第68話 エンジェルロード⑥
東京都。千代田区。内閣総理大臣官邸。首相執務室。
「……晴れたか」
杖を片手に持ち、立っているのは、千葉一鉄。
窓ガラスの外に広がる景色を見て、感慨深そうに言葉を漏らす。
「てめぇ……。いったい、なにもん、だ」
膝をつくのは、ラウラ・ルチアーノ。
顔は腫れ上がり、痛々しい打撲の痕跡が見える。
武器化は解け、両手にあった爪は、元の青い蛇に戻っていた。
(……どうして、こいつが前線に出ねぇんだ。そんなら、とっくに)
国のトップだろうと、結局は政治家。雑魚に決まってる。
そう食ってかかったが、規格外に強ぇ。手も足も出なかった。
こいつが少し本気を出せば、お披露目なんぞ余裕で止められたはず。
「何者か、だと? そんなもの決まっている」
一鉄は、杖を真一文字に構え、柄部分を引いていく。
現れたのは、銀白色の刃。杖には、刀が仕込まれていた。
(……仕込み、刀。ってぇことは、こいつ、まさかっ!?)
浮かぶのは、帝国に潜入する前に調べた情報。
敵対する可能性がある組織の調査報告書。そこからの推察。
その組織の階級は、主に二つ。各都道府県にいる上位二名が任命される。
――ただし、一つだけ例外があった。
「内閣総理大臣、兼、滅葬志士総棟梁。千葉一鉄だ」
(総棟梁……。僕じゃ手に負えねぇわけだ)
総棟梁。副棟梁や、棟梁よりも格上の存在。
滅葬志士という組織の全権を握る、実質上のトップ。
調査報告書には長らく空欄だった名前が、今、埋まっちまった。
「……誰に歯向かおうとしたか、その身で刻めぇ」
足音が近づき、頭上に振り上げられるのは、仕込み刀。
迷い込んだネズミを排除するための刃が振るわれようとしている。
(くそっ。体が動かねぇ……。こんなところで、終わり、なのかよ……)
知っちまった以上、助からねぇ。
待ち受けてるのは、口封じのための死だ。
「ちく、しょうが」
出てくるのは、三流のチンピラのようなセリフだけ。
成す術もないままに、頭上の仕込み刀は、容赦なく振り下ろされた。
◇◇◇
東京都。千代田区。国会議事堂前。天気は雨ときどき大晴れ。
路駐する選挙カーを中心に、国会議事堂周辺まで晴れ間は広がる。
その情景に心を奪われる人々が大半の中、一人、難色を示す人がいた。
(不快な、お音色……)
純白の鎧を纏うユリアは、地上から選挙カーを睨みつける。
曲は間奏中。ジャカジャカ鳴り響く、その音色が妙に気に障る。
音楽的な知識は皆無。それでも音は直感的に理解できてしまうもの。
一方的に心の中に入り込んでくるこの感じが、生理的に受け付けなかった。
(あの時、お手心を加えなければ……)
折れた刀を振るう志士を片手でさばきながら、思い返す。
防音室での出来事。あのいけ好かないグラサン男とのやり取り。
(いえ、やめましょう。目的を果たせば、全て済むこと)
目の前の志士を無視してユリアは歩き出す。
振るわれる刃は鎧に歯が立たない。意味をなさない。
「――ここは、通しません」
そこに現れたのは、左頬に傷がある褐色肌の少年。
お時間稼ぎ。だと顔に書いてあるほどのひ弱そうなお人。
(これも運命、なのかしら……)
ユリアは知っている。ジェノの存在を。
ユリアは理解している。己に課された役割を。
ユリアはわきまえている。白教に属している意味を。
(秘密を明かすのは、もっとお先。今は、まだお早い)
「あなた、お名前は?」
真意を胸に秘め、ユリアは初対面であるかのように問う。
返ってくる反応も、答えも手に取るように分かるというのに。
「ジェノ・アンダーソン。あなたを止める者の名です」
◇◇◇
選挙カー上、特設ステージ。
間奏を彩る至高のギターソロが終わる。
いよいよ、次はCパート。あと少しで歌い切れる。
(キクさん……想いは受け取りました。後はわたしが)
マイクを握るのは、アザミ。隣には、ツバキが立っている。
「涙と笑顔 出会いと別れ
すべてが人生の 宝物なんだ」
歌で紡ぐのは、ナナコが遺した最後のフレーズ。
死ぬことを見越して書いた歌詞。彼女が隣にいるように感じる。
「迷いと不安 誰にでもあるもの
だけど諦めたら 終わりに向かうだけ」
次に紡ぐのは、ナナコの歌詞へのアンサー。
死ぬかもしれない状況で書いた歌詞。彼女がいたから前を向けた。
「夜明け前の闇も きっと必要な
輝きに向かうための 大切な一歩」
(ナナコさん……今までありがとう。もう、行くね)
アザミは心の中で別れを告げ、曲は最後のサビに差し掛かる。
◇◇◇
選挙カー前。
対峙するのは純白の鎧。
(……時間の流れがおかしい。曲がゆっくり聞こえる)
ジェノは濃密な時間の中にいた。
「ご存じでない? このお時間の圧縮を超感覚。と言うの」
曲よりも先に、鎧から声がする。
その間にも、アミの刀が何度も鎧を打ち付けている。
(きっと、嘘じゃない。嘘をつく必要がない。それよりも……)
この状況をなんとかしないといけない。
「……」
ジェノは無言で、右腰のホルスターに手を突っ込む。
そこには、真紅の小手。〝悪魔の右手〟があり、装着する。
それは血と生体電気を代償に物質分解能力を持つ、優れものだった。
「お無駄よ。次に放つわたくしのお攻撃は、人の目で捉えることはできないわ」
一方、鎧が手に持つのは一本の黒い羽根。能力は不明。
だけど、絶対に当たっちゃいけない。そんな予感がした。
「やってみないと、分かりませんよね?」
今まで何度も不可能を可能にしてきた。
やる前から諦めるなんて論外だ。今回もきっと何とかなる。
「……ええ、そうね。球種は全力ストレート。ぜひその身でお受けになって」
絶対的な自信からか、鎧はストレート勝負を宣言する。
(ストレート、か。分かりやすくていいや)
きちんと受ければ、〝悪魔の右手〟で消せる。いつもと同じだ。
「受けて立ちます。アミさんは手を出さないでください」
もう刃はボロボロだ。万全の状態ならまだしも、今の彼女に止める力はない。
「……っ」
アミは歯を食いしばり、顔を歪めている。
返ってくる言葉はない。ただ、悔しそうだった。
「そんな顔しないでください。あなたが繋いでくれたバトンなんですよ」
ここまで本当に色んな人が、必死で場を繋いでくれた。
その全てがあって今がある。それをたった一人に壊されるわけにはいかない。
「お覚悟はよろしくて?」
舞台は整った。曲を邪魔する者と止めたい者。
受けられれば勝つし、受けられなければ負ける。
シンプルで単純な直球勝負。不満なんか一切ない。
「いつでも、どうぞ」
止めたい。その思いを体に込める。
すると、銀色のセンスが胸の内側から溢れ出た。
ここで力を全部使い果たしてもいい。次の一瞬に全てをかける。
「……では、お遠慮なく」
鎧は黒い羽根を振りかぶり、力を込める。
意思は見えない。鎧そのものが意思の力なのかもしれない。
(あの時と、ちょうど真逆か……。でも、関係ない)
頭によぎるのは、去年の12月25日。
大統領が纏う黄金の鎧と対峙した時のこと。
あの時は、ただ攻めることだけを考えればよかった。
だけど、今度は受け手。どうにか、守り切らないといけない。
(受けなきゃ負ける。……でも、どちらに転んだとしても、勝ってやる)
ひそかな勝算を胸に秘め、ジェノは〝悪魔の右手〟を前に突き出し、待つ。
「黙示録第三章」
満を持してユリアは、腕をしならせ放つ。
全力投球。宣言通りの真っ向勝負のストレート。
空気を切り裂くように黒い羽根が一直線に迫ってくる。
(ギリギリ見える……。これなら、なんとか)
〝悪魔の右手〟に力を込め、赤い光がほとばしる。
物質分解能力を秘めた光。後はこれをぶつけるだけでいい。
その間にも黒い羽根は迫ってくる中、ほんの些細な違和感を覚えた。
(……あれ、遅い?)
近づいてくるほどに、羽根が遅く感じる。
速度が落ちているように見える。何か嫌な感じがした。
「……」
鎧兜の奥の顔は見えない。だけど、にやりと笑った。
そう思った瞬間、羽根はグンと急降下。地面に迫っていく。
(フォーク、ボール……っ!)
落ちたのは、わずか手前。手の届かない距離。
羽根の能力は不明。だけど、これを狙ってたとしたら。
(――間に合え!!)
考えを切り上げ、前に飛び込む。
右手から同時に生じるのは、赤い光。
地面に触れるか触れないかのわずかな差。
光は羽根に接触し、地面手前で、消し去っていた。
(よしっ! 勝った!)
身構えていたからこそできた反応。
虚を突かれたにしては、上出来の動きだった。
「――ストレート勝負。わたくしは確かにそう言った」
しかし、そこに響いてくるのは、鎧の中の人の声。
背筋がぞっとした。
だって、頭上には、もう一本の黒い羽根が通過していたんだから。
(……やられたっ)
ここからじゃ間に合わない。
最悪、体で受けようにも届かない。
このままじゃ、もう一方の狙いも、空振りに終わる。
「――やれやれ。仕方のないやつらじゃのぅ」
そこに現れたのは、臥龍岡県知事。
燕尾服に身を包み、その手には茶色い菜箸を持っている。
(無理だ。あんなのじゃ絶対にっ!!)
なんとか体勢を変え、手を伸ばそうとする。
「心配無用じゃ。お前さんは、やることやらんかい」
しかし、黒い羽根は止まっていた。臥龍岡県知事の菜箸によって。
「……っ」
止めた。止めてくれた。
だったら、やることは、一つ。
もう一度、〝悪魔の右手〟に力を込め。
「――落ちろっ!!」
赤い光が円を描くようにほとばしり、生じるのは、人工の大穴。
「あら? こう見えてもわたくし、飛べるのだけれど」
ただ、鎧は当然、翼を使い空中にとどまっている。
ここまでは計算通り。フィニッシャーを決めるのは別の人だ。
(あとは、お願いしますね、毛利広島さんっ!)
上空を見上げる。そこには、太陽を背に浴びる人影。
両手と両肩には、特大の四角い物体が運ばれ、そのまま叩きつける。
「とどめは、防音室じゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
「……っ!!!?」
鎧の人の弱点は閉所恐怖症。
大穴の上を覆うのは3畳サイズの部屋。
底が抜けた特注の防音室を用意し、閉じ込める。
『あぁぁっぁぁあぁああぁぁぁあぁああぁぁぁぁぁああああああああ』
叫び声は外には届かないし、外からは見えない。
完全な防音。完全な対策。これで一連の出来事は演出。
もう邪魔者はいない。もう止まらない。――締めは任せたよ、アザミさん。
◇◇◇
選挙カー上。特設ステージ。
「光と闇を超えて 僕らは別れた
ふたつの想いが 交錯した場所
ひとつになっても もう忘れない
輝かしい未来が 僕たちを待っている」
鬼と人。二つは独立した存在だって気付くんだ。
でも、手を取り合うことはできる。一緒に同じ道を歩ける。
例え、辛いことがあったとしても、その先にはきっと大きな幸せが待ってる。
そうだよね。――ナナコさん。




