第56話 みやびフェス東京⑩
江戸城本丸跡地下には、警官が数十人押しかけている。
(どう、しよう……)
桃子は捕まり、他に頼れる仲間はいない。
戦うにしても、この大勢と、ユリアを相手するのは無理。
逃げるにしても、他のスタッフが戻ってきたら、警察ときっと抗争になる。
「大人しく投降するなら、鬼は見逃してやってもいいけど、どうする?」
そこに甘い条件をつけ、問いかけてくるのは、霧生だった。
両隣には二人の男性警官。片方は警棒、もう片方は手錠を持っている。
(彼の目的は、選挙の出馬阻止……。一応、筋は通ってるけど……)
改めて、辺りを見回す。背後には、翼で空中にとどまるユリア。
正面には、警官二人と霧生。奥には数十人の警官と、捕まった桃子。
(……あれは)
そして、そのさらに奥の通路には、見知った人物の姿があった。
◇◇◇
(状況は……良いとは言えないな)
江戸城本丸跡地下に繋がる、狭めの通路。
そこから顔を出し、様子を見ていたのはジェノだった。
(アザミさんはこっちに気付いてる。でも、リンカーでの連携は取れない)
彼女のリンカーが壊れているせいで、通信は不可。
何か行動を起こすにしても、意思疎通できないのは厳しい。
(一人で突っ込むのは、無謀すぎるか。何か取っ掛かりがあればいいんだけど)
改めて、辺りを見回す。正面には、数十人の警官、桃色髪の鬼。
奥には、警官二人と霧生にアザミ。空中には、白黒の翼が生えた純白の鎧。
(奥のアレ……。相当、まずいな。大統領クラスの強さは想定した方がいいか)
見覚えしかない鎧。懐かしくもあり、辛くも感じてしまう。
ただ、あの時に比べたらマシだ。一度、地獄を経験したのがでかい。
(……ん? あの人って)
そんな心の余裕からか、ジェノは見つける。
この土壇場を逆転させられるかもしれない人物を。
◇◇◇
江戸城本丸跡地下。洞窟内。
地面には四角い緑色のマットが引かれている。
(さて、潜り込みはしましたが、どうしましょうか)
婦警服に、腰には刀を帯びた紫髪の女性。臥龍岡アミは思考する。
目の前には桃色髪にピンクのワンピースを着た鬼。その小さな腕には手錠。
「薊を捕まえて、どうする気?」
地面に座り込み、不服そうにしている彼女は、こちらを睨みながら尋ねてくる。
「自分の心配より、他人の心配ですか。仲間思いなのですね」
「当たり前じゃん。あーしの命なんかより、薊の命の方が百万倍重いよ」
見てくれも、発言も、善良そうな鬼。
ただ、肝心な中身の方はいかがなものなのでしょう。
「もし、その手で彼女を殺せば、775の鬼を見逃すと言ったら、どうします?」
鬼か人か、彼女の秤はどちらに傾くのか、見ものですね。
「そんなの、決まってる。あーしは――」
◇◇◇
「さっさと答えてもらえる? 投降するかしないか、どっちよ」
痺れを切らしたのか、再び霧生は問う。
問われるのは、おおまかな状況を理解したアザミ。
(抵抗すれば、ジェノさんはきっと合わせてくれる。だけど……)
数十人対二人。単純な数だけでも戦力差がある。
しかも、差は数だけじゃない。群を抜いて強い人がいる。
(勝てる確率は低い。一方で投降すれば丸く収まる。選挙を諦めればいいだけ)
どう考えても、抵抗するメリットがなかった。
しかも、投降したところで殺されない。またやり直せる。
時期が悪かっただけ。ゆっくり、確実に進んでいけば、いつか、きっと。
「鬼の未来を背負ったわたしが、この程度の逆境で諦めると思いますか?」
そう思っていたのに、意に反した言葉が溢れ出す。
後先なんて考えてない発言。だけど、後悔はなかった。
だって、彼女なら。鬼龍院みやびなら、絶対に諦めないから。
◇◇◇
「あーしは薊を信じるよ。あの子は鬼龍院みやびを超えるVtuberだからね」
もう一つの問いに対する答え。
桃色髪の鬼は、自信満々に言い放つ。
「そうですか……。それなら、殺されるのがあなたならどうでしょうか?」
それが、無性に気に食わない。
どうせ、身に危険が迫れば豹変する。
アミは腰の刀を抜き、紫色の刃を露わにする。
(鬼の角は急所。斬れば機能不全で絶命する。醜い内面を晒してもらいますよ)
そして、そのまま、桃色髪の鬼の額。黒い角に刃をあてがった。
「いいよ。やりなよ。その代わり、775の鬼とアザミは助けてよね」
しかし、鬼は豹変しない。醜い内面を晒さない。
覚悟を決めたような表情。その赤い瞳は、前を見つめていた。
(面白くありませんね。これでは、まるで私の方が……)
動揺か。それとも恐れか。
刀の柄を握る両手が、わずかにブレる。
「手、震えてるよ? そんなんじゃ、あーしの角は断てないと思うけど」
一方で、桃色髪の鬼は、微塵も動揺していない。
それどころか、こちらの動揺を肌で感じ取り、指摘してくる。
(この鬼風情が……。どうせ斬られる寸前で、手のひらを返すに決まっている)
今までがそうだった。保身に走った鬼をこの手で斬り捨ててきた。
いつだって、鬼の本質は悪。それはいつの時代、いかなる時も変わらない。
『あなたは、人か鬼。どっちの味方なんですか?』
刃に力を込めようとした時、不意に思い出したのは、ジェノの言葉。
あの時は、答えをはぐらかした。胸の内の答えなど、言うまでもなかったから。
(組織も世の中も変化などしない。そうでなければ、私がやってきたことは……)
抱えるのは、自己矛盾。変化を望む心と、変化を拒む心。
どちらも同じ自分。ペルソナ。内に秘められた鬼を憎む自分が己を責め立てる。
「私は鬼を葬るために組織された滅葬志士。東京都の治安を任された棟梁」
心を鬼にして、刃を真上に振りかぶる。
刃に乗るのは、肩書き。大義名分。生きる理由。
重い責任が両腕にのしかかる。今更、止まるわけにはいかない。
「――鬼は斬らせていただきます」
己の心に従って、アミは刃を振り下ろす。
その判断が、自分にとっての正義であることを信じて。
◇◇◇
(まずい……。早く助けにいかないと)
声は遠くて、聞こえない。警官が邪魔で奥が見えない。
ただ、肌感覚で分かる。これは、修羅場になる前の雰囲気。
打ち合わせも、段取りもなく、ジェノは足を踏み出そうとする。
「……っ」
しかし、肩を強い力で掴まれ、足が止まる。
(足が動かない……。誰かに肩を掴まれてる……)
もし、警官が他にもいて、待ち伏せしていたとしたら。
なんて、嫌な想像が頭を支配する中、ジェノは恐る恐る振り返る。
「……え。どうして、あなたがここにっ!」
しかし、そこにいたのは、予想外の人物だった。
◇◇◇
「投降はしないってことね。じゃあ、強制的にお縄についてもらうよん」
霧生の言葉により、二人の警官が足で間合いを計っている。
当の本人は高見の見物。あくまで政治家。人を上手く操る職業。
(指示するだけで自分の手は汚さない。嫌な政治家の典型みたいな人だ……)
心の中に異物が入り込んだような感覚だった。
どんな形で、どんな色で、どんな模様かは分からない。
ただ、それでも、自分の中で一つだけハッキリしてることがある。
(――わたしはあんな人間になりたくない)
政治家を目指す上での、反面教師。
対偶。対極。悪い見本。非道徳的な人物。
それが、煮えたぎるように熱い感情を呼び覚ます。
異物を弾き出せと、心が、魂が、体中の細胞が叫んでいる。
その中心には、理想の人物。775プロダクション元社長。鬼龍院みやび。
(……駄目だ。見て見ぬ振りをしようとしたけど、できない)
辺りを見回した時、見えたのは、ジェノや桃子だけじゃない。
空気を読み、息を潜め、指示を今か今かと待っている頼もしい仲間たち。
「スタッフの皆さん、ライブを再開します! わたしに力を貸してください!」
アザミは、声を張り上げ、開戦を宣言する。
これは戦い。鬼の未来を明るく照らすための、最後の戦争。
鬼と人の上に立ち、双方の心を動かすのはどういう人間か、ここで示してやる。




