第51話 みやびフェス東京⑤
東京都。千代田区。江戸城本丸跡。壱番ステージ地下。
将軍家の逃走用の隠し通路。地中をくり抜いたような場所。
その天井にあるのは3Dホログラムを投影する巨大ディスプレイ。
配線が壁沿いに垂れ下がり、小型発電機やモニターに接続されている。
外の雨足が強まる中、ライブは順調に進行していき、終盤に差し掛かっていた。
「ど、同接600万人……。登録者数、きゅ、900万人……っ」
アザミの目の前には、ライブ配信を映すモニター。
そこに表示された異常な数値に、体が自ずと震えてしまう。
それは鬼龍院みやびの引退配信や、今までのライブを軽く超えていた。
『ナナコが死んだおかげ、じゃろうな……』
地面に置かれた青銅色の鏡。
その中に閉じ込められたツバキは呟く。
登録者数が1000万人に到達すれば、鏡から出られる。
目標達成はもうすぐなのに、ツバキの声色はすごく悲しそうだった。
「か、彼女とどういう関係だったんですか?」
二人の間に何があったのかは知らない。
知っているのは、彼女の死を看取ったのはツバキということだけ。
『聞いてどうする。お主は、ライブに集中せえ』
しかし、返ってきたのは正論だった。
確かに、今は過去を気にしてる場合じゃない。
彼女が望んでいた世界を創るためにも、未来に進まないと。
「……?」
すると、ツバキの真横に置いていた携帯の着信音が鳴る。
すぐに携帯を手に取り、確認すると、そこには音楽ファイルが添付されていた。
「き、キクさん……っ! こ、この曲があれば、い、1000万人も、夢じゃない!」
届いたのは、切り札。中身を確認するまでもない。
みやびフェスを締めくくるには、きっとこれ以上ない曲だ。
『そうすんなりいくといいが……』
一方、ツバキは楽観視しないタイプなのか、不穏な一言をこぼしている。
(ここまでずっと妨害されてきたんだ。今日ぐらい何も起きないで、お願い)
だけど、それを振り払うように、アザミは願う。
無事に、何事もなく、ライブフェスが成功することを。
「神宮さん、少し、よろしいですか?」
そこに駆け込んできたのは、セミロングヘアの水色髪の鬼。
黒のTシャツとズボンに透明なレインコートを着たスタッフだった。
地上まで出ていたのか、髪とレインコートは雨でびちゃびちゃに濡れている。
「な、なんです?」
嫌な予感しかしないけど、話を聞かないわけにもいかない。
スタッフが立っている人気のない舞台袖の方へ駆け寄り、尋ねる。
「……ライブは一時中止した方がいいかもしれません。雨が強すぎます」
返ってきたのは、案の定、悪い知らせだった。
ただ、想定できる範囲のもの。まだ慌てる時間じゃない。
「あ、雨が弱まれば再開できるんですよね?」
彼女が言ったのは、中止じゃなく、一時中止。
その提案を前向きに受け止めつつ、議論を進めた。
「はい。素直に弱まってくれれば、ですが……」
そこまで言われて気付く。
中止の可能性も十分あることに。
「さ、三十分様子を見ましょう。か、観客には、何か温まるものを」
でも、今は観客の安全が最優先。
無理して聞いてもらっても、心には届かない。
ここは様子を見る。無理なら、中止も視野に入れるしかなさそうだ。
「そう、伝えます」
やり取りはそこで終わり、スタッフはすぐさま去っていった。
(今度は雨、か。つくづく運がないな、わたしって……)
アザミは不運を嘆きつつ、他にやるべきことを考える。
そこで目に入ったのは、手元にある携帯の画面に表示されたもの。
(でも、完成した楽曲を聞き込む時間ができた。そう考えたら、まだいいかも)
すぐにネガティブな考えを切り替え、キクから送られてきた曲を再生した。
◇◇◇
東京都。千代田区。内閣総理大臣官邸。二階。会議室。
白い長テーブルに、複数の背もたれが直立した椅子が置かれた部屋。
「……」
北側は一面ガラス張りの窓。江戸城跡方面を一望できる。
窓の手前に立つのは険しい顔を作る黒スーツ姿の男。千葉一鉄。
左手には杖、右手には赤い水晶が握られ、ぶつぶつと呪文を唱えている。
「私の予想を超えてみろ。超えられる、ものならなぁ」
唱え終わったのか一鉄は天を見上げ、力強くそう言い放つ。
すると、水晶は赤く光り出し、窓に打ち付ける雨は強まっていった。
◇◇◇
東京メトロ東西線。竹橋駅。ホーム。
地下に作られた構内に、二車線の線路がある。
江戸城本丸跡から、約1キロメートルほど離れた場所。
「ここで、鬼の出入りがあったってのはマジ?」
狭いホームの端。空調装置の隣にある白い壁。
そこで、緑のレインコート姿の霧生卓郎が問いかける。
周りには、数十人規模の白いレインコートを着た警官たちがいた。
「間違いありません。数分前、本官がこの目で確認したのであります」
一人の精悍な顔立ちの警官が淀みない動きで敬礼し、答える。
真面目で正義感が強い人間が、そのまま警官になったような男。
この手の輩は例外なく使い勝手がいい。警官Bと呼ぶことにしよう。
「報告ごくろうさん。……俺の予想じゃ、ここに鬼の巣と『ヤツ』がいる」
事前情報を周知の事実にしたことで、周りの警官どもの顔つきが変わる。
本気で犯人を拘束する時に見せるような真剣な表情。マジモードってやつだ。
「またまたぁ、そんなわけないでしょ。ここ公共施設だよ?」
ただ、その中で一人、反論する者がいた。
こいつは警官A。皇居周辺にいた鈍い警官だ。
「空調設備のせいでここは死角になってる。可能性はありのよりのありだから」
構う時間すら惜しいが、この衆目の下で雑には扱えない。
できるだけ簡潔に、かつ、納得できる理由を教えてやった。
「なしのよりのなしでしょ~。こんなのただの壁に決まって――」
すると、警官Aは馬鹿にしたように、壁を強く二度叩く。
それが、起動する鍵だったのか、壁は回転し、警官Aは消えた。
「「「…………っ!!?」」」
警官たちのはっと息を吞むような音が聞こえる。
雨か、冷や汗か、背中にすぅっと冷たいものが伝っていく。
「ビンゴ……。見ての通りだから、全員死ぬ気でついてきなね」
興味と不安がごちゃまぜになったような感覚だった。
ただ、進むしかない。霧生はそう言い放ち、二番手を買って出た。




