225話 従者の白い手
225話目投稿します。
不安の理由は間違ってはいなかった。その割を食うのはいつだって周囲だ。
「私が貴女様のお傍にいる限り、そのような事は決して許しません。」
目を閉じて済ました耳に届くヘルトの声は、枕元からほど近い位置。
眠気のあまり自然と私の口から出た言葉は少々配慮というモノに欠けていた。
しかし、彼女の返事もまた、少々自虐的過ぎる。
『ねぇ、ヘルト。少しお話してもいい?』
謝罪と甘えを込めて聞く問いかけに、ヘルトはベッドに腰かける事で返事をする。
わずかにギシリと軋む振動を感じつつ、手探りで動かす手に、彼女の温かい手が重ねられた。
『出会ってからずっと、色んな事に巻き込んでばかりだ。ダメだね。私は。』
「フィル様、私は貴女と出会えて良かった。」
私の傍に居る事で、凡そただの従者やメイドでは到底訪れる事のない知識を経験を頂いているのだ、と彼女は言う。
今も尚継続して、空いた時間をこの執務室に集められる様々な書籍を読み耽る事で学術研究所に近しい文献にも出会えるのだ、と。
やがて膨らみ続ける彼女の知識と経験は、この時代に於いての時間という名の地平を走り、多くの事を見通す道標となるだろう。
それだけの才が彼女にはあると、私は思っている。
故に今はただ、彼女に申し訳ない想いに潰されそうになる。
今、私の手に触れているのは温かい右手。
互いに指先を動かして弄ぶ様子に、2人とも小さく笑う。
ベッドに転がる体勢を少し変えて、右手で彼女の左手を呼び寄せる。
少しの戸惑いを置いて、差し出された冷たい指先。
硬く、色は灰色、そして昨日よりも、その指先は彼女の肌に灰色の絵具を塗りたくるように這いずっているのだ。
異変に気付いたのは今日の朝。
眠い目をこすりながら私の部屋に訪れたヘルトの左手には包帯が巻かれていた。
どうしたのか?と問い詰めても口を濁す。
妙な振る舞いを訝し気に感じた私は、強引に彼女の包帯を剥がし、その白い手を見る事となったのだ。
「ギリアム様は恐らく何ともありません…ですが…」
彼には決して伝えるな、と目が語っている。
そして悲しいかな、その意見すらも彼女からすれば従者としての領分を超えていると感じているのだろう。
『それでいいの?』
「あの方にもきっと輝かしい未来があるでしょう。従者の私がその道を塞ぐわけにはまいりませんので…。」
『解った。』
『元に戻す方法が解ったら、一番に元に戻すからね?』
「それはダメです。」
『む…』
彼女の真意、それは私が石化を戻す方法を探す理由を作った者の事。
「以前、遠目ではありますが、カイル様とフィル様の睦まじい様子は伺っております。」
彼を差し置いて自分を元に戻すなど言語道断だ、と。
自分が歩いてきた道を踏み外したり、逸れるような事はダメだ、と。
私が好きなところ。
自分の領分がある、といいつつも、しっかりと私に対しても道を示してくれるところ。
謝った時に、その手を添えて方向を治してくれるところ。
『それでもさ、方法があるなら絶対に戻して見せるから。』
「カイル様が戻られた後、ですよ?」
『うん。必ず。』
指切りを交わす。
「フィル様…今を逃すとお伝えできないかもしれない…宜しいですか?」
改めて向き直るヘルトの表情は、いつになく真剣で、意を決した彼女に気圧されてしまう。
「以前、私は家族についてお話したと思いますが、覚えていらっしゃいますか?」
確か、王都に暮らす両親のために、王城で従者をしていると聞いた。
「申し訳ありません。正確に言うとあのお話は偽りなのです。」
育ての親、共に暮らしていた事は事実だが、実際には血の繋がりは無いという。
本当の両親は、私たちが出会うよりずっと昔、まだヘルト本人が幼い頃に亡くなったそうだ。
「私には唯一血の繋がった兄が居ます。」
若くして武勲を上げ、父の元で存分にその力を振るい、やがては親すらも凌駕したその力は大陸に名を馳せ、王都にも轟く程の偉業を成す。
王国への忠義を尽くした父と異なる彼は、まさに野心をその身に体現したかのような人物。
己の欲を満たす事にだけ命を捧げ、その削り合いこそが彼の心を昂らせる。
『…うそ…それって…』
今は王国の南で、その身を休め、傷を癒し、新たな戦いの時を待つ男。
『セルスト=ヴィルゲイム…』
申し訳なさそうに頷くヘルト。
そして、改めて名乗る彼女の名は…
「私は…ヘルトフィア=ヴィルゲイム…嘘偽りなく、それが私の本名。そして…セルストは実の兄なのです。」
当然、セルストはヘルトが私の傍に居る事を知っている。
思えばあの時、スタットロード家の皆と遠乗りに出かけた時に私とヘルトが共に居るところをその目に捉えていた。
「ただ、兄は手段を選ばぬとはいえ、卑怯な手…暗殺などを行う事はない。むしろそれは兄の部下による独断と言えるでしょう。」
母に撃退された襲撃者と、暗闇の中で私が追い返した襲撃者。
いずれもセルストを慕ってはいたが、命令が彼から発せられたものではないのだ、と。
「アレは最早人とは言えません…もしも私がフィル様を庇ったとしても、兄は何の躊躇もなく私を焼き尽くし、斬り捨てるでしょう。」
セルストのそういった印象は解る。
己の欲のためなら、どんな事でもやる、けれどそれは恐らく自らの手で行う事に快楽を得る人種なのだろう、と短い時間でのやりとりがそれを理解させる。
「…ですが、もし叶うなら…」
どれほどの傍若無人だとしても、欲望のままに生きているとしても、セルストは彼女にとって唯一の肉親。
『ごめん…ヘルト…あの人に対しては、手加減なんて出来る気がしないんだ。』
『でも、私にできるだけの事は頑張るから…』
「ありがとうございます。」
涙を溢すヘルトの肩を強く抱きしめた。
残された数日は、私たちが思っているより早く経つ。
「では、フィル様…お待ちしております。」
最期の最期まで小言を残し、彼女は笑ってその体をモノ言わぬ白い塊へと変えた。
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石像を安置する地下は、まるで墓地のようだ。
次回もお楽しみに!