367話 慣れぬモノ
367話目投稿します。
見ているのは辛い、それが誰であれ。
「見ていられないなら後で報告を聞くんだな。」
薄暗い部屋の中、中央に置かれた椅子と、そこに座したまま意識のない人が一人。
灯りは一つ。
取り囲むように立つ私を含む数名の細かい表情までは見えない。
若干で言えば私に対して声を掛けたヌシは、その身長の為かその体格に似合わぬ鋭い視線が雰囲気と相俟って緊張感に拍車をかけている。
無論、彼の言うように事の次第と自分も関わっている一件を事後報告で済ませるつもりは毛頭ない。
『余り子供扱いしないで。』
唯一反論できた言葉も不慣れ感は否めない。
「さて、始めようか?」
それを合図に中央に歩み出たのはヘルトだ。
椅子に腰を下ろしたまま動かないその肩を揺さぶる、が反応はない。
一度顔を上げて周囲…というよりこの場を統べる者、ノプス或いはセルストに視線だけで伺いを立てる。
頷いた彼女は表情を変えず、脇に戻り取って返したその手に持った水桶、揺れる水音が妙に響く。
バシャァァァ!と無遠慮に水に晒された対象が体を震わせた。
間を置かず上げられた手が勢いよく振り下ろされ、パァァァン!と木霊する音。
一度、二度、三度。
「う…うぅ…」
一気に覚醒させられた意識と、追い打ちに加えられた痛みに呻き声が出るのは必然だ。
「目が醒めたかい?」
歩み寄ったノプスの声に反応して、腰掛けた人物が顔を上げる。
「…ありきたりだけど知ってる事を話してもらうよ?」
まだ朦朧としているのか、頭が揺れている。
「べーチェ」
ノプスの口から発せられた言葉、それは部屋の中央で後ろ手に縛られ、身動きが取れず、意識もまだはっきりとしていない目の前の者の名前だと気付いた。
彼女が私にこっそりと伝えた侵入者の名。
悲しいかな、つい数時間前に私と軽く会話をしたその姿は今の段階でも十二分に無惨と感じるのは私自身がこんな光景に慣れていないせいか…。
「…わ、私に気付いていたの?」
「うろ覚えだったのは確かだけどね、少なくとも技術院にも学術院にも所属していない者くらい私でなくても気付くだろう?」
それは立場の違いからか、逆に私は彼女が言うように自分の身近な者全てを把握しきれているのだろうか?その自信はない。
反論する点ではないが、上に立つ者でも誰しもそれが出来るわけじゃない…と思いたい。
もっと日常に目を向けるべきだな…とこんな時にも関わらず己の事を顧みてしまう。
自分はあまりにも未熟だ。
セルストが私を嗜める理由も合点が行く。
『足りない事…まだまだいっぱいあるな…』
一段落した役割を終えたヘルトが傍らに寄り添い、そっと私の手に触れた。
「…」
声に出さず、口の動きでヘルトは言う。
大丈夫ですよ、と。
『…』
コクリと頷きで返すと共に一度だけ、彼女の手を握り返した。
「裏切りの後継者が今となっては王国の高いところでさぞいい生活してるんでしょうね?」
紡がれた言葉は隠すつもりもない敵意をノプスに向けて牙を剥く。
「キミがどう思っていようが私には関係ない話だね。キミこそすでに消えかけているモノにいつまで縋り付くつもりだい?」
返す刃で受け流された己の言の刃、流石に言葉につまる。
元々表舞台に立つことのないシャピルの名は、先日の南部での事件で危険視されると同時に当該の当主消失と共に勢力を大きく衰退させた。
しかし、彼女のようにその名に関わる者の存在は、未だに舞台の影に潜伏したままだ。
「まどろっこしいな、変われ。」
元はと言えば自領にあった勢力の問題でも彼にとっては何処吹く風だ。
当人からすれば、今の自分の見た目も彼女を始めとする舞台裏の手に依るところ。
その怒りの矛先と鋭さを止められる者はここには居ない。
その後のやり取りは悲惨そのものだ。
口を紡げば指を折られ、文句を言えば頬を殴られ、返答に間を置けば爪の間を刺される。
部屋の中央に赤い模様が現れるのに然程の時間は掛からなかった。
「大丈夫ですか?フィル様。」
こんな光景を見るのは当然初めてだ。
室内に籠る空気と、血の匂い、悲鳴と絶叫が未だに耳元に残っているような感覚すら覚える。
『…貴女は平気?』
口元を押さえたままで聞き返しはしたが、彼女は小さく「慣れる物ではありませんね…」と呟いた。
その言葉は決して軽くはない。
セルストとの関係を知って、平和に過ごせるように、と兄の恩恵で暮らしていたとしても、心を揺さぶられない程の経験が彼女にもあるのだろう。
「暗がりに身を置いている割に汚れを知らん、か。オマエは今のままでこの先も進むつもりか?」
いつの間にこの部屋に来ていたのか、声の出所に視線を向けると、部屋の入口脇の壁を背凭れに問うセルストの姿が見えた。
「兄様…」
代わりに何かを言おうとしてくれたヘルトを黙らせる程の鋭い視線。
『そう…だね…。』
戦場で多くの血を見た。
眼の前に立つ男の手に依って、大事な人を傷付けられ、命さえも奪われた者も居る。
それでも私は、今の私は彼に対しての怒りも恨みも失せている。
隣に立つヘルトの事があったとしても…私は…彼に対して溢れるほどの感情を抱く事が出来ずにいる。
「毒されているな。」
彼が何を言っているのか、この時の私には分からなかった。
「優しい世界を望むのはオマエの終着点なのだろう?」
その為にこの身が傷付いても苦じゃない。
この体は立処に治してしまうから。
『はは…いっそ皆の痛みが私に来ればいいのに…とかさ。』
不甲斐なさに乾いた笑いしか出ない。
「重症だな。」
ヤレヤレ、と付け足さなくても身振りがそう言ってる。
『…ありがとう、セルスト卿。小さくなっても貴方は変わらないんだね。』
いっそ開き直る方が気が楽。
「…いつでも相手をしてやる。今の俺なら未熟者の相手には丁度いいだろう?」
身を翻して部屋を後にするセルスト。
「あっ…兄様!」
ヘルトも彼を追って外へ。
――――――――――
「しっかり見ておけ。アレはこのまま行けば取り返しが付かなくなるぞ。」
「兄様はズルいですよ。」
「済まないな、アレを止めるとすれば俺の役目のはずだったが…」
「あら、いつでも相手になるのでは?」
「今はな。」
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彼女は何の目的で危険を冒したのか、その結果が私たちに齎した事は…
月曜~金曜投稿、次回もお楽しみに!