第25話「しあわせの香り——ギルドは私のもう一つの家でした」
昨日の祝宴の余韻を胸に、
まきぽんの『日常』が静かに動き出します。
異世界なのに、どこか懐かしくて、
ここが、帰ってきたくなる場所だと思えるような、
そんなあたたかな日常回です。
……しかし、そのやさしい光の中で、
まきぽんの心にほんの小さな影が差します。
まずはゆっくりと、
リアンナハの穏やかな朝を味わってください。
あたたかな春風が朝の光とともに舞い込み、
カーテンをそっと揺らした。
瞼の裏に柔らかな光を感じて、私はゆっくりと目を開ける。
ここは——ギルドハウスの、私の部屋。
枕元に置いた『銀角のフィブラ』が、朝日を受けてきらめいていた。
嵌め込まれた黄金色の琥珀を見つめていると、
昨日の記憶がぼんやりと蘇ってくる。
王都の中央通りで、花のシャワーと花冠で歓迎されたこと。
女王陛下に勲章を授与されて緊張したこと。
そして——。
エリアスの計らいで、みんなの前で『英雄』として紹介されたこと……。
どれもが初めての経験で、
誇らしさと幸せに、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「おねーたん……おきまちた……?」
布団がもぞりと動いて
寝ぼけまなこのみきぽんが、小動物みたいに顔を出してきた。
「おはよう、みきぽん」
「むにゃ……おあよでち……」
ぎゅむ、と腕にしがみついてくる。
私もその小さな体をそっと抱き寄せた。
ほんとに……あったかい。
——こんな朝があるなんて、一人っ子の私はずっと知らなかった。
私はぽんぽんと彼女の背中を叩いてから、ゆっくりと体を起こした。
今日からまた、リアンナハでの新しい日常が始まる。
* * *
ギルドハウスの階段を下りると、パンの焼ける香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
「……あら〜、お寝坊さんね
起きるの、遅かったじゃない?」
テーブルに食器を並べながら、ノエルがクスッと笑う。
「ノエル、おはよ」
「おあよ!」
「はい、おはようございます」
その隣では——
「うぅ……頭いてぇ……」
バルガンが片手で頭を押さえながら、お皿に野菜のスープをよそっていた。
「バルガンたん、あたまいたいでち?」
「ちょっとバルガン、大丈夫!?」
「おう……だいじょぶじゃねぇけど、まあ動けるからよ」
うん、全然大丈夫そうじゃない(苦笑)。
「なーに、こんなでもちゃんとメシは作ってあるから、心配すんな!」
ノエルが肩をすくめて小声で言う。
「もう、リゼさんたちに付き合って、朝まで飲むからですよ〜」
どうやらバルガンは、リゼや黒翼団の猛者たちと、
朝まで飲み比べをしてたようだ。
「はい、これをどうぞ」
ノエルは湯気の立つカップを差し出した。
「なんだこりゃ……」
「ミントとフェンネルの薬草茶に、蜂蜜を溶かしたの。
昔から二日酔いに効くって言われてますよ」
「おお、こりゃ助かるな! うっ、いてて……」
二人のそんなやり取りが微笑ましくて、
胸がふっとあたたかくなる。
リゼは宴の後も団員たちと飲み明かして、そのまま城に泊まり込んだようだし、
エリアスは、朝早くから登城している。
「おーし! みんな冷めないうちに食えよ」
「「いただきます」」
「いたらきまーち♪」
みきぽんは大きな口で野菜を食べようとするが、うまくいかなくてこぼしてしまった。
「あらあら……」
隣に座ったノエルが、微笑みながら口の周りを拭いてあげている。
今朝は四人で囲む食卓。
こういうのって、家族っぽくていいよね。
本当に、——こんな日常がいつまでも続けばいいのに。
でも、どこかで「これは夢なんじゃないか」と怖くなる自分がいる。
幸せは、いつも突然、壊れてしまうから——。
* * *
ノエルはいつものように、薬局のバイトに出かけた。
私は……今日は特にやることもないので、バルガンのお手伝いをすることにした。
晩ごはんの煮込み料理のために、
バルガンは大きな包丁で羊肉を豪快にぶつ切りにしている。
包丁が振り下ろされるたびに、肉がまな板に当たってドン、と鈍い音がする。
私はその横で、ポロネギを刻んでいた。
ケルトの料理では、これが香り付けの中心になって美味しいんだよね。
みきぽんは水を張った木桶の中で、野菜を洗っていた。
「にんじんたん、じゃぶじゃぶ〜♪」
「ちょっとみきぽん! もっと優しく洗わないと……
こっちにまで水が飛んでくるよ!」
「あーい」
「きゃっ、冷たい!」
彼女が無邪気に手を上げた拍子に、また水飛沫が飛び散る。
その様子を見て、バルガンはいつもの豪快な笑い声を上げた。
(よかった。二日酔いのお茶、効いてるみたい)
刻んだネギは、鉄製の丸いお鍋に入れてじっくりと煮込む。
……うん、絶対美味しくなるよね、これ!
——こんなふうに、 みんなの笑顔を思い浮かべながら、ごはんの準備をするなんて。
リアルでは一度もなかった。
……だから、なんだかそれだけで幸せを感じる。
ふと見ると、バルガンは戸棚を開けてしきりと何かを探していた。
「まきぽん、悪いんだがよ……」
バルガンが少し弱った声で私を呼ぶ。
「なぁに?」
「うっかりして香辛料を切らしちまった、市場で買ってきてもらえるか?」
「いいよ、何買えばいい?」
「フェンネルと岩塩と……
おっと、ついでにノエルの所に寄って、
頼んでた軟膏を受け取っておいてもらえるか?」
「おっけ」
「悪りぃな、俺はこれを全部片付けておきたくってよ」
バルガンの横には、まだ大量に羊肉が積まれている。
今日中に全部食べるわけじゃなく、
おそらく一部は、この前みたいな遠征に備えて
保存食にするつもりなんだろう。
(フェンネルに……岩塩に、軟膏っと)
スマホにメモしたいけど、今はそういう機能は使えないみたいだし、
立ち上げると勝手に配信が始まっちゃうんだよね。
……ん? 『まきぽんの異世界クッキング』!?
しまった、これ配信にすればウケてたんじゃない!?
「了解。じゃあ行ってくるね……みきぽんもいこっ」
「わーい、おつかいでち〜☆」
バルガンに見送られながら、私たちはギルドハウスを後にした。
外はぽかぽかといい天気で、今日もきっといい日になる。
——そう信じて疑わなかった、この瞬間までは。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、
まきぽんが「帰るべき場所」を考えるうえで欠かせない、
ギルドハウスでの幸せな朝を、丁寧に描きたくて書いた回です。
ティルナノの食卓、匂い、会話、文化——
異世界のあたたかい生活を感じてもらえていたら嬉しいです。
そして物語は、この日常の延長線上で
まきぽんの「とても大切な何か」へと触れていきます。
次回は、街の散策や市場のシーンを中心に、
少しだけ物語が動き始めます。
引き続きお付き合いくださいね!




