第45話「立ちはだかる氷壁——バルガンの過去」
聖域へと急ぐまきぽんたち。
行く手に白く巨大な魔物が立ちはだかりますが、それを見たバルガンの様子がいつもと違うようで……?
——グォォォォォォォオオオオオオオッ!!
暗い雲を引き裂くかのように、重々しい獣の咆哮が雪原一帯を震わせた。
凍える巨王。
白銀の毛皮を纏った熊のような怪物は、
私たちを見下しながら、巨大な壁のように立ちふさがっていた。
首から背中にかけては氷のようなたてがみに覆われ、刃物のように鋭い光を跳ね返している。
大樹を思わせる前脚が、一歩、また一歩と雪を踏みしめるたび——。
ずぶり、と。
雪の大地が、音を立てて沈みこむ。
「な、何あれ……」
思わず声が震えた。
気付けば、息を吸い込むだけで胸が痛い。
冷気が鋭い刃物となって、内側から体に刺さってくるようだ。
「……忘れるもんか」
横で、バルガンが低く唸った。
いつもの豪快な声ではなく、
何かを噛みしめるような、押し殺したつぶやきだった。
「お前に与えられた後悔……、一日たりとも頭を離れたことはねぇぜ……」
純白の巨獣は、凍てつく息を吐き散らしながら、ゆっくりと私たちを睥睨した。
真っ白な世界の中で、青白い瞳だけが不気味な光を宿している。
ドォォォォン!
魔物が大きく地面を踏み締めると、雪原に細かな亀裂が一気に広がった。
「っ……!?」
次の瞬間、地面の割れ目がせり上がり、私たちの周囲には、氷の壁が押し上げられるように盛り上がった。
バキバキバキッ——。
耳をつんざくような音を立てて、氷が裂ける。
そして私たちは、すっかり透明な壁に囲まれてしまった。
いくつもの氷柱が組み合わさったような、酷寒の牢獄。
壁は青い光を帯びていて、どこかこの世のものではないような、冷たい気配を放っている。
(やば……状況を知らせなきゃ!)
私は慌てて胸元のスマホを取り出した。
さっきまで表示していたナビゲーションを一度閉じ、通信アプリのアイコンを叩く。
《——接続確認。こちらブリギッドです》
「フィオナ様! この氷、何なんですか!?」
《お見せください。映像を確認します》
「はい!」
スマホのカメラを氷壁に向ける。
その時——。
「……っ!」
バルガンが、息を呑む音が聞こえた。
「バルガン、どうしたの?」
「待て、まきぽん。……これ以上、近づくな」
彼の声には、焦りと恐怖の感情が混じっているようだった。
氷壁の表面が、ゆっくりと揺らめくように歪み……
その奥に——人の姿が浮かび上がった。
氷でできたスクリーンに、四人の影がぼんやりと映し出された。
彼らは冒険者たちのようだ。
鋭い目をした剣士。杖を握りしめた魔術師。柔らかなローブを纏ったヒーラーらしき女性。
そして——
重厚な盾を構えたタンク。これはバルガンか。
氷のスクリーンに映し出された姿は、半透明で、向こう側の景色が透けて見える。
しかし、その輪郭と装備の細部まではっきりと見ることができた。
《……判明しました》
ブリギッドの声が届く。
《今、氷壁に映し出されているのは、過去に記録されたフア・モール戦の戦闘ログを、バロールが強制的に映像化したもののようです》
「ログ……ってことは……」
《かつて、この場所で挑戦したプレイヤーたちの戦闘データと感情の残滓が、凍結領域に取り込まれています。
そして今、その記憶が再生されているのです》
「……やっぱり、そういうことかよ」
バルガンは苦々しく言い放った。
氷壁の四人が、私たちを向く。
——いや。正確には、私たちではない。
彼らの視線は、真っ直ぐにバルガンを捉えていた。
『バルガン、戻れ!』
『今は殴るタイミングじゃねぇ! タンクはヒーラーを守れ!』
『冷気で一気に体力が削られています……これじゃ回復が間に合わな……っ』
吹雪の中で、彼らの切羽詰まった声が重なり合う。
それは、かつてここで繰り広げられていた会話であり——。
バルガンの記憶の中で、何度も再生され続けてきた声だったのだろう。
「バルガン……」
呼びかけると、彼は氷壁から視線を逸らさないまま語り出した。
「ああ。こいつらは——俺の昔の仲間だ」
氷の中のヒーラーが、氷壁越しにこちらに言葉を投げかけてくる。
『……ごめんなさい、回復……間に合わなくて……』
彼女の泣きそうな表情を見た瞬間、バルガンの肩がびくりと震えた。
「やめろ」
そして絞り出すような声を放った。
「やめてくれ、『あの時』と全く同じことを言うのはよ……」
握りしめた拳が、かすかに震えていた。
「バルガンさん……」
ノエルが、不安そうに彼の横顔を見つめる。
バルガンは私たちの方を向くと、ゆっくりと語り始めた。
「昔な……」
白い息が、彼の前で微かにけむる。
「角笛団に来る前。
俺は、小せぇギルドで、こいつらと一緒にフア・モールに挑んだんだ」
「……この場所で?」
「ああ」
バルガンは視線を雪原へ落とす。
「俺たちもまだ未熟でよ。
フア・モールの攻撃も、今よりももっと容赦なかった。
冷気によるダメージも、攻撃力も、俺たちの手に負えるものじゃなかったんだ」
苦笑しながら、続ける。
「それでも俺たちは、『このボスを倒したら、次の装備買おうぜ!』って、バカみてぇに盛り上がって……何度も何度も挑んだ」
氷壁の中では、四人がその時の戦闘を繰り広げていた。
氷の息を回避して転がる剣士。
盾を構えてフア・モールに立ち向かうバルガン。
杖を掲げる魔術師。
仲間に必死に回復魔法を飛ばすヒーラー。
「でもな——」
バルガンは、奥歯を噛みしめるように言った。
「あの日の俺は、焦って倒すことしか考えてなかった。
タンクのくせに、攻撃することばっかり気にしてよ。
……『今なら撃てる!』って、ヒーラーの前から離れちまったんだ」
氷の中の光景が、残酷な瞬間を見せつける。
フア・モールの巨大な前脚が振り上げられ、冷気を纏った爪が、ヒーラーめがけて振り下ろされようとしていた。
だが、彼女を守るべき盾は——。
全く別の位置で、戦斧を構えていたのだった。
『バルガン、戻れ!!』
『だめ、間に合わな——』
鋭い悲鳴と共に、映像は白く塗りつぶされた。
「……その一撃で、ヒーラーがやられた」
バルガンは重苦しく、声を震わせた。
「回復役無しで立て直せるわけもなく、あいつらはみんなやられた。
一人残された俺は、助けを求めるべく、一人麓の村まで走った。
だがよ——」
そこで一瞬、息を詰まらせるように言葉を飲み込む。
「助けと共に戻った時には、怪物も、あいつらも、消えていたんだ」
荒れ狂う吹雪の中、時が一瞬だけ止まったように思えた。
「それが——俺と、フア・モールの最後の記憶だ」
「バルガン……」
私は、何て声をかければいいのかわからなかった。
仲間を案じるバルガンの気持ちを思うと、胸が締め付けられるようだ。
そんな私の前で、彼はぽつりと続けた。
「だからよ」
彼は顔を上げた。
その眼差しに迷いはなく、まっすぐに前を見つめていた。
「今度は、絶対に同じ間違いはしねぇ。
殴るのは、お前と——そこのちっこい破壊神に任せるぜ」
「は、破壊神……!?」
「みきぽん、『はかいしん』でち?」
何のことか分からずに首を傾げるみきぽんに、バルガンは少しだけ笑った。
「俺は、最後の最後まで、オメーらの盾でいる。
もう誰一人、あいつの餌食にはさせねぇ!」
「……バルガンさん」
ノエルは、愛用の竪琴をぎゅっと握りしめた。
「大丈夫、私たちはそれぞれの役割を果たします。
だから——ちゃんと守ってくださいね?」
「おうともよ!」
バルガンは仲間を見つめて、誇らしげに笑った。
眼差しにこめられた信頼に、自然と胸が熱くなる。
(バルガン。今度は、ちゃんとみんなで勝って——
氷の向こうのあの人たちにも、見せてあげるんだよね)
その時、目の前の巨王が短く息を吸い込むような仕草を見せた。
「まずい!」
バルガンが盾を構えながら叫ぶ。
「来るぞ、凍てつく咆哮だ!」
フア・モールの喉の奥に、青白い光が集まっていく。
このままでは、一撃で全員が氷像にされかねない。
(どうする……!?)
私はみきぽんをマントの中に抱き入れると、手にしたスマホをぎゅっと握りしめた。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!
バルガンは、過去のトラウマを乗り越えることができるのか……!?
いつもとちょっと違った戦闘ギミックもご用意してありますので、次回もお楽しみに!




