第三話 二面相の宮司見習い
………太陽も高くなり、ぽかぽかとした陽気があたりを満たすほどの時間になってきた。
「春日和」という熟語はまさにこれのことを指すんだろうなぁ…と思いながら、俺は和菓子屋の袋を食卓にどさっと置く。
さて、牡丹餅も買ってきたことだし、少しゆっくりしたら食べるとするかな。
そんなことを考えながら、俺は戸棚の雑巾にゆっくりと手を伸ば──
「周は働きすぎです! 私の責任ですし、掃除は私がやっておきますのでゆっくりしててください!」
「お、おう……わかった、ありがとう。」
そうなるとちょっとすることがないな………テレビでも見るか───
ピーンポーン!
「はーい、今行きます!」
なんだ? まだ午前中なのに今日は来客が多いなぁ。
滑らないように気をつけてっと………
ガチャ、
ドアを開けるとそこには…………「神楽?」
同じクラスの神楽が乱れた服装をし、とてもだるそうな猫背で立っていた。
普段は結構柔和な印象なんだが………あんまり彼女と話した記憶がない。
それにしても一報もなしに何の用だろうか? ちょっと察しはついてるが。
「あぁそうだ、急に邪魔して悪いな。上がってもいいか?」
「ちょっと待ってくれ、俺の家に何の用なんだ」
その言葉に彼女はピクリと反応したかと思うと、大袈裟に体を回しだした。
「よくぞ聞いてくれた! まずお前はな………」
溜めるな、焦らすな。
というか、さては何も聞かなきゃ何も言わずに上がってたな?
「でれれれれれれれれれ」
「ドラムロールを口でするな」
神楽は何回か体を回していたが、にわかに体を急停止したかと思うと、ズレた眼鏡を直し、人差し指を俺に突き立てて言った。
「悪神に取り憑かれている!!!」
今日は厄日か何かか………? いや傍から見たら幸運なことこの上ないのだろうが………
「悪神に取り憑かれている!!!」
大きな一呼吸ののち、さっきと同じテンションで神楽がもう一度繰り出す。
それにしたって、満面のドヤ顔でいうことじゃなくはないだろうか。
俺がぼさっと黙っていると、神楽が眉を寄せてさらに口を開く。
「だーかーらー、お前はあ・く・じ・ん。悪い神に───」
「別に日本語がわからないわけじゃないわ! 現実を受け入れられてないだけだ。」
おかしい………貧乏神の存在を感知できるのはすごく稀なはずじゃないのか?
福の神みたいに神なら感知できるのは理解できるが……………
人間………人間で合ってるのか?
俺はきっと今あんぐりと間抜け面なのだろう、神楽は少し笑みながら続ける。
「ふむ、確かにいきなりこんな話、信じられないのも無理はない。だが安心するといい。」
そう言ったかと思うと、今度は体を捻りだした。動きがやかましくてかなわん。
「微塵も安心できな───」
「しかーし! この神楽琥珀に巡り逢えたからにはもう大丈夫だ!」
そう叫び、ここぞとばかりに決めポーズをしてきた。とりあえず人を指で差さないでくれ。
というか話全然聞かないな………困ったな。
「実はお前の行動を今日観察していたが、いくらか不自然なことがあってな」
「観察しないでくれ。」
「まずお前は牡丹餅を買いに出かけたみたいだな? 今日は彼岸だ、風流でいいじゃないか。」
スルーしやがった。半ば予想はしてたが、ここまで清々しいと注意する気も起きない。
「だが歩いているお前のすぐそばには、お前以外にオーラが二つある。この身だから姿こそ見えぬがな。」
話題が話題だからか、根拠が当然のように常識から乖離している………
「ん? 『この身だから』?」
「いやなんでもない、忘れたまえ。」
変な話だが、珍しくレスポンスが返ってきたしとっても怪しい。
やっぱり琥珀もただの人間ってわけじゃなさそうだな。
「そしてお前は歩道をテクテクと歩いていたな。」
「あぁ、そりゃあな。」
「道中、何度も何度も空き缶を踏みつけては転んでいたな。それはそれは不自然なくらいに。」
しっかりと観察してるな………できれば見ないでいてほしかったが。
「あとはお前が通り過ぎた後、まだ蕾だったアネモネの鉢植えが綺麗に咲いた時もあったぞ。」
これは………福の神の力なのか?
「この事実から察するに、正のオーラと負のオーラ、要は『福の神』なるものと『悪神』この両方が近くに存在していることになる。………珍しいこともあるものだな。」
なんだろう、言っていることは至極荒唐無稽で根拠も薄いはずなのに、ズバリ言い当てているからタチが悪い。
「つまり何が言いたいんだ───」
「お前も本当は気づいているのだろう? 悪神の存在に」
声色はさほど変わっていないはずなのだが、妙に重圧感のある声で神楽が割り込む。
なんだか、見透かされているような…………?
「そのままではお前に悪影響だ。未来の宮司が直々に祓ってやろう。」
先ほどまでのおちゃらけていた表情とはうってかわって、鋭い眼差しが俺に照準を合わせている。
「断る、貧乏神はいい子なんだ。貧乏神というだけで追いやるのは違うだろう?」
「しかし、他でもないお前自身に害を及ぼすのだぞ?」
「そんなことは分かってる! それでも一緒に居たいというのは勝手すぎるのか……?」
…………祓われるのを止めるためとはいえ、正直に言うとなんだかんだこっぱずかしいな。
沈黙が流れるが………琥珀の目つきはどんどん緩んでいく。
「フッ、ハハハハハハッ!」
「な、何がおかしい!」
「いやー、『蓼食う虫も好き好き』というやつだな。」
物好きとでも言いたいのか、なにも言い返せないが。
「分かった、お前自身が嫌というのならばやめておこう。」
「よ、よかった………」
「その精神性は類稀なるものだ、大事にするといい。」
そう言い残すやいなや、琥珀はまっすぐとこちらに倒れてきた。
「うわっ、と。大丈夫か?」
間一髪支えられた、危ない危ない。
「………ん〜? どちら様だっけ〜?」
あれ、どういうこと?
表情からしてとぼけているわけでもなさそうだが………
「さっきまで会話してただろ。あ、名前は言ってなかったか、神酒周だ。」
「あぁ〜 周くんかぁ、ウチは神楽玲奈。神楽ぁやなくて玲奈ぁって呼んでくれたほうが助かるわ〜」
名前までは覚えていなかったが、言われてみればそんな感じだったかもしれない。………あれ?
「名前変わってない?」
「んん? あぁー、琥珀のやつ説明してへんかったんかいな〜」
口調もだいぶ変わっている、どういうことだ?
「ちょっと後ろ向いといて、服整えるから。」
「わ、分かった。」
「──んとなんとな、ウチ自体はまず普通に人間やらせてもろてるんよ〜」
「それはなんとなくわかる。じゃあ琥珀って名乗ってたのは一体なんなんだ………?」
なんだか事情がややこしそうだな……
「んとそれはな〜 ウチ、実は宮司の娘やの。んで最近神事の最中におとんがやらかしてもてな〜 神様はたいそうお怒りになってしもたんや。」
「お、おう………」
「そんで代償かなんかは分かれへんけどな〜 ウチの身体が依代になってもたんや。」
軽そうに振る舞ってるが結構大問題じゃないか………?
「そやけど悪いことばかりとちゃうで。例えばほら、気分がええ時は授業代わりに聞いてくれたりすんねん〜」
「玲奈は制御とかできるのか?」
「基本できひんけど強めに訴えれば大体聞き入れてくれるで〜」
「それは………難儀だな。」
なんにせよ、玲奈じゃなくて神が独断で舵切ったよくわからん問題だということが知れてよかった。
「そやからせめて、後から誤解解くためにも神様には『琥珀』って名乗ってもらうんや。」
「なるほどな………」
今だってこうして役に立ってるし、ライフハックとしてかなり賢い。
「なんしか、琥珀が迷惑かけてごめんな〜。またこういうこと起きると思うけど、どうか許してな。」
「もちろんだ。」
「ありがと〜、ほなまたな〜周。」
「あぁ。またな、玲奈。」
さて、応対がだいぶ長引いたな。牡丹餅の袋早いとこ開けないと───
「だいぶ長かったわね。」
声のする方を振り向くと、そこには福の神が仁王立ちしていた。
「すまん。そろそろ牡丹餅、食べるとしようか」
「そうしてちょうだい。それと………」
少し気まずそうに言い淀んだかと思うと、福の神はまた口を開いた。
「貧乏神には秘密にしておいてあげるわ、感謝なさい。」
「全部聞かれてた、か。」
しかしその言の葉は、すまし顔をしてスルーされてしまった。自明ということだろう。
玄関のドアノブに手をかけると、温い春風が頬を撫で去っていく。
じいちゃんばあちゃん、そして母さん。今年は賑やかになりそうだよ。