第66話 エンジェルロード④
選挙カーの上。演説ステージには一人の女性。
サイドテールの金髪に、紅白の巫女服に、豊かな胸。
775プロダクション所属。伊勢神宮公式ライバー。伊勢神宮。
その手にはマイク。腰には刀。足元には携帯と青銅色の鏡がある。
四角いステージ上の隅にはスピーカーが置かれ、そこから前奏が流れ出す。
(……見ててください、ナナコさん)
息を軽く吸う。辺りは大雨。周囲にはレインコートを着た観客。
その中で、ドローンが飛んでいる。映像と音を配信するためのもの。
全世界が見ている。注目されている。失敗はできない。だから、なんだ。
【伊勢神宮公式チャンネル 977万人】
足元に置かれた携帯には、登録者数が表示されている。
(――これが、あなたのくれた詞の力です)
心が躍る。胸が高鳴る。みやびフェス東京のリベンジが始まる。
◇◇◇
同時刻。東京都。千代田区。国会議事堂上空。
大雨の中、白黒の翼を羽ばたかせるのは、純白の鎧。
「さて、お小手調べと、いきましょう」
独特な口調と共に、白い翼に力がぐっと込められていく。
「黙示録序章」
そして、地上に向かい、拳を殴りつけるように翼が振るわれる。
生じたのは大量の白い羽根。『既知』の力を秘めた異能の雨が降り注ぐ。
◇◇◇
地上。選挙カー上の特設ステージ。
伊勢神宮の衣を纏うアザミは歌い始める。
「夜の海を照らす エンジェルロード
未来へと続く 僕たちの旅路
そっと手を繋いで 歩き出せば
明日がきっと 輝くようになる」
歌うのはAメロ。一番の歌詞。明るいナナコらしい言葉の選択。
それに加え、キクのアップテンポな曲調と、アザミの下向きな声音。
その全てが溶け合い絡み合い混ざり合い、一つの化学反応を起こしていた。
【伊勢神宮公式チャンネル 980万人】
そのおかげか数字も上向き、観客の息を呑む音が聞こえる。
(……いける。この調子なら!)
確かな手応え。滑り出しは好調。逆転できるビジョンが明確に頭に浮かぶ。
『上じゃ! 来るぞ!!』
その出鼻をくじくように、足元の鏡からツバキの声が響く。
(……やっぱり、そう甘くはなかった)
悪い予想は的中する。戦いに備えておいて正解だった。
アザミは腰の刀を右手で抜き、片手で持ち、空を見上げる。
天から降り注ごうとしているのは、雨に紛れた大量の白い羽根。
(すごい、数……)
予想以上の猛攻に、気が滅入りそうになる。
両手で刀を扱えたとしても、さばき切れるか分からない。
それに加え、歌を続けるなら、右手だけで刀を振るわないといけない。
(今ならたぶん、逃げられる。ライブを中断して、諦めればいい)
マイクを握る左手の握力が少しだけ弱まる。
曲の継ぎ目。わずか一呼吸の間にアザミは思考する。
次のパートが迫る。やめるかどうか決断しないといけない状況。
「あの日聞いた歌を 胸に刻み込んで
君がくれた勇気で ここまで来たんだ」
それでも、アザミはマイクを放さず、歌い続ける。
(昔ならそう考えてた。でも、今はそうじゃない!)
戦う覚悟はとっくに決めた。狙いは上空の白い羽根。
もう、刀に支配されない。全部落とせる。自分ならできる。
そう思い込む。思い込みを力に変える。歌に乗せる。刃に込める。
「浮かぶ月が 僕らを照らすように
二度と迷わない 未来へ進もう」
意思がこもった歌声と斬撃が同時に発生する。
観客の歓声が上がる。きっと演出だって思われてる。
生じる風も。降り注ぐ羽根も。それらを全て払い落とすのも。
でも、全てがリアル。演出でもバーチャルでもない。実際に起きている。
【伊勢神宮公式チャンネル 985万人】
上空を見る。そこには、翼を生やした天使さながらの鎧。
観客のどよめく声が聞こえる。不安がるような声も耳に入る。
負ければ失敗どころじゃ済まない。観客に死人が出る可能性があった。
(不幸も逆境も窮地も全部全部、エンタメに変えてやるっ!)
だからこそ、アザミは己を奮い立たせる。
瞳に宿るのは、エンタメの権化。鬼龍院みやびの魂。
流れが全て楽譜に刻まれていたかのように、曲はサビに差し掛かる。
「光と闇を越えて 僕らは出会った
ふたつの思いが 交錯する場所」
アザミは跳んで、歌う。刃を振るい、叫ぶ。
空中で交錯するのは、純白の手甲。シスターユリア。
鎧兜の中は見えない。だけど、きっと薄ら笑いを浮かべている。
(……もう、これ以上、邪魔はさせない)
手甲から刃を滑らせ、狙うは白の翼。能力の根源。
次のサビ終わりと共に決着をつける。そして、平然と曲を進行する。
「心のお贅肉。という言葉をご存じ?」
一秒にも満たない間。聞こえるのはユリアの声。
おかしい。聞き終わる頃にはサビが終わりを迎えるはず。
それなのに曲が来ない。ユリアの言葉が音よりも先に聞こえていた。
(これって……超感覚っ!?)
幼少期に、父から教えてもらったことがあった。
達人同士の戦いでは、時間を凌駕する瞬間があるって。
それが、超感覚。今、体感しているのが、きっとそうなんだ。
(でも、どうして、こんな時に限って……)
考えられる時間すらも長く感じる。
そんな余裕から、目に入ってきたのは手甲。
刃を止める腕部分は気にならない。気になったのは。
(……まずいっ。このままじゃ)
真っすぐ飛び込んでくる、三本の白い羽根。
恐らく、握り込んだ手甲の内側に仕込み、投げた。
攻勢に転じる隙。腕と翼に視界を絞ったわずかな心の隙。
そこを突かれた。能力は『既知』。刺されたら、負けが決まる。
(避ける……いや、たぶん間に合わない)
首を逸らして避ける一番シンプルな考え。
でも、白い羽根の軌道は退路を断っている。
逃げ道を塞ぐような形で、羽根が置いてあった。
(――それなら、刀で)
超感覚を利用し、超人的な速度で白い羽根を斬り落とす。
頭の中で明確にその光景をイメージし、体を動かそうとする。
(駄目……。反応が追いつかない……)
羽根が迫る速度に対し、体がついてこない。
頭では理解できるのに、明らかに遅い。間に合わない。
(終わる。あっけなく白い羽根に刺されて、それで……)
脳裏に浮かぶのは、桃子が羽根に突き刺されていた光景。
あの時は、ユリアは加減をしていて、桃子が鬼だったから助かった。
でも、今度は違う。ユリアは本気。羽根が差されれば待ち受けているのは、死。
「――あぁ、久方ぶりにこの感覚を体験できて、心より感謝します」
そんな絶体絶命の窮地に、割り込んできた一人の達人がいた。
青色のセーラー服に、紫色の髪。長い後ろ髪は三つに編まれている。
(嘘、でしょ……こんな、ことって)
土壇場で登場したのは、滅葬志士棟梁。臥龍岡アミ。
上段に構え、その両手に握るのは、折れた刀。紫色の片刃。
腕の角度からして、狙いは羽根。今回は敵じゃない。味方なんだ。
「示現流――【菩薩】」
これ以上ない助っ人の登場に、心が震える中。
慈愛に満ち溢れた声音で、振るわれるのは打ち込み。
示現流の十八番。だけど、違ったのは、刀を打ち込む強さ。
今までの技に比べ、明らかに勢いが弱い。力が抜けている感じ。
(キレが悪い……。こんな打ち込みじゃ……)
間に合わない。そう考える間に、刀は羽根に迫っていく。
「……っ」
羽根が来るのを覚悟し、受けの構えを取る。
その目の端でとらえたのは、異様な光景だった。
「――」
剣閃が三度煌き、斬撃が同時に三回発生した。
その全てが的確に三本の羽根を捉え、斬り落としている。
(あり、得ない……っ)
あまりに不可解な現象を前に言葉を失ってしまう。
今は超感覚中。体は追いつかないけど、目では追える。
それなのに、三本の太刀筋が同時のタイミングで存在していた。
(何が、どうなって……)
普通なら、一の太刀に比べ、二の太刀、三の太刀は遅れる。
だって、腕は二本しかなく、刀は一本しかない。同時は絶対無理。
六本の腕で、三本の刀を同時に振るう、ぐらいしないとできない神技。
「剣技に見惚れるより先に、やることがあるのではありませんか?」
味方の技なのにうろたえていると、正論が飛んでくる。
そこで、時間が動き出したかのように、曲の音が聞こえ出した。
(……そうだ。わたしには、やらなきゃいけないことがある!)
刀を弾いた勢いで、後方に飛び退き、宙返りをして、選挙カー上部に着地。
「ひとつになれば きっと見えてくる
輝かしい未来が 僕たちを待っている」
何事もなかったかのように、アザミはサビを締めくくる。
彼女のおかげで繋がった。これで一番は終わり。次は二番だ。
【伊勢神宮チャンネル 990万人】




