第55話 みやびフェス東京⑨
「わたくしの愛、お受けになって」
「北辰流――【風信子!!!】」
白い羽根が空を舞い、赤黒い刃が空を裂く。
振るわれた刃から、太刀風が生じ、風の斬撃と化す。
そして、それは宙に舞う羽根を切り落とし、二人は同時に距離を詰めた。
「――思ったより、おやりになるようね」
「――どうして、キクさんを……キクさんを!!」
純白の右手甲と赤黒い刀身がせめぎ合う。
肉薄した状態で言葉を交わし、刃に意思を乗せる。
抜き身の刃を本気で振るえるのはどれぐらい振りだろう。
港神社での一件もダンジョンでの一件も、刀に支配されていた。
ただ、今回は違う。自分の力で刀を支配している。ちゃんと扱えている。
加えて、意思の力も習得して、これ以上ないほど体の調子もいい。――だけど。
「わたくしの提案をお三度ほどお無視したから、お排除したまで」
「くっ!! そんな理由でっ!!!」
易々と手甲に弾かれ、距離を取られてしまう。
(せり勝てない……っ! この人、わたしより、数段上だ……)
戦いは始まって間もない。ほんの数合打ち合っただけ。
それでも感じてしまう。相手と自分との間には実力差があるって。
『いいか、相手が格上だろうと、完璧な人間など存在しない。弱点を探せぇ』
そんな時。頭に思い起こされるのは、父の言葉。
千葉家の道場で、紺の袴を着て、竹刀片手に指導する父の姿。
(……弱点を探せ。いいなりみたいで嫌だけど、試す価値はたぶん、ある)
それは、幼少期に起きた、嫌な思い出の一つ。
だけど、この人に勝てるなら、辛い過去でも利用してやる。
「北辰流――【風信子三輪】」
刃を唐竹、袈裟懸け、右薙ぎに振るい、生じる。
風の斬撃、三連。それらはユリアに吸い込まれるように襲い掛かる。
「お芸がありませんこと」
翼を羽ばたかせ、ユリアは上空に回避を選択。
風の斬撃は空を切り、洞窟内の岩壁を削っていく。
「四輪、五輪、六輪、七輪、八輪」
当然、避けられるのなんか承知の上。
とにかく手数。先読み、置き、差し込み。
右斬上、逆風、左斬上、左薙ぎ、逆袈裟懸け。
剣術を構成する基本の型から放たれる風の連撃。
それを様々な位置へ変則的に送り込み、出方を見る。
「お手数を、増やした、ところで、お無駄よ」
ずらし、フェイントをかけ、加速し、ユリアは避けきる。
弱点らしい弱点は見えない。見事としか言いようがない翼の空中制御。
(厄介なのは、あの翼……。次の一撃で、落とす)
弱点がないなら、弱点を作ればいい。
そう機転を利かせ、次の一撃に意思を集中させる。
(今までのは全て直線的な斬撃。だけど、それが布石になる)
どの流派であれ、斬撃は九つに分類される。残っている斬撃は一つ。
『左足を前、右足を少し後ろに引いて立て。足幅は肩幅程度、膝は軽く曲げろ』
足の位置。少しでもずれたら、竹刀で矯正された。厳しい父の教え。
『いい? 刃先を天に向けて、刀は肩と垂直に構えなさい。それが天の構えよ』
刀の位置。少しずれても、自由にやらせてくれた。優しい母の教え。
父と母の教えに従い、姿勢を正し、肩と垂直になるよう刀を構える。
(この刃はわたし一人だけのものじゃない。両親の思いが宿ってる)
体と心に刻み込まれた思い出を胸に、切っ先をやや上方に向ける。
そこには宙を舞うユリア。回避に専念するつもりなのか、様子を見ている。
(それを、全部乗せるっ!!)
剛柔併せ持つ、アザミだからこそできること。
息を整え、狙いを定め、飛ぶ鳥を落とす勢いで、放つ。
「――九輪散華」
線ではなく点による斬撃。刺突。
一点突破型の鋭利な風が生じ、ユリアに迫る。
直線的な動きに目が慣れてきた相手ほど、避けるのは難しい。
「風のお刺突、ね」
そのはずだった。相手がユリアでなかったら。
翼狙いの鋭い風は、身を横に逸らし、ひらりとかわされる。
(そんな……)
断言できる。非の打ち所がない完璧な一撃だった。
それなのに、外れた。いとも簡単に避けられてしまった。
もう同じ技は使えない。同じ技が二度目に通用するとは思えない。
「もう、終わり?」
まだ奥の手があると思っているのか、ユリアは首を傾げ、尋ねてくる。
(どうしよう……。これ以上、不意をつける技なんてない……)
今までは刀の力を使えば、どうにかなった。
刀を支配できれば、なんでもできるような気がしていた。
だけど、無理かもしれない。せめて、弱点さえあれば希望が持てるのに。
「……っ!?」
そんな時。通過した風が背後の岩壁を砕き、小石が弾け、ユリアにぶつかる。
肩をびくんとさせ、後ろを振り返り、何やら天井を警戒しているみたいだった。
(……あの鎧なら、天井が崩れても平気、だよね)
些細な違和感だった。だけど、どうも頭の片隅に引っかかる。
見落としてはいけないって感情が、心の中から沸々と湧き上がってくる。
「ふぅ……。お生き埋めだけは、勘弁願いたいわ」
ユリアが発したのは何気ない一言だった。
だけど、その情報が脳内にバチンと刺激を走らせる。
(……ある。あの人にも弱点が)
今までのやり取りの中に、ヒントはあった。もし、実現できれば、きっと。
「あぁ、そうそう。こう見えて、閉所恐怖症でしてね。狙ってみるのはいかが?」
しかし、何を思ったのか、ユリアは自ら弱点を告白する。
「……っ!!?」
思わず息を呑み、動揺してしまう。
(一体、どういうつもりで……)
わざわざ自分を不利にするような発言をした意味が分からない。
「どうして? と言ったお顔ね。後ろをご覧なさい」
罠かもしれない。そんな考えが頭によぎる。
だけど、良心的な忠告だとすれば、危ういのは。
「……っ」
思い至るのは最悪の予想。すぐさま、危険を承知で振り向いた。
「言ったっしょ。ライブも選挙も俺が潰すってさ」
そこにいたのは、緑のレインコートを着た霧生卓郎。
そして、背後には大量の警官たちと、手錠をかけられた桃子だった。
「桃子さんっ!!」
気づかなかった。いや、気づけなかった。
ユリアが回避に専念していたのは、きっと気を逸らすため。
「公共施設以外での選挙活動は、公職選挙違反。現行犯逮捕、させてもらうよん」
目の前には、二人の男性警官が立ち塞がり、霧生は堂々と罪状を告げた。




