第一話 かみぐらしの始まり
ズルッ、ジャラジャラ、ガチャ!
「あ! ごめんなさい!」
夕飯をよそおうと、取り出しておいた皿がいきなり机から滑り落ち………
ガシャーン!! パリパリン!!
そしてそのまま、その全てがものの見事に割れてしまった。
「うぅ、やはり私の妖力のせいでこんなことに……」
彼女は割れた皿の前で、落ち込むあまり涙を流してしまった。
物はいつか壊れるものだから仕方ないのでは……と思うが、やはり申し訳ないのだろうか。
「君に怪我がなくて良かったよ、皿のことは気にしないで。さ、ご飯食べよう?」
「ぐすっ……そうですね、いただきましょう、」
お通夜とまではいかなくとも、暗い雰囲気の立ち込める部屋で、夕飯を食す。
いつもの食卓で顔を合わせても、涙目のままでいられるとどうにも落ち着かない。
こんな時は、初めて彼女に出会った日のことを思い出してみる。
……俺は神酒周。こんな目立つ名前以外は至って普通の高校生だ。
今日は木枯らしの吹き荒れる曇天。記憶の片隅にも残らないようなただの一日、かと思っていた。が、どうやら何か一味違うようだ。
毎日歩いてすっかり見慣れた通学路、しかしそこには見慣れない財布が落ちていた。
たまには変わったこともあるみたいだな。
とはいえ見てみぬふりはもちろん、中身をネコババするだなんていただけない真似はしない。
たとえ三ヶ月はガス代が払える額でも、だ。
情けは人のためならずともいうし、きっとカミサマもどっかで見てくれているはずだろう、多分。
そうして俺は財布を拾い、学校とは真反対の駐在所へと向かった。
この調子だと一時限目は遅刻だな。
二時間ほど歩いて駐在所に着くと、その入り口にはボロボロの服を着た少女がふらふらと立っていた。
とても痩せ細っており、背丈も俺の胸ほどまでしかない。
さらに前髪が目元までかかっていて、どこを向いているのかさえはっきりしない。
なんだか事件の匂いがするが、とりあえず用事を済ませてからにしよう。
というかお巡りさんは気づいていないのだろうか。
あれこれ色々と考えながら、滑りの悪い引き戸を開ける。
「すみませーん、お巡りさんいませんかー。財布が落ちてましたー。」
………どうやらいないようだ。まあ仕方ない、田舎の駐在所ならよくある話だ。
とりあえず、「落とし物入れ」と記されたカラーボックスに財布を入れる。
なんだかよくわからないまま駐在所を出ようと思った時───
「おやぁ、ミキくん……いや、ミキタカくんだったかな? 元気かい?」
「あ、弦さん、おはようございます。」
近所の弦さんだ。俺がまだ物心つかない頃から、多忙な両親の代わりによく可愛がってもらってきた。
すっかり髪の色が落ちた今でも農作を続け野菜を届けてくれる、とても働き者の爺さんだ。
「てか、ミキは名前じゃなくて苗字ですよ。」
「はは、そうだったかの?」
ちょうどいい、弦さんにあの少女のことを尋ねてみよう。
「あの、弦さん。あの女の子ってどこの家の子なんですか?」
そうして指をさした刹那、彼女は慌てて陰に隠れてしまった。
「ん? どこじゃ?」
「えと、さっきまでいました、けど……」
見てる。顔の半分ほどを覗かせながらこちらを伺っている。
結構目立っているのだが、弦さんには見えないのだろうか。
チラチラと出たり入ったりするさまは、さながら野うさぎのようだ。
「わしゃ最近目が悪くなってきてのう、何も見えんな。
じゃがもしかしたらそれは神様かもしれんぞぉ、なんてな」
「それはまた気になりますね、詳しく伺っても?」
「実はな、わしがまだ鼻水垂らしたガキンチョだった頃はな、小さな神社がこの辺りにあったんじゃ。
なんでも出雲へ向かう神の宿場として伝説が残っているとか、いないとか。参拝に行った人間は気に入られ、神隠しに遭うとまことしやかに囁かれていたのう、ヒッヒッヒッ」
そう話し終えた弦さんは、こちらを見て意地悪そうに笑う。
「へえ、それは確かに神がかってますね。」
そうこう話しているうちに、日がだんだん高くなっていった。
「おっともうこんな時間か、わしゃ行くよ。カミさんに怒られちまうからな、
神様よりカミさんが怖いってか、カッカッカ。」
さて、学校に向かうとするか。
だがあの少女は一体なんなんだ───
「もしかして、私が見えているのですか?」
ん? 後ろから声が聞こえる。まあ声の主に大体見当はついているが。
「あぁ、そうだな。見えてるよ。」
「やはりそうでしたか。少々お話をしてもいいですか?
「構わんが……歩きながらでいいか?」
「もちろんです。」
勾配の緩い、長〜い長い坂をてくてくと歩きながら、謎の少女と話すことにした。
「単刀直入に言ってしまえば、私は神なんです。」
「まあ、そうだよな。なんとなくそんな気してたよ。」
普通の人間が言うなら変で変で仕方ない、だがこの子が言うなら話は別だ。
「無理もありません。いきなりこんなおかしなことを言って、信じるはずもありませんよね───」
「神様だっていうなら、ここまでの違和感もすんなり納得できるよ。」
「───!?? えっ、え? 今なんて言いました!?」
「あれぇ!? 信じて欲しかったんじゃないの!?」
「いや、戸惑ったり、鼻で笑ったり、勘繰ったりとか……」
よほどまともに相手にされてこなかったんだろう、とても不憫でならない。
「さっきのお爺さん。あ、弦さんって言うんだけど、彼も然り滅多に姿は見えないようだね。」
「本当は見えないはずなんです……が。」
なぜわかっているのに話しかけたのか、やはり神だからかどこか変わっている。
それとも、気づいてもらえない前提で……?
「……それで、神様と一口に言っても色々な神様があるけど、どんな神様なの?」
「それは……」
急に世界に静寂が訪れた。なんだか気まずい。
舗装が少しガタガタな県道の脇、すっかり葉の落ちたブナの林からヒタキの声だけが辺りにこだまする。
風が枯葉を運び、吹き抜けていく。もうすっかり冬になったものだ。
鳥肌が立ち、ふと彼女を見る。
袖のちぎれたつぎはぎだらけの服で、寒くはないのだろうか。
それとも神だから平───「へっ……くしゅん!」
うん、やはり寒そうだ。
「公民館に寄っていくね。」
「え、あ……わかりました。」
さらに学校から遠ざかり、すぐ歩いたところの公民館に着いた。
こんな何もない田舎では、公民館の自販機だって重要な資産だ。
それにしても、どんなのが好きなんだろう。コーンスープにコンソメ、ココアにおしるこ……
………無難にココアかな。そう決め、財布を取り出した。
こじんまりとしたがま口を開け、千円札を取り出して自販機に入れようとしたその刹那───
ビュオウ、ビュウ、ヴオン!
突如鳴り響く轟音に、反射的に腕で顔を覆う。冷たい風が強く強く体を打ち付けるのがわかった。
嵐も過ぎ去ったところで手元を見たが、何も無くなっている。
さっきの突風に飛ばされてしまったようだ。
「災難なこともあるもんだな、もったいないけどまあ仕方ないか。どうにもならないし。」
そう自分に言い聞かせながら、がま口に手を突っ込む。
小銭に埋もれた底にあった五百円玉を取り、自販機に入れようとしたその時だった。
しっかり握っていたはずのそれが、まるで意志を持つかのように手からするりと抜け出した。
「あ、待て! ちょ!」
そう叫びながら精一杯に手を伸ばす。
だが静止もむなしく、五百円玉は一直線に側溝へと吸い込まれていった。
「あぁ……」
しばらくショックのあまりひざ立ちで呆然としていると、
「あの……もう大丈夫ですから…私のせいで……」
ひどく申し訳なさそうな顔で彼女がこぼす。
「いや、大丈夫じゃなさそうだからここまで来たんだ。だから気にしないで、ね。」
そうして俺は、財布に残った小銭の中から百円玉二枚を探し当てる。
大丈夫、これだけあればココア一本は買える。
「流石に何もない……よな。」
自販機の投入口にすっと頼みの綱を入れ、あったか〜いココアのボタンを慎重に、だがしっかりと押した。
ゴトン、と重めの音を立てて出てきたココアを取り出し、そっと手渡す。
「はい、ちょっと熱いけどどうぞ。」
すると彼女は一瞬目を丸くしてココア缶を見ると、黙って首を横に振る。
缶は開けられないのだろうか? パキッ、「はい、飲んで。」
「いえ……あなたのお金で買ったのですから、あなたが飲んでください。」
「俺の金で買ったなら、どうしようと俺の自由でしょ? あげるよ。」
かなり意地の悪い言い方をしてしまったが、こうでもしないと飲んでくれないような気がした。
「むぅ……」
とにかく悪い気がするのかそっぽを向かれ、膨れっ面になってしまった。
「いいから飲んでみなよ、きっと美味しいからさ。」
「……」
すると沈黙を破るように、缶の飲み口からココア特有の甘い香りがあたりに漂い始めた。鼻が至福だ。
一方それを嗅いだであろう彼女は、ボロボロなワンピースの裾を握りしめ、薄い湯気から目を必死に逸らそうとしている。
相当義理堅い子だな、素直に言えばいいのに。
そうして俺は何も言わずに缶を手渡すと、両手で恥ずかしそうに受け取ってくれた。
「あち!あちち……ふー、ふー。」
思ったよりも熱かったのだろうか、飲み口に息を吹きかけて冷まそうとしている。
一通り冷めたのかゆっくりと缶を傾け、口に含み───
「あ、甘い! 知らない甘さです! そして…あったか……い……………」
そう呟くやいなや、まっすぐと地面にへたり込んでしまった。
「口に合ったならよかったよ、ところで───」
「スー………スー。」
どうやら、安心して眠ってしまったようだ。仕方ない、一旦ちゃんとしたベッドで寝かせてあげよう。
「よっ………と、かなり軽いなぁ」
彼女───貧乏神は、俺の背中の上でぐっすりと眠りこけていた。
「どうしましたか……? お料理、お口に合いませんでしたか……?」
「あ、いや! とっても美味しくできてるよ! ほら、この厚揚げだって味がよく染みてる!」
耽りから急速に戻った反動か、俺は勢いよく煮物をかき込む。
昆布の風味がよく効いた、温かい醤油出汁が冷えた体によく沁みる。
「あち、あち、あち。」
当たり前だがとても熱い、それでも箸は止まるところを知らないかのように進む。
「ふふっ」
「どうしたの?」
「いえ、なんでもありません。」