372話 彼女の分岐点
372話目投稿します。
その意志があれば分かれ道に迷う事はない。
できるならば、痛みや苦しみが無い事を願う。
「何の用?また拷問?」
それ程頻繁に使われるわけでもない城の牢獄。元々城に出入りする事も多くない者からすればその存在すら新鮮に思える薄暗い空間。
松明代わりの発光装置の灯りに照らされた訪問者の顔を見て獄中のべーチェが悪態をついた。
『そんな事しないよ。話を聞きたいだけ。』
「…ふん」
そっぽを向いて息を吐くが、その肩から少しの恐怖と緊張感が緩むのは見て取れた。
『傷の具合はどう?』
体の節々に巻かれた包帯は処々赤味を帯びた黒色に染まってはいるが、その殆どは乾いている様子、見て取れる範囲の痣もそれ程深刻ではなさそうだ。
「付けた側の人間が良く言うわ。」
すぐに打ち解けてくれるなんて思わないけれど、すぐに返ってくる文句でも、とりあえず口も聞いてくれない程ではなさそうで助かる。
『多分無理矢理にでもノプスに口を開かさせられたでしょうけど、』
先の拷問を彷彿とさせる話題に、彼女の肩が一度、ブルりと震える。
『私は貴女の事が知りたくてここに来たの。』
彼女が捕縛される前、言葉を交わしたのは一度だけ。
何気ない、とても短い会話だったけれど、その時の彼女の表情にはどこか憧れのような輝きがあったのを覚えていたからだ。
それ故にこの状況も、あの時の凄惨さも、安易に直視出来なかった。
「…」
例えばここで私が相応の手段を取れば先日同様の空気感で彼女の口を開かせる事は出来るだろうし、彼女自身も当然ソレを理解している。
こちらを伺う視線と、少しの逡巡を経て
「…何の話よ」
と口惜しさが抜けない呟きを漏らした。
『ありがとう。』
予想外だったのだろう、私の口から届いた感謝の言葉は、彼女に驚きを与えた。
「変な子ね。」
『最近はそんなに言われなくなったんだよ?自覚はあるけどね。』
夕暮れの町並みを屋敷に向かって歩く。
城門の外に迎えの馬車が待機してくれては居たが、少し頭の中を整理したくて歩いて戻る事を告げた。
同じ道は何度か歩いた事はあるが、以前と景色が違う。
今となっては王都に上下層の違いは無くなり、記憶より少し高くから降り注ぐ夕陽がそう思わせているためだ。
『ふぅ…』
べーチェと話した事は大した事のない世間話だ。
彼女自身も以前王都に暮らしていた時期があったらしく、今回の一件で大きく変わった様子は聞いていた上でも驚いたという事だった。
差し障りのない会話は彼女の警戒心を緩める事に成功し、言葉の節々から刺々しさが抜けた。
自虐的な笑みは残ったままではあったが、昔の話も聞くことができた。
先日交わした短い会話。
その中でも私が感じたのはノプスに対する心の現れ。
諦めのような意志は感じられるものの、彼女の中で昔憧れの的であった気持ちは決して消える事なく残っていたのだ。
それがあの時私が感じたモノに間違いはない。
『今後、貴女はどうするの?どうしたい?』
最後に問いかけたその答えはまだ聞いていない。
今の状況で彼女が取れる選択肢は限られているし、一方的な立場で結論を急くのは判断力を削ぐ事に他ならない。
もしも彼女が協力してくれるならそれは嬉しい事だし、私たちがまだ知らない事だってあるだろう。
拷問を受けて口を開いたと言っても彼女の記憶全てをひけらかしたわけではない。
彼女から齎される情報は今も尚貴重である事に変わりはない。
『しっかり考えてくれるといいけれど…』
彼女がどこまで信じてくれるかは分からないが、もし彼女が私たちと共に歩く事を拒んだとしても、私はこれ以上彼女を傷付けるつもりはない。
誰にどう思われようとそれだけは何としても守る。
『ふぅ…』
考え事が悩ましいと頭が熱くなる。
吐いた息は少し白い。
故郷はそろそろ雪景色の雰囲気が現れる時期だろうか?
『父も母も元気にしてるかな?』
最後に顔を見て、言葉を交わしたのはエディノーム郊外での戦場が終結を迎えた時だ。
それ以降、療養も兼ねて故郷に戻っている。
あの2人が衰えるところなんて想像も付かないが元気で居てくれればいいな、と思う。
『落ち着いたらまた戻ってみたいな。』
雪の深い季節は決して過ごしやすいわけじゃない。
それでも私のお気に入りの場所は夏の青草より冬の白銀が似合う。
記憶に残る景色を思い出しながら歩く町並みは、陰る陽光と共に肌寒さを招き、故郷に馳せた想いも相俟って少々物寂しい気持ちになる。
『今更…すっごい今更なのに、恋しくなるなんてね。』
パンっと軽く両頬を挟む。
いずれにせよ、今はまだ王都を離れる事はできない。
べーチェの答えを聞いて、外の世界に対して、私たちが出来ること、やるべき事をはっきりとさせなくては。
『こんな時だから気を引き締めないとだ。』
屋敷の一部が視界に入る。
この大事な場所を守る事。
屋敷だけじゃない。
王都を、王国を、そこに暮らす人々を守る。
今は亡き屋敷の主が望んでいたであろう事。
『私、少しぐらいは上手くやれてるかな?』
誰にでもなく漏れた言葉は夕闇に吸い込まれるように消えた。
返事をしてくれる人は…それでも何処かで見てくれているのだと思いたい。
感想、要望、質問なんでも感謝します!
訪れは静かに、張り詰める空気はその姿を容易に隠す。
次回もお楽しみに!