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リネ


次に起きた時、太陽はすでに高く登っていた。


ふかふかの枕に大きな寝台。これ以上ない寝心地のはずなのに、起きた気分は酷い悪夢を見た時よりも最悪だ。

昨日ひどく泣いたわりに目が腫れないでいるのは、この寝台のおかげかもしれないが。


(夢なら良かったのに)


突然現れた白銀の髪と濃紺の瞳を持つ青年。

目に宿る鋭い光と、息苦しいまでの熱と、冷たい魔力。抵抗できない無力感。


『君、名前は?』

『だめだよ、逃げちゃ』

『――俺を見ろ、ジュネ』


昨日の混乱が気だるく残る頭の中で、耳にこびりついた声が浮かんでは消える。

見慣れつつあるアラベスク模様を締め出すように真っ白な枕に顔をうずめると、今度は微かにシダーウッドの残り香が髪から香った。

自然と眉間に皺がよる。


「なんなの、もう」


全部夢なら良かった。朝起きたら固いベッドの中で、仕入れる花の種類を考えながら今日の売り上げを予想する。

一日の始まりはそれだけでよかったのに。

はあ、とため息をつき、染みついた香りから逃げるように体を起こす。

昨日力の限り暴れたせいか腕も足も鈍い悲鳴をあげていた。


大きな窓から太陽の光が燦々と室内に降り注いでいる。

寝台を出て何気なく窓から外を見下ろすと、すぐ下には立派なバラの庭園が広がっていた。

庭の入り口は白い薔薇のアーチがかかり、中央の小さな噴水に向かって背の低い生垣が続いている。噴水の周りには十時に小道がつくられ、色とりどりの大小様々な薔薇たちが縁取っているのが何とも可愛らしい。

朝特有のみずみずしく爽やかな空気を纏って、小道を形作る白いバラたちが静謐な雰囲気を作り上げている。

庭園の奥にあるガラス張りの温室の中でも、薔薇が育てられているようだ。

隅から隅まで、まるで花の咲く角度まで計算され尽くされたようなデザインに思わずほうっと息が出る。


高価で育てるのが難しい薔薇がこんなにたくさん咲いているのを見るのは初めてだ。

せめて窓が開けられたら、香りも楽しめるのに。


「なんてね。それができたら空気を入れ替える前に私が出ていくけど……」


何気なく呟いて窓枠に頬杖をつき、しばらくそのままぼんやり外を眺める。

頭が重い。

突然知らない場所に連れてこられて、枷をつけられ閉じ込められているこの状況で、呑気に薔薇など見ている場合ではないが、実のところ今は起きているだけで精一杯だった。

再び横になったらすぐにでも眠りに落ちてしまうのがわかるほど、体が異様に眠くてだるい。

足取りこそふらつかないものの、まるで酒に酔った後のような体の重さで、瞼も今にも落ちそうなのだ。

また何かの魔術でもかけられているのかもしれない。

そうであるならますます眠りこけるわけにはいかないし、ここから逃げる術を考えなければいけないのだが……


「ーー窓から出る、か」


悪くはない。

というかむしろ脱出の定石だ。

窓を割って芝生の上に飛び降り、そのまま身を隠しつつ走って逃げる。シンプルだが、扉から出て屋敷の中を通り抜けるよりは何倍もいい。


(昼間だけど外に人はいない。まだ寝ていると思われている今はチャンスかもしれないわ。窓ガラスはかなり硬そうだけど、割れそうなものは何か……)


部屋を見回す。持ち上げられそうな家具はティーテーブルか、その椅子くらいしかない。

仕方なく椅子を選んで近寄ると、歩くたびに足の鎖がシャラシャラと音を立てて存在を主張した。

屈辱的な音だ。

逃げても無駄だと知らしめるように足を引く鎖。

枷だけで居場所がわかるなら、こんな鎖などいらないのに。


(そうだった、枷が……)


昨日の話が蘇ってはたと足を止める。

枷をつけている限りどこにいるかすぐに分かるとあの男(ユーシアス)は言っていた。

ならば、仮に窓を割り、鎖を切って外に出たところで無駄ではないか。


「……でもあんなやつの言うことを全部信じてやる必要はないよね。本当に枷だけで私の場所がわかるなら、鎖なんていらないじゃない」


そう考えると、やはり一か八か、窓からの脱出を試してみる価値はある。

窓が割れたらその破片で鎖は切れるかもしれない。人差し指ほどの幅の鎖は、輪の一つ一つは針金のように細く、固く尖ったものを打ち付ければ容易に壊れそうな見た目をしていた。


「よし」


そうと決まれば早かった。

寝台のシーツを細く割いて足に巻きつけ、小花柄の椅子を手に窓に近づく。

庭園に人の気配はない。やるなら今だ。

筋肉痛で痛む腕を無理やり動かして頭の上まで振り上げ、何度か振り下ろすシミュレーションをして角度を決める。そして大きく息を吸いーー


(せーのっ!)


一気に腕を振り下ろした。



ーーーーーーーーーーーー




数分後。

私は木の破片にまみれた姿で床に座り込んでいた。

目の前には、読めない表情でこちらを見下ろす使用人の少女。


「これは一体……」


スラリとした長身の少女は、飛び散った破片と足が砕けた椅子を交互に見てそう言ったきりしばらく黙っていた。

紺色のシンプルなワンピースにグレーのエプロン、しっかりとのりが効いた白い襟には銀糸での薔薇が刺繍され、袖口と紺とグレーのチェックのリボンタイの中心に銀色のボタンがあしらわれた使用人の制服。それをしっかりと着こなしている彼女は、部屋中に響く大きな音を立てた直後に部屋にやってきた。

初めこそ薄水色の形の良いアーモンドアイを見開いて驚いたように見えたものの、すぐに表情を引き締めた。

明るいキャラメル色の髪を一つに結び、つんとした鼻とピンクの唇、薄くそばかすの浮いた肌。一つ一つは可愛らしい印象なのに全体として知的な印象があるのは、背が高いせいか、それともどこか無機質な表情のせいか。


ちらりと、あらん限りの力をぶつけた窓を見あげる。何事もなかったかのようにピカピカだ。

日々どころか、ぶつかった跡すらない。

それに対して部屋の中はひどい有様だった。

砕けた椅子の破片があちこちに散らばり、床にくしゃっと落ちているシーツはビリビリ。

寝起きで頭がボサボサだし、寝巻き姿のまま、足に裂いたシーツをぐるぐる巻きにして座り込んでいる。

木屑を払って立ちあがろうとして、後ろについた手に木の破片が刺さった。


「いたっ……」


すると、使用人の少女はハッとしてこちらに歩み寄り、手を差し伸べて「手を」と言った。


「お怪我はございませんか。あぶないですのでその場で少々お待ちください」


引き上げられて立ち上がるや、思いの外優しく声をかけられる。

返す言葉を探している間に、彼女は部屋の外へ消えてしまった。程なくして掃除用具を持ってくると、壊れた椅子とビリビリのシーツを部屋の外に運び出してテキパキと片付け始めた。

途中、足に巻いたシーツも回収され、代わりに柔らかなスリッパを履かせてくれる。


「……ごめんなさい」

「構いません。仕事ですから」


家具をきちんと元の場所に戻し、箒で床を掃く。

一通り掃除を終えたところで、ようやく彼女がくるりとこちらに向き直った。

スカートをつまんで優雅に一礼する所作は、卒がなくて美しい。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。お初にお目にかかります、リネと申します。これからジュネ様のお世話をさせていただくことになりました。ご要望がありましたら何なりとお申し付けください。可能な限り叶えるよう申しつかっております」


流れるような洗練された動きでそう挨拶し、微かに微笑む。


「可能な限り、ですか」

「ただし、出る・帰る・逃げる・切る・外す以外を承るよう指示が出ております」

「切る?」

「はい。おそらくそちらの……」


鎖を、と足元を示される。


「ああ……」

「それ以外でしたら何なりとお申し付けください。ところで、お食事はお口に合いませんでしたか?今から朝食をお持ちするので、ご希望があれば厨房に伝えますが」


そう言って、リネがティーテーブルを指さす。昨夜は気が付かなかったが、そこには手をつけていないパンとスープ、サラダ、そして肉料理が美しく盛られていた。


「……食欲が無いだけなので、気にしないでください」

「承知いたしました。それではお腹がお空きになった時に口にできるよう、果物でもお持ちします。無理に召し上がらなくてよろしいですが、水分はとったほうがよろしいかと」

「ありがとうございます」

「お礼も敬語も不要です、ジュネ様。他に何かございますか?」


聞かれて、少し考えてから首を振る。


「承知いたしました。それでは私は一度失礼いたしますが、その前にユーシアス様から言伝をお伝えいたします」


一旦言葉を止め、口にすることを迷うように視線を彷徨わせる。


「……この部屋の窓はユーシアス様の術で守られているため、ちょっとやそっとでは傷一つつきません。大砲を撃ち込まれて初めてヒビが入るほどの強度だそうです。よって『窓からの逃走は諦めろ』と」

「大砲……それって、この屋敷に元々かけられているものなんです……なの?」

「いいえ。申し上げにくいですが、この部屋だけです。屋敷全体を保全する術はかけられていますが、それは屋敷が建てられた時にかけられたもののためそこまでの強度はありません。強力な魔術は維持するだけでも大変ですので」


どうやら、窓から出ようとすることは見破られていたらしい。

苦々しく思いながら頷くと、リネは


「それでは、また何かありましたらお呼びください。そちらの寝台横のひもを引いていただけばすぐに参りますので」


と言って今度こそ部屋を去っていった。

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