり」
私はパタパタと玄関に駆け寄った。
おかーさんは片手にデパ地下の紙袋をぶらさげている。
「はい、お土産よ」
「……またこれ?」
口から、思わずそんな言葉がこぼれた。
紙袋の中身は——もう見なくてもわかっている。
「あら、りおんこれ好きでしょ? 上にカラメルソースがのってる焼きプリン」
「好きだけど……」
私は、プラスチックのカップに入ったプリンを恨めしそうに見つめた。
「たまには、おかーさんの作ってくれたプリン、食べたいな……」
一瞬、おかーさんの表情が曇る。
「ごめんね、りおん。お母さん、ちょっと疲れちゃってて……」
あの頃の私は、その言葉を素直に受け止められなかった。
「……やだ! おかーさんのプリンがいい!」
テーブルに突っ伏して、私はわんわん泣き出した。
おかーさんは困ったように、それでもどこか申し訳なさそうに私を見つめている。
痩せた肩。少しパサついた髪。
今の私が見れば、ひと目で「疲れてるんだな」とわかるのに……。
あの時の私は、「プリンを作ってくれないおかーさん」が、ただ悲しくて、許せなかった。
* * *
小さな自分の姿が、にじんだまま遠ざかっていき……、
そこで、夢が途切れた。
「……っ」
ほのかに揺れる焚き火。薄い結界の膜ごしに見える、雪山の空。
目を開けると、そこは昨日眠った岩場の窪みだった。
(今の……夢……だよね)
でも、さっきまで胸の中にあった温かな気持ちや、テーブルに突っ伏して泣いた時の悲しさは、あまりにも生々しかった。
「……おかーさん」
私は自分の胸元を、ぎゅっと握りしめる。
悲しげな横顔の、少しこけた頬。
夢の中で見たおかーさんの姿が、フラッシュバックみたいに浮かんでくる。
(自分はヘトヘトなのに、私を喜ばせようとして、プリン買ってきてくれてたんだよね)
あの時の私は、わかっていなかった。
ただ、「手作りじゃない」という理由だけで、きつい言葉をぶつけてしまった。
「おかーさん、ごめん……」
声に出した瞬間、目頭がじわっと熱くなった。
(今からでも、ちゃんと伝えなきゃ)
私は、焚き火の向こう側を見つめ、マンションのキッチンを思い浮かべた。
「いつも私のこと、一番愛してくれてたんだよね……」
そう呟いた途端、頬を温かいものが一筋、すっと伝っていった。
「……おねーたん、どちたでち?」
ローブの中から、くいくい、と裾を引っ張られる。
見ると、みきぽんが眠そうな目をこすりながら、こちらを見上げていた。
「ううん、なんでもないよ」
私は慌てて涙をぬぐって、笑って見せる。
「ちょっと、昔の夢見てただけ」
「ゆめ、でちか?」
みきぽんはまだ少し寝ぼけた声でそう言うと、私の腕の中にもぞもぞと潜り込んできた。
寝癖のついた髪を、優しく撫でてあげる。
結界の外に目を向けると、いつの間にか吹雪は止み、
雪山の向こうの空が、少しずつ明るくなりはじめていた。
淡い光の帯が、冷たい世界をゆっくりと照らしていく。
……帰ったら、ちゃんと言おう。
おかーさんのプリンも、デパ地下のプリンも、どっちも美味しかったよって。
そして、今度は一緒にプリン作ろうって——。
私は胸の中で、そっと誓った。
* * *
「……ふあぁ」
大きなあくびをしながら、バルガンが身じろぎをした。
「よく寝たな……お、もう朝か」
隣ではノエルも目をこすりながら起き上がり、結界の外の空を見上げている。
「吹雪もおさまったみたいね。……よかった」
「おあよでち〜」
みきぽんはまだ半分寝ぼけた声で、私のローブから顔を出した。
「おはよう、みんな」
私は焚き火のそばに座り直して、昨日の鍋を指さした。
「スープ、ちょっと残ってるよね? 温め直そうか」
「そうだな。体を温めてから動いた方がいい」
バルガンは立ち上がり、薪をくべて火を強くする。
ノエルは鍋を覗き込んで、残りのスープを確認した。
「これだけ残ってれば、朝ごはんには十分よね」
昨日より少し煮詰まったスープを、私たちはもう一度分け合った。
冷えた体の芯に、じんわりと温かさが広がっていく。
「……よし、先に進むか」
片付けを終えたバルガンが、肩に戦斧を担ぎ直す。
「境界の聖域は、ここからそう遠くねえ。
けど、道中で何があるかわからねえからな……気を引き締めていくぞ」
「うん!」
私はぎゅっとスマホを握りしめた。
(おかーさんのところに、ちゃんと帰る。そのためにも——
ここでしっかり、役割を果たすんだ)
「……みんな、行こう!」
私たちは再び、境界の聖域を目指して歩き出した。
雪を踏みしめる音が、静かな山の空気に溶けていく。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!
今回の、小さな頃にお母さんが手作りのプリンを作ってくれたエピソードは、実話に基づいています。
私の母も共働きで、お菓子を手作りしてくれたことはほとんどありませんでしたが、ただ一度、プリンを作ってくれたことがあって……。
とても嬉しかったことは、今でも鮮明に覚えています。
プリンは、お母さんの愛情の象徴。
だからみきぽんは、プリンを食べることでとてつもない力を発揮することができたんですね。
次回、境界の聖域を目指す一行を待ち受けていたのは……?
お楽しみに!




