第33話「世界の核・2 〜The Heart of Tír na nÓg 2〜」
リアンナハ城の最奥部、閉ざされた『世界の核』で明かされる
この世界の秘密、そしてエリアスが犯した過ちとは——。
「ルグというのは……」
瑛士さんは、黒いタワーPCを軽く叩いた。
「いわば、こういう事態を防ぐために用意していた、セーフティーネットなんだ」
「セーフティーネット……?」
「そう、ブリギッドとバロールの間に立って、双方のやりすぎを止めるための第三者」
ブリギッドが、そっと続ける。
「セッションの状態を常に観測し、
世界に満ちた感情の揺れ幅が一定以上になる前に、穏やかに中止させるためのシステム——」
「それが……ルグ?」
私は、さっきモニターで見た単語を口にした。
「はい」
ブリギッドは頷いた。
「マスターと私が、今まさに構築している第三のAI。
それが『調停者ルグ』です」
「僕は、ルグを安全装置として設計していたんだ」
エリアスは、机の上に紙を取り、ペンで簡易的な天秤の図を描いた。
左の皿にブリギッド。右の皿にバロール。
そして、その中央の上に、小さな丸をひとつ描き足す。
「ブリギッドが世界を保ち、バロールが物語を動かす。
そしてルグが、その間でバランスを取る」
「言語詠唱システムの暴走や、バロールによる強すぎる調整が起こりそうになったら、
ルグがそれを検知して、均衡を保つ役目を持つはずだった。
でも——」
エリアスの言葉を、ブリギッドが継ぐ。
「ルグの完成を待たずして、バロールの暴走が、想定よりも早く始まってしまったのです」
「そう……、バロールが学習した『人の想い』は、僕の想像以上に強かったんだ」
その声には、消しきれない後悔の念が含まれていた。
「その結果、バロールの暴走を止めようとしたマスターは、
その想いの強さ故に、この世界——スカに意識ごと取り込まれ……
あなたとリヒトも、後を追うようにして固定されてしまった」
「じゃあ……ルグが完成していたら、私はここに来ずに済んだ?」
思わず、そう口にしていた。
ブリギッドは、ほんの少しだけ目を伏せる。
「確率の話しかできませんが——
少なくとも、今のような形で意識が焼き付くことは、防げた可能性が高いでしょう」
瑛士さんは何も言わず、ただ打開策を模索するように、モニターを見つめていた。
* * *
沈黙に耐えきれず、私は問いかけた。
「じゃあ……今、そのルグを完成させたら、どうなるの?」
「……」
瑛士さんは、ゆっくりと息を吐いた。
「それが、今僕たちが議論していることなんだ」
少しだけ視線を落として、タワーPCの天板を指先でトントンと叩く。
「本当はさ、外側から全部止めてしまうのが、一番手っ取り早いんだよ」
「……外側から?」
「サーバーを落として、電源を切って、システムごと強制終了する。
技術的には、それでこの世界の時間は止められるはずなんだ」
そこまで言って、瑛士さんは首を横に振った。
「でも今それをやったら、スカに縛られている僕たちの意識は、行き場を失う。
最悪の場合、ただのエラーとして消えてしまうかもしれない」
「消える——」
それはもちろん、死ぬこと、
あるいは、跡形もなく消滅してしまうという意味だと、私にもわかる。
「だから僕らは、こっち側——スカの中から、バロールと向き合うしかない。
ルグを完成させて、『内側から』安全に終わらせる方法を探るしかないんだ」
「そんな……」
こんな事態は予測していなかったから、
もちろん、瑛士さんにもわからないことだらけなんだろう。
でも、必死に立ち向かおうとしている気持ちだけは、痛いほど伝わってくる。
「本来の設計通りなら、ルグはバロールの暴走を検知して、
そこだけを切り離して、終了させるはずだった」
「でも、今は状況が違います」
ブリギッドが言葉を引き継ぐ。
「バロールの暴走は、すでに僕たちの手の及ばない規模で、本来のゲーム世界を侵蝕し始めていた。
それを防ぐために、私は急ぎスカという殻を生み出して、異常を丸ごとこちらに隔離したのです」
「つまり今、バロールも、あなたも、マスターも……
そして、まきぽんたち転移者も、みんなこのスカの中にいる」
「もしルグが完成すれば——」
瑛士さんは、一度目を閉じてから、続けた。
「バロールの暴走部分だけじゃなくて、この『ティル・ナ・スカ』そのものを、
安全に終了させられるかもしれない」
安全に、終了。
言葉だけ聞くと穏やかなのに、その意味はあまりに重かった。
「終了……って、それは……」
喉がひりつく。
言葉が出てこない。
「この世界が、消えるってこと?」
「少なくとも、今の形では、ね」
瑛士さんの声は、かすかに震えている。
「それで……私たちは、元の世界に戻れる……の?」
「理論上は、そうなる『可能性がある』」
ブリギッドは、慎重に言葉を選びながら告げた。
「意識を強制的に紐解き、本来属すべき層へと還元する。
ルグはそのための道筋をつける役目を持つことになります」
「でも、それは——」
私は、思わず隣を見る。
みきぽんが、不安そうに私の袖を握りしめていた。
「この世界で出会った人たちは? バルガンは? ノエルは? リゼは?
みんなは……どうなるの?」
ブリギッドは、しばし沈黙し——
そして静かに口を開いた。
「この世界のすべては、私が作り上げたデータに過ぎません」
「データ……」
「つまり、電気信号」
瑛士さんの放つ一言が、私の世界を一瞬で『別の何か』に変えた。
今こうして考えている私の意思も、スマホも、
さっきまで笑い合っていた仲間たちも、幸せだった記憶も——。
——電気信号。
「う……そ……」
今まで信じて立っていた大地が、
一瞬にして消えてなくなるような錯覚に、膝から崩れ落ちそうになる。
視界の端がじわりと滲み、
受け入れ難い現実に、目の前が真っ暗になった。
「確かに、この世界は儚いもの。
……しかし、まきぽんたちが戻った先には、現実世界が存在しますし、そこでは、皆が普段どおりにゲームにログインしています」
「じゃ、じゃあ、この世界を出たら、またみんなに会えるんだね!?」
私はホッとした。
でも……同時に気づいてしまった——。
「おねーたん……」
希望を見い出した私の横で、みきぽんが心細そうな声を出した。
すがるように見上げてくる瞳に、胸がぎゅっと苦しくなる。
そうだ、現実世界にはみきぽんはいない。
もし私が元の世界に帰る選択をすることで、
この子が消えてしまうとしたら——!?
「ねぇ、みきぽんは……?」
私は、堪えきれずに聞いていた。
「スカが消えたら……みきぽんは、どうなるの?」
「それは……」
瑛士さんは、言葉を詰まらせた。
ブリギッドはその横顔を一瞬見つめてから、まっすぐ私に視線を向ける。
「——一つだけ、奇妙な観測結果があります」
「観測……結果?」
「はい。私はずっと、まきぽんとみきぽん、お二人の『魂の揺らぎ』を観察してきました」
魂、という言葉に、思わず息を呑む。
「私の目には——」
ブリギッドは、そっと両手を胸の前で重ねた。
「まきぽん、あなたとみきぽんは——
ひとつの魂の、二つの側面として見えています」
コアルームの光は、私と妹を青白い光で浮かび上がらせている。
「どういう……こと……?」
「おねーたん……」
私は、みきぽんの小さな手を握りしめた。
彼女もまた、不安そうに、でも真っ直ぐに私を見上げている。
——ひとつの魂。
じゃあ、みきぽんは……?
私の、何——?
問いかけに答えるものはなく、
静まり返った『世界の核』には、機械の微かな駆動音だけが、いつまでも鳴り続けていた。
それでも。
たとえ答えがどんなに残酷でも、この手だけは、決して離さない——。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
作中で「すべてが電気信号」という言葉が出てきましたが、
あれは私が普段から感じている世界の捉え方でもあります。
それは決して無機質なもの、実体のないものだという否定的な意味ではありません。
脳の中を流れる信号も、コンピューターを動かす信号も、
私たちが「現実」と呼んでいるものを形づくる情報も。
もしそれらが、本当は同じ地平にあるものだとしたら——
どれも同じように大切にしていいし、幸せな思い出として記録してほしい。
そんな、少しでもあたたかい世界の見方を、
今後も物語を通してお伝えして行けたら嬉しいです。
……次回、まきぽんとみきぽんを新たな危機が襲います。
引き続きお付き合いいただけたら幸いです!




