第63話 衆議院選挙④
東京都。千代田区。国会議事堂前。午前11時58分。
伊勢神宮選挙カー、三列シートの車内。天気は大雨。
「――以上が、彼女が失踪した経緯です」
助手席に座るジェノは、後ろを振り向きながら、語り終える。
投票差を知ることを条件に話したのは、アザミがいなくなった経緯だった。
「理想に潰されたか。なるほどねぇ。そりゃあ戻ってきませんわ」
その視線の先にいる金髪の男。霧生は聞いてもない感想を述べる。
「……」
話しても良かったんだろうか、なんて不安が頭をよぎる。
でも、話したところで関係ない。知られたところで意味がない。
もう計画は始まってるんだ。結果がどうなろうとやることは変わらない。
「あぁ、それより、差は4万票ね。今からどうあがこうと無駄だから」
霧生は約束通り、票差をなんのためらいもなく伝えてくる。
(4万票、か。思ったより、大差だな。――でも)
それで満足したのかレインコートを羽織り、車から降りようとしていた。
「無駄かどうかは、終わってみるまで分かりませんよ」
呼び止めるように、ジェノは言い切る。
その表情には、確かな自信が満ち溢れている。
「はいはい。強がりご苦労さん。じゃあ、残り数時間頑張って、ね……」
茶化すように彼はそう言って、車の扉に手をかける。
だけど、手は止まっていた。窓の外の光景に言葉を失っていた。
「すみませんが見届けてもらいますよ。俺たちの逆転劇を最高の特等席でね」
そこには、レインコートや傘を差した大量の観衆。
車は完全に包囲され、集まった人たちは、ある瞬間を待ちわびていた。
◇◇◇
約三週間前。関西サイクルスポーツセンター。深夜。
サイクルパラシュート内。その頂上付近に到達するのは人と鬼。
「……あ、あの! ひかるさんに、一つ、お願いがあります」
「なに?」
「も、もし、わ、わたしが、引退するようなことがあったら、その時は――」
ペダルを漕いだ足が止まり、話を切り出すのはアザミ。
アトラクションは自然に降下を始める。緩やかに、ゆっくりと。
「ひ、ひかるさんが、伊勢神宮ちゃんになってください!」
それが託した願い。彼女にしか頼めない、重い十字架だった。
◇◇◇
江戸城本丸跡地下。衆議院選挙。投票最終日。午後12時。
洞窟内には、みやびフェス東京を生き抜いた鬼たちが揃っている。
「……時間、か」
ぽつりとつぶやくのは、ピンクのワンピース姿の桃瀬桃子。
耳にはイヤホンマイク。立っているのは中央のひび割れたステージ。
モーションキャプチャー用のスーツは来ていない。ありのままの姿だった。
「配信開始しました。いつでもいけます」
ステージの脇にいる水色髪のスタッフが声をかけてくる。
(本当にこれで良かったの、薊……)
いつでも開始できる。それなのに、心は進まない。気が乗らない。
「あの、聞こえて――」
催促するスタッフに、桃子は人差し指を立てる。
自然と張り詰めていく空気。重い静寂が場を支配する。
それでも考えを整理する時間が欲しい。失敗は許されないから。
(『エンジェルロード』……凄まじい熱量と魂が込められた楽曲だった。だけど、あーしが歌うことに意味があるの? あーし程度が歌っていい曲なの? あーしが歌うことで観客の心に届くの? 分からない。分からないよ……)
陥るのは本番前のナーバス。何度も経験し、克服したはずの欠点。
(みやびフェス広島が始まる前も、おんなじだった。不安で仕方がなかった。だから、あーしは同業者を探した。自分より下の子を見ないと落ち着かなかったから。そこで出会ったのがあの子。いびるつもりで声をかけた。それが出会い)
そんな中、頭に思い浮かんだのは、出会いの光景。
意味があるかなんて分からない。ただの現実逃避かもしれない。
でも、そうせずにはいられなかった。そうしないと心が落ち着かなかった。
(みやびフェス広島当日。壱番ステージに上がるために、あの日はどうしても勝たないといけなかった。それなのに、滅葬志士が襲来するというアクシデントがあった。そんなピンチをチャンスに変えたのが……あの子。千葉薊だった)
彼女の印象が決定的に変わった瞬間。
初めて人に興味を持った。初めて人を好きになった。
(登録者数が500万人を超えた。あーしが、桃瀬桃子という存在が世間に認められたみたいで嬉しかった。でも、それ以上に嬉しかったのは、薊がデートに誘ってくれたこと。……いや、違う。あーしを相談相手に選んでくれたこと)
あの時は相談に乗るつもりだった。
だけど、実際は、逆だったのかもしれない。
薊がそばにいたから、ナーバスにならなかったんだ。
(みやびフェス大阪もみやびフェス東京も、薊がいたから、桃瀬桃子でいられた。でも、今は……違う。薊はいないし、伊勢神宮にならないといけない。だから声真似を練習した。歌も聞き込んだ。だけど、足りない。あーしじゃ、届かない)
生配信もフェスも、これまで何度も経験したから分かる。
できると思ったらできるけど、できないと思ったら本当にできない。
今はできない。できる気がしない。頼まれたんだとしても、やっちゃいけない。
(――伊勢神宮は、薊じゃないと駄目だ。あの曲は、薊が歌うべきなんだ!!)
どうして、もっと早くに気付かなかったんだろう。
こんな単純で、こんな当たり前で、こんな大事なことを。
「……いかないと。薊の元に」
どれぐらい考えていたのか、分からない。
二度目のお披露目は台無しになったかもしれない。
それでも体は動き出す。行き先を決めず、本能のままに走り出す。
『こ、こん神宮〜。な、775プロダクション所属、い、伊勢神宮です』
耳につけていたイヤホンマイク。
そこから流れるのは、馴染みのある音。
声真似でも何でもない。正真正銘の伊勢神宮。
――千葉薊の声だった。




