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月雫草(つきしずくそう)と大地の意志

「リゼット・フォン・ヴェルナー! 貴様との婚約を、本日をもって破棄する! そして、聖女暗殺未遂という大罪により、貴様を王都から追放処分とする!」

硬質で冷たい声が、大理石の床に反響する。声の主は、つい先ほどまで私の婚約者だったはずの、クラウス第二王子。その美しい顔は、私への嫌悪と軽蔑で醜く歪んでいた。

磨き上げられた床に映る、豪奢なシャンデリアの光がちかちかと目を焼く。集まった貴族たちの煌びやかな装いは、まるで私という一点の染みを際立たせるための舞台装置のよう。彼らの囁き声と冷ややかな視線が、無数の氷の刃となって私に突き刺さる。

私の隣では、異母妹であり、この国の「聖女」であるセレスティアが、か弱い春の小鳥のように震えながら王子の腕にしなだれかかっていた。陽光を弾く桜色の髪、潤んだ青い瞳が庇護欲をかき立てる。誰もが守りたくなる理想の乙女。――私の全てを奪っていく、完璧な偽善者。

「お姉様…。どうして、このような酷いことを…。わたくし、お姉様の淹れてくださるハーブティーが大好きでしたのに…。信じておりましたのに…っ」

セレスティアが悲痛に瞳を伏せ、その青い瞳から水晶のような涙がこぼれ落ちる。

(ああ、まただ。また、こうなるんだ)

熱を失った心のどこかで、冷静な自分が呟いていた。

私、リゼット・フォン・ヴェルナーには前世の記憶がある。科学と緑に満ちた「日本」という国で、「植物学者」として生きていた記憶が。魔力を持たずに生まれた「出来損ない」と蔑まれても、絶望しなかったのは、その記憶があったからだ。

けれど、結果はこの通りだ。私のささやかな知識も、地道な努力も、聖女である妹の天使のような微笑みと、真実味あふれる嘘の涙の前では、塵芥ほどの価値もなかった。

私はすべての反論を諦め、背筋を伸ばし、静かに頭を下げた。せめて最後の矜持だけは、誰にも奪わせない。

「――謹んで、お受けいたします」

その言葉を最後に、私は衛兵に乱暴に両腕を掴まれ、引きずられるように玉座の間を後にした。もう二度と、あの場所に戻ることはないだろう。

追放されるまでの数日、私は粗末な独房に閉じ込められ、思考の海をさまよっていた。なぜ、このような運命を辿るのか。なぜ、私は魔力を持たずに生まれたのか。その答えは、前世の記憶の奥底に眠っていた。


第一章:前世の終わりと、転生の真実

日本で、和泉理恵として生きていた彼女は、植物学の分野で将来を嘱望される若き研究者だった。新薬開発への夢を胸に、彼女は前世でまだ見ぬ新種の薬用植物「月雫草つきしずくそう」を探しに、現代科学の及ばぬ、どこか神秘的な雰囲気を纏った森へと足を踏み入れた。

「この植物を解明できれば、難病を治す薬が作れるかもしれない…!」

しかし、深い霧に覆われた谷で、足元の岩が崩れ、彼女は奈落へと転落していく。

意識が遠のく中、彼女の耳に、まるで翠玉が砕けるような、清らかで、同時に悲しみに満ちた声が響いた。

『嘆きの声が、聞こえませんか…? 世界の均衡が崩れ、命の循環が止まろうとしている…』

それは、この世界を創り、理を司る根源的な存在、「大地の意志」からの呼びかけだった。声は、理恵の魂に直接語りかけてくる。

『我らは、世界を創りし者。だが、人々の争いと欲望が、理を歪ませた。森は嘆き、大地は枯れようとしている…』

彼女が命を懸けて探求した「月雫草」は、この世界の「月の涙」と同一の存在。そして、その植物は「大地の意志」と深く繋がっていた。理恵の植物への純粋な探求心と、生命に対する深い敬意が、世界の危機を救うための鍵だと「大地の意志」は悟ったのだ。

『あなたの知識と、植物への愛が必要です。魔力を持つ者は、その力に頼り、傲慢になった。故に、あなたを選んだのです。魔力を持たぬが故に、理をあるがままに理解できるあなたを…』

理恵は、その声に応えるかのように、植物学者としての誇りを胸に、静かに意識を手放した。彼女の魂は、滅びゆく世界を救うための器として、選ばれた。そして次に彼女が目覚めた時、彼女は伯爵家の幼い令嬢、リゼット・フォン・ヴェルナーとして、新たな生を受けていた。


第二章:出来損ない令嬢の錬金術

魔力を持たずに生まれたリゼットは、「出来損ない」と蔑まれる孤独な日々を送った。だが、彼女は絶望しなかった。前世の植物学者としての記憶と「大地の意志」の導きが、彼女に確かな光を与えてくれたからだ。

(この世界では、魔力こそが全て…でも、魔力がなくとも、前世の知識と植物への愛があれば、きっと…!)

リゼットは、伯爵家の膨大な蔵書庫にこもり、昼夜を問わず書物を読み漁った。そこで彼女は、前世の植物学と、この世界の薬草学や錬金術の知識を融合させ、独自の理論を確立していく。

(錬金術は、魔力を媒介とする技術…だが、魔力がなくとも、植物が持つ「生命力」そのものを触媒にすれば、同じ現象を起こせるはず…!)

これは、魔力を持たぬ彼女にしか辿り着けない、画期的な発想だった。彼女は、自らの魂に刻まれた「大地の意志」の導きと、植物学者としての知識を頼りに、錬金術の根源的な力「月の涙」を扱うための理論を構築していく。

彼女が薬師ギルドの学校に通い始めたのは、この知識をさらに深め、体系化するためだった。魔力を持たずとも、彼女の知識と技術は誰よりも抜きん出ており、教師たちも舌を巻くほどだった。しかし、その才能は、異母妹である聖女セレスティアの激しい嫉妬を買うことになります。

セレスティアは、国民の崇敬を集める聖女でありながら、その内側には深い闇を抱えていた。彼女は、王族と森が交わした古の契約を歪ませ、自らの権力を強大にしようと画策しており、リゼットの存在は邪魔でしかなかった。

「あの出来損ないの姉上が、なぜ皆に注目されるの? 私こそが、この国の唯一の光であるべきなのに…!」

セレスティアは、リゼットの才能を妬み、陥れる機会をうかがっていた。そして、ついに「聖女暗殺未遂」という濡れ衣を着せ、リゼットを忘却の森へと追放するのです。


第三章:運命の歯車、追放から始まりへ

追放の判決が下された後、私はごわごわしたワンピース一枚で、忘却の森の入り口に突き出された。衛兵の嘲笑の声が遠ざかっていく中、私はただ一人、森の入り口に立ち尽くしていた。

(死ぬために、ここへ来たわけじゃない)

冷たい空気の中で、私はぎゅっと拳を握りしめる。家も、地位も、名誉も、理不尽に全てを奪われた。けれど、前世から受け継いだ知識と、この体一つはまだここにある。そして、私の胸には、あの「大地の意志」が託した使命感が、静かに燃え上がっていた。

「さあ、私の新しい人生は、ここから始まるのね」

そう呟くと、私は覚悟を決めて森へと足を踏み入れた。

目の前に広がるのは、昼なお薄暗く、よどんだ瘴気が霧のように立ち込める「忘却の森」。その名の通り、一度足を踏み入れれば、二度と生きては戻れず、やがて人々の記憶からも忘れ去られてしまうと噂される禁忌の場所。ここが、私の新たな終の棲家らしい。

(大丈夫。植物は、毒にも薬にもなる。この森に生えるものも、きっと同じ。見極めさえすれば、必ず生き延びられる)

彼女の胸には、前世から受け継いだ知識と、植物への変わらぬ愛、そして、大地の意志が託した使命感が、静かに燃え上がっていた。

そして、その森の奥深くで、彼女は百年の孤独に苛まれた呪われの騎士、アレクシスと出会うことになる。それは、追放された一人の令嬢が、世界の運命を左右する「森の魔女」となる、壮大な物語の始まりだった。


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