第49話 みやびフェス東京③
東京都。千代田区。皇居前広場。弐番ステージ。
広大な道路の中央にステージ。その周囲には、大量の観客。
「ここにも配線がない……ってことは決まりじゃね」
道路脇には芝生と樹々が適度に生えているエリアがある。
そこにいるのは脚立に上り、緑のレインコートを着た不審者。
霧生卓郎は、雨の中、双眼鏡片手にステージを遠目から眺めていた。
「ちょっとちょっと。困るよお兄さん。ここは立ち入り禁止だから」
声をかけてきたのは、白いレインコートを着た男性の警察官。
恐らく、皇居周辺を警備する下っ端。指示が行き届いていない人間。
「許可なら取ってるんで、引っ込んでくれる?」
霧生は、煙たがりながらも、丁寧に伝える。
これで伝わればいいんだけど、まぁ、無理だろうな。
「許可? 一般人が警察に許可取れるわけないでしょ」
すると、警官は馬鹿にした様子で対応してくる。
思った通り、命令が下まで伝わっていないっぽい。
「……お巡りさんさぁ、帝国憲法第65条って知ってる?」
それならと、霧生は別の切り口で話を切り出した。
「あのねぇ。それっぽいこと言っても駄目だから」
ただ、言い方が気に食わなかったのか、警官はしかめっ面だった。
察しの悪い奴。こんなハッタリで乗り切れると思うほど馬鹿じゃないっての。
「内閣総理大臣は、法律の定めるところにより、警察を指揮監督する」
それは帝国憲法65条の条文。
察しの悪い警官も真顔になっていた。
表情から察するに、内容を知らなかったらしい。
曲がりなりにも国家公務員のくせに、勉強不足にもほどがあるっしょ。
「……はいはい。ご高説どうも。署まで来てもらおうか」
ただ、嘘だと判断したのか、すぐに間の抜けた顔に戻った。
頭の固い苦手なタイプの人間。だけど、今回は切り札がある。
「じゃあ、連れてってくんね。この命令書が届いてるはず、なんでね」
懐から取り出したのは、雨避けフィルムに包まれた一枚の紙切れ。
「……これはっ」
警官の顔が分かりやすく強張る。
一般人相手だったなら、ただの紙切れに過ぎない。
ただ、これは警察のトップ。警視総監宛てに総理が書いた命令書。
「もう一度言うよん。……お巡りさんさぁ、帝国憲法第65条って知ってる?」
東京都にいる警察官相手なら、ある程度の命令が下せる便利な紙だった。
◇◇◇
東京都。千代田区。白教大聖堂。地下牢内。
鬼と人の足止め。ジェノとラウラの戦いは佳境を迎えていた。
「次でいい加減決めるぞ、分かったな!」
「分かってる。でも、殺しちゃ駄目だからね!」
背中を預け合い、ラウラは一心。ジェノは閻衆に向き合う。
ラウラが次に起こす行動は読めた。後はなんとか合わせるだけだ。
「……どうやら、次で決められるらしい」
「言ってる場合か! 決めるのはこちらだ! いいな!」
その言葉に、閻衆と一心も、身構えて、次の攻撃に備えている。
「ジェノ。同時に飛び出す。掛け声を合わせろよ」
そこでラウラは次の段取りを伝えてくる。
それは敵にも丸聞こえだった。ただ、やるしかない。
「「せーのっ!」」
揃った掛け声と共に、ジェノとラウラは駆けた。
互いが向き合っていた敵。それとは、逆方向の相手に向かって。
「……っ」
ジェノが対するのは、一心。
刀を下段に構えながらも、驚きの表情を隠し切れていない。
(狙い、通りだ……っ!)
隙を一瞬だけ作れればいい。そのための前置き。
ラウラとの信頼関係を利用した、敵の裏をかく作戦。
グロッグも、〝悪魔の右手〟も使わない。振るうのは、拳。
「これでっ!」
銀光を纏った渾身の右ストレートが、一心の鳩尾に向け、放たれる。
「……悪いな、坊主」
しかし、その時、確かに聞こえた。
一心と出会い、気絶させられた時と同じ台詞。
(……まさか、誘い込まれたっ!?)
演技だと気付いても、もう遅い。
すでに懐に踏み込んで、拳を振るってしまっている。
「北辰流――【薄雲】」
一方、振るわれるのは、下段から放たれる刃。
身を逸らせば致命傷は避けられる。そんな欲が頭によぎる。
(……避けるか、打ち抜くか)
寸前のところで迷いが生じ、意思が揺らぐ。
このままいけば、待ち構えていた一心の剣速が勝る。
打ち抜けばまず助からない。体は真っ二つにされてしまうだろう。
(……迷ってる場合じゃ、ないのに)
銀光が。センスが消えていくのを肌で感じる。
不安定な心では安定しない力。いよいよもってまずい。
(いや、違う。どうして迷える時間があるんだ)
時間の矛盾。違和感。もう切り捨てられてもおかしくないはず。
死ぬ寸前に見る走馬灯。にしては、悪寒を全く感じない。何かが違う。
(間違いない。何か見落としてる。何でもいい、見つけろ!)
目の前には、下段から上段に刀を振り抜こうとしている相手。
でも、様子がおかしい。手がかすかに震え、静止しているように見える。
(……そういうことか!!)
次に見えたのは、刀を支える腕の浅いかすり傷。
恐らく、ラウラが持つ爪の裂傷。爪先には遅効性の神経毒。
ただ、彼ならまだ動けるはず。動きが止まったのは、体が毒に驚いたから。
(ラウラがくれた、一瞬の隙。先に動けた方が、勝つ!!)
二人の距離はほぼ密着。至近距離。
どちらの一撃にせよ、致命傷は免れない。
「あぁぁぁぁぁぁあああぁっ!!!」
「うぉぉぉぉぉおおおおおっ!!!」
ジェノと一心。二人の止まっていた時間が再び動き始める。
叫んだのは同時。裂帛の気合いと共に、ジェノは拳を、一心は刀を振るう。
「――ッ」
ざくりと刀が身を裂く感触が走る。
(関係ない。この人は、俺が……俺がっ!!!)
内に秘めた思い。それを明確に意識し、拳に込める。
「――――止めてやるっ!!!!」
やられる前に止める。その思いが力と変わり、銀光がほとばしる。
それこそが心の起源。揺るがない意思。師匠がくれた最大最強の武器。
自分の中に線引きを作ること。心に刻み込まれた師匠の教えを今、解き放つ。
(……刃先はもう体に届いてる。でもっ!!!)
避けたい欲を断ち切り、振るった銀光の拳。
同時に刃が、体に食い込んでいくのを肌で感じる。
それでも、ジェノはひるまない。ただ真っすぐに突き進む。
(……俺の方が、きっと速いっ!!!)
拳は腕と手首だけの所作。一方、刀は全身の力を使える。
初速は圧倒的に不利。それも、刃先が先に食い込んでる状態。
ここから拳が刀を追い抜くことなんてあり得ない。普通なら不可能。
ただ、それは平常時の話。極限まで追い込まれた人間はその限りではない。
(……なんだ、これ)
その時、ジェノは異変を感じていた。
さっきのように時間が緩やかに流れる感覚。
相手が止まってるわけじゃない。刃は動いていた。
だけど、こっちの方が速い。みるみる拳の速度が増していく。
(なんでもいい。抜けっ!!!)
圧縮された時の中で、ジェノは拳をさらに加速させた。――そして。
「……どう、やってっ!!!?」
拳が到達したのは一心の腹。胴体。その鳩尾。
拳は刀を超えていた。圧倒的に不利な状況を覆していた。
それも、目の前で起きているのは、京都で気絶させられた時の意趣返し。
(加減なんて、するもんかっ!!!)
今度はジェノが一心の鳩尾に拳を食い込ませ、力のままに壁へと叩きつける。
「…………あがッッッ!!!!」
電信柱が倒壊したような爆音が鳴り響く。
地下牢全体は揺れ、奥の壁はひび割れ、丸く陥没。
壁にめり込んでいるのは一心。気絶して、刀から手を放している。
「これで、あの時の分はチャラですから」
そう語るのはジェノ。先に到達していた刃は太ももを軽く裂き、止まっていた。




