第30話「穏やかな午後の、小さなノイズ」
リアンナハでの『日常』を楽しむまきぽん。
ですが、その穏やかな日常の中に、ごく小さな違和感が顔を出し始めます。
泉の水面の向こうに、まきぽんが一瞬だけ見てしまったものとは……?
グレン堂を出ると、太陽はさっきより少し高く昇っていた。
「ねぇノエル、お昼何食べようか?」
「そうね、何がいいかしらね〜」
「ぷりん!!」
間髪入れずにみきぽんが叫ぶ。
「……みきぽん、ここにはプリンないんだよ」
「えぇぇ……」
肩を落としてがっかりするみきぽん。
変身するときには、なぜかどこからともなく出てくるんだけどね。
「……あ、そうだ。 縁の泉の辺りに、茶店があったよね」
「いいわね、私、あそこのハーブティー好きなのよ〜」
「じゃ、決まりだね!」
——私はふと、エリアスと出会った日のことを思い出した。
あの日の私は、泉のそばで魔法の練習をしていて、盛大に失敗を繰り返していた。
悔しくて、もうこんなゲームやめてしまおうか——
そう思いかけてた、その時。
茶店からこちらを見ていたエリアスが、そっと声をかけてくれた。
あの一言がなかったら、私はきっとティルナノを続けていなかったと思う。
そうしたら角笛団のみんなとも出会えなかったし——
何より、この妹にも。
「おねーたん?」
みきぽんをじっと見ていたら、彼女はつぶらな瞳で見上げ返してきた。
その純粋な輝きに、心から愛しさが込み上げてくる。
——人との出会いって、本当に大事だ。
あの日のたった一言のおかげで、今日みたいなあたたかい一日があるんだから。
* * *
道すがら、私はノエルと取り留めのない女子トークを楽しんだ。
化粧水代わりに使えるハーブや、服にいい香りがうつる匂い袋の作り方。
薬草の話をするノエルは本当に楽しそうで、それを聞いているだけで、こっちまでウキウキしてくる。
「……でね、近づいたときに、ふわっといい香りがすると、
それだけで男の子って、ちょっとドキッとしちゃうのよ」
「そ……そうなんだ?」
「ね、まきぽんちゃんは、そういう人……いないの?」
「えっ!? ……と、特にいないかな……」
「そうなの〜?
もし好きな人ができたら、おねえさんがいつでも相談に乗るわよ♡」
「ええ……」
「おねーたん? おかおまっかでちよ?」
「ちょっ、みきぽんまで!」
そういえば、ノエルって恋バナが大好きだって言ってたっけ。
——好きな人、か。
実は小さい頃、夜中に両親が言い争っているのを何度も見てたから、
男の人ってちょっと怖い……って、どこかで思っている自分がいる。
それにさ、
今はこの世界で、みんなと一緒にいられる時間のほうが大事で……。
好きな人とか考えてる余裕、正直ないんだよね。
なんて、自分でもちょっと苦笑いしてしまう。
* * *
王都の中心にある縁の泉へ向かう通りは、人通りが多い。
白い石畳に光が反射して、まぶしいくらいだ。
「おねーたん、おみずのおと、きこえるでち!」
みきぽんが、遠くを指差しながら駆け出す。
通りを抜けた先には——
ぱっと視界が開けて、白い石で縁取られた大きな噴水が姿を現す。
泉の中央には、片手を前に差し伸べた女神ブリギッドの像。
その肩では、小鳥の像が気持ちよさそうに天を仰ぎ、今にも羽ばたこうとしている。
この国を、そして家族を守る女神さま——
指先から湧き出す水は、陽光を受けてきらきらと飛沫を上げていた。
泉の周りでは、子どもたちが水遊びをしたり、追いかけっこをしたりして笑い合っている。
傍らのベンチでは、老夫婦が仲良く並んで腰を掛けて、穏やかにその様子を見守っていた。
「すごい……きれい……」
胸の奥がじんわりと温かくなる。
戦いの緊張も、悲しい記憶も、清らかな水音に溶けていくみたいだ。
「茶店、空いてるかしら?」
私たちはノエルに先導されて、泉のほとりにある小さな店へ向かう。
木枠の窓からは、店内の柔らかな灯りと、揺れるカーテンが見えた。
「いらっしゃいませ。……おや、ノエルちゃんと、角笛団のお客さんかい」
店主のおばさんらしき人が、笑顔で迎えてくれる。
「こんにちは〜♪」
「みきぽんもいるでち!」
妹は、私の後ろからぴょこりと顔を覗かせる。
「おやおや、可愛いねぇ……
英雄さんたちのお昼ごはんとなりゃ、張り切らないとねぇ!」
そう言って笑いながら、店主は奥へと引っ込んでいった。
私たちは窓際のテーブルを選んで腰を下ろす。
窓からは、泉と子どもたちの姿がよく見えた。
「あのこたち、たのちそう……」
「ふふ……みきぽんちゃんも、後で一緒に遊んでもらったら?」
ノエルが微笑みながら言う。
「おねーたん、いいでちか!?」
そわそわしながら私を見上げるみきぽんの頭を、私はそっとなでてあげた。
「うん、ご飯食べたらね」
「あーい♪」
しばらくして運ばれてきたのは、温かい野菜のスープと、香草を練り込んだ丸パン。
そして、ほんのり甘いハチミツとチーズのランチだった。
「わぁ……いい匂い」
「ブリギッドの祭りの時期によく出される組み合わせだそうよ。
火と炉の女神さまに、日々の糧を感謝するんですって」
「へぇ……」
「——さっきの軟膏『ブリギッドの慈悲』も、同じ由来からついた名前なのよ」
「そうなんだ……リアンナハの人たちの暮らしに、すっかり根付いてるんだね」
パンをちぎってスープに浸すと、ポロネギとハーブの香りが立ち上る。
一口かじると、外は少しだけカリッとしていて、中はふんわりと温かい。
「おいしい……!」
思わずこぼれた言葉に、ノエルが嬉しそうに笑った。
「うふふ……美味しいでしょう? ここ、私もお気に入りなのよ」
「みきぽん、ちーじゅ、だいすち!」
妹はチーズを両手で持ってご機嫌だ。
遠くに聞こえる水音と、子どもたちの笑い声。
窓越しに差し込む柔らかな光。
そして、テーブルの上の温かな食事。
(……なんだろう。 本当に、ここでずっと暮らしていける気がしてくる)
そんな、ちょっと危ないことを考えてしまいそうになるくらい——
穏やかで、優しい時間だった。
* * *
「ごちそうさまでした!」
「ごちそうさま。とっても美味しかったです」
「それは何よりだよ。またおいで」
店を出ると、泉のあたりはさっきよりも賑やかになっていた。
「おねーたん! みきぽん、あそんできていいでち?」
みきぽんは目を輝かせる。
「少しだけね。あんまり遠くにいっちゃダメだよ?」
「あーい、いってきまち!」
許可が出た途端、みきぽんは子どもたちの輪の中へ駆けていった。
年の近そうな子に話しかけられて、あっという間に仲良くなっている。
「……すごいなぁ、あの子。どこに行っても、すぐに友達できちゃうんだもん」
「ええ。本当に、人を惹きつける子よね」
ノエルは、慈しむような眼差しでみきぽんを見つめている。
水しぶきを上げて笑う子供たちの声が、風に乗って届いてきた。
「まきぽんちゃん」
「ん?」
「さっきから、ずーっと優しい顔をしてるわね」
「えっ、そうかな?」
「ええ。昨日の謁見の間のときとは、また違う顔をしているわ」
まじまじと見つめられて、照れくさくなる。
「だって……なんか、本当に幸せだなって思って」
口に出した途端、胸の奥がじんとした。
「ノエルや、ギルドのみんながいて、みきぽんもいて。
こうして街の人たちも、普通に暮らしてて……」
——なんか、ここが私のもう一つの家みたいで。
そこまで言いかけて、言葉が喉で引っかかる。
ノエルは何も言わずに、ただ隣で静かに頷いていてくれた。
「おねーたーん!」
みきぽんは街の子どもに教えてもらって、葉っぱで小舟を作ったようだ。
それを私に見せようと、大きく手を振っている。
「ねぇ、私たちも行ってみない?」
私は泉の縁を指差した。水面が光を反射して、きらきらと揺れている。
「ええ。一緒に行きましょう」
ノエルと並んで、噴水に向かって歩いていく。
足元の石畳は、真昼の光を照り返してほんのり温かかった。
——なのに。
一瞬、泉の水面が強く煌めいて、私の目を射抜いた。
そして水面の向こうに……
何これ?
見覚えのない、白い天井と蛍光灯が映り込んだ気がした。
でもまばたきをすると、それは消えてしまった。
「……まきぽんちゃん?」
ノエルの声が少しだけ真剣になる。
「顔色、悪いわよ。大丈夫?」
「え……大丈夫、大丈夫だよ。ただ、ちょっと……」
うまく言葉にならない。
(……今の、なに?)
ブリギッド像の顔を見上げると、胸の奥で、小さく何かがざわついた。
——この先に、何かが待っている。
そんな予感だけが、頭の片隅でひっそりと形を取り始めていた。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
今回は、ノエルとの女子トークと縁の泉のそばでのランチ。
まきぽんが「ここでなら暮らしていけるかも」と思ってしまうくらいの、あたたかな時間を書きました。
次回は、まきぽんの心を大きく揺らす「ある光景」がはっきりと姿を現します。
よろしければ、引き続きお付き合いいただけると嬉しいです!




