382話 空に浮かぶ檻
382話目投稿します。
彼こそが異質、彼こそがこの国の礎であり刻まれた歴史
ある時、一人の研究者が辿り着いた答え。
この世のありとあらゆる知識は人という短い時間では到底収まりきる物ではなく、時に人伝に、時に書物から、様々な手段で個々の魂に積み重ねていく。
それが当たり前で、誰にでも出来るが、誰の手にも入らない極自然な摂理だ。
研究者の辞書には諦めという言葉は無かった。
周囲から空氣と嘲笑されようとも彼はただ只管己の知らぬ知識を求め、人から学び、書物に齧りついた。
当代に於いては追随などという言葉すら恐れる程の、汎ゆる者たちの目に映る知識の泉。
彼に近しい者たちは、己の事でなくとも誇らしげで、彼自信もどれだけ脚光を浴びたとて慢心せずただ只管に泉を潤わせていた。
誰もが憧れを抱き、彼に少しでも近づけるようにと、正に彼が住まう国に於いて知らぬ者など居ない、彼こそが国の象徴。
そうして誰もが注目を寄せる中、事の起こりもないままでただ時間に流されていればまた違う結論に至ったのだろうか?
「貴方程のお方でもご存じない事がお有りなのですね。」
その会話はただの世間話の中にあった一言。
聞き流してしまえば何のことはないありきたりな一言であったソレが、彼の琴線を震わせる。
誰に話すでもなく、その内だけに刻まれたその言葉は、彼自身の思いも寄らない無意識で黒い影となって残った。
己に知らぬ事など何もない。
その言葉を体現するためだけに費やされる彼の魂。
ふと気付いた時、彼の体は書物の頁を捲る事すら儘ならぬ程に衰える。
しかし彼は老衰に焦燥感を感じる事は無かった。
何故なら、己の意志を残し続ける方法を生み出していたからだ。
事は至って普通に、朝起きて朝食を取る、そんな日常と同様に。
国は哀しみの渦に包まれ、偉大な人物を失った事実に直面するはずだった。
しかし彼にとってはそれすら些事。
大通りが彼の新たな旅立ちを見送る葬列に明け暮れる中、彼は脇道を歩く。
身の丈に不釣り合いな大きな本、誰が見ても貴重と思える程の装飾が成されたソレを抱えて。
彼は繰り返す。
人と同じように眠りから目覚め、人と同じように食事を取り、人と同じように日常を過ごす。
彼が若い頃からそうしたように、人の話に耳を傾け、
彼がそうだったように時に空氣と嘲笑われ、書物の齧りつく。
何度繰り返したところで、彼が周囲を気に留める事などない。
彼と違い、いずれはその顔も見なくなる事に変わりはない。
彼は繰り返す。
彼の日常はどんな時でも変わらず。
彼の歩く道はいつも同じ。
彼の周りは様々な人が入れ替わる。
彼の暮らす町は時の流れに倣い景色を変える。
彼は繰り返す。
彼がそれを始めた時、失敗ではないが彼が後悔したこと。
一目につくと碌な事が無い。
そこから彼自身が学んで、結論に至った事。
目立たない事。
「大々的な葬儀など私にとっては無意味だ。あの日は今でも覚えているよ。」
道行く人の顔は誰もが似たような表情で、見ている方が滅入る。
そして移動の邪魔にしかならない規制。
食事を取る場所を探す事すら苦労したあの日の事。
そして至った。
彼がこの先、永劫に続く時の中で繰り返す世界の形。
「キミたちが私の元に辿り着く事はまず無いだろうね。」
私の視界に見える映像の男。
ラグリアと同じ顔をして、同じような笑みを浮かべて開いた口から出た言葉。
それだけでも分かる。
この男はラグリアとは別人だ。
まして私が未来で会ったあの人とも違う。
彼が語った事が本当だとしたら、私に話しかけているこの男も、彼ではない。
『シャピル…』
私が思っていた以上に、ノプスやベーチェがその身を置いていた場所は異質。
そして、彼の見た目を持つ男がこの日、この時に、何故現れたのか?
話を鵜呑みにするなら、この一連の行動に、彼の欲を満たす何かがあるという事なのか?
知り得ぬ何かを得るための何かが、この地にあるというのか?
「あのままセルスト卿の捕獲が続いていれば私が出向く事もなかったのだがね。可能性として考えてはいたものの、私としては興味が湧いたのもあってね。」
淡々と、かつ重要で、しかも秘密裏に行われていた事も気軽に喋る口。
姿だけでなく、その中身も異常過ぎて、首筋に寒気を感じながらも滴る汗がとてつもなく不快だ。
「あぁ、言っておくが、キミはここから出られないよ。私の目的のために用意した船だ。散々暴れてすでに理解しているだろう?。キミの力ではこの船は絶対に壊せない。」
『…っく…』
その可能性を考えていなかったわけじゃない。
でも考えが甘かったのは事実だ。
そして何より、この船の目的。
『私に何の用が…』
「それを調べるのも興味の一環だよ。」
感想、要望、質問なんでも感謝します!
可能性を超える方法、ここから脱出する方法があるのだろうか?
次回もお楽しみに!