第60話 衆議院選挙①
東京都。千代田区。内閣総理大臣官邸。首相執務室。
みやびフェス東京から5日後。衆議院選挙、投票最終日。午前10時。
「首尾はどうだぁ。霧生」
一面の窓ガラスを立ったまま見つめ、語りかけるのは、千葉一鉄。
外は大雨。両手には杖を持ち、黒スーツ姿で、声色はいつもより重苦しい。
「内通者によると、僕が9万票で神宮が5万票なんで、まぁ負けないっしょ」
一鉄の背後に立ち、返事をするのは霧生卓郎。
服装は、グレーのカジュアルスーツに袖を通している。
「……投票率はどうなっている」
最終日に4万票差がついた時点で負けようがなかった。
ただ、一鉄は微塵も油断していない。更なる情報を催促してくる。
「全体は56%。最低が20代が27%で、最高が70代の75%。とご年配無双ですわ」
懐から携帯を取り出し、画面に書かれた情報を伝える。
高齢者は言わずもがなの数値。ここが当然ターゲット層だった。
一方、ターゲット外の若者は100人中27人しか投票していないという数字。
(例年より低いねぇ。そりゃあ、俺含め政治家は若者に見向きしませんわ)
投票率が低い層に媚びた政策を掲げても、効果は薄い。
なにせ選挙は票を多く集めた方が勝つ単純でシンプルなゲーム。
投票に来ない若者より、政治に関心が高い高齢を狙い打ちするのが無難。
「あいつを侮るな。最後まで何が起こるか、分からんぞ」
そう考えていると一鉄は振り返り、鋭い眼光で言い放つ。
娘に勝ってほしいのか、負けてほしいのか。どっちなんだか。
「分かってますよ。これから最後の一押しに行ってくるつもりなんで」
まぁ、どちらにせよ、気を抜くつもりなんてない。
コート掛けにかかった緑色のレインコートを取り、部屋をあとにした。
◇◇◇
東京都。千代田区。国会議事堂前。
そこに止まっているのは、一台の黒いミニバン。
車の上部にはモニターが張られ、そこに映し出されるのは。
『伊勢神宮、伊勢神宮に清き一票をお願いします!』
金髪サイドテールに、紅白の巫女服を着たVtuber。
そして、投票を呼びかけるのは、車内にいるジェノだった。
服装はいつも通り青い制服。助手席に座り、拡音器に声を当てている。
「最終日まで雨、か……。最後までついとらんようじゃの」
運転席に座っているのは、臥龍岡県知事。
黒い燕尾服を着ていて、その顔色と声音は暗かった。
そう感じるのも無理はない。雨のせいで、人が外にいないんだ。
この5日間。必死に選挙活動を続けてきたけど、手応えなんてまるでなかった。
(せめて、何票入ったか分かればな……)
辺りを見回しても、通行人しか見当たらない。
それもほぼ全員が素通りしていく。不安は募るばかりだった。
「……ですね。それでも、やるしかありませんけど」
ただ不安がってばかりじゃ前に進めない。
すぐに気を取り直して、もう一度、辺りを見渡す。
すると、こちらに足を向ける、緑のレインコートを着た人が見えた。
(良かった……。今日一人目だ)
たった一人とはいえ、されど一人。
一票の力は大きい。拡声器に声をあてようとする。
「……ん?」
適当な位置で足を止めるかと思ってた。
だけど、男はこちらに迫り、助手席の窓を数度叩いてくる。
「ちょい乗ってもいい?」
窓越しに響いてきたのは、聞き覚えのある声。
そして、フード越しに覗いてくるのは、見覚えのある顔。
「……どうぞ」
脅すような形でアザミの監禁場所を割り出してもらった人。
霧生卓郎。同じ選挙区に出馬する、今や手強いライバルでもあった。
「……っしょっと」
ガタンと扉が開き、霧生は三列シートの真ん中に座り込む。
すでにレインコートを脱いでおり、扉を閉じると視線はこちらに向いていた。
「これはまた大物が来たもんじゃ。冷やかしか?」
バックミラー越しに、県知事は相手の正体に気付く。
いつものようなふざける様子はなく、冷たくあしらっている。
「せいかーい。心を折りに来たよん。今、何票集まってるか、聞きたいっしょ?」
否定するかと思いきや、霧生は冷やかしに来たことを肯定する。
ただ、相手が切り出してきたのは、今、一番知りたかった情報。
「……ぜひ、教えてください」
どんなに差があろうとも、聞いておきたかった。
「やっぱ知りたいか。教えてやってもいいけどさ、一つ条件をつけてもいい?」
ただ、簡単には教えてくれそうにない。
こちらの反応を見て、取引に切り替えていた。
前回、煮え湯を飲まされた腹いせ、なのかもしれない。
「……条件次第です」
それでも、相手のペースに呑まれるわけにはいかない。
まずは、条件の確認。乗るかどうかは、聞いてから決める。
「率直に言うよ。そちらの姫殿下がどうして逃げたか、教えてくんない?」
そうして、切り出されたのは、最悪の条件。
敵陣営に絶対に見抜かれてはいけない情報だった。




