第28話「二つの世界の狭間で——届かない『ごめんね』」
異世界という居場所を得て、
少しずつ「ここで生きていきたい」と思えるようになったまきぽん。
今回は、そんなまきぽんが『現実』と向き合うお話です。
私は、吸い寄せられるように泉の水面を覗き込んだ。
そこに映っていたのは、空でも、ブリギッド像でもなく——
(……えっ!?)
白い天井だった。
蛍光灯の青白さが、室内の温度を下げているかのよう。
静かな部屋には、ピッ、ピッ、とモニターの音だけが、突き刺さるように響いていた。
ベッドには、目を閉じたまま動かない少女。
点滴のチューブと酸素吸入機をつけられて、身じろぎもせずに横たわっている。
声が出ない。
(これは……私……?)
その隣では、母が泣いていた。
痩せた肩を振るわせ、私の手を包みこむように握っている。
(おかーさんっ!?)
「りおん……っ……りおん……お願い……目を覚まして……」
看護師として、どんなに夜勤が続いても
いつもピシッと身なりを整えていた、
綺麗でかっこいいおかーさんは、ずっと私の憧れだった。
なのに今は——
髪はボサボサで、顔は涙でぐしゃぐしゃに濡れて、やつれきっていた。
……そうだ。
私はずっと、目をそらしていたんだ。
見ないふりをして、こっちの世界にしがみついていたんだ。
ぎゅっと、胸につけた銀のフィブラを握りしめた。
私が異世界で、仲間たちと楽しい時間を過ごしてた間にも、
母はこんなにも悲しんで、苦しんでいたんだ。
「……おかーさん!」
母は振り向かない。
どんなに叫んでも、私の声は、向こうには届かないようだ。
手を伸ばしても指先は水面をかすめただけで、触れることもできなかった。
「おかーさん……私……」
じわり、と視界が滲んだ。
胸の奥から沸き起こる感情に、喉が震え、声がかすれる。
「やっぱり……帰らなきゃ……」
そう言葉にした瞬間、涙が零れた。
涙はぽたりと泉に落ちて、波紋が広がる。
ふと、背後から小さな手が伸びてきて、おずおずと私の服をつまんだ。
「おねーたん……」
振り返ると、みきぽんが目を赤くしながら立っていた。
妹は自分の小さな胸に手を当てながら、震える声で言った。
「みきぽんね……しってるの。
おねーたんには……かえるおうち、あるでち」
その言葉はたどたどしいけど、
なんとか私を慰めようと頑張ってる、優しさが伝わってくる。
「みきぽんは……ここで、まってたでち。
ずっと。
ずっと、まってたでち」
「みきぽん……」
小さな肩が、かすかに震えた。
「ずっと……ひとりは、さみしかったでち。
だから……
おかーたんを、ひとりにしちゃダメなんでち」
みきぽんは、私の背中にすがりついてきた。
「おねーたんは……かえってあげてほしいでち!」
その一言で、私の心は決壊した。
「ごっ……ごめん……!
ごめんね、みきぽんっ……」
私はしゃがみこんで、思いっきりみきぽんを抱きしめた。
この子は、どんなに寂しくても
自分のそばにいろとは願わなかった。
そしてお母さんに同じ思いをさせないで、と言っているのだ——。
小さな身体は、小刻みに震えていた。
ひとりぼっちの、みきぽん。
そして、ひとりぼっちの、おかーさん。
どちらに帰ればいいんだろう。
どっちも、捨てることはできないのに……。
私はふたつの世界の真ん中で、
どうすればいいかもわからないまま、ただ泣いた。
ふと、肩に手が伸ばされた。
「……大丈夫よ、まきぽんちゃん」
ノエルだった。
彼女は何も言わず、
ただ寄り添って、そっと抱きしめてくれた。
「帰らなきゃいけない所があるのね……」
私は声を出すこともできずに、泣きじゃくりながら頷いた。
「でも、今だってひとりじゃないのよ」
ノエルの言葉は、どこまでも温かかった。
「帰るその日までは、ここにいていいの。
ギルドも、まきぽんちゃんのお家なのよ。
もちろん——みきぽんちゃんもね」
その声は、泉の水みたいに心に染み渡っていく。
「だから、二人とも……泣かなくていいの」
「……うん」
私たちはしばらく、ノエルの優しさに包まれながら、悲しみに震えていた。
それでも——もう、何も見なかったふりはできない。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
縁の泉のシーンでは、
「帰らなきゃいけない場所」と「今ここにある幸せ」が、はっきりと衝突し始めました。
次回は、「二つの世界の狭間に揺れる気持ち」が、やがて大きな選択につながっていく……
その最初の一歩を描きます。
もし心に残った場面やセリフなどあれば、
感想やブックマークでそっと教えていただけると、とても励みになります!




